第25話 内戦の時
戊辰戦争が始まって既に1月以上が経過し、時は既に1868年。各地を接収しながら進んでいた壱心はとうとう戊辰戦争での初戦を甲府で開始しようとしていた。相手は甲陽鎮撫隊、旧新選組だ。
いわゆる、甲州勝沼の戦いが戦端を切ろうとしていた。
こちらの主軍勢は板垣退助率いる迅衝隊を中心とした土佐藩士、約600名。河田景与が率いる山国隊を主軸として鳥取藩士約800名、そして壱心率いる遊撃銃隊、福岡藩兵300名だ。他の軍勢も含めると約3500名となる。対する旧幕府軍は旧新選組局長近藤勇率いる混成部隊約300名。
(……俺はここで止まってる暇はないんだが……どう考えても余剰兵力だろ)
さて、将としての初陣に臨む壱心だが、甲府城でこの布陣について内心で文句を言っていた。まだ一戦も見えていないが甲府城を取り、敵が皇位に恐れをなして120名ほどに減った状態。既に大勢が決まっているこの状況で壱心がやることなどもはやないに等しい。
(小栗さんを生かしてこちら側に引き込みたいからさっさと群馬に駆け上がりたいんだけど……?)
旧武田軍の本拠で徳川体制に苦しんでいたこの地において、武田の遺臣である板垣の人気はすさまじく、内政についても彼がいれば領民は協力的であり壱心は本当に何もすることがない。
(……にしても近藤さんたち遅いな。史実通りならこっちが入った一日遅れで入って来てその一日後に潰せたはずなんだが……だから諏訪で新兵衛の野郎にOK出したのに……)
壱心の予定ではさっさと潰して本隊とは別に江戸に入り、治安維持の名目で群馬の権田村入りするつもりだった。だが、奴らが来ないのだ。
(史実じゃ士気維持のために大名行列みたいなことやった挙句、天候不順で時間を空費してくるのが遅れたって話だがどうなってるのか……もしや、こっちの準備が早過ぎて史実と異なる流れに……?)
嫌な予感に壱心は顔を顰める。史実では脱走が相次ぐ甲陽鎮撫隊の脱走対策に近藤が会津藩の援軍が来るという嘘をつき、土方が実際に神奈川まで言って旗本が結成した菜葉隊に助力を頼むはずだ。
(菜葉隊は確か500だったな……来るわけないが来たら困るってことで残されてるんだろうなぁ……)
根っからの武士階級ではない新選組を助けるために旗本が動く訳がない。仮に助けに来たとしても洋式戦術を軽視し、刀に頼る甲陽鎮撫隊が中心では話にならないとは思うのだが……そんなことを考えていた時だった。
「壱心様、町田中・歌田にて武装集団を補足いたしました。恐らく件の幕軍かと。板垣様より谷様と共に現地に布陣している部隊と合流して出陣するよう要請が出ています」
「わかった。情報を」
小姓が現れ、壱心に早口でそう告げる。敵たる甲陽鎮撫隊は数こそ史実のままだが、大砲を幕府より支給された6門全て運んできたという。
(成程、置いて来るはずのものを全部持って来たから微妙に遅れたのか……人数的に無理だっただろうし、そもそも彼らは
威容だけはある大砲だが、壱心は知っている。彼らは弾込めすら不慣れで砲弾の向きを逆に入れていることにすら気付かずに、飛距離も出せず違いの方向にしか飛ばせなかったことを。
そしてそれを見て役立たずだな……とこれまた見当違いの評価を下して銃火器は頼れないと判断していることを。
それらを裏付けることが出来る情報を聞きながら城下まで降りると壱心と共に出撃を命じられている谷干城が壱心を見て頭を下げてくる。
「香月様。先陣は我らにお任せを」
「あー……まぁ、はい。何事もなければどうぞ」
加藤に役職をつけられ新政府内で一定の地位にあり、谷が尊敬していた坂本たちと交流のある壱心の方を上と見做す谷は礼儀正しい所作で壱心に頭を下げている。
ただ、どれほど上辺を取り繕おうともその言葉に忍ばせた激情は隠せない。彼の意気込み様は坂本を暗殺しようと襲撃した新選組に対する怒り。この戦いには土佐藩の私怨が大量に混入していた。彼らの攻撃は苛烈なものになりそうだ。
「香月様!」
「……あ、これはこれは。板垣さん何か?」
次にやって来たのは現城主の板垣だった。これまた一応、壱心の方が新政府内での役職は上ながら、壱心が初陣であることに加えて甲府を治める点に当たっては彼が適任であるとして今は壱心をお飾りとして立てつつも実務一式を扱っている立場にある。
そんな板垣が実務を放り出して壱心の下へ駆けつけて何をするかと思いきや念を押しに来たようだ。
「僭越ながら、敵部隊に関しましては旧新選組の部隊であり集団での斬り合いに関しましては敵に一日の長がございます。香月様が武芸者であることはかねがねより伺っておりますが、彼らもまた江戸、京で名を馳せたものであることをお忘れないようにお願いしたいと」
「……まぁ。銃で薙ぎ払うからあんまり関係ないとは思いますが」
「でしたら、私がここで言うことはございません。くれぐれも敵の挑発に乗ることがないようにお願いいたします」
そうは言うが、一応予測されることをつらつらと述べていく板垣。本当は自分で戦いの場に出たいのだろうが、一応福岡藩の顔……引いては彼の友人である中岡、そして坂本に出資している壱心を立てる必要があるということで呑みこんでいるのだろう。
「くれぐれもよろしくお願いいたします」
「はい」
「では、ご武運を」
やる気あるのかな……と不安になる板垣。ただ、逆にない方が壱心につけた伊地知ら鳥取軍や彼の腹心たちの言うことを聞いてくれるため問題ないとは思う。
後、後々のことを考えた場合、あまり福岡藩だけに強くなってもらっては困るという暗い考えもあったため、それ以上は何も言わずに板垣は壱心を見送った。
そして、甲陽鎮撫隊より送られてくる時間稼ぎの使者を黙殺して現地入りした壱心らは柏尾山の麓に布陣する甲陽鎮撫隊と戦闘を開始する。
「ふむ……彼らも馬鹿ではないようだな」
それなりの大軍となった新政府軍は谷率いる先遣隊と壱心率いる後軍に分かれて進軍していた。そこで谷が見たのは堅固な陣だった。木を斬り倒し、制限した進路に厳重な守りを敷いている。
ここから攻め込めば緒戦であるのにそれなりに損害を被ることが分かるため、彼は片岡健吉に甲州街道の南より柏尾山を見下ろす岩崎山を占拠するように命じた。
と、順当に史実通りに行くかと思われたが、壱心はここでチマチマ時間を浪費している暇はないと谷に対して伝令を送った。
「……は? 先陣は任せると仰ったはずでは……先陣の誉れを総大将が横から奪う、と?」
壱心からの伝令を受けた谷は不快そうな返事をしていた。だが、伝令兵は全く動じずに続ける。
「いえ、香月様は動いておりませぬ」
「……もう少し詳しく説明を」
「はっ、畏まりました。敵が小勢ながらそれなりの対応策を取って布陣していると報告を受けた香月様は河田様に山国隊ら一部部隊を任せて柏尾山北西へと転進を命じられました。河田隊は菱山を守る永倉隊を撃破し既に深沢川を越えたとのことです。また、岩崎山にも既に援軍を派遣したので谷様には遊軍を気にせずにこのまま本隊に集中していただきたいとのことです」
谷の背中に寒気が走る。まだ、この場についておらず伝令の話でしか情報は得ていないはずだ。斥候を送ったのかもしれないが、それにしても早過ぎる。
(どこまで? いや、何を考えてそこまで大事に……?)
普通に戦えば数の上でも勝利は間違いない。それなのに壱心は即座に手を打って自藩でもない谷の軍も気遣う動きを見せて全体での完勝を目指している。
(当然だが、実情としては問題ない。寧ろ大正解と言って過言ではない……ただ、どこを見てこれをなされたのか……あの方はまだ初陣では……)
敵が小勢であること、また自身が武芸者であること、そして武士という生き様からして今回のような事例では自分が武功を立てたいという考えで真正面からぶつかろうとする者が武士には多い。特に初陣であれば入れ込みようも大変なものだ。
だが、壱心は自身の武功などどうでもいいと言わんばかりに谷を最大限に利用して敵を即時撃破する考えを見せている。それはまさしく人を使う側の思考だ。
また、この一連の戦いの後には雄藩の中での勢力争いが待ち受けているのは間違いない。そのため、自分の所属する藩、または友好部隊以外は未来の対戦相手となるため意識するにしろしないにしろ積極的に救うことはしないはずだ。常識的に考えた谷はそう考える。
「香月様は他に何と……?」
真意を探るべく、谷は壱心の情報を得ようと伝令に尋ねる。すると彼は顔を上げて、まっすぐに答えた。
「敵の守りが崩れぬ場合、援軍は来ない。菜葉隊に援軍要請に出た土方は本体の手に落ちたという方を流し、混乱させよとのことです。敵軍の半数は敵将の援軍が来るという言葉でこの場に留まっているだけで、隊列が乱れれば自ずと隙は出ると」
「……それは、本当のことか?」
思いがけない更なる助力。谷はそれが有用なのは分かっているが、別のことが知りたいと再び尋ねる。伝令の男は正直に答えてくれた。
「援軍が来ないということ、そして敵部隊の内容は……」
「……わかった。して、時はいつ?」
心理面の話はしないらしいと谷は諦めた。そして実務の話に本筋を戻す。
「一時後。谷様に合わせる、とのことです。」
「一時……」
二時間後ということらしい。あまりの速さに谷は思わず呻くように呟いた。
「筑前衆は化物か……?」
「……香月様の部隊と全て一緒にされては困りますが……概ね」
送られてきた伝令は顔を伏せており表情は見えないが、その声音からは何故か諦念めいたものが込められており谷はその後の発言を飲むしかなかった。
「そんなにか……いや、実際に助かったので文句のつけようはございません。香月様に感謝の言葉を」
「はっ!」
そしてその半日後、甲陽鎮撫隊の武器に関わらず史実通りの結果が。そして新政府軍は史実以上の成果を挙げて甲陽鎮撫隊は壊滅し、壱心たちは甲府の地を完全に手中に収めて江戸を目指すことになる。
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