第24話 行軍の時

 さて、歓声を上げて出発した福岡軍だが中国地方までの道中にいる相手は味方か様子見が多く特に戦うこともないので行った先々の情報を集めつつ周囲の藩を味方につけながら進軍していた。


「ところで、気になってることがあるんだが……」

「あん?」


 そんなある日のこと。急いで進軍しているとはいえ休養も必要ということで休みつつ、倒幕側に着くことを決めた藩から接待を受けていた壱心と新兵衛は接待して来た相手を酔い潰し、飲み直しをしていたところで不意に話を切った。


「その、亜美とかいう子とはどこで知り合ったんだお前?」


 酌をしていた美女、亜美の色っぽい動作に酒気とは異なる熱を感じて顔を赤らめる新兵衛は壱心にかねてより尋ねたかったことを尋ねた。壱心はそれを聞いて盃を口に当てつつ亜美の方を見る。彼女は料理に視線を向けていたが軽く笑って答えた。


「面白い話でもありません、よくある話でございます」

「っつーと?」

「……壱心様に身請けをしていただいたのです」

「へぇー!」


 テンションを上げる新兵衛。酔っているのだろう。壱心の方を軽く小突きながら笑っている。


「上手くやったもんだなぁお前も。ん? ちゃんと女に惚れるようで安心したぞ」

「……お情けはまだいただいておりませんが」


 しれっと言ってのける亜美。悪びれなく彼女は空いた食器を片付けて忙しなさそうにし始めた。しかし効果は絶大で壱心は新兵衛の鬱陶しい絡みを受けることになる。


「あーん? 何でおめぇ買ったのに手ぇ出さねぇんだ?」

「……そんな情勢じゃないだろうが」

「作ろうと思えばいくらでも時間作れるだろうが! お前、この戦争で死んだらどうするつもりだ? 先祖に申し訳ないとかないのか?」

「俺を殺せる奴? いるのか? ハッ……」


 鼻で笑い飛ばした壱心。こちらもどうやら酔っているようだ。その小憎たらしい態度に新兵衛は微妙な反応を取りつつ亜美を巻き込もうと声をかけた。


「そーんな態度なら亜美、俺が貰うぞ? いいの「不義理は致しません」……そうか」

「えぇ」


 意気込んだ瞬間に話を遮られて憮然とする新兵衛。この時代としてはかなり無礼であると判断されることだが、壱心と新兵衛の間柄と酒の席であることを鑑みて不問とし、壱心が笑っていることに気付いた。


「何笑ってんだ壱心」

「コントじゃねーか」


 コントの意味は分からなかったが、どうやら馬鹿にされていると感じた新兵衛は不貞腐れて酒を急須から直に一気飲みする。


「ふぃー……あー、今日はもういい。明日も早いし、忙しいからもう寝るぞお前」

「おう」

「お休みなさいませ安川様」

「気が変わったらいつでも来てくれよ~」


 軽い調子で立ち去った新兵衛。残されたのは壱心と亜美だけで、その二人もそろそろお開きにしようかと顔を見合わせた。


「あの、今日は……」

「いつもと変わらん」

「……はい」


 つれない壱心の態度。亜美はこの時代の女性が持つ価値観から落胆を禁じることが出来ない。彼女の価値観からすればどれだけ有用であろうとも女性は子を成すべきだと思うのだ。その不満を視線に乗せて亜美は壱心を少しだけ見るが彼は既にこちらに背を向けて席を立っていた。


「明日も早い。疲れを残すなよ」

「……畏まりました」


 静かに深く頭を下げて壱心を送る亜美。控えていた世話役の下女が片づけを始めつつ亜美に探るような視線を向け、目が合うと即座に作業に目を移し顔を逸らす。


(……遊女、嘲る目と羨望の目。それから、嫉妬)


 ここに居てもいい気分にはならない。亜美は音もなく席を立ち、壱心の部屋へ向かう。彼は既に一組の寝具の中で浅い眠りに就いていた。


(暗殺を警戒されているのは理解できますが……)


 遠くから、戦を前にして昂っている男とそれを癒す女の声がする。常人では聞こえないだろうが、亜美には聞こえていた。しかし、目の前に眠っている主人がいて自身は警戒のために起きている状態で聞いていても面白い物ではない。

 亜美は注意して自然な振る舞いで音を消し、周囲の警戒を行いつつ月夜に浮かぶ雲を眺め、ふと自分たちがここに至った過程について思い出すのだった。


(揺らめく雲は寄る辺を知らぬ幼い私たち。喘ぐ女の声に染められていく)




 亜美は元々京の近郊に住んでいる農民の子でその時は紗代と呼ばれていた。主に米作を行いつつ後に京野菜と呼ばれるものを生産し、それなりの生活を送っていた弥兵衛とあまり遠くない歳であるよねの間に生まれた次女が紗代だ。


 そんな亜美、当時は紗代だが、彼女は幼い頃から変わった子として両親に気味悪がられていた。


 亜美が変わった子として気味悪がられたのは彼女の気質だ。彼女は高い能力を有していたが手加減を知らない。やれと言われたら他の命令が下るまで止めず、常識というものが身につかなかった。それによって彼女が失敗したことは枚挙に遑がないが、一番怒られたのは初めて畑の水やりを行った時で、彼女の両親がやっていたことを隣で見ていたのに水を与え過ぎてしまい本気で殴られた。

 そんな折に幕末期の冷害、並びに物価高騰。それなりの生活で子をたくさん成していた亜美の家は一気に困窮して子どもを身売りさせることになる。槍玉に挙がったのは家族から疎んじられていた紗代だった。


 そんな紗代だが、単なる農民である弥兵衛たちにきちんとした伝手があるわけもなく適当な人買いに格安で買われ、そんな人買いも最初は中身に問題があっても顔だけはいい紗代であれば島原遊郭にでも売れるだろうと斡旋を画策としたが信用がなく、島原の少し外れの宿場に飯盛女として売り飛ばすことになった。


 そこで彼女は同じような目に遭ってこの場所に集う少女たちと出会い、要領の悪さに怒鳴られる日々を暮らすことになる。

 そんな日々が変わったのが、いつものように殴られている間に宿場の人気者と客の間に揉め事が発生したことを端に、仲裁しようとした福岡藩士の大野の前任者が出てきて入り組んだ問題に発展したことだ。

 これで、大野の前任者である飯倉という男を共犯者……いや捨て駒として抱き込もうとして恩を売りつけに来た壱心が出てからすべてが変わったのだった。


 そして、力で締め上げ、権威で潰し、金で相手を黙らせた壱心は揉め事を犯した人気娘を飯倉に引き渡した後、彼女の後輩や何故か亜美を含めた総勢6名を身請けし子どもたちを2年がかりで徹底的に鍛え上げた。


(そう言えば、何故壱心様は私のような変わり者の扱いに慣れていたのでしょうか?)


 月明りは答えてくれない。だが、壱心からすれば彼女のような人は知識として知る範囲にいる者で、知ってさえいればある程度は操作の利く相手だった。


 そんなことを知らない亜美からすれば自分でもわからないことを理解してくれ、今の生活のすべてを与えてくれた壱心とは運命の出会いであると感じていた。そのため、現在眠っている壱心に心の底からついて行こうと思い、彼の役に立ち続けることを誓う。


 後の世にて鬼女、もしくは極東の魔女として呼ばれることになる彼女は何も言わずにただ月明りの中で己が役目を果たすのだった。

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