第23話 出立の時

 福岡に戻った一行は怪我の療養とお龍との新婚旅行に旅立った龍馬、それから彼らについて行く形になった土佐藩などのメンバーと別れて実家に戻っていた。


 だが、事態は急展開を迎える。


「壱心! 幕府が王政復古の大号令撤回を求めて大阪城から軍を動かした!」

「……休む間もなく、か……」

「仕掛け人が何言ってやがる……行くぞ。戦だ」





 1867年12月。徳川慶喜、大政奉還の撤回と薩摩軍の中央からの撤退を求めて軍勢を率いて大阪城を出発。これは史実で鳥羽・伏見の戦いが起きるよりも早い出来事だった。


 さて、徳川軍が早期に軍を動かした理由だがこれは幕府が最新式の軍備をし、訓練を済ませている長州と福岡がこちら側に回ったことを受けての出来事だ。仮に薩摩が動いたとしても西国で足は止まる……圧倒的な優位にあるということを見ての行動。


 しかし、この動きは幕府……いや、旧幕府軍にとって最悪の行動となった。


 幕府の中央に軍を進める行動に対し、当然薩摩は反発。……ここまでは当然のことで、幕府側も動きを読んでいた。そのため寧ろここで雄藩の力を背景に朝廷から薩摩勢力を追いやった後、一度矛を交えることで調子に乗っている反幕府勢力を叩こうとまで思っていた。

 そしてその圧倒的な力を見せることで朝廷にも間接的に幕府の力を理解させてやるという計画だ。


 ただ、問題はここからだった。薩摩と幕府の問題として関わろうとしないはずだと幕府側が高を括っていた朝廷が即時動いたのだ。


 幕府の突然の行軍によって開かれた緊急会議では過激派である岩倉具視、薩摩による幕府追討の勅令の要求と朝廷の賛同。それに加えて福岡藩、長州藩も即座にこれに賛成。史実では反論した福井藩主の松平春嶽ですらその場の空気と流れに無言を貫いた。

 この素早い対応に驚く幕府。しかし薩長筑はまるで幕府の軍勢を待っていたかのような準備の良さで布陣して、薩摩にのみ目を向けていた幕府軍を散々に打ちのめした。


 数の上では幕府軍が優勢。しかし、味方だと思っていた相手の裏切りと敵対しないはずだと思っていた相手の手痛い対応。

 幕軍は大いに動揺して大阪城に逃げ帰った。そして対応を練るべく協議を重ね始める。その間に薩長筑は幕府の暴挙並びに朝廷による新政府の発足を大々的に知らしめて諸藩を味方に引き込み、一歩進んだ対応を取った。


 これらの情報を福岡にいた壱心は彼の網である間者の内、京を中心として情報収集をするように命じていた宇美と言う名の女性から得ていた。そして、この福岡藩として動く絶好の時を待っていたのだ。そして彼は内戦の前に最終確認に入る。


(さて……史実よりも軍事力はある。幕府の失態についても協力路線だったウチの藩の離脱からその酷さについて喧伝するのは楽だし、真実味が出てくる。まぁ、匿名の情報で色々聞かされたということで……)


 戦いの前の情報戦。戦いは始まる前に大勢が決すとばかりに中立の武家、民衆などにこちら側につくように行っていた作業成果を確認する壱心。

 特に、幕府の所業に関しては一時は協力路線にあった福岡藩からあることないこと吹聴して回った。あることについては、断定的に。なかったことに関しては伝聞調の噂話で。

 人は苦しい時には現状を招いた政府を疎い、信じたいことを信じる。また、自分の欲しい知識に沿う内容の情報を勝手に収集する。聞いた情報を自分が信じたいように話し方を変え、相手はその文脈から物事を判断する。

 この開国後の苦しい社会情勢では現政権から変わることへの希望を見出そうとしてしまうのだ。


(この時代じゃ、洗脳しやすいからなぁ……精々踊ってくれ)


 史実の開戦に比べてよい条件を引き摺り出すために暗躍し、碌でもない謀略を安川に吹き込んで藩を動かした当人は更なる手を打つために急ぎ福岡から出立することを決めるのだった。


 安川新兵衛が先に出て行った後、壱心は自宅内に隠れていた二人の人物に声をかける。


「リリィ、恵美。留守は頼んだ」

「任されました」

「畏まりました」


 屋根裏から降りて来た異国の美少女リリアンと顔の下半分を布で隠した忍び装束の女性。リリアンが一歩前に出て壱心に優雅に礼をし、その後ろで恵美と呼ばれた女性も深々と頭を下げる。それらの声を背中に聞きつつ壱心は家から出た。


「壱心様、準備は出来ております」


 その直後に壱心の前に現れる女性。壱心はそれが誰かを問うこともせずに一言尋ねる。


「亜美、宇美から追加の情報は?」

「こちらに」


 黒襟の小袖に前掛けをつけた血色と体格のいい中年の女性が壱心の目の前に居ながら一瞬で色白で細身の、室内にいた女性と同じ忍び装束の美女に変わる。しかも、逆に目立ちそうな格好でありながらその姿は気を抜けば見失いそうな様だ。

 しかし、壱心は一切それらのことに関りがない日常生活を過ごすかのような動作で渡された書簡を手に取って級友からの手紙が来たかのように笑った。


「くく……よしよし、近江屋で殺さなくてよかった。刀に拘り勝利を逃がす馬鹿どもが……」

「壱心様、お気づきでしょうが、安永様の気配が戻ってきております」

「あぁ……行くか。隠れなくていいぞ」


 手紙を懐に仕舞って新兵衛が向かってくる方向に自ら足を進める壱心。すぐに新兵衛と出くわすことになって面食らわれた。


「おぉ、準備できてたのか……そっちのは?」

「壱心様の麾下で狙撃手……撃ち方の亜美、と申します」

「ほぉ……戦が変わりゆくのを感じるなぁ壱心……」


 嫋やかな美女と思っていた相手の素性に驚きつつ顔から眼を離さない新兵衛。戦場に体格に恵まれたわけでもない女性が出てきて大いに活躍することを可能にした銃の普及に思うところがあるのだろう。

 それに対して壱心は内心でそいつは恐らく白兵戦でも並の男なら薙ぎ倒すだろうがなと思いつつ波風を立たせる意味もないので口に出さずに曖昧に頷いておく。


「どこで拾って来たんだお前?」

「……京だ」

「かぁ~っ……俺が江戸であくせく働いてた時にお前は女遊びか。いいなぁ……」

「俺の方が働いたわ」


 一応、亜美の方には聞き取り辛いように話しているつもりであろう新兵衛だが、少々特殊な訓練を積んでいる亜美には易々と聞き取れた。勿論、声はおろか表情に出すこともないが。


「京女は美人だなぁやっぱり……」

「江戸も多いと聞くが?」

「江戸は人が多いだけだ。人が多けりゃそれなりに美人もいるだろそりゃ……」

御厨みくりやからの情報によるとお前結構「わかったわかった。俺が悪かった。行こう」……」


 壱心の言葉を遮って新兵衛は先を急がせる。福岡城では既に2000名に上る人数が集まっていた。この全体を率いるのが壱心の隣にいる安永だ。


「……あ、さっき言い忘れていたがお前は副司令官な」

「はぁ? 何でそんなこと言い忘れるんだお前? 聞いてないんだが?」

「言ったら、ふざけた真似するだろお前? 加藤様にも許可は貰ってるし、長溥様にも話は行ってる」


 上司に話が通じていると言われてしまうとどうしようもない。しかし、先の四境戦争で武功を挙げていた新兵衛が司令官になることは理解できるがつい最近、いやむしろまだ脱藩志士とされている壱心がいきなり副司令官になるなど誰が納得できるだろうか。

 コネ、そう言われてしまえばお終いだが今から戦いに行くというのに士気が下がっては困ると壱心は難しい顔をした。


「安心しろ。誰だって初陣はあるもんだ。お前の場合はそれがこれだっただけ」

「やれと言われたらやるが……騙し打ちみたいなマネしやがって……」

「男の癖に昇進を何で喜ばねぇんだお前は……まぁいい。お前にもちょっとわかりやすい鼓舞に付き合ってもらうぞ? 腕は落ちてないよな?」


 そう言って新兵衛は壱心を見た後に少し前までここにはおいていなかった大岩に視線を向ける。それだけで壱心は察した。


「あぁ……」

「じゃあ行くぞ!」


 息を吸い、高らかに檄を飛ばし始める新兵衛。大岩を真っ二つに斬ることが出来ればこの国を阻む巨大な障害物を取り除き、国難を切り開くことが出来ると高らかに宣言。そして壱心はそれを見事に両断し、爆発的な歓声が上がったところで領民たちにその威勢を見せつけながら彼らは故郷を離れた。



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