第22話 落日の時

「っ、う……」


 目を覚ますと辺りは暗く。誰もいなかった。酷い喉の渇きを覚えた彼は飲み物を探そうと上体を起こそうとし、酷い眩暈を覚えてすぐに横になった。


(……ほぉ、苦しいっちゅうことはまだ生きとるっちゅうことだな……)


 妙な感心をする男の下に何者かが走りくる音がする。それは勢いよく扉を開き、それと同時に叫んだ。


「龍馬!」

「ぉ、りょぉ……」

「お、起きましたか。ごめん新兵衛、水持ってきて。……さて、色々聞きたいことも言いたいこともあるけどまずは水飲んでからかな?」

「ぃっしん、くん……」


 もう一人やって来ていたが最後の一人に関してはこの場に現れた壱心の言う通りに水を取りに出て行ったため、この場には三人が残ることになる。龍馬の妻であるお龍の泣く声だけが場を占める中で壱心は気まずそうに外を眺め、龍馬も少し困ったまま妻を慰めていた。


「壱心、これと……後、薬なんだがこれでいいのか?」

「ん? まだ薬はいいかな。さ、龍馬さんこれ飲んで」

「わ、私がやりますので……」


 戻って来た男……安川新兵衛が持ってきた水差しから水を与えるお龍。そんな二人を見つつ壱心は背後に現れた気配を見ることもせずに指示を出しておく。


「亜美、人払いを」

「畏まりました。お龍様、こちらへ……」

「……壱心さん、あまり龍馬に無理をさせないようにお願いしますよ」


 心配そうに病床にある龍馬を見ながらお龍は綺麗に一礼して使用人である亜美に連れられて部屋を去る。残されたのは新兵衛、龍馬、そして壱心だけだ。まずは龍馬から言葉がある。


「悪いのぉ、壱心くん。毎回迷惑かけて……」

「龍馬さんは敵を作り過ぎですからねぇ」

「お、おい壱心……失礼しました。何分、こいつは田舎者でして……」


 そこはそんなことないと謙遜するべきところだろうと新兵衛が壱心を睨むが龍馬の方は苦笑して首を振ろうとし、痛みを覚えて表情を歪めつつ否定する。


「いやぁ、壱心くんには本当、これで三度目じゃしのぉ……金勘定で助けてもらってから襲撃から二回も守られては流石に否定される方が心苦しい」

「そ、そうなんですか……」

「まぁその辺の話は一旦おいておきます。恐らく気になっていると思うので何が起きたのか、それから龍馬さんが眠っている間に何が起きたか程度はお話させていただきたいと」

「……頼む」


 まず、龍馬が眠っていた一月程の間に起きた最大の出来事。これからの世の中を変えるという庶民一般にも広がった巨大な出来事があった。


 朝廷による王政復古の大号令だ。


 これにより約260年続いた江戸幕府は名目上崩壊し、雄藩と徳川家による公儀連立政体が発足することになる。大まかには史実通りに行われたが、三職の中には当然のように福岡藩からも多数の人物が入っており、議定には福岡藩主、黒田長溥が。そして参与に加藤司書、喜多岡勇平、月形洗蔵の三人が入る結果となった。


 そしてその夜、三職による小御所会議により将軍慶喜の辞官納地が決定。土佐藩と福岡藩が組むことで史実よりは幕府に対して寛大な処置になりつつ、それでも領土が減るということに対する不満が起きることから内部の鎮静化を図るために時間をおいてほしいと将軍が告げ、しばらくは幕府の状態はそのままで権勢を保つことになる。


 特に12月10日、慶喜は自らの新たな呼称を将軍から「上様」とすると宣言して、征夷大将軍が廃止されても徳川家が江戸幕府の機構を生かしてそのまま全国支配を継続する意向を仄めかした。

 これには少々福岡藩としても懐疑的な視線を向けるようになるもその後の役職を外様である現状以上のものとして買収を図られそれ以上の声を出すことはなかった。

 困ったのは強硬派で武力討幕を図っていた薩長らだ。土佐や福岡藩の手痛い裏切りにあったと激怒するも後の祭りで、特に長州は福岡藩に攻め入らんと怒髪天を衝くところまで行った。だがしかし、福岡藩から送られた密使により旧幕府と密約を結び長州の過去の件を不問とし、長州藩に対して厳罰を取ろうとした幕府の責任者の首を送った上でこれからの役職について便宜を図るとまで言われてからは抱き込まれて少しずつ軟化するにまで至った。

 この件に関して、責任者と言う存在はいないが名目上、矛を収めるために必要な生贄を出されるということであれば長州からこれ以上文句を言うことも出来ない。破格の条件だ。


 さて、孤立したのは薩摩だ。薩長同盟で助けた相手の態度が軟化し、強硬派が少数派になってきた。


 幕府内の過激派や不満を抱える勢力が活発に動き始めたのを見て公儀政体派の土佐藩らが巻き返しを図り、福岡藩もそれに同調。12日には肥後藩・阿波藩などの代表が御所からの軍隊引揚を薩長側に要求する動きを見せた。

 これらの動きから倒幕を目論んでいた過激派の岩倉や西郷も13日には妥協案として辞官納地に慶喜が応じれば、慶喜を議定に任命するとともに「前内大臣」としての待遇を認めるとする提案を行わざるを得なくなった。つまり、慶喜が今の地位を辞めれば新しい地位に就けてこれからも活躍できるようにするということだ。

 これによって辞官納地も有名無実化される寸前になり、16日には慶喜が国の代表としてアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・イタリア・プロイセンの6ヶ国公使と大坂城で会談を行ない、内政不干渉と外交権の幕府の保持を承認させた。


 そして、龍馬が目を覚ました今に至る。壱心は表向き・・・の話を全て伝えた。それを聞き終えた龍馬は難しい顔をして呟く。


「……幕府の動きは分からんが、これでは元の木阿弥になりかねんのぉ……」

「でしょうね」


 壱心は頷く。実際、史実においてもこの流れに乗って一度は辞官納地の命を受けた後に王政復古の大号令の撤回を公然と行うレベルにまで幕府の権勢は回復する。今回であれば幕府の領地は更に大きく、長州と福岡がついているのだから猶更だろう。


「……わしのやってきたことは、無駄じゃったんじゃろうか……」


 思わず力なくそう呟く龍馬。体が弱っているからこそ精神も弱っているのだろう。そこに付け込む悪魔がここに。


「これからですよこれから。それはそうと、龍馬さん」

「……ん?」

「身の危険を感じてると思うんですが、怪我の療養を兼ねて一度福岡に来ませんか? そこでしたらある程度都合は付きますし、現状京に居ても出来ることはないと思います」

「……いや、壱心くん。確かに怪我をしてるし、今までやって来たことがダメになって回りに敵が多いかもしれん……じゃが、まだわしのやることはここに……」

「まぁ、療養ですよ。それに、結婚したというのにお龍さんとあまり時間を取れていないんじゃないですかね?」


 壱心は冗談めかしてそう言う。史実では日本で初めて新婚旅行を行ったとされる龍馬だが、壱心の活躍のせいで寺田屋事件後も元気に活動していたため今回はそう言った類のことはやっていない。


「怪我、か……確かにのぉ」

「そうそう、弱っていても力は出ませんよ。大政奉還も果たし、国力を損なうこともないままここまで来れました。一度、休養するのも手だと思いませんか?」

「そうじゃのぉ……」


 確かに、やるべきことは大詰めに近い。もう事は大体済んでしまっているようだと龍馬は思案して頷いた。


「じゃあ、世話になるとするか……よろしく頼む」

「はい。それではそのように……」


 頭を下げる壱心。その表情はこれまで人に見せたことのないどす黒い笑みだったがただでさえ弱っていて気の回らない龍馬がそれに気付くことはなかった。代わりに、龍馬と共に負傷してこの屋敷に入った中岡が壱心に近づく。


「……すまんな」

「いえ、後は頼みました……」

「あぁ……」


 短いやり取り。だが、それだけで全て通じ合った両名はそれ以上は何も言わずにただ己が為すべきことを実行すべく動き出す。



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