第21話 斜陽の時

 長州征討の後、幕府の凋落は隠し切れないものとなり慶応3年(1867年)10月に徳川慶喜は明治天皇に対して大政奉還を行った。史実では土佐藩からの建白書でそれが行われたが壱心の介入によって乙丑の獄を免れた福岡藩も同様の施策を取って幕府は朝廷の下に立つと自ら宣言したのだった。


 これに対し、薩長の両藩は倒幕に向けて動いていたところに寝耳に水という状態になる。特に、福岡藩に対しては長州から執拗に真意を問う連絡が入って月形洗蔵は酷く疲れるような有様だった。


 しかしながらそれは表向きのこと。裏では手を取り合い、土佐とはまた違う立場から誰もが自らの権勢を高めようと蠢動しているのだった。




 そんな故郷から離れて、壱心は11月15日現在リリアンを連れて京の都にやって来ていた。とは言ってもリリアンの姿は嫌にも目立つため旅館に籠り切りだ。

 ……そんな壱心の下に客が訪れる。


「集まり始めている模様です。お急ぎください」

「わかった。新兵衛にも連絡を頼む」

「はっ!」


 丁寧な言葉遣いよりも早さを重視した返事に壱心は即座に立ち上がって準備を開始した。そんな彼の姿を見てリリアンも居住まいを正して問いかける。


「父様、今宵はどちらに向かわれるのですか?」

「近江屋ってところだ。これが終われば一段落ってところだな……」

「リリーはお待ちしておりますので、行ってらっしゃいませ」


 夜半、リリアンは壱心がまた一人で出ていくというのにもかかわらず笑顔を作って見送る。その様子を見ながらリリアンの成長を感じつつ壱心は京の闇の中へと消えていく。

 完全に彼の姿が見えなくなってからリリアンは頬を朱に染めて呟いた。


「……もう少しで、国が開きます。私はそこで……うふふふ……今の、夫婦の様でしたね……」


 リリアンの脳裏にあったのはこの年の6月に幕府が出した通達。条約締結国の一般人と日本人の結婚を認めるというものだ。これがもっと世の中に広まれば……


「うふふ……」


 リリアンの笑みは誰にも聞かれず、その真意を測る者も誰もいなかった。










 義娘がそんなことになっているとは知らない壱心が向かった先はリリアンに告げた通り、近江屋。そこでは坂本龍馬が中岡慎太郎と共に酒を酌み交わしながらつい最近起きた土佐藩士の身に降りかかった事件である三条制札事件について話し合ったりしている場だ。

 壱心はそこに呼ばれていたが、内心のどす黒い計略のために少し遅れて現場に向かうことにしており、実際にリリアンと遊ぶことで時間を潰していた。


(さて、網の報告だと龍馬さんは幕府大目付の永井玄蕃さんところ行って馴れ馴れしくしたせいで気に入らんと思われてるってこと。後ついでに居場所がバレてるって状態だよ……で、京都見廻組与力共に嗅ぎつけられてるんですよねぇ……)


 寒い道を歩み、壱心は手に温かい息を吐いて笑う。本日、史実通りに行けば坂本龍馬の命日だ。そして壱心が当初、この世界で何かをすると決めた際に龍馬と出会う予定だった日である。


(……悪いが、恩を高く売りたいんでね。龍馬さん、ちょいと痛い目見てもらいますよ?)


「……おい、何不気味な笑い方してんだお前」

「っと、新兵衛か……わざわざ悪いね」


 近江屋に向かう前の待ち合わせ場所で龍馬に紹介するという名目で呼んでいた新兵衛と出会う。彼の方はある程度時間に余裕を持たせていたのか結構冷えているようだ。壱心はその辺について謝罪しつつ二人で近江屋への道を進む。


「いや、別にいいよ。こっちも有名人に紹介してもらえることだしな」

「そうか。まぁそれでも悪いもんは悪いから今度何かおごるよ」

「別にいいってのに」


 壱心の言葉を否定する新兵衛。しかし、壱心の方は割と奢る程度じゃすまされないことを考えている。

 例えば、事件発生時にそこにいないようにするため、紹介したい人がいるから遅れるとダシに使ったこと。また、刺客に対して万全な備えをするために壱心の知り合いの中でもかなり武芸に秀でた存在である新兵衛を使う予定であることなどがそれにあたる。


「っと? 何か混んでるな。人気の店なのか?」

「……いや?」


 新兵衛が壱心から遣わされた人について尋ね、それについて話をしている間に目的地に着いたところで近江屋の前に人が集まりつつある状態に出くわした。それらは壱心や新兵衛が道を歩いていることに気付くと軽く顔を伏せて店の中に無理に入ろうとしている。


「……様子がおかしいんだが?」

「何かあるといけないし、急ごうかね!」 


 網が急いで届けてくれた情報通り。壱心が知る範囲の刺客の数にしては少ない気もするが目撃者が出てきたことから目に着かないように急いだのだろうか? 彼らが中にいる人間を表面上は穏便に、しかし内情は権力を盾にして強引に割り込むとその後を壱心たちが追う。


「おいおい、これヤバいやつじゃないだろうな?」

「……行けば分かるさ!」

「あっ! ちょ、お客様! お待ちください!」

「火急の用にて罷り通る!」


 壱心たちの方が先に入った人間たちよりも強引に中に入った。そして彼らに追いついた時、龍馬は既に側頭部から血飛沫を上げている状態で……


 壱心は物も言わずに二の太刀を振り下ろそうとしている下手人に発砲した。その音に襲撃者たちの意識がズレる。同時に、中で応戦の構えを見せようとしていた中岡の意識も壱心に向けられて刀を抜きつつ歓喜の声を上げる。


「い、壱心か!」

「新手か!」

「チィッ! こなくそ! 一緒に斬っちまえば問題あるまい!」

「来いよ犬畜生にも劣る芥滓共、畑の肥やしぐらいにはしてやるぜ?」

「何を言うか舶来品に頼る臆病者が!」


 既に倒れ伏した龍馬からターゲットを変えて壱心に襲い掛かる下手人。しかし、当初の目標である中岡についてはきちんと向かう相手がおり、そちらに対しては壱心から新兵衛に対する目配せがある。


「さて、佐々木さんに今井さん、渡辺さんに桂さんと世羅さんか……おっと? そっちには百姓侍もいるのか。こりゃ参った。どれだけ武力で勝ろうとも臭くてかなわん」

「言ってくれるじゃねぇかテメェ!」

「誰のこととは言っていないが? やはり心当たりがあるもんかね」


 一人だけ名を呼ばれず揶揄され、激高して躍りかかる侍。壱心は抜刀してそれを難なく受け止め、彼とぶつかって動きを止めた直後に壱心を切ろうとしていた今井に目がけて思いっきり弾き飛ばし、叩き付ける。


「軽い。百姓侍どもはやっぱり飯食えねぇのか? 足りてないなら恵んでやるからそっちの会津の下僕たる犬畜生どもを処分しな」

「っぐ、ぁにをぉっ!」

「待て! 相手の挑発に乗るな!」


 ここで怒っては相手が言ったことを認めるようなものだ。しかし頭に血が上っている男の耳には窘める声も届かずに飛び掛かり、壱心の鋭い一閃によって腹を切られる。だが、浅くしか入っていないようだ。地面に倒れると同時に立ち上がり、彼は壱心の方を睨みつつ隙を窺っている。その眉間に向けて壱心は銃を構え、殊更口調だけは繕って告げた。


「……さて、ご無礼仕る。ここは退いてくださらぬか? 今なら、私どももまだ目が慣れておらず貴君らがどなたか確認することはできておりません。それとも、幕府……いや、将軍様の意向に逆らって内乱を望むのでしたらお相手いたしますが」


 暗殺者たちの最低限の目標、国中に武器をばらまこうとする外国の先兵である死の商人の暗殺というそれは達した。

 欲を言うのであれば武力討幕派である中岡も斬っておきたかったところだが、これ以上を望んで目の前の存在達と事を構えてもいいことはあるまい。特に、壱心のことは知らないが、少なくとも身の丈六尺はありそうな巨体で、手練れの一人を簡単に吹き飛ばす人間はタダ者ではないと感じさせるには十分だった。さらに、彼は銃で武装までしている。その上、隣で刀を抜いているのは先の長州征討で名を馳せた福岡藩の安永のようだ。


(……お上を惑わし、国を騒がす異国の手先は斬った。できれば討幕派とされる中岡も斬っておきたかったが、これ以上は望むべくもないか……)


 相手の方から譲歩しているのにこれ以上引き出すことは出来ないだろう。弾き飛ばされた男の方の戦意は今もなお衰えることはないが、指揮官の方は退き時を理解して舌打ちした。


「おい、壱心……」

「大政奉還したとはいえ、まだ幕府は健在だ。事を構えるとなれば戦争に発展する。それは国益にはかなわんからな」

「理屈は分かるが、そうも……」


 納得いかない様子の新兵衛。彼も血の気が多い方で、後腐れがないように口封じしておくべきだと考えたのだ。中岡もこのまま逃がした場合、何を報告されるかわかったものではないため、かなり不満げだが壱心の方から新兵衛に対して策があるという目配せを送ると新兵衛の方が中岡を小声で説得し、この場を収めた。



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