第18話 改変の時

 時は流れて、1865年も中ごろを過ぎた頃。


 第二次長州征討軍に乗り出している幕府だが近頃は福岡藩に対して冷たくなっていた。理由は、恭順の意を示していた長州藩が高杉晋作らによって最近また藩論をひっくり返していたからだ。それが面白くなくて福岡藩は長州に同情して匿ったのではないかという噂、また長州を扇動しているのは福岡ではないのか? と言う話まで出てきて長州を倒したら次は福岡まで乗り込んで恩知らずたちを倒すというとんでもない計画まで持ち上がっているのだ。

 当然、噂は噂であり根拠に乏しい上に大藩である福岡藩を相手にしても幕府に旨みはないため現実に起こるものではないが、それを聞いて面白いわけもない。福岡藩も外国が押し寄せている中で内乱を起こして格好の餌食になってしまうから避けたいという一心で頑張って動いたのだ。その功績をガン無視されて敵扱いされてはたまったものではない。


「そして、大問題はこれからですよこれから……」


 そして福岡藩が黒幕説をあながちすべて嘘とできないようなこと……例えば、高杉晋作を匿うように仕向けて藩政改革を仄めかすために筑前勤王党の人物を送り込み、証拠隠滅のためにその人物の暗殺までやってのけた壱心は歴史の裏舞台で笑みをこぼしつつ彼が先程までいた山から下りて自宅へと向かった。


 ―――その山に、酒宴に招いて薬で昏睡させた衣非茂記という筑前勤王党の過激派を置き去りにし、壱心のことを群れのボスと見ている狼たちを集めておいて。




 さて、ここで本当に今更ながら幕末、明治初期における福岡藩の正史について少し触れたいと思う。


 まずは福岡藩の大きさから。幕藩体制における主な収入を示すものとして石高が用いられるが、福岡藩の石高は全国でトップ10に入る位置にあり、御三家を除く外様大名として見れば第5位に位置する。


 次に福岡藩を統治する人物だが、色々と入り組んだ権力は存在するものの藩主の黒田長溥が幕末のこの時代を治める人物だ。正確には長溥となったのは明治からであり、まだ斉溥だが本作では長溥で統一されている。そんな彼は1864年時点で朝廷より参議に任ぜられて【筑前宰相】と呼ばれることから示されるように朝廷ともかかわりが深い。

 また、福岡藩が長崎警備の任を与えられていたことから外国の技術をよく導入していた蘭癖大名と呼ばれる大名の一人であり、幕府に対しても開国論を迫るような人物だった。ついでに言うのであれば元々は薩摩の血を引いており婿養子という形で福岡藩に入っている。


 このような出自と思考を持つ藩主を持つため、幕末の福岡藩はどちらかと言えば開国のために新体制を望んでおり薩長同盟などにも協力したり長州の説得などを行っていた。しかし、史実では佐幕派として幕末の世を生温く過ごして結局はどっちつかずと言う形で没落し、存在感を失っていく。開国派でありながらどちらつかずになった理由こそが壱心が意識を覚醒させてからずっと気に掛けている【乙丑の獄】という事件だ。


 1865年6月。壱心がこれまで暗殺して来た過激派たちが動き回り、幕府から圧力をかけられていた時に衣非茂記(えびしげき)が酔って筑前勤王党の中核である加藤司書が藩主、黒田長溥を監禁しようと計画を立てていたと話してしまう。

 これは実際には全くのでたらめだったが勤王派が藩政を席捲しようとしていたのを防ぎたかった佐幕派の家老たちによって悪い方向で伝えられた。

 これを聞いた長溥はただでさえ自分の言うことを聞かずに動き回る筑前勤王党の過激派に苛立った。しかしそれでも我慢していたところ、寵臣である喜多岡を同じく筑前勤王党の過激派に暗殺されてしまう。

 既に過激派の中村に対して藩命を無視して好き勝手やっていたことを咎め、彼を投獄していたのにもかかわらず脱獄するなどと好き勝手されている状態に我慢の限界が近付いていたため、今回の一件で堪忍袋の緒を切らしてしまった。


 結果、筑前勤王党は捕縛され、10月には家老から加藤司書以下7名が切腹。月形洗蔵以下14名が斬首。その他、流刑、謹慎が100名以上という処罰を下すことで開国派だった筑前勤王党は壊滅し佐幕派の野村、浦上、久野の三家老が実権を握ることになる。

 筑前勤王党の大部分は生き残ってはいたものの、幕末の超インフレの時代。一家の稼ぎ頭が仕事を奪われている状態では家ごと力を失っていく。


 そして佐幕派となった福岡藩は第二次長州征討で幕府が敗北したことに引き摺られて方針を見失い、その後は責任を取らせる形で佐幕派の家老も切腹。

 長州・薩摩とパイプを持っていた人物たちがほぼ全滅していたことから時代の流れに乗り遅れて後手後手に回って存在感を失ってしまった挙句、様々な事件をつきつけられて力を削られ、藩としての体制を最初に失ってしまう。



 長く話すと話が逸れすぎてしまうのでここまでにしておくが、壱心はこの福岡藩の完全なる凋落を防いで後ろ盾として藩……ではなく、コネを残しておこうと考えてこれまで奔走していたのだ。


 結果、巨大なストレス源になりそうな過激派はほぼ壱心自ら暗殺。喜多岡勇平についても同年の6月24日に暗殺されるところを救い、ついでにその暗殺の手引きをしたと罪を擦り付けて佐幕派の家老である野村を切腹に追いやり、史実でトリガーを引こうとしていた衣非についても狼の餌にしておいた。


 現在、筑前勤王党の過激派は中心人物を壱心に暗殺、もしくは穏健派に吸収されており求心力を失っている状態。また、佐幕派についても三家老の一人が失脚した上に時代の流れ的には合っていないとして不利な立場。

 そして壱心が所属する筑前勤王党については藩主の寵臣である喜多岡勇平を囲い込みつつ中心に加藤を置き、月形が実務のトップ。そして後ろ盾に黒田家の人々を置くという構造で安定して藩主と連携して物事に当たっている。


(……ま、ここまでやれば大丈夫でしょう。)


 何も起きなければ成功。これまでと違って自身が何かを成し遂げ、明確な結果が出る状態とは異なることに一抹の不安を抱きながら壱心は宴会のために隠れていたリリアンを部屋の中に連れ出した。


「お疲れ様です」

「うん」


 随分と日本語が流暢になったリリアン。壱心が知るところではないが彼女の母親譲りのとても賢い頭脳がここでも活きているらしい。勿論、日本語よりも壱心としてはリリアンの英語力の方を買っているので彼女とは意思疎通ができる程度に日本語を覚えてもらえば後はずっと英語で話してもらっても構わないというスタンスだ。……それでも彼女は日本語を学ぶのを止めたりはしないが。


 それは兎も角として果たして、史実の日が訪れても乙丑の獄という事件は起こらず。しばらく様子見をしていた壱心が手出ししなかった、【乙丑の獄】における他の要因を待っても何事もなかったことを受けて壱心はようやく安堵した。


 それから更に時は流れて1865年9月。幕府が朝廷から長州藩を朝敵とみなす勅許を半ば強引に手に入れて翌年には実際に幕府と長州がぶつかる第二次長州征討が起きることになる。舞台はその少し前、史実では薩長同盟が結ばれる時である1866年1月へと移る。



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