第17話 看破の時

 さて、時は流れて1865年。長州藩では九州に逃れていた高杉晋作が筑前勤王党の過激派……それから過激派の中に潜入させておいた壱心の息のかかった人物に唆され、反乱を起こして長州藩の実権を握っていた。藩論を武備恭順に変更した長州藩を危険視した幕府は第二次長州征討を決め、5月には出兵することになる。


 その後、朝廷から勅許を貰ってから戦争が始まる……


 それはさておき、壱心は近々に起きるであろうことに気を張り巡らせて数日前よりリリアンを山の中に置いて城下町や武家屋敷を気配を消してうろうろしていた。

 因みに、今は道ではなく屋根の上をうろついている。屋根は濡れており、壱心は雨に打たれっ放しだが特に気にした様子はない。


(何事もなければいいんだが……)


 壱心が危惧して気を張っているのは史実においては乙丑の獄の遠因になる、筑前勤王党と藩主のパイプ役であった喜多岡勇平が暗殺されることだ。

 現時点では壱心が様々な根回しを行って意識改革を行った結果、彼が暗殺された程度では党は揺らがない上、筑前勤王党が動く際に確実に藩主へ丁寧な説明を行い許可を得ることで藩主を立てていたためそこまで問題はないと思うが不安要素がないに越したことはない。


(過激派の中心人物を俺が消したからそこまで黒田さんも危険視してるわけじゃないが……まぁ偉い人だし自分の考えじゃないところで組織が動いていたら気に入らない可能性が高いから結構不安要素は大きいんだよなぁ……)


 ムカつくから死刑が通ってしまう世の中だ。理由など謀反の恐れありや藩の秩序を乱す恐れがあったなどで十分で適当に殺されてしまう。史実では藩主の避難先を作っていたところ、そこに藩主を監禁するという噂が立ったがために乙丑の獄が起きて20名以上が死刑。130名程度が処罰されるなど福岡藩は大変な目に遭った。

 流石に噂だけで乙丑の獄が起きたとは言い過ぎかもしれないが、様々な思惑が絡む中で一つの大きな要因にはなった。


 閑話休題。


(史実通りなら6月24日周辺が危ないんだよな……まぁ、今日なんだけど。)


 雨の降る闇の中で壱心は内心、独りごちる。事前に張り込みはしていたが目に見えて怪しい人物が怪しい行動をしているということはなかった。ただ、筑前勤王党の過激派は出入りして何やら詰問している様子が窺えたが……


 と、その時だった。雨夜の闇の中に灯火が一つ。か弱く、今にも消えそうな火が幾人かの足元を照らしてこちらに突き進んできた。


(……まさか本当に来るとはねぇ……中心人物がいなくなり、あれだけ人が抜けて弱体化したってのに……)


 笠をかぶっている男たちから上にいる壱心は見えないだろうと判断して特に身を隠すこともなく殺気を隠そうともしない男たちを観察する壱心。雨音が男たちの音を掻き消し、果ては喜多岡の自宅の戸を壊した音すらも掻き消してしまう。


(じゃ、俺も室内にお邪魔しようかね。)


 濡れネズミのまま喜多岡の家に入る壱心。土足のまま上がった一行に続いて上がると何やらざわめきが聞こえてくる。そこで壱心も一気に踏み込んだ。


「なっ! お前は誰……」


 返事は銃弾。派手な発砲音に襲撃者一行が壱心に耳目を集めたその瞬間に襖が開いて壱心よりは背の低い。しかしこの中ではかなり背の高く引き締まった体をした男が飛び込んできて一行を切り伏せた。


「なぁっ⁉」

「賊め! 捕まえたぞ!」

「くっ……かくなる上は!」


 襖から出てきた男が迫り来るのを見て敵いそうにないと判断し瞬時に自害に移ろうとした男に対して壱心が素早く後ろから回り込んで刀を持った腕を斬り落とす。絶叫が迸るが壱心は欠片も気にした様子を見せずに万力の如き力で肩のあたりを締め付けて止血を施すと逆の肩を外してやり、地面に転がせた。


「……鬼かよ、兄者」

「助かったぞ次郎長……それから、災難でしたな喜多岡様」


 協力者……香月次郎長。壱心の実の弟に軽く礼を言った後、次郎長が飛び出してきた部屋から出て来た喜多岡に対して頭を軽く下げてそう告げる壱心。喜多岡は壱心の後ろで、痛みにのたうち回っていたが壱心によって足も踏み折られてしまったことで痛みの限界を突破して気絶した刺客を見て半ば呟くように壱心に礼を言う。


「いや、こちらこそ助かりました……」

「それにしても暗殺などという直接的行動に出るとは……佐幕派もなりふり構わぬようになってきたようですな」


 壱心は身元も不明な相手を佐幕派と断定して喜多岡に告げた。実際は、彼らは筑前勤王党の過激派。列強に対する幕府の弱気な姿勢を批判しており、朝廷に寄っていた人物たちなのだが、死人に口はないし現在生き残っている人物たちにも壱心から説得・・して口裏を合わせてもらうことにしている。


 ふと、その手法を記憶にない記憶から呼び起こす際にそれを壱心の目の前でやっていた影が現れて背筋がぞわりとしたが現実にはないことだったので幻覚だと振り払って会話に戻る。


「この男たちなのですが、本日はもう遅いですし喜多岡様にはやることが多くあると思いますので私の方で預かりましょう」

「……いいのですか?」

「えぇ。そもそも、起きそうにないですからね……それに明日には藩の方に下手人として突き出します。そう長くない時間ですので」


 今日も政務に多忙であったのにもかかわらず、これからは部屋の片づけをしなければならない喜多岡を気遣うふりをして男を引き取る壱心。その後、丁寧に暇乞いをした壱心は何かあってはいけないからと次郎長を置いて帰った。



 誰もいない自宅に戻ると壱心はまず猿轡を噛ませ、口の空いている場所に吸い飲みを用いて男に薬を飲ませる。その途中で気管に水が入り男は跳ね起きた。


「ごほっ……わ、ほほは……? づぅっ……!」

「……さて、始めるか」

「ぐ……!」


 襲撃者は上手く喋ることが出来ないのを悟り、自らの悲惨な状態も知った上で壱心のことを睨み上げる。対する壱心は薄い笑みを浮かべて語り始めた。


「米内……家は、続かせたいか?」

「……?」


 突然始まったよく意味の分からない話。襲撃者、米内は自分の名が割れていることすら気付かずに虚を突かれて普通に頷いてしまった。壱心は笑みを絶やさずに続ける。


「じゃあ、お前は野村東馬様の指示の下、筑前勤王党の動きが許せないとして喜多岡様を暗殺しようとしたということでいいな……?」

(何を言う! 俺は筑前勤王党だ! 勤王派だからこそ、勤王を謳っておきながら佐幕派に通じる奸臣、喜多岡を許せなかったのだ!)


 もがもが言っているが何を言っているのかはよくわからない。ただ、壱心の話に賛同しているという言動には到底見えなかった。


「筑前勤王党にはお前の家も属してるよな……? 内部割れして、黒田様の寵臣である喜多岡様を傷つけようとした。しかも、独断で……そうなると、お前の家はどうなるだろうなぁ……?」

(脅そうというのか? 馬鹿め! その程度の妄言に屈すると思うたか……うっ!)


 壱心の言葉に覚悟は出来ていると言葉に出そうとして猿轡に阻まれもがもが言うだけに留まる米内。しかし、その途中で急に動悸が激しくなり、額から玉のような汗が噴き出してくる。


 その直後、米内は失禁した。


(な、ぁ……? 体に、力が……?)

「……さて……やっぱり血液を大量に失った状態でこれを飲むと回りが早いし、危ないなぁ……? 脳の機能が低下して、会話や説明などの複雑な行動が出来ず、単なる刺激に対する応答なんかの簡単なことしかできなくなる……」


 急速に薄れていく意識。しかし米内の身体は意識を保っていた。しきりに周囲を気にしては先程とうって変わって震えている。


「じゃ、簡単な芸を覚えてもらおうかね……勤王党だと首を横に振って『違う』。野村だと一度目だけ、わずかに首を縦に振る。それ以降は何を言われても『殺すならば殺せ』って答える芸を……なぁに、それ以上のことはやらないし、突然の問いに家族を助けたいっていう思いを返すだけの心があるなら大丈夫だよ……さぁ、始めよう」


 言われていることすらうまく理解できずに怯えたように震える米内。その晩、壱心は一睡もせずに「必要なこと」を行い、翌朝の明朝に米内を城に突き出し、失血が酷いためこのままでは死に至ると拷問吏に告げて覚えさせた芸が実を結ぶように立ち回った。


 そして藩の秩序を乱したということで幾度も釈明し、何とか嫌疑を晴らそうとしていた佐幕派の家老、野村東馬は謹慎を命じられてその後に自らの潔白を強く訴える遺書を残して切腹し、果てることになる。



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