第16話 動揺の時

 第一次長州征討は史実通り、つつがなく行われた。筑前勤王党の活躍、またこれからの時代、幕末・明治の英雄たちの活躍のお蔭で家老三人を切腹に追いやり幕府に恭順の意を示した長州藩への武力行使は行われずに幕府の討伐軍は矛を収めてくれたのだ。


 そして時は流れて1864年の冬。壱心は寒さを紛らわすために酒を飲み、そして招いていない客人を見てどうしてこうなった……と言う言葉も飲み込んでいた。


「いや~壱心くんが話の分かる人で助かった! あ、堅苦しいことは抜きにしていこうや」

「……まぁ龍馬はこういうやつだ。本当にタメ語でいいぞ」

「えぇ、あぁ……はい……」


 壱心の前にいる人物。それは幕末の英雄……坂本龍馬と中岡慎太郎だった。この時点での接触は考えていなかった壱心は福岡藩士、筑前勤王党の月形洗蔵から送られてきた連絡の数時間後に本当に現れた両名を見て非常に困っている。


(予定では再来年の11月15日に京都、河原町の蛸薬師で初対面する予定だったんだが……)


 壱心の計画では自分と龍馬が会うことは決定していても、時期的には初対面から龍馬の人生はクライマックス状態の予定だった。助けるのは龍馬が暗殺されかかって額に傷が入る瞬間に横から入る予定で、その後恩着せがましい行為を行うつもりだったのだ。

 しかし自分に会ったからと言って壱心が余計なことをしなければ龍馬は史実通りの酷い目に遭ってくれるだろうからいいことにする。


「そんなに畏まるもんじゃないって! おんしとわしはピタ同心だからな!」

「全く調子のいいやつだ……」


 それはそうと、会って間もない目の前の二人はなんだか異様にご機嫌だ。それは壱心と話が合ったからだけではなく、彼らが結成しようとしていた亀山社中に対して様々な援助を得られたからである。


 大きなところでは資金。史実では薩摩と長崎の商人である小曾根家などを中心として集められていた資金に壱心の伝手によって釜惣の資金が一部入ることになっていた。当然、釜惣に話だけ伝えても資金援助はされないため、壱心からも援助金が入れられている。

 また、金と来て土地に関しても史実では長崎と下関、それから京に事業所を置いていたが今は釜惣の店舗を借りて博多にも事業所を置いている。これが龍馬との間に非常に強い友好関係を築く要因となっている。

 史実でも龍馬は資金提供者とは酒を酌み交わし、日本の未来について語り合ったとされ、有名なところでは岩崎弥太郎の話があるが、現在の壱心の状況も似たようなものになっている。

 次いで語学。壱心は1867年に来日予定のジェームズ・カーティス・ヘボンが日本語に対応して生み出すはずのヘボン式ローマ字を飛ばして、日本式ローマ字も飛ばして……最初の訓令式ローマ字も飛ばして…………戦後に使われた訓令式ローマ字を教えた。壱心は訓令式ローマ字のことを当初のヘボン式だと思っているため1,2年程度ズレても問題ないと思って教えたが100年ぐらいズレている。

 また、これを用いた上で既に幕末の怪傑であるジョン万次郎が教えていた実用英会話に外国語に触れたことがない人にも分かりやすく親しみやすい改良を加えたため、ただ金があるだけでもなく、口だけでもない行動家という認識を受けて凄い勢いで龍馬から距離を詰められたのだ。


 そして現在はその話の終盤。押し入れの中にいるリリアンが最近は寒くなって来たので押し入れの中にこもるのもそれほど辛くはないけどそろそろ帰ってほしいなといきなりの来訪者たちに思ってしばらく経ったところだ。その思考が通じたのか龍馬の方もいとまを告げようとしていた。


「いや~、お龍を待たせてなければずっと語らっていたいところなんじゃがのぉ……時間じゃ」

「奥方が待たれてるのでしたら私のことは気に掛けずに、ささ、どうぞ……」

「固い! 固いぞ壱心くん! ではまた後で来るぞ!」

「あ、はい」


 肩をバンバン叩かれた壱心は龍馬を見送った。そして一人……本当は二人だが、壱心が部屋に戻ると机の上には中岡から出資のお礼として貰った拳銃S&Wのリボルバー、『アーミー』が置いてある。


「……どうしよ、持ってるんだけど……」


 そして壱心は既にそれを持っていた。何故なら日米修好通商条約によって外国からの日本の民間への軍需品売買は禁止されていたが日本国内における海外同士の売買は禁止されていなかったからだ。そのため例えば「偶然」そこに条約に加盟していない商人がいたとして、その商人が武器を買ってそれを日本人に売るということは条約に加盟していないためセーフということになる。壱心はその辺りを使って伝手で拳銃を手に入れていた。


「……まぁ予備ということで」


 超人気で貴重なリボルバーだ。壱心はありがたく貰っておくことにしてようやく周辺から人の気配が消えたと押し入れに向かって合図する。


「はーっ!」

「おっと」


 中から飛び出て来たのは金髪碧眼の小さな美少女、リリアンだ。最近は少女の前に「小さな」という形容詞がそろそろいらなくなるかなと思う程度には大きくなっており、日本語もそれなりに上達している。

 ついでに壱心が自宅でも熱心に武芸に励んでいることから彼女も少し、武術を嗜むようになっていた。尤も、彼女が扱うのは一般的な正々堂々の武術ではなく気配を消すことや奇襲、逃亡などに特化した隠形だが。


「義父様! おぅ、revolver!」

「危ないからダメだぞ?」


 リリアンが『アーミー』を見て反応したためそれを先に取り上げておく壱心。弾は入っていないが壊されても困る。リリアンのじゃれつきを受けながら壱心はリボルバーの扱いについて考えた。


(……複製してほしい。日式の銃を作ってくれるならこれは喜んで渡すが、今の日本の技術では……)


 形だけであれば真似できるだろう。日本の技術は決して低いものではない。ただ、銃身に適した鋼と日本が得意とする日本刀などに用いられる鋼では質が違う。一言で言うならば和鉄は柔らかく、洋鉄は硬い。ここに優劣はないが向き不向きがある。

 現在、藩主黒田長溥の指導の下、博多岡崎新地にある反射炉で洋式の鉄を作っているが、それは少々時代遅れの作り方、パドル法であり、炭素の少ない極軟鉄である錬鉄しか作れていない。福岡藩の近辺に豊富にある石炭の産業育成を図ってそれを行っているのだがそれもまだ技術が及んでいないこと、また幕府や周辺の目などによって道半ばだ。


(……石炭をコークスにしなければならないが……技術とノウハウもなければこの土地にある石炭の組成が分からない。基本的に日本で採掘される石炭は亜瀝青炭。高水分、高灰分だから生成コークスとしては使い難いが。まぁ当分の間は製糸の為にボイラーで活躍してもらうから大量にとっても問題はない。コークス利用はX炭法で何とかするとしても……あー時間欲しい。早いところ幕府滅びないかな。)


 規制が強すぎる。いや、現実に規制されていないとしても周囲の目が厳しく曲解されてしまえば殺されるような時代だ。壱心の考えていることは恐らく危険思想扱いで切り捨てられるだろう。暗殺に対抗する術は手に入れたが、数でかかられると壱心もどうしようもない。

 このコークスにする技術が上手く行かなかったがために日本のこの時期における製鉄が始まらなかった。厳密に言うのであれば始まっていたのかもしれないが上手く行かなかったのだ。早く産業の米となる鉄の量産体制に入りたいと気が逸るがこれは仕方がない。


(ストックもほしいところだし、人手もほしいところだ。早いところ成功事例を生み出して金になると理解させなければ……)


「ねー義父様、聞いてますか?」

「夕飯はさっきの人たちが手土産持ってきてくれたからお祝いで干し肉を戻そうか」

「熊?」

「そうだな」


 食卓に熊が上がるという変わった家だがリリアンは気にしないどころか嬉しそうに跳ねている。前よりは短く、しかし首元までは隠れる長さの金糸を波打たせて喜ぶリリアンを後にして壱心は食事の準備に取り掛かった。


(農業改革に向けても知行地の一部で下準備は行ってる。今はまだ貧困に喘いで農業と内職に勤しむだけだが余剰労働力が生まれれば一気に……)


 壱心の手に力がこもる。先程、龍馬が来たからだろうか? 彼の語る未来とその姿が影響してかやけに新しい時代というものを意識してしまっているようだ。

 しかし、壱心は早まらない。機が熟すのを……いや、確実に訪れるその時を前に着々と下準備を整えていくだけ。自身にそう言い聞かせて今日もまた一日を過ごしていく。





「いや~……壱心くんは中々難しい奴じゃのぉ……」


 ところ変わって、壱心の自宅を出た龍馬と中岡。彼らは待ち人たちの下へと移動しながら先程、彼らが話をしていた相手についての感想を言い合っていた。


「そうだな、龍馬に好意的な感触を示している割には自分の考えていることは隠して……若いのに落ち着き過ぎな、何ともちぐはぐな印象を受けたな……」

「なんじゃろうなぁ? この国のことを考えちょることは間違いないんじゃが……あまりにもその根拠というか、彼自身という物が見えてこないんじゃ……ふーむ、どうしたもんかのぉ……?」


 筑前勤王党から紹介を受けた印象では若く、血気盛んで行動的な人物だった。しかし、実際には冷静沈着でこちらの話に乗って来るどころか値踏みするかのような眼差しで、口の端だけを緩めて話を聞いていた。

 あまりにも奇妙なタイプの男に出くわした両名は様々な憶測を交わしながら道を進んでいく。その途中で、中岡は何かに気付いたようで袖を漁り始めた。


「なんじゃ? どうした?」

「……すまん、壱心のところに忘れもんじゃ。先、行っといてくれるか?」

「別構わんが……待っておいてもいいんじゃが? それに、壱心くんを呼び出す口実にもなるぞ?」

「前者はお龍に悪いし、後者は壱心に悪い。じゃ、先に行っておいてくれ」


 そう言って中岡は今来た道を引き返し始める。一人になった龍馬は中岡とこれから話そうと思っていたことを心中で転がした。


(リボルバーを出した時の壱心のあの顔……リボルバーの価値をわかっていない顔じゃぁなかった)


 だが、と龍馬は続ける。


(それを渡されても表面だけが喜んでおったのぉ……心の中は困っておった。彼には彼の伝手があるとみて間違いなさそうじゃの)


 にやり、と彼はいつもの底抜けに明るい笑みではない物を浮かべながら彼は先へと進んでいく。


(さて、彼が本当はどんな男か。これからも見ていきたいもんじゃの……出来れば酒を酌み交わして仲間として日本を変えていきたいもんじゃが……)



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