若人の頑張り
壱心の自宅で朝炊いた飯を昼食、そしておやつとして萩の美味しいミカンをいただいてからは特に何かすることもなく言いつけ通り押し入れの中に隠れていたリリアンは壱心が戻ってきた音を聞いてお出迎えしようとそっと押し入れを開く。
「ちょっと待っとけ、今から片付けるけん」
「別、気にせんでいいとよ? 兄上」
そして聞こえてくる壱心の声、そして別の声が続いた瞬間リリアンは急いで再び隠れた。
(誰か来た……!)
心臓が破裂しそうな程焦るリリアン。まだ暑い日頃で、押し入れの中からすぐに出たいと思っていたが殺されるよりはマシだ。汗を流しつつ必死に気配を殺すことにする。気配の殺し方については散々壱心から教えられているため、その辺の人間であれば気付かないだろう。これまで京にいてもあまり気づかれずに生きてきたためある程度の自信は持っている。
(……山の中であった人だ。義父様の弟さん……)
年齢は自分より5つくらい上か。ごくわずかな隙間からリリアンは部屋の中を覗く。声の主がまだ中途半端にしか声変わりをしていない子どものものだと聞き取ったからこそ少しだけ覗き見してみた。部屋の中で壱心の弟である利三は周囲を見渡しつつ落ち着きない様子で座っていた。
「なんしよーとやお前? そんな落ち着かん様子で……」
流石に壱心の方も利三の状態の異変に気付いたようで声をかける。すると彼はリリアンが思いもよらない言葉を吐いた。
「あん山ん中で会った子っちゃけど……この家におる?」
「山ん中ん子? あぁ、それなら博多から平戸行って外国の商人に連れられて故郷に帰ったぞ?」
さらりと大嘘を吐く壱心。リリアンは日本生まれの日本育ちであり異国に故郷などない。しかし、異人を見慣れていない利三には金髪碧眼の少女は全部同じように見えてしまうため、そういうものかとがっかりしていた。その様子を見ていた壱心はにやりと笑って尋ねる。
「なん? 惚れたと?」
「なっ、ありえんっちゃけど。ちょっと気になっただけやし……」
「それにしちゃー動揺しとーみたいやけど?」
からかうような口調で壱心と利三はしばらく話す。リリアンにはまだ日本語の早い会話。ましてや九州の方言を用いられた会話は理解できなかった。
(いいなぁ……私ももっと義父様と話したい……後暑いから早く帰ってほしいな……後乙女ゲージがまずい。)
その様子を見てリリアンは利三が鬱陶しいので早く帰ってほしいと思っていた。その思いが通じたのか利三は近況報告として釜惣の倅が自身に接触しているということ、また加藤司書の息子である加藤堅武が壱心の弟であり利三の兄である次郎長と仲良くしていることなどを上げて茶を飲むと外を見て立ち上がった。
「じゃ、あんまり遅いとそろそろ父上が怒るけんが帰る」
「おぉ、こんあたり危ないけんが気ぃつけて帰れよ」
「帰る」という言葉を聞き取ったリリアンはもじもじしながら早く帰れと願う。果たしてその願いは叶い、扉の閉まる音が聞こえて壱心から声がかかる。
「Welcome back! I feel the call of nature!」
「あっ Hold it for another minute!After that kid went out certainly!」
「No! Impossible! Beneath my dignity!」
小用が限界に達していたリリアンは壱心の制止を振り切って厠に駆け込む。仕方がないな。そう思いながら壱心は弟である利三にもあげなかった釜惣の土産を開けてリリアンを待った。
『はー……義父様、夕飯は……?』
『おぉ、そうだった。じゃ、これは食後にするか……』
戻ってきたリリアンは早速夕飯の催促をするが壱心は文句を言わずにその準備に取り掛かる。リリアンが行動していい範囲を定めたのは壱心だからだ。兎にも角にも金髪は目立つ。飯炊きをするために土間に行って外の通気口より上からふと見られでもすれば即時にクロだ。リスクを冒す必要はないだろう。
そんな壱心の思惑はともかく、リリアンの方は壱心が持ってきた何かに気付いてひょこひょこ体を揺らして動き始める。食後ということは甘い物か。リリアンは嬉しそうな顔をした。
『義父様、それは?』
『ま、食べてからのお楽しみだ。ご飯残したらあげないがな』
壱心の表情からそれはとてもおいしい物だろうと勝手に判断して楽しくなるリリアン。日中ずっと隠れて息を殺していたのだ。壱心が帰って来てからは誤魔化しが効くために多少行動的になる。リリアンも遊びたい盛りの子どもなのだ。
『……リリアン、あまり燥ぎ回らずに押し入れの中に戻れ。利三が戻ってくるみたいだ』
『もう!』
しかし、壱心が遠ざかっていた利三が急に進路を変えて回り道をしつつこの家に近づいているのを感知したためリリアンは文句を言いつつ押し入れの中に飛び込む。そんなに急ぐ必要はないのだがと思いつつ壱心は食事の準備を続けつつ利三が謎の進路でこそこそしているのを気配で観察し続けた。
そうとも知らずに利三は裏口の方から壱心のいる家に近づいて行く。
(……兄上じゃない、誰かは分からないけど女の匂いがした。それに金色の長い髪が部屋の隅にあったし……兄上はあの子のことを隠してる……)
ドキドキワクワクしながら利三は壱心の家に近づいて行く。そこにあるのは藩命に逆らう兄への怒り……ではなく。異国の人間を隠す兄への失望……でもなく。
なんだか、体験したことのない胸の高鳴りだった。
(いや、違うけどね? 別に、俺は兄上が何か隠し事してるってことを暴きたいだけで。それで兄上を脅したりすることも別にないし、ただ単に気になっただけ。)
誰に釈明するわけでもないが、利三はそう思いつつ息を殺して壱心の家のテリトリー内に入っていく。裏口にまで近づいた時、利三は一度休憩をすることにした。
「ふぅ……」
ごくごく小さな音量で息をつく利三。相手が達人である兄とは言え、夏の暑い時期だ。部屋のいたるところが風を通すようになっており外とつながっている。その穴から覗けば……
そして利三は様々な角度から兄の食事風景を見る変態となり、いい加減に帰るのも遅くなったところで自宅前で怒りの形相で待機していた父から怒られて蔵の中に閉じ込められることになった。
『むぅ、義父様と一緒にご飯食べたかったなぁ……』
『ま、また明日ってところだな。ご飯食べ終わったところできちんとお留守番してたリリィにお土産だ』
恐らく利三は帰ってから怒られるだろうなと予想していた壱心はその頃、ようやくリリアンに釜惣より貰ったお土産をお茶と共に渡して輝く笑顔を浮かべられる。
「『美味しいっ!』……すごーい! おーいしー!」
「それはよかった」
『義父様愛してる!』
逃亡生活や山の中での生活では食べられなかった流行りの美味しい物はリリアンの口に合ったらしい。思わずといった反応の後、わざわざ言い直して壱心に感動を伝えたリリアンはご満悦で壱心に抱き着く。
(暑い……まぁ、でもいいか。)
これだけ喜んでくれるのであれば幸いだ。辛い境遇にあっても眩しい表情で過ごしているリリアンを愛おしく思いつつロリコンではないと自身に言い聞かせ、それと共に自身にそんなことをする資格はないと暗い感情を呼び起こして壱心は今日もまた一日を終えるのだった。
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