第10話 正当化の時

(……やってしまった……助けるならもっと久坂さんとか、真木さんとか色々あっただろうに……いや、違うんだよ。これはこれ以上外国との関係を悪化させるべきではないというこの国の外的要因から行った処置であって、私的な感情によって起こされた行動ではない……)


 少女を抱えて飛び上がり、戻って来た壱心は驚く補助係の大野に絶対に黙っておくように厳命して彼女に降りかかった血を拭い去り戸を閉める。


「Thank you for your helping, but ……who are you?」

「I'm Katuki Isshin.」


 そして壱心はここで止まった。彼の英語能力では彼の入り組んだ現状に関する説明をするには少々時間が必要と言うこと。

 そして何より今後どうするかも決まっていない相手に必要以上に会話するということが現在、自身の拙い英話を聞いて信じられないものを見る目になっている大野にどんな影響を与えるか気になったからだ。


「か、香月様……今のは……」

「少々説明が必要になるが少し待て。これをどうにかしないことには話は始まらない」

「Help me! I can't understand what everyone said! Please help me!」

「Wait a minute……どいつもこいつも……いや、一番ダメなのは俺だ……」


 どう考えても助けるべきではなかった。国全体が外国人を国外に追い出そうとしており、少女の金髪と白磁器のような白い肌、そして大海を思わせる青い目は目立つどころの騒ぎではない。しかしそれでも壱心は彼女を助けなければならない衝動に駆られたのだ。


(人殺しがいきなり何の情を……急に変な記憶が……くそっ!)


 壱心を突き動かした情動の根源は灰色の画像のように蘇った幼い子ども。コンクリートとアスファルトに覆われた日本の路地裏、生ごみの臭いと獣の臭い。いや、これは不潔な人間の臭いか……当然、今の壱心に心当たりはない。

 いや、それはさておき、今は外面を整えなければならない。特に、隣にいる大野に対しては確実に。壱心は素早く頭を回転させて理屈を並べ始める。


「……大の大人がいくら夷狄の子とはいえ婦女子を暴行する。更には私怨に駆られて国益を損ねていたため武士道にもとるとして処罰した。また、これを助けた理由として外国との交渉に用いる。恐らく、こいつの親が今回の件で死んでいるだろう。その際に生麦事件の如き法外な賠償金を取られないためにな……」

「な、なるほど……いや、しかし……香月様はどこで夷狄の言語を……」

「……俺が何のために脱藩させられたと思っているんだ? これ以上は、首が飛ぶぞ」


 そう言われてしまうと大野にはそれ以上の追及は出来ない。ただ、大野の追及を止めることが出来たからと言って自らが行う自身への追及は止まらない。


(この時代の誰を犠牲にしようとも未来を創ると決めたはずなのに、俺は何でこう意志が弱いんだ……! いや、この行動にも意味をつければいいだけだ。後付けでも、最善を……白人主義の列強諸国に対して黄色人種である我が国の交渉役の一人として……ダメだ。まだこの時代じゃどの国においても女性の地位は高くない……いや、この子の親や親類を利用すれば……)


 何とか合理化して自身の正当性を保とうとする壱心。待たされている間、少女は不安気に壱心のことを見つつ逃げようとはしない。いや、少女だけではなく大野も同じような状態だ。それを見て壱心は更に悩むことになる。


(……しまったな。この状況下で俺だけを見ていて、どこかに連れて行ってほしいという言葉もない。もしかすればだが、この子は……)


 壱心は浮かんできた案を実行に移すことが可能か、そして相手の状況を確かめるために嫌な予感を覚えつつその予想が外れてくれることを祈って尋ねた。


「Where's your parent?」


 返事は、涙だ。大声をあげられると対処できないくらいに困るので壱心は素早く少女の口を塞いで喉に手を当てて声を出せないようにする。そして怯える少女の耳元で告げた。


「Don't cry, if you want to live.」


 少女はそれを理解したと何度も頷き、涙を拭ってしゃくりあげつつ泣くのを無理に堪える。その様子を見て壱心は自らの予想が的中していたことを悟った。


(死んでるな、これは……どうする? 流石に脱藩志士とはいえ、幕府に許可なく外国にコンタクトを取ろうものなら処刑されるぞ……? 許可の取りようもないし……少なくともこいつを利用しようと思えば面倒を看なければならない必要性が……)


「Da……Dad was killed by stranger, and mam leave me alone……」

「I see……」


 ようやく絞り出された壱心の予想を裏切らない少女の答え。白い肌は赤く染まって目も涙目だ。しかし、それでも死にたくないのだろう。必死に涙を堪えて息を吐き、我慢している。そんな両者のやり取りを大野はハラハラしながら見守っているが、壱心の方は本当にどうしたものかと内心では頭を抱えていた。


(……殺した方が早い。そうすればどう考えても面倒はない。だが……そうなると大野から怪しまれることになる……いや、違うな。)


 大野がこちらに気付かないように彼の方を盗み見る壱心だが、彼を誤魔化そうと思えば先程の英会話の内容を適当にでっち上げればよいだけだ。その程度のことは朝飯前。とどのつまり、壱心は目の前の少女を殺したくないがために理由を作っているだけに過ぎない。そのことに壱心自体も気づいていた。


(……何かがあるんだ。そう、俺がこの時代に飛ばされた時に宿った何かがあるんだろう。利害だけじゃわからない、人知を超えた何かが!)


 そんなもの、微塵も感じていない。しかし、そういうことにして棚上げにしてしまえば少なくとも自身の追及からは逃れられる。そして、周囲の追及に関しても適当な理由をでっち上げる程度、壱心にとっては何の手間でもない。


「大野、こやつの親は死んだらしい」

「……はぁ」


 何とも気の抜けた返事が返って来た。大野からすれば上司がいきなり敵の子どもを拾ってきて訳の分からない会話をして考え込んだと思っていたところに急にこの話だ。無理もない。


「俺が引き取る……そう言った場合、お前はどう思う?」

「…………難しいと」

「そうか。お前が引き取るとしたら?」


 壱心の問いに大野は黙ってしまった。壱心は別に困らせたいわけではないので続けて尋ねる。


「こやつを引き取るかどうか。今、悩んでいるのは仮に始末すれば今の厄介ごとは免れる。しかし、俺が引き取れば今は厄介ごとに遭うが、将来の利益には繋がる。お前ならどちらを選ぶ?」

「……将来の利益の大きさにもよります」


 暗にこの子を生かした場合の利益について説明してほしいという大野の言葉に壱心は今後の周囲の追及に対する適当なでっち上げの練習とばかりに最初は簡単に答えておくことにした。


「まず、この年からこの国の言葉を教えることで異国との通訳ができる。逆に我々もこの子の話す言葉を覚えていくことで翻訳者が増える」


 嘘は言っていない。しかし、現時点でも壱心は既にヘボンが来る前から簡単なヘボン式の英会話教本を作っており、別にいなくても通訳者を増やしていくつもりはあった。つまり、いてもいなくても大局には変わりがない。


「そして外国に対する印象を改善することが出来る。どうしても強硬派が目立つ中で、穏健派もいる。交渉することは出来るのだ。とな」

「ふむ……」


 その場合、表舞台に立ってもらうのは大野だが。そんな計画は言わなくてもいいので黙っておく。壱心は日本国が法治主義になっても歴史の裏で暗殺を繰り返す気が満々なので変に目立ちたくないのだ。


「そして、向こうに馴染むことができる間諜ができる」

「……なるほど」


 言っていてこれならいけるんじゃないかと自分で自分を納得させることに成功した壱心。こうなると案が湧き出る水の如く次から次に出てくる。寧ろ、大野が分かったからもういいですと言うまで自分の思考を整理するためということも含めて語り続けた。


 そして。


「Follow me, I'll take care of you.」

「……! Thank you……Thank you so much……!」

「Don't cry.」


 壱心は異国の少女、リリアンを引き取ることになった。

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