第9話 暗躍の時

(恨みは……あると言えばあるか。過激派のお蔭でどれだけこの国が、特に我が藩が迷惑していることか……)


 文久3年の8月末。西暦では1863年の10月初めであり、涼しい風が吹く中で壱心はそんなことを考えながら福岡藩の脱藩志士であり過激派の中心人物である平野国臣を探しに藩邸から出かけていた。

 彼が動く理由……それは、平野国臣の暗殺のためだ。それをこの忙しい時期にやる理由は、情勢を伝えるという忙しい時期にしっかりとしたレポートを送ることで自分から疑いの目を逸らすこと。

 そして最大の要因として朝廷内に置いて偽勅を出すなどかなりの権力を持っていた三条実美が一時的ながら失脚したことからその一派であった平野国臣の後ろ盾が弱くなっており、暗殺するにはもってこいの状況だったからだ。


 壱心が元、同じ藩である平野国臣を暗殺するのには勿論理由がある。平野国臣は回天三策という薩摩藩の事実上の藩主である島津久光が大阪に到着したら久光と諸侯に勅命を下して大阪、彦根、京都二条の三城を攻め落とした後、京・大阪の幕府役人を追放して天皇が兵を率いて箱根に進軍し、幕府の罪を問うという計画を立てているのだ。

 当然、史実においても失敗するのだが、こんなことを企てられると幕府からいい思いはされない。さらに彼が問題なのが平野国臣は生野天領において実際に挙兵してに幕府に捕まるのだ。そして元治元年の7月20日(西暦1864年8月21日)、禁門の変の最中に脱走を計画したとされて処刑される。


(尊王攘夷運動における巨星の1つとまで言われるんだからな……目障りなのは、バレる前に消しておくべきだ……)


 幸か不幸か、平野国臣は文久の政変の前日である8月17日に天誅組の制止を三条実美から命じられており京都から離れていた。

 そんな平野は現在、つい先日起きた政変により慌てて京へ戻る最中だ。急いでいるため京への道を最短距離で向かっていることだろう。壱心はそんな平野を血眼になって探していた。

 壱心の現状としては記憶の中にあった逃走技術を現実のものとして鍛え、こちらも何故覚えているのかは不明な体型を変えて見せる変装の手法を覚えているため、暗殺と逃走の準備は万全だ。


(っと……やぁっと見つけたぞ。平野さんよぉ……この一週間、ずっと探し回ったぜ……?)


 そして政変が起きた当日の午後から京都から大和国五条天領に続く道を行き、行き違いにならない、かつ人気が少ない道で出会えるように平野を探し回っていた壱心はとうとう彼を発見する。


(恨む暇も与えない。ただ、地獄からこの国を見守っていてくれ……)


 平野とてこの国のことを真剣に考えた上で最良と思われる道を選びそれを実現するためにこの身を燃やして全力で当たっている男だ。それを、邪魔だからという理由で暗殺するということは壱心にも思うところはある。


 だが、彼のやり方は間違えているのだ。そして、間違えているということを自覚していない上に間違いだと指摘されても事実だと認めない。偏に、その事実だけが壱心を動かして彼を暗殺するという方向へと導いた。


 急ぎ、京都へ戻ろうとしている平野目がけて飛び上がる壱心。平野は行違おうとしていた相手が突如として馬上にいる自身よりも高い位置を過ぎたことに驚き、振り返ろうとした。しかし、その時には既に首は胴体から離れており、これから一生、振り返ることは出来ない体になっている。


「……まずは、一仕事。そして次は8月に上洛を指示されてたが政変を知って長州に残って12月にようやく出て来る予定の中村円太さんの暗殺っと……」


 そう呟いて壱心は刀から血を入念に払い、懐紙で僅かに刀身に残った血を拭うと納刀する。平野国臣については天誅組か幕府側の御用改め、もしくは野盗かなにかに殺されたかということにされ歴史の闇に消えるだろう。


 そして、壱心が考え、暗殺実行に移す12月の中村についても同じように……





 更に時は流れて1864年、中々攘夷を実行しない幕府に対して水戸で攘夷派が蜂起する天狗党の乱などが起こるなど緊迫した情勢の中で長州藩家老、井原主計が長州が下関戦争を起こしたということに関する弁明書を届けたことに対し、受け入れるかどうかについての議論に決着がつき、条件付きの受け入れが行われた。

 しかしながらその条件が長州藩にとっては思わしいものではなく、長州藩には不満が残る結果となってしまう。更にその不満は池田屋事件によって暴発することになる。


 そして起こるのが禁門の変だ。雄藩による参与会議が不調に終わり、諸侯が京都を離れた隙を狙って長州藩が朝廷へ藩主の冤罪を訴えると共に藩の復権を求める名目で挙兵。元治元年6月27日にはおよそ2000の長州兵が京都を西南から包囲するように陣営を築いた。


 これに対して朝廷は長州の上京は許さないと長州の行動に対して明確な否定を突きつける。


 それでも、長州は止まらない。時は幕末。これ以降、例えば明治時代に入ってからの天皇の言葉であれば逆らう長州は国賊扱いになり、恐らくは思い止まることになっていただろう。だがしかし、この時代における天皇の権威はまだ形成途中であり長州を止めるまでには至らなかったのだ。


「さて、開戦はそろそろか……どう出るかねぇ……?」


 そして7月18日。17日から丁度日が切り替わった京の夜にて壱心は酒を呷りながらそう笑う。この後三日間にわたる会津・桑名・幕府軍、それらに加えて薩摩の軍勢と長州による京都での戦争、蛤御門の変が始まる。


「まぁ長州には生贄になってもらうとして、だ。乃美織江の放火が京の町を飲み込むのが問題だな……ついでに、そろそろ日本史に残る有名人どもと顔合わせに行くかねぇ……? 死なせたくない輩も居るが……はてさて、どうしたもんか」


 酒を煽りながら壱心は呟く。度数の低い酒では気分をわずかに高揚させる程度の効果しかないが、壱心はそれでいいとして立ち上がる。しかし、福岡藩より新しく壱心の補助役としてつけられた留守役、大野歩がそれを止めた。


「香月様、危険でございます。子どもの喧嘩を見に行くのとは違いますぞ!」

「知ってる知ってる……」

「せめて酔いが抜けてからにしてくださいませ」

「酔ってない酔ってない」


 疑わしい目を向けられる壱心。ここで無理矢理突破してもいいのだが、壱心の補助役としてつけられたこの男には少々金策にて融通を利かせてもらっているためあまり無碍には出来ない。どうせ本格的な戦いは明日からだということを告げるもなれば明日から危険のないように遠くから見ればよいと言い返され、壱心は一先ずこの日は眠ることになる。


 そして、迎えた翌日。町の中は大混乱で、通路には戦闘員を除いて人っ子一人歩いていない状態になっていた。


「まぁよくやるこった……」

「香月様、京はこれからどうなるのでしょうか……?」


 大野は心配そうに香月に尋ねる。まさか、朝廷がある御所に向けて砲を向けるなどとする輩がいるとは思っておらず、壱心の言う戦争など杞憂の存在だと高を括っていた大野だが、現に起こってしまったことを受けて胸中には不安と恐怖が渦巻いているのだ。その心配を晴らすかのように壱心は軽い調子で言う。


「ま、長州が追い出されて朝敵にされるな。そして逃げるために火を……」

「香月様?」


 ふと、壱心が二階から見ていた視界の中に柔らかな光を反射する金糸が映った。それを追うのは長州兵の一部だ。聞くに堪えない罵詈雑言を吐いて小さなそれを戦闘そっちのけで追いかけている。


「どうなされたのですか?」

「……いや、何でもない。何でもないんだが……」


 一度視界に映ったそれは意識を逸らそうとしても気になってしまう。胸中には助けるという選択肢があり、それを利点はない上にデメリットばかりであるという頭が押さえつけている。


「捕まえたぞ! この国を汚す醜夷が!」

「No! Don't kill me! please! please!」


 捕まったのはまだ幼いと見られる異国風の少女だ。何故、こんなところに? 壱心が最初の思ったのはそれだが、次の瞬間には彼は刀を片手に二階から飛び降りていた。


「香月様⁉」

「~っ! これは、今後の交渉のためだ。決して俺が助けたいからではない!」


 既に蹴るなどの暴行を受け始め、泣いて許しを請う幼い少女と暴行を加えている若い長州兵の下まで疾走すると一心は叫ぶ。


「Duck!」


 この場にいる殆どの存在には伝わらない言葉。しかし、伝わってほしい相手にはしっかりと伝わっており、彼女は思い切りその場に屈んだ。

 その数瞬後、若き長州兵は既にモノと化しており、屈んだ少女の頭には赤い化粧が舞うことになる。


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