第7話 上洛の時

 そして、上洛の時が来た。当日の見送りは母である美江と長女、文。そして三男の利三だけで父の太一や次期家長となる次郎長は壱心の見送りには出てこず、四男の藤五郎も太一と共にいて見送りには来なかった。


「元気でいるのですよ」

「はい」

「気を付けてね」


 これが最後の言葉になるやもしれぬと美江は壱心を見て感情を何とか殺した声音を震わせ、涙を堪えるためにキツい表情でそう告げる。文もそれで何かを察したのか言葉少なく壱心と別れの言葉を交わした。


「それじゃ、利三。後は頼む……」

「はい。僕は兄上のこと、少しも心配しておりませぬのでしっかりと便りをお願いしておきます」


 その軽い返事に思わず笑う壱心。この反応は恐らくわかってやっているのだろうと壱心は利三の頭を乱暴に撫で回した。窘める母と姉。そんな何気ない風を装った家族の時間も経過で打ち切りとなる。


「……それでは、失礼いたします」


 明朝、まだ辺りが薄暗い秋の爽やかな空の下を壱心は進んでいく。その後姿が見えなくなるまで見送りの面々はその場でずっと見送り続けた。




さて、福岡より上洛する一行だが、時を同じくして他の諸藩においても国是を巡る議論に参加するために上洛する集団が多数あった。これらの中には朝廷よりの命令を受けた福岡藩などの有力藩、十四藩とは別に自発的に動いたも多数ある。これらの集団が互いの連絡もなしに一気に集まるのだから京は武士であふれることになった。


 その武士に紛れて農民に身を窶してしまった下級士族。また、浪人たち、それから金で身分を買った人々やごろつきなども集まる。質が悪い者たちであれば騙りを行うことで様々な場所に迷惑をかけることになるが、質を問わずに人々が集まるからこそ積み重ねられる情報や構築されるネットワークも生まれる。


 そんな、政治や様々な思惑が蠢く舞台となっている京都、1863年の早春。壱心は到着と同時に既に藩兵としての任を解かれて脱藩志士としての密命を果たすことになっていた。とは言うものの基本はこの場に残っている福岡藩の留守役……要するに連絡係の邸宅で暮らしているため一見するとまだ藩士だ。


「……さて、そろそろ将軍様が上洛なされるか……」


 壱心はメモを片手に酒を煽る。醸造技術がそれなりであり、一般に流通している大して度数の強くない酒では酔おうと思って大量に飲まなければ酔うこともないため、体を温める程度に呑む程度だ。


 そんな壱心が読むメモ、史実通りに進んでいる文久3年、西暦1863年現在の状況は1634年に三代将軍家光が30万の兵を率いて上洛して以来、229年ぶりに将軍が上洛しようとしている最中だ。だが、今回の上洛は少々まずい。

 何しろ、朝廷の命令……列強の不平等条約改正に対する明確な対応策を持たないまま、朝廷との関係悪化を恐れるがためだけに顔を出すという上洛なのだ。随員も3000名と過去の威勢は見る影もなく、幕府の能力の低下を見せつけに行くようなものである。


 そしてその場で下される勅命は更に面倒なものだ。孝明天皇は家茂に征夷大将軍として、これまでの庶政は過去同様、江戸時代の中で暗黙の了解となっていた通りに委任するということで将軍の権威をある程度認めることを通達する。その代わりに必ず破約攘夷、要するに外国との間で交わされた不平等条約改正を確実にやり遂げることを正式に国是と決めた。ここまではいい。

 だが、これらに加えてこの破約攘夷をやり通すためには幕府だけの力では成し遂げられないだろうということで国事行為に関しての命令権の一部を朝廷が取り戻して朝廷より直接、諸藩に命令を下すことが告げられるのだ。


「ふぅ……まぁこの辺に関しては勝手に留守役が連絡を送ってくれるがそれに俺の方からも付け加えておかないとな……」


 上記の勅命が面倒だという理由は国事行為に対する命令権が朝廷に一部帰属するということだ。それより上の話はこの国事行為の命令権を朝廷に帰属させる名目のための確認に過ぎない。

 この命令権の朝廷帰属に関する問題は、指揮系統が二分してしまったことにより両者に意見の対立が生まれた場合、どちらを優先すべきかわからなくなってしまうという事態が生まれてしまうことだ。


 そしてこの問題で史実通りに行けば翌年に九州北部の諸藩、特に福岡藩の隣の小倉藩は迷惑を被ることになる。


 経緯としては朝廷の中にいる攘夷強硬派が出した偽勅によって長州藩が暴走して下関戦争を起こし、更には福岡藩や小倉藩、そしてその支藩らに援軍を命じたことから端を発した。朝廷が外国と戦うことを命じたのに対して幕府からは外国船を刺激しないように命令を下すのだ。

 どちらの命令に従うべきか悩む福岡藩周辺の五藩は曖昧な返答でどちらの意見にも微妙に応じる形を取りつつ静観を決め込むしかなくなる。しかしその態度は朝廷内部勢力からも幕府からも突き上げられるものであり、藩論は混乱の坩堝にはまってしまう。

 しかも話はそこで終わらず、福岡藩のお隣、小倉藩はどっちつかずのまま下関戦争で大して戦いもせずに連合艦隊のフランス軍の上陸を許してしまう。その責任追及の果てに長州を助けなかった小倉藩は、外国との内応が疑われた。

 この外国との内応の疑いがあるという話が作られ、小倉藩に責任を押し付けようとする動きの中で朝廷より処分を言い渡す旨が朝議で押し通されかける。


 尤も、これは流石に朝廷の国事行為として認められた範囲からして行き過ぎなため、取り消されたがあわや内乱を生みかねない事態まで招いてしまったという事実がある。


(さてさて、朝廷の命令と幕府の命令をどちらを優先するか。このままじゃ混乱を招くが、どう考えても俺一人で結論出してもどうしようもない……個人的にはこの辺は史実通りに行ってほしいし、基本的には内容の解釈に加えて、朝廷内の過激派に怪しい動きがあり、混乱することになるだろう程度の内容でいいだろ……)


 壱心はそう思うがままに筆を執って書をしたためた。ここで朝廷内の過激派、特に偽勅を出したと思われる三条実美らの名を出すことは簡単だが、この後……文久三年八月十八日の政変でのかかわりがあるためにそれは出来ない。


(さて、朝廷と幕府の命令の対立について書いたが……この程度なら書かなくても藩内で決まるだろうな)


 壱心の所属する福岡藩では先祖代々より子々孫々まで日本で受け継がれる事なかれ主義のまま、様子見という結論が出るだろう。だが、壱心は一応この件に関して筑前勤王党がしっかりと考える時間を与えることで、史実のように藩主に伝えないという手抜かりを侵して党に対しての不信を持たれたり、時間がないからと暴走しないように伝えておくことにする。


(まぁ、前々から知っていて余裕を持って決めるか、慌ただしく決まるかでは違うからな……相談役として言う必要のない範囲まで書いておくべきだろう。)


 そう考えて壱心は筆を執る。


 ……近頃は勤皇の勢力が強くなっており、公武合体と言うものの朝廷に傾きがちな世の中になっている。我が藩もその時流には逆らい難く、朝廷の命を主に聞くべし。しかしながら、朝廷内の動きにはあやしいものもあるため幕府と朝廷の命が異なる場合には静観を心掛け、統一された意思の場合は即座に対応するために軍備増強に努め……


 考えるところを綺麗な文書にして事実と持論を展開する。しかし、自分が持っている情報を全開にすることはしない。この時点で藩が強くなりすぎてもらっても困るのだ。少々歪な形のまま進んでもらい、そして史実よりは強い藩でありながら、内実は脆くあってもらう。


(これからの世の中を変えていくためにもな……申し訳ないが藩主には史実通り、退場願おう……)


 財政面における難点を持たせたまま軍備増強に努めてもらうことにして壱心はその黒い内心を隠し、今は軍備に集中すべしとの文言を手紙に乗せる。それが終わると今度は家族あての手紙だ。


(と言っても、母や文たち相手の当たり障りのない近況の報告と……少々お調子の傾向があるが、本当に頭のいい利三宛ての指示書だけだが……)


 家計をやりくりしてこっそりお金を持たせてくれた母親たちとその協力者である文には礼節を持って対応し、藩の状態などについて余計なことを言いかねない利三には蔵の中に隠してある指南書を見つけられるように捻った文を送りつける。


(まだ、俺が動くべき時では……いや、どうなんだろうな? 藩内の命令通りに密貿易を行ってるが、これは史実通りなのか、それ以上なのか……まぁ、それはいいとして、そろそろ個人的に歴史に介入させてもらうとするか……初手は、暗殺と言う形でな……)


 誰も見ていないこの場で、壱心はにやりと笑うと文章を完成させて留守役に渡して飛脚に依頼してもらう。それが終わると京都で作った過激派のネットワークを下に、武器商人に会いに出かけるのだった。




 

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