第6話 鬼を葬る

 シラユキと村の長が会話を重ねている間、村の裏手に広がる森へ、続々とニノべ村の者たちが入っていった。こうなると村総出の祭りのような、一種異様な盛り上がりが出てきた。先ほど鬼に出くわした子供の中には、あまりの恐ろしさに母親の足にかじりついて行こうとはしない者も当然いたが、大勢の大人たちが一群となって森に行く安心感と、妙な熱気に当てられ、あの場に向かおうとする者も少なからずいた。コフンも勿論、真っ先に森に行こうとしたが、上の兄や姉に止められた。気持ちばかり先に立つが所詮まだ幼く、兄たちに口ではかなわなくなって半べそをかいていたところで図らずも救いの手が差し伸べられた。鬼が討たれた場所を案内する者として、その場にいた中で一番の年長者で、誰もが知る餓鬼大将のコフンに白羽の矢が立ったのだ。実際、子供たちしか分からない脇道や小道など、そこに行くには案内する者がどうしても必要だった。時間もない。コフンは父親のそばから絶対に離れないことを母親に誓って、意気揚々と村人たちの先導を切って森へと入っていった。


 森は、先ほどとはまるで違っていた。大勢の人たちで相当騒がしい。犬を連れている者、鋤や鍬、斧を即席の武器にして携える者、どこから出してきたのか長剣を帯びている者もいる。少なくても皆、短刀は持ってきていた。


 誰しも降って湧いた出来事に興奮を隠せないでいた。突然現れた少女のような美しい女と鬼の出現、そして鬼を女が討ったという想像すらしなかった話に動揺し、不安を感じている。皆の中に芽生えた怖れ、怯えが裏返しとなって興奮をもたらしているのだった。


 みんな怖いんだ


 コフンはその怯えを感じ取っていた。自分よりもずっと年かさの人たちの様子に、以前であればもっと不安な気持ちになっていたかもしれない。嵐や大雨などの気まぐれな自然に対する無力な大人を見た時の失望感を、鬼の出現の知らせを聞いた今の大人たちの怯えに対して抱いてもおかしくないはずだった。しかしコフンはそうは思わなかった。先ほどのシラユキの言葉が彼の中で響く。大人だって怖いということ、そして鬼を前にした時に自分がみせた意外な強さ。それを褒めてくれたシラユキ。ついさっきの事なのに、何故だかすでに遠く感じる。しかしそれは確かにあったことなのだ。本当のことなのだ。ささやかなものかもしれないが、それはコフンを変えた。周りの大人たちの興奮の裏にある怯えが分かるまでに。


 風がコフンたちに吹いていなかったのが幸いして、その臭いを嗅ぐことなく討たれた鬼のかなり近くまで行くことができた。しかし、まず連れてきた犬がそれ以上どうやっても進もうとしなくなった。キャンキャンと激しく鳴き出し、おかしなほど震えている。どの犬もそうだった。村の若者に背負われたまじない師のババが声を張り上げた。


「無駄じゃ。犬のよく効く鼻が鬼の臭いを嗅ぎつけたんだろう。そうなってはもう役に立たん」


 犬を連れていた者たちは、引いていた綱を外して村に戻るように促してやると、犬たちは一目散に走り去ってしまった。あっという間に見えなくなってしまった犬たちに、しばし呆然とする村人たち。犬の尋常でない様子に不安が募る。

 それを知ってか知らずか、ババが盛んに先に進め進めと急き立てる。後に引けない村人たちはやむなく歩き出すが、明らかにその足取りは重くなっていた。先導するコフンは皆に合わせて進む。怖くないといったら嘘だった。


「もう少しで着くよ」


 後ろに続く大人たちに知らせる。緊張感が一気に高まったのがコフンにも伝わってくる。先ほどのシラユキの様子がコフンの頭をよぎる。鬼を前にしても全く動じなかった彼女が、村人の心無い言葉に動揺を隠せないでいた。嘘つき呼ばわりしていた村の大人たちが、これから見るものに何を感じるだろうか。

 さすがに犬でなくてもはっきり分かる臭いがしてきた。足がすくむようになるのは、ただ臭いというだけではなく、生理的に危険だと分かるからだろうか。コフンも胃のあたりが気持ち悪くなってきた。もう少しで吐きそうなところで鬼が討たれた場所に着いた。木々がまばらになって空き地のように開けた場所。慣れ親しんだ場所に突然入り込んだ異物。そこに鬼は確かに斃れていた。丸太のような右腕は肘の下から切り落とされていて、少し離れた所に石斧を握りしめたまま虚しく転がっていた。そして鬼を死に至らしめた一撃がその頸にあった。ほぼ頸が落とされているほどの深い刀疵。その姿に大人たちは言葉を失う。鬼の醜さ、耐え難い異臭、巨大さ、死してなお凶暴な姿に怖くてならない。さらに恐ろしいのは、この鬼を討った者が確かにいるということだ。直接見て余計に信じられなくなる。あの女にこんなことが出来るだろうか。剣を持って戦ったことのない村人たちでさえ、その恐ろしく鮮やかな切り口、この鬼を死に追いやった凄まじい業に、鳥肌が立つ。


 あのお姉ちゃんは何者だろう。こんなの普通の人じゃ絶対にできっこないぞ


 コフンは改めて思った。


「コフン、お前の言ってたのは本当のことなのか」


 傍に立つコフンの父が尋ねる。


「俺はお前の言ってることを信じたい。だとすると、鬼を倒したあの女は何なんだ」


 それはコフンに向けられた言葉というより、独り言のような呟きだった。同じことを思っていたコフンにも答えはなかった。父と同じようにその思いがぐるぐると頭の中を駆け巡るだけだった。

 他の村人たちも同じ思いを抱えながら、鬼の亡骸を遠巻きにして近づけないでいる。何事もなく終わるはずだった彼らのいつもの一日はどこかへ行ってしまった。顔を見合わせ手をこまねいている村人たち。シラユキや子供たちの話を信じたがらず、内心の怯えに気づかないふりをしながら、討ち果たされた鬼という否応のない現実を前に誰も動けずにいた。


 しかし、まじない師のババはそんな村人たちにかまわずに、それまでおぶっていた男から離れ、鬼に向かった。その右手には何かが握られている。そのまま先頭にいたコフンの前を通り過ぎていくが、すでにババが何かのまじないを唱えているのをコフンには聞こえた。と、一際大きな声とともに、右手に握っていた砂のようなものを鬼の身体に投げつける。まじないによってそれはきらきらと光の粒となって鬼の身体にかかる。光の粒は鬼の身体に触れた瞬間、じゅっという小さな音を立てながら消えていく。ババは三回に分けて握っていた砂を鬼にかけてまわった。まじないの効果は鬼の臭いが消えていくことで分かった。空き地に立ち込めていた澱んだ空気がはっきりと澄んだものになっていく。念入りにババは鬼の周りの地面や草木にも同じようにまじないをかけていく。


 おぉ、すげぇ。ババがまじないかけてる


 コフンは思わず見入ってしまっていた。ババのまじないを見たのは久しぶりだった。村の外れにぽつんとある、蔦と苔に覆い尽くされた廃屋のような古小屋に独りで暮らすババは、子どもたちにとって一番身近な怖い存在だった。腰はとうの昔に折れ曲り、左手に持つ杖を頼りに、鬼とその周りをまじないによって浄めていく。この辺境の地に住んでいるまじない師であれば誰でもできる、ささやかだが大事なまじないがこれだった。投げている砂のようなものは、岩塩と村のそばを流れる川に沈む石を、細かく砕いて混ぜ合わせたものだ。それ自体は魔力を帯びたものではなく何も効果はないが、これをタネにして、まじない師は自身の魔力を使ったまじないをかけることで浄めの力が発揮されるのだ。


 ババはまじないをかけながら、自分に代わるまじない師がいないことを悔いていた。村のまじない師は、どこも同じように、必要とされながらも家族ですら恐れられ、他の村人と関わりを持つことが許されない日陰の存在だ。成ろうとする者自体が殆どいない上に、その力を持つ者はさらに稀で、ババ以外、ニノべ村にまじない師はいなかった。この辺境の地に魔法使いがやって来ることは滅多にない。まじない師は、力こそ弱く、使えるまじないも限られた小さなものだが、必要な存在であることは確かだった。もし、この先に鬼と人の戦がはじまったらどうだろう。まじない師が必要とされる機会は今とは比べものにならない程あるはずだ。しかし、今ニノべ村にはババしかいなかった。人に支えられないと森の中まで来ることも出来ず、鬼の亡骸を浄める簡単なまじないをかけるのさえやっとだ。この地がすぐに戦の地になるとはババには思えなかったし、約七十年前の大戦もさらにその前の時も、あの境に立ちはだかる城が鬼と人の戦の中心であって、そこから歩いて数日の距離にあるニノべ村が直接戦禍に巻き込まれたことはなかったのだが、この先も同じである確証などないのだ。


 荒い息をつきながらまじないを終えたババだったが、やり終えた安堵感よりも、ずっしりと重たいものが痩せ細った老いた身体にのしかかってくる思いがした。


こうして、森の中に入っていったコフンや村人たちは鬼の骸を見つけ、ババの浄めのまじないの後、その場に大きな穴を掘り鬼を葬った。ひと段落した頃にはすでに、シラユキはニノベ村をすでに後にしていた。コフンはちゃんとしたお礼をまだできていないまま彼女が去ってしまったことを後悔した。しかし、その機会は二度と訪れることはなかった。


その夜、子どもたちがそれぞれの家で興奮してなかなか眠れないでいるのと同じ頃、鬼に遭遇した場所からさらに山の方に分け入ったところにある山小屋で、シラユキはカイエンに会っていた。


「ニノベ村に行けたのも縁ですね。

 おかげで子供たちを助けることが出来たのですから」


「ワシが肝心な時にいないとは、間抜けな話さ。無事だったからいいようなもの、お前がいなければ悲しいだけじゃ済まないことになっていたわ。感謝せねばな」


 夜になるとすっかり冷え込む。古びた暖炉の火の前でシラユキはすっかり寛いでいた。師であるカイエンに褒めらたのが何よりも嬉しいのだ。


「それにしても鬼がここまで入り込んできたのは由々しきことですね」


「そうだな。この先の山々から鬼の地までは、いくら鬼であっても相当大変だったはずだ。道などないからな。偶然迷い込んできたかもしれないが、もう同じことがないと考えるのはちと楽観的すぎる。最悪、下のニノべ村は皆別の場所に移らなくてはならないかもな」


コフンたち子供の顔が思い浮かびシラユキは胸が痛んだ。馴れ親しんだ地を離れなければならないなんて、どんなに辛いだろう。カイエンはさらに続けた。


「村の長老と数人だけだろう、先の大戦を知る者は。大部分は何も知らない。祭の鬼の舞も意味をなさなくなっている。それだけの時間が経ったということだ。喉元すぎればなんとやらだ。平和な時代は終わりを告げたのだ。わしらはまた試練に立ち向かわなくてはならない」


 それを聞いたシラユキは薄く笑った。不敵な笑みだった。まるでそんな時を待っていたかのような。そんな様子を見ていたカイエンはやれやれと言うように肩で息をつきながら、


「今のお前が考えるほど容易なことではないぞ」


「私は決して甘い考えなど持ってはいません。ただ、この力を、カイエン様に教え込まれた力を存分に発揮しないまま平穏に過ごすよりずっとましだと思うんです」


「鬼を殺める力を誇ってはならんといつも言ってきたはずだろう。少しはサンを見習え」


 穏やかだったシラユキの目に怒りの色が浮かんだ。何か言おうとするが返す言葉がない。


「サンはあの刀を抜いたではないですか」


 呟くようにそう言うのが精いっぱいだった。カイエンはため息をつく他なかった。サンと比べる話をすると途端に意固地なることを忘れていた。


「ともあれ、明日は鬼がどこからここまで来たのか探りにいかねば。お前にも来てもらうぞ」カイエンの言葉にシラユキは頷いた。


カイエンもそれ以上何も言わなかった。暖炉では薪がぱちぱちと音を立てている。外では梟が鳴いていた。柔らかな風は森の木々の枝や葉っぱを静かに揺らし、さやさやと囁いている。半分の月が夜空を薄い群青色に染めあげ、星空は気持ちよく空一面に広がっていた。静かな夜だった。


 この報を受けて“馬駆る人”の長はトウジたち5人の精鋭を鬼の地へ送り込みその動静を探るように命じたが、逆襲に遭いトウジのみを残し4人が還らなかった。


人知れず、サンが鬼殺しの刀を抜いて一度は鬼の襲来を阻んでから、1年が過ぎようとしていた。

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