第5話 ニノベ村狂想曲
シラユキに伴われて子供たちが村に着くと大変な騒ぎが起こった。
まず、母親たちが仕事を抜け出した子供を叱ろうと森から村に下ってくるところを手ぐすね引いて待ち構えていた。いつもならおどけながら逃げていくコフンが、母親を認めてもそのまま歩いてくることに違和感を覚える。さらに妹の手を引いてあげている。いつも付いてまわる妹を嫌がって手を繋ごうとしないコフンがどうしたのだろう。母は不安になった。他の子供もいつもの様子ではないことに気が付く。狼でも出たのだろうか。見ると、子供の中に見慣れない女が一緒にいた。まだ若いようだ。しかも腰から剣を提げているようだ。旅の者だろうか。女が独りで旅をするなんて聞いたことがなかった。男でも危険が伴うものなのに。さらに近づいてくるとそれが剣ではなく刀だと分かる。馬駆る人だ。コフンの母が声をかけようとする前に、シラユキが言った。
「あなたがコフンのお母さんですか?」
ここらへんの訛りではなかった。今まで聞いたことのないきれいな話し方だ。確かにかつて王国の東の地を治めていた領主の末裔に仕える剣士なのだろう。俄かに信じ難いが、彼らの中でも剣士だけが携える普通の剣とは違う反りのある片刃の剣、刀が何よりの証拠だった。このニノベ村を含め東の辺境の地は、もう1世紀以上も前、実質的に領地でも領民ともいえなくなっていたが、滅多に接する機会のないかつての領主とそれに連なる者たち、いわゆる“馬駆る人”に対しては表向き、礼を尽くすことは今でも常だった。
「あたしはシラユキと言います。村の長のところに案内していただけないですか」
「いやいや、ちょっと待ってください。あなたが“馬駆る人”ってことは分かるんですが、この子たちに何があったのか教えちゃくれないですか。話はまずそこからですよ」
自分よりも小さな若い女なのに何か気圧される感じがして、ついケンカ腰になった自分が恥ずかしい。妙におとなし過ぎるコフンが心配なのもあった。
「先に言っておくべきだったわね。ごめんなさい」
案外素直に謝ったことに調子が狂う。ここらへんの女たちは男勝りでケンカだってするし、例え自分が悪くても謝ることなんてなかなかしないのだ。それに刀を提げているのが似つかわしくないほど可憐は女に戸惑う。女というより女の子と呼んだ方がしっくりくる。しかしそんな彼女から思いもよらない言葉が飛び出した。
「鬼が出たの。だから村の長のところに案内して」
鬼が出たって? 冗談じゃない。子供たちと一緒に森からやって来て、いきなり鬼が出たから村長のところに案内しろだなんて。
「何を急に言い出すかと思えば、いくらあなたたちとはいえ、鬼が出たなんて滅多なこと言うもんじゃないですよ」
「かーちゃんっ、やめろよそんな言い方するのは。この人のこと悪く言うなよ。本当なんだって。鬼がいたんだ。俺たち死にそうになったんだ」
コフンが取りすがって訴える。それを合図に他の子たちも鬼がでた、鬼がでたと騒ぎ出す。その声を聞きつけて他の村人も顔を出してきた。
ニノベ村は約三百戸の辺境の小さな村だった。麦と、自分たちで食べる野菜を育て、牧畜を共同で行っていた。ちょうど農作業から帰ってきた大人たちも加わって騒ぎが大きくなっていった。あまりにも子供たちが騒ぎ立てるので次第に大人たちにも動揺が広がる。せっかちな者は自分の子を引きづって家に引っ込んでいくのもいる。大勢の村人に囲まれてシラユキは困っていた。みんなが勝手に騒ぎ出して何を言っても誰も聞いてくれない。そもそもよそ者の自分に胡散臭い視線をかけるばかりで、何を言っても聞いてくれそうになかった。
全く予想もしていない事態だった。シラユキは、コフンたち子供をまずは無事に村に帰してあげて、そのまま村の長のところで鬼のことを告げるだけで事は簡単に済むと思っていた。子供たちと一緒に村まで来たのは万一のことを考えただけで、すぐにカイエンの所に向かうつもりだった。それなのにこれは一体どういうことだろう。鬼に襲われかけた子供たちに、森に行かなかった子が嘘つき呼ばわりして喧嘩になりだし、その親同士も一緒に喧嘩を始める始末。それを止める者、他人事のように面白がってけしかける者、男も女も関係なく大混乱だ。呆れて眺めていると、ようやく村長がやって来た。かなりの年のようだった。杖をつきながらヨタヨタやって来たと思ったら、誰かれ構わず、近くにいる者から持っている杖で目に付くところからガンガンと叩いていく。叩かれた者は声をあげ、やり返そうと拳を握り返して見ると、村長だと気づき順番におとなしくなっていく。村長はおとなしくなっている者も関係なく叩いていく。ともあれ、ようやく村長がやって来たことで、騒ぎは収まりつつあった。やって来た村長は彼女に目を向け一礼した。村長とシラユキを村人がぐるっと取り囲んで静まる。彼女は一歩前に進み、
「私はシラユキと言います。ニノベ村の長。先ほど裏の森の奥で鬼が出ました。すでに息絶えておりますが、適当なところに埋めるために、人手を出していただけないでしょうか」
この言葉に周りの村人から次々に声が飛ぶ。大人の多くがまるで信じていない。その中でコフンをはじめとする子供たちも負けずに声を上げる。自分を庇ってくれるコフンたちにシラユキは微笑む。痛いほど周りの視線を感じていた。コフンの母と同じように彼女の美しさと、彼女にはまるで似つかわしくない腰に差した刀を見比べる。そういう反応はこれまでにもさんざんあった。慣れることはないが、ある程度そんな遠慮のないぶしつけな目にも動じないでいられた。そんな中、村長が多くの者が疑問に感じる問いを投げかけた。
「“馬駆る人”の剣士、シラユキ殿、長きに亘り現れることのなかった鬼が出たということですが、本当かどうかは見に行けばすぐに分かりましょう。だが、その前に聞いてもよろしいでしょうか。鬼が出た。では、村の子供らを襲ったその鬼は誰が討ち果たしたのですかな」
「ニノベ村の長殿、それは私、シラユキが」
その一言で一斉に村人たちが騒ぎだした。村のおかみさん連中よりも力のなさそうな女が、鬼を討ち果たすということがあるだろうか。鬼どころか虫も殺せないように見える。村人にとっては鬼が出たという話も信じがたいが、それよりもずっと信じられない話だった。騒ぎがここに至ってシラユキはどうしたらいいか分からずに何も言えなくなってしまい、それが余計に村人たちに疑念を与えてしまう。鬼の前でも動じることのない彼女が、どうしたらいいか分からないでいる。何も言えないシラユキを見ていられなくなったコフンがこの混乱にさらに拍車をかける。
「この人は嘘なんかついてない。この人が鬼をぶっ倒したんだ。俺たちはそれで助かったんだ」
コフンに続き、他の子供たちも声を上げる。親は騒ぎ立てる子をこづき泣かせ、嘘を言ってると親同士がさらに熱をあげてケンカをはじめ、いよいよ収拾がつかなくなりかけたところで、意を決してシラユキが皆に呼びかけた。
「誰がやったとか、そんなのはどうでもいいの。それより早く鬼の亡骸をどうにかしないと」
鬼が鬼を呼び寄せると言い伝えられているように、亡骸をそのまま放置しておくのは危険なことだった。それを聞いた村長は素早かった。
「そうだ、ここでぐたぐたと揉めてる場合じゃないぞ。鬼が出たこと、本当に亡骸があるのかはこれから森に入って確かめてみよう。誰か急いでババを呼んでこい。浄めの儀式をして早いとこ埋めてしまわにゃ他にも鬼がくるぞ、いそげいそげ」
まだ半信半疑な村人が多かったが、とにかく森へ急いで行ってみることでまとまった。早速、気の利いた若い衆が村のまじない師のババを背中に担いで走ってきた。その他の者も、怖いもの見たさもあり、とにかく鬼がすでにこと切れてるらしいということもあって、長の号令で我先に森に行く準備をはじめた。すぐに鍬を持つ者、家のどこか奥にしまいっ放しになっていた古い剣まで持ってくる者、犬を連れてくる者、皆緊張と興奮が入り交じった面持ちで固まって森へ進んでいく。最早シラユキを顧みる者は村長以外に誰もいなかった。
「“馬駆る人”の若き剣士様よ。そなたの刀が誠に鬼を討ったのであれば、我ら一同、礼を言わねばならん。が、子供らを惑わすようなことをしたなら、ただではすみませぬぞ」
口では疑わしいようなことを言っておきながら、村長はシラユキの言ってることに間違いはないことは、彼女のこれまでの言動から察せられた。本当に鬼が出たのであれば、この先のことを考えると頭が痛いことしかない。困った。長いこと何事もなかったのが恵まれていたということか。年に一度、ほんのかたちばかりの鬼の祭りがあって、村人たちは深く考えることなく舞を舞うだけで、その本当の意味を知る者も今はほとんどいなかった。
いちばん近い鬼との戦を知る者はこの村には、まじない師のババと、長老たち数人くらいなものだ。村長でさえ、大戦が終わった年に生まれたのだ。鬼の何たるかは自分の親にさんざん聞かされて育ってきたものの、子供や孫と、どんどん実感が伴わない話だろう。どんなに言ってみたところで、体験したことでないと伝えるのも難しい。時が経ったといえばそれまでだが、いざその時がきてみると、備えがまったく出来ていないことが分かる。村長としてじんわりと焦燥感に包まれる思いだった。ひょっこりやって来た女に結果的にそのことを教えられたのも、正直あまり面白くはなかった。そんな思いを感じたのかシラユキも気遣うように言った。
「この村の長として難しい決断をしなくちゃいけないかもしれませんね。もし鬼の出現が続くようなら、古き盟約に従って、この村からも戦のために人を出さなければならないわ」
「無論承知しておりますとも。しかし今はその心配が杞憂に終わることを祈るのみです。それにわしらはそなたらに頼らずとも他の村と共にやっていきますわ」
シラユキの顔が一瞬陰る。年老いた者がみせる強情さにこれ以上の忠告はできないと感じる。所詮、自分は一介の剣士でしかないのだ。表立ってこの地を治めることをせず、時と共に名ばかりの領主となり果てて久しい主に仕え、かつての領民たちからは疎ましい存在でしかないのだ。とは言え、この先鬼たちが現れることが珍しいことでなくなるかもしれないこと、その場合この静かな村の運命を思うと何とも言えない気持ちになった。しかし、シラユキはそれ以上言うべき言葉が見つからず、静かに一礼をして村長の下を離れた。村人からどう思われようと、彼女と“馬駆る人”たちが為すことに変わりはないのだ。それは遥か昔、偉大なる王から命じられて王の実弟がこの東の地にやって来てから変わらぬこと。つまり、人の住む地を侵そうとする、鬼をはじめ、悪しき存在を退けること。村人の無理解な態度もその大義の前には取るに足りないことなのだ。シラユキはそう自分を言いきかせた。そして本来向かうはずであったカイエンの下へ急ぐことにした。あの鬼が一体どこからやって来たかもはっきりさせないとならない。いつの間にか日は傾き、夏の終わりを告げるように、トンボが忙しなく飛んでいた。
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