第3話 少女の秘密

 カナンはトウジを送り出して、静かに扉を閉めた。もうそこまできた冬の寒さを閉め出す。気の重くなる報らせだった。と、奥の部屋に通じる扉の前に、いつの間にか少女が立っていた。

 黒い髪はまっすぐ肩の下くらいで無造作に一つに束ねられている。少女に似つかわしくない鋭い視線をカナンに向けていた。近寄りがたいほど美しい少女だった。


「聴いておりましたか」


 カナンが尋ねる。


「なるべく早くここを離れる以外にないな」


 少女は応えた。


「鬼が攻めてくるようなら、掟に従ってこの村の男たちも戦に駆り出される。よそ者だからといって、今までのように関わりを持たないでは許されないだろう」


「そうですね。そうなる前にここを離れなければなりません。少なくても戦が起きた時に、村々の者が駆り出されない西の地まで。私は貴女様の下を離れる訳にはなりませんから」


 静かに言いながらカナンは暖炉の近くにもうひとつの椅子を動かして、少女が火に当たれるようにした。


 少女は軽やかに椅子に飛び乗ると、その場で両手をあげて思い切り伸びをした。その姿は少女の姿そのものだった。


「口惜しいな。少なくてもあと七年、いや五年は欲しかったな」


 カナンは少女を見下ろす。同じ年かさの子どもと比べても少女は小さかった。


「今のままでは、私は無理だ。この身体ではまだ私の力には耐えられまい」


 少女は淡々と続けた。


「先の大戦から時が経ち過ぎた。その時、戦に出た人間はもういまい。語り継いでいるところも多くない。この国では鬼はおろか、人同士の大きな争いすらないに等しい。多くの者が、鬼どもがどれほど恐るべきものか知らぬまま、それぞれが対峙せねばならない」


「鬼どもが先の大戦のように、大軍勢でやって来ないかもしれませんが」


 カナンは疑問を投げかけた。それに対して、椅子に埋もれるように深く腰掛けた格好の少女は即座に答える。


「さっきやって来たトウジという者の話を聞いた限りでは、それは楽観的すぎる。選ばれた戦士が5人、生き残ったのはたったひとり。やつらの動勢を探るのが目的なら、危険とみれば引き揚げて良いところ、それを許さないほど激しい戦いが行われたのだろう。そして4名が還ることが叶わなかった。一騎当千の強者が5人もいて、ひとりしか戻って来られなかったんだぞ。それがどれほどのことか、お前ならよく分かるだろう」


 カナンは返す言葉がみつからなかった。彼女の言うことに間違いはなかったからだ。鬼たちはすでに戦の準備を整えつつあるのだ。そして、それは凶暴で強大な軍勢として近いうちに人の地になだれ込んでくるだろう。


「あのカイエンもすでに峠を越えた。サンの力は誰もが認めるところだが、この私ですら奴はいまひとつ分からない。そしてお前も私の下を離れられない。そなたの“馬駆る人”の一族郎党も正念場だな」


 揶揄するような少女の物言いだったが、指摘していることに間違いはなかった。


「何はともあれ、なるべく早くここを離れなければなりません。ここは近すぎます」


東の地へ通じる街道へ出て行けば、人の住む最東の村までは、大人の脚で4日ほどの距離にふたりが暮らす村はあった。さらに、最東の村から鬼の地との国境にある、その名も“境城”までは2日程の距離にあった。


「結局のところ、若き王の力次第だな。でなければ、魔法使いの島か、とこしえの君の住む地でない限りは、どこに行こうが同じことだ」


「できる限り時間を稼いだとしても、これから始まるやもしれない戦に、あなたの身体を充分な状態にして出ることはできないでしょう。奴らはそこまで待ってくれないでしょうし、戦が始まればそこまで長びくことはないでしょうから」


「ふん、昔は何十年と鬼どもと戦をしていたもんだがな」


「昔のことは知りませんが、少なくても人の方は、昔のように何十年と戦うだけの力はないかと…」


「そんなことは言われなくても分かっている……。われは何度もそんな争いに立ち会ってきたんだからな」


 自嘲気味に語る少女の姿に、改めて寒気を感じる。“とこしえの君”とは違うが、この少女も不滅の命を持つ者なのだ。人の形をしているが、人とは呼べない存在。カナンはこの少女が転生をして赤子になった時に、主をはじめごく一握りの者しか知らぬこの秘密を託され、皆の元を去らなければならなかった。彼女が長じてかつての力のすべてを取り戻す日まで、無事にあること。それが、カナンに託された絶対の命だった。代々、主に仕える家に生まれた彼に選択肢はなかった。以来10年、幼い子供の日々の世話をすると共に、彼女を脅かす存在があった時のために、常に彼女の側にいなければならなかった。刀を持たせれば縦横無尽の働きをするカナンが、幼い子どもの世話をする。まだ自分の子はおろか結婚すらしてない時に下された命に、カナンは戸惑うばかりだった。しかし、カナンがこの重すぎる任に選ばれたのは何より、ただひたすらに強かったからだ。鬼とも互角以上に戦えることを至上の目的に鍛え上げられ、認められた者だけが剣士として刀を履くことを許される。そんな者たちの中でさえ、カナンが圧倒的な力を持っていたからに他ならない。戦うことを宿命づけられた彼ら“馬駆る人”の長い歴史の中でも、彼は指折りの強者だったのだ。


 しかし、その強さがカナンに与えた、転生を繰り返す少女の命を守るという使命は、彼を独りにさせた。一族から理由を告げることも許されず去らなければならなかった。慣れ親しんだ故郷、親兄弟、仲間たち。事情を知らない多くの者にとっては裏切られたと思っているのだ。先ほど訪れたトウジも主の指示だったからやって来たのだ。そうでなければ多くを聞かずに帰ることなどなかっただろう。


「いざとなれば、今のままでも戦に出るまで」


 少女は素っ気なく言い残し、寝床に引き上げた。カナンは暖炉の前に腰を下ろし、火の温もりを感じながら物思いに耽る。夜と冬の気配が彼の周りを静かに覆うようだった。

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