第十三節

 手紙の最後の、正義の名前がにじんでいた。自分の涙が落ちたのかと思ったけど、乾いているから違う。

 もしかしたら、マサの涙が落ちてにじんだのかもしれない。

「大丈夫……?」

 途中でいなくなったおばさんが、ティッシュの箱を持って帰ってきた。オレが泣いたから、きっと必要になると思ったんだ。良い人だ。

 オレは軽く頭を下げつつ受け取り、一枚抜いて、涙を拭った。ついでに床に落ちたものも拭き取った。

「すみません」

 鼻をかむためにもう二、三枚取ってからティッシュ箱を返した。

「落ち着くまで休んでいく?」

 おばさんは廊下の向こうを指差した。そっちの方向にはさっきの客間がある。

 オレは頷き、先を行くおばさんについていった。その後ろを仔猫がついてくる。


 オレが元いた席に座ると、おばさんはオレンジジュースを出してくれて、横にティッシュ箱を置いた。オレは涙で出した分の水分をまず取り、ズルズルしていた鼻をかんだ。

「マサくんの手紙だけど、よかったら読んでもいい?」

 おばさんはテーブルに置いた手紙を指差した。

「あ、どうぞ。読まなかったんですか?」

「うん。他の人に当てた手紙を勝手に読むのはマナー違反だからね」

「ですね」

 おばさんが手を伸ばしたので、オレが代わりに取り、近くへ運んだ。

「ありがとう」

 おばさんは首にかけていた老眼鏡をかけて、手紙に目を通した。目だけを上下左右に動かして、じっくりと読んでいる。

「……この、サイコパス? どういうものかはわからないけど、マサくんね、ずっと君のことを気にかけていたよ。君が自分を責めていたらどうしようって」

 オレは小さく頷いた。

「オレ……オレのせいでアイツが、自分のことをサイコパス――危険な人間かもしれないと思い込んでいたらどうしようって、もしかしたら自分はそうだから、本当にそんな人間になってしまうかもって、ずっと思っていて、それで悩んでいて……」

 それがずっと気になっていた。一人の人間の人生を狂わせてしまったんじゃないかって、ずっと不安で、何度も後悔して、アイツがまた誰かを傷つけたらと思うと、怖くて怖くてしょうがなかった。

 だから、マサの手紙に、言葉に救われた気がした。心がすごく軽くなった気がした。

「心配しないで、マサくんはもう大丈夫よ。あの子はかしこいし、心が優しい。だからこそあんなことになってしまったけど、過ちを繰り返すような子じゃない。それに、今度は私もついているから。私もあの子を支える。だから、大丈夫よ」

 おばさんの笑顔は温かいし、優しい。その言葉も、勇気づけられるものだった。胸が熱くなった気がした。

 おばさんとマサはどこか似ている気がする。親戚だから似ていてもおかしくはないんだけど、そういうことじゃなくて、このおばさんがアイツのお母さんやお祖母ちゃんだったらすっげぇ納得するって、そんな感じだ。

「あのう、正義なんですけど、いまどこに居るんですか? 児童ナントカってところにいるのはわかってるんですけど、その、住所とか郵便番号を教えてもらえませんか?」

「会いにいくの? いまは難しいと思うけど」

「いや、あの、手紙の返事を書こうと思って」

「ああ、うん、それはいいわね。マサくんもきっと喜ぶわ」

「正義が正直に気持ちを打ち明けてくれたから、オレもそうしたいと思って。あと、その手紙のことで色々と言いたいこともあるし。あっ、文句とかじゃないんです。お礼、と言うのも変だけど……」

「そう。じゃあ、よかったら書いていく? 便箋と封筒はあるから。預けてもらえば渡しておくけど」

「いいんですか?」

「もちろん」

「お願いします!」

「うん。じゃあ、ちょっと待っててね」

 おばさんはまた「よっこいしょっ」と勢いを付けて立ち上がり、部屋を出て行った。仔猫が二匹ついていったけど、シロだけは残り、オレのそばにいる。

 こいつの名前、なんにしようかなぁ。


 おばさんに便箋と封筒とペンを貸してもらい、独りにもしてもらえた。

 仔猫たちはおばさんがエサを持つと従順になり、ぞろぞろとついていった。シロもだ。

 オレはいま白紙の便箋を見つめて、どう書こうか考えている。マサが手紙に書いていたけど、オレも他人に手紙を書いたことがないから、正しい書き方とかはわからない。きれいに書こうにも、オレは頭が悪いからきっと無理だ。

 だから、とりあえず、思いつくままに書いてみよう。



 正義へ


 オレも他人に手紙とか書いたことがないから、きれいには書けない。そこのところは先に謝っておくな。


 おまえからの手紙、さっき読んだよ。

 おまえの気持ちがよくわかった。

 もうちょっとフレンドリーなほうが良かったな。友達なんだから、それらしく書いてくれたらいいよ。字とか難しくて読めないのもあったし。


 ゴメン。オレのほうこそ、本当にゴメン。

 あのとき、おまえにひどいことを言った。おまえのことを疑った。おまえのことを怖がった。

 オレもな、おまえの、友達を傷つけたりしないって言葉にすごいドキッとした。それで、すごくひどいことを言ったと思った。

 あれからずっと後悔してるよ。サイコパス診断なんかしなければよかったと。あのせいでおまえが、自分がサイコパスだと思い込んで、あのアニメみたいに、すっかりサイコパスに染まったヤツになったらどうしようと、ずっと不安だった。だから、おまえの手紙を読んですごく安心した。


 おまえはサイコパスじゃないと思う。勘だけど、オレはそう思う。おまえは良い人間だ。仔猫を助けたし、オレのことは傷つけなかったし、後悔もできるし。だから、根拠は無いけど、違うと思うぞ。


 両親のこと、悪く言ってゴメン。

 おばさんから色々聞いた。親も大変だったんだな。

 でも、おまえがひどく言われるのが我慢できなかった。

 これからは気をつけるよ。


 仔猫、ちゃんと引き取ったぞ。真っ白いヤツでな、すごく可愛いよ。一番可愛い。いまんとこ、名前はシロだ。なんかおまえに似てる。頭が良くて、人懐っこい。トイレももう覚えてる。まだどんな名前にするかわからないけど、ちゃんと愛情持って育てるから、安心しろよ。


 悪夢だけど、オレも見てる。

 内容は話せないけど、すげぇ怖いよ。もう何度も見てるのに、いつも飛び起きる。さすがにオネショはしないけど、汗はすごいし、泣いてる。

 おかげでずっと寝不足だ。そのせいで今日バスで寝てしまって、危うく乗り過ごすところだった。

 おまえの言うとおり、ちゃんとカウンセリングを受けるよ。じゃないと危ないしな。

 治療費はおまえの言うとおりにするよ。

 ゴメンな、ありがとう。


 児童自立支援施設というところを出られたら、ウチに遊びにこいよ。猫を見せてやるから。犬も。約束してただろ。家族にはちゃんと説明してあるから、きっと大丈夫だ。だから、ちゃんと来いよ、待ってるからな。

 いきなりは無理だったら電話くれ。メールでもいいから。最後に携帯電話の番号とメールアドレスを書いておくからな。

 あのときのことは気にしなくていいからな。いや、気にしなきゃダメなんだろうけどさ、だからといって友達をやめるつもりはないからな。どうしてもやめたいなら、オレに直接言え。それでオレがオッケーしたら友達をやめてやる。絶対オッケーしないけどな。


 おばさんが言ってた。今度は私も支えるって。オレもだ。オレもおまえを支える。オレにはその責任があるし、友達だから当然だ。

 今さら友達ヅラするのは図々しいというか、調子がいいってのはわかってるけど、オレの中ではもうそうなっているんだからしょうがねぇよ。それぐらい衝撃的だったからな。

 オレにとっておまえは特別な友達だ。そう思ってる。将来的には親友に進化させたいとも思ってる。きっとなれると思う。オレたちならなれる。


 じゃあ、またな。


 友悠



 スマホを辞書代わりにして、なんとか書き上げた。

 多分これでいいと思う。もうこれ以上は思いつかないし。

 やっぱり図々しい気もするけど、オレってこんなんだろうから、きっと大丈夫だ。

 正義の手紙を真似して便箋を縦に三つ折りにし、封筒に入れた。両面テープが付いているからノリ要らずだ。

 そして最後に宛名を書かなきゃいけないんだけど、なんて書こう?

 普通は『正義へ』だよな。でもそれだけだとつまらないし、なんか付け足そうかな。

 なんにしよう、『(友達)』も普通だしなぁ、『(親友)』はさすがに馴れ馴れしいか。手紙を読んだ後ならまだわかるけど、いきなりこれは変だよな。

 うーん、どうしよう……。

 色々考えてみて、とりあえず今の俺の気持ちを伝えればいいんじゃないかと思ったから、これに決めた。


『正義へ(まだ友達だからな!)』


【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正義 小野 大介 @rusyerufausuto1733

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ