探し物は意外と近くにある

「ところでこの作戦って、どうなったら成功なわけ?」

 質問を投げかけているくせに興人はやる気のなさそうな顔をしている。


「阿熊先輩の中に私が好きになれる部分を見つけるの」

 私もできるだけ素っ気なく答える。今は興人に構っている暇はないのだ。


「なるほどね。――あっ!」

 興人の目線の先を辿ると、阿熊先輩のすぐ目の前で小学校低学年くらいの男の子が転んで足を擦りむいている姿が目に入った。


「あれは流石に無視できないわよね」

 あの状況で少年を気に掛けないなんてあり得ない。きっと阿熊先輩も例外ではないと信じたい。しかし私のわずかな期待は難なく裏切られてしまった。少年に目を向けた阿熊先輩は、すぐに前に向き直って何事もなかったかのように歩いていってしまった。


「僕、大丈夫?」

 相変わらず阿熊先輩から一定の距離をあけた後ろを歩いていた私を残し、興人が少年のもとへ駆け寄って手を差し伸べていた。


「伊奈! 絆創膏持ってないか?」

 真剣な目でこちらに訴えかける興人を見て、私は作戦にかまけて少年をすぐに助けに向かわなかった自分が恥ずかしくなった。


「興人、ごめんね」

 簡単な手当を済ませた後少年の後ろ姿を見送りながら、私は興人に自分自身の浅ましさを詫びた。


「まったく、恋は盲目って本当だよな」

 返す言葉もなかった。


「ほら、いくぞ。走ればまだ追いつける」


「阿熊先輩がどっちに行ったかわかるの?」


「俺の情報網を舐めるなよ。家の場所がわかれば帰り道もわかるさ」


「興人ありがと。大好き」


「本気にするぞ?」


「それはやめて」

 ふざけたやり取りをしていると、後ろから歩いてきた女の子が私たちの前まできたところでこちらを振り向いて立ち止まった。同じクラスの佐々木涼子だった。


「あれ? 佐々木じゃん。どした?」

 興人が気さくに声をかける。


「興人君、手紙は読んでくれました?」

 佐々木さんは誰が見てもわかるほどに顔を赤らめていた。


「ああ悪い。手紙が多すぎてまだ手付かずなんだ」

 そういって興人は自分の鞄を持ち上げて見せた。その隙間から収まりきらない手紙の一部がはみ出している。


「そうですか。……あの、私も一緒に帰ってもいいですか?」

 佐々木さんはスリムな見た目と相まって華奢な印象を与えるか細い声の持ち主だったが、勇気を振り絞っての発言なのか、今日はいつもより語気が強かった。


「あー……悪いけど――」

 興人がばつの悪そうな顔で言いかけた。


「いいよ! 一緒に帰りなよ」

 私は興人の言葉を遮るように大きめの声を出した。


「おい、作戦はどうすんだ」


「そんなの今日じゃなくてもいいし。二人お似合いだからいいじゃん」

 私はそれだけ言うと、興人の制止を無視して阿熊先輩が去ったと思われる方向へ走った。







 興人が私なんかに執着してまわりに目を向けないことに、私はいつも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 興人に群がる女の子たちの中には私なんかより魅力的な子がたくさんいた。そんな子たちが明らかにステータスの劣る私に嫉妬の目を向けるので、私はなんだか居心地が悪かった。

 居心地の悪さなんて感じずに昔のように自然な付き合いを続けられていたなら、私は興人のことをもっとちゃんと好きだったかもしれない。


 私は佐々木さんと歩く興人を見て、「とても絵になるな」という感想と共に胸のあたりにわずかな痛みが湧いたことに気が付いた。それに気付かないふりをして、私は阿熊先輩の姿を探した。


 しばらくしてシャッターの下りた古いタバコ屋の角を曲がったところで、私はもっとも出会いたくない人物と遭遇してしまった。


「あれ? 昨日の子じゃん」

 昨日阿熊先輩を見て逃げ出した三人組である。


「今日は悪魔はいねえだろうな?」

 三人それぞれが辺りを見渡して、誰の姿もないことを確認する。


「昨日は邪魔がはいったが今日は大丈夫そうだな」

 彼らは相変わらず下品なしゃべり方で気持ちの悪いニタニタ笑いをしている。


「おら! 一緒に来い」


「痛っ! 放して!」

 一人が私の手首を力いっぱい掴んだ。


「おい、待てっ!」

 背後から声が聞こえた。三人組は昨日悪魔に刷り込まれた恐怖を思い出したのか焦った様子で素早く私の背後に顔を向けた。しかしそこにいるのは悪魔ではない。私は振り向かなくても声でわかっていた。


「その子を離してやってください。お願いします!」

 遅れて振り返った私は驚いた。興人がコンクリートの地面に額を付けて土下座をしていた。


「ちょ……ちょっと興人」

 私が困惑するのにもお構いなしで、興人は三人の不良に懇願を繰り返す。


「なんだよこいつ、糞だせー」

「悪魔とは大違いだな」

「俺生土下座初めてだわ」

 三人組はお腹を抱えて興人を思う存分馬鹿にして笑っている。かなりむかついたが私にはどうすることもできなくて、それが死ぬほど悔しかった。人のために――私のために土下座までしてくれる興人はこんなにも格好いいのに。


「面白いもん見せてもらったけど、だからなにって感じだな」

「おい、それよりそっちの子かなりいい感じじゃね?」

「西高にはいねー清楚系美人じゃん」

 興人に興味をなくした三人組は、今度は興人の後ろで困った顔をしている佐々木さんをいやらしい目で眺め始めた。


「その子は関係ないでしょ」

 私の声など聞こえないように彼らが佐々木さんに近寄った。


「嫌、来ないで!」

 みるみる泣きそうな顔になった佐々木さんが後ずさりする。


「そういう反応されると興奮すんだよなー」

 一人が佐々木さんに掴みかかろうとした。


「助けて、プーちゃん!!」

 佐々木さんがその見た目からは想像できないほどの大声で叫んだ。


「は? プーちゃん?」

「おいおい、誰だよその可愛らしい名前の奴は」

 不良たちは再び呑気に笑っていたが、そんな彼らの背後から熊のように大きな男が猪のような勢いで走ってきているのが見えていた。阿熊先輩だ。


「お、おい! 後ろ」

 阿熊先輩が鳴らす地響きのような足音に気が付いた不良の一人が振り返り、他の二人に呼びかける。すると呼びかけられた二人も振り返り、全員が情けない悲鳴を上げて逃げて行った。


「大丈夫か涼子!」


「うん。ありがとうプーちゃん」

 私も、すでに頭を上げて立ち上がっていた興人も、プーちゃんの意外な正体に目を丸くしていた。


「じゃあ俺は二度とこんな真似できないようにあいつらぶっ殺してくるから」

 そう言って佐々木さんに別れを告げた阿熊先輩が不良たちが逃げた方向へ去って行った。


「えっと、つまりどういうこと?」

 私にはいまいち状況が掴めなかった。


「あ、ごめんなさい火月さん。あの人たちはプーちゃんがちゃんとボコボコに懲らしめてくれるからもう大丈夫だと思います」

 佐々木さんは暴力的な言葉をなんとも涼し気に、のんびりとした口調で発した。


「あー……伊奈、阿熊先輩と佐々木さんは付き合ってるんだ」


「だよね。じゃなきゃプーちゃんなんて呼べないよね。でもだったらなんで佐々木さんは興人と一緒に帰りたがったの?」


「ごめんなさい。実はプーちゃん全然愛情表現してくれないから、イケメンと歩いてるところを見せて嫉妬させてやろうと思ったんです」


「そのお願いの手紙をくれてたらしいいんだけどさ、まだ読めてなかったから俺もさっき知ったんだ」


「そういうことだったのね。それにしてもプーちゃんって」

 私はつい噴き出してしまった。さっきまでの緊張の糸が切れたせいもあったのだろう。


「だってプーちゃん熊さんみたいでしょ? だからくまのプーちゃん」


 可愛らしいキャラクターと阿熊先輩とを脳内で並べてますますおかしくなった私はみんなで声に出して目一杯笑った。








 もう十分愛情は感じたからと佐々木さんは私たちと別れ小走りで帰っていった。私はまた興人と二人になった。


「伊奈が無事でよかったよ」

 興人が遠くを見て歩きながら言った。夕日になりかけの陽が照らして、色素の薄い興人の髪がキラキラと金色に輝く。


「これに懲りてもう俺から離れないでおくことだな」


「一緒にいても興人土下座するだけじゃん」

 私はどうして素直にお礼が言えないのだろう。

 今ほど興人に感謝したことはないのに。

 ――今ほど興人を格好いいと思ったことはないのに。


「俺は喧嘩はしない主義なの」


 しばらくの沈黙の時間が二人を包む。胸の中に芽生えた気持ちを言葉にして伝えなくちゃと悩むような、相手の気持ちが届くのを待っているような、そんな時間。


「なあ伊奈」


 沈黙を破ったのは興人だった。この一言から私たち二人の関係が変わっていくような気がした。胸の高鳴りを感じる。それはもう阿熊先輩に感じた時とは比べ物にならないくらいの。


「いいかげん正直になったらどうだ?」

 興人がいたずらに笑いかけた。


 私はたった二文字の返事をした。

「馬鹿」


 結局私はなにも伝えていないけれど、兄妹よりも深い関係に明確な言葉は不要に思えた。


 興人なら、私が口にした二文字とは別の二文字、直前まで言おうと思っていた本心の方の二文字をちゃんと受け取ってくれたはずだ。

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デビルストーカー 長良 エイト @sakuto-3910

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