デビルストーカー作戦

「そいつは一学年先輩の阿熊あぐまだな」

 朝の教室で昨日の下校時の修羅場の話をすると、幼馴染でクラスメイトの興人が言った。興人は持ち前の交友関係の広さから、情報通でもあった。


「阿熊ごうと言えば結構有名だぞ。通称悪魔。喧嘩無敗で目を合わせると殺されるとかなんとか」

 なんとも物騒な噂話だったが、昨日の彼の獰猛さを目の当たりにした後ではそんな噂が立つのにも納得がいった。


「で、お前はそんな悪魔に恋をしたと」


「ニヤニヤするな!」


「いやあ、お前がああいうタイプを好きになるとは思ってもみなかったからさ」


「私だってあんな野蛮な人は嫌い」


「お前のタイプは俺だもんな?」


「うるさい黙れ!」


「俺もお前がタイプだ」


「だから黙れって言ってるでしょ!」

 いつも興人はこんな調子で私をからかっていた。


 興人が微笑めばクラスの女子から黄色い声があがる程には顔も整っていたし、明るく気さくで頭も良くおまけに勉強までできた。非の打ち所がないという言葉を体現しているような奴だ。


 そんな同級生を数多の女子たちが放っておくわけがなく、興人はいつも学校の下駄箱や引き出しに自分の荷物を入れるために、まず大量のラブレターを片付けなければならなかった。今もクラス中の女子から、興人と親し気に話す私に痛い程の視線がいくつも突き刺さっている。


「あんな鋭い眼光を放つ奴らより、俺はお前みたいな人畜無害じんちくむがいな女の子の方がいい」

 私が人目を気にしだしたことに気が付いた様子の興人が言った。


「私のこと馬鹿にしてるでしょ? あんたは早くファンの中で一番かわいい子とでも付き合っちゃえばいいのに。茶道部の佐々木さんなんてどう? あの子なら頭もいいしお似合いじゃない」

 興人は悲しさを訴えかけるように、少し眉を下げながら笑った。







 その日の授業を全て終え、私は授業中に考えていた作戦を決行することにした。


「おい伊奈いな、どこ行くんだ?」

 教室を急いで出ようとする私を興人が呼び止めた。


「興人には関係ないでしょ」


「冷たいなあ。俺たちは風呂にも一緒に入った仲じゃないか」

 周りにいた何人かのクラスメイトがギョッとして目を丸くする。


「幼稚園に入るよりも前の話を持ち出さないでくれませんか、水木みずき興人さん」

 私はわざとらしく他人行儀な言い方をした。私と興人との関係を表す際に他人という言葉は最も似合わないなと思いながら。


「その言い方はあんまりじゃないですか? 火月ひづき伊奈さん」

 興人が私の真似をする。ノリのいいところは嫌いじゃない。というか興人の性格はノリ以外にも基本的に好きだった。一緒にいると笑顔も絶えないし、なんと言うかしっくりくる。当然と言えば当然だ。十六年も一緒にいるのだから。親同士が友達で、私たちは母親のお腹の中にいた時からの付き合いだった。


「とにかく私急いでるから」


「待てって。俺も一緒に行く」


「勝手にして」


 私は興人の帰り支度を待たずに校舎を足早に出て校門を目指した。

 私が校門についてしばらくしてから興人が追いかけてきた。下駄箱の大量のラブレターを鞄に詰めるのに苦労したのか、私から随分遅れてのことだった。


「で、何するつもり? 大体察しはつくけど」


「察しがつくなら黙ってて」


「まったく、俺という完璧な人間が横にいるのにどうして悪魔に惚れちまうかね」


「あんたこそ、十六年も横にいる人間をよくからかう気になるわね」

 興人は私に対して好きだという意味の言葉を頻繁に口にする。私も興人という人間が好きだ。しかし物心ついた時にはすでに一緒だった存在などもはや兄妹だ。ちなみに興人を弟ではなく兄と表現するのは、私よりも少し大人びているからだ。


「俺は本気だぜ?」

 今までに何度も聞き流してきた言葉だった。そんないつも通りの言葉を吐き出す興人の真剣な眼差しが、この時だけは何故か印象的だった。


「あっ、来たわ」

 私は興人の背後ずっと向こうに、校舎から出てきた阿熊先輩の姿を見つけた。


「これから阿熊先輩尾行大作戦――題してデビル追跡作戦を決行するわ」


「やっぱりな。つーか悪魔をデビルにするなら追跡も英語にしろよ」


「私が英語に詳しいと思ってるの?」

 興人は返事をする代わりに大げさな動きで肩をすくめてみせた。


「単純に追跡ならチェイスとかになるだろうけど、この場合そのままストーカーでいいんじゃないか?」


「何だか犯罪の匂いがする名前ね」


「いいじゃん。デビルストーカー伊奈」


「名前を足すな!」


 そうこうしているうちに阿熊先輩は校門を出て行った。私たちは一定の距離を保ちながら追跡を開始する。


 昨日阿熊先輩から受けた印象は正直最悪だった。相手に非がある場合のみならまだしも、誰彼構わずあの態度なのは人として間違っていると思う。それでもあの時感じてしまった胸の高鳴りは、今阿熊先輩の姿を見て再び訪れていた。だから私はこの胸の高鳴りを正当化できる――つまり、阿熊先輩の中に私が好きになれる部分がないかを見付けたかった。


 こうして私たちのデビルストーカー作戦が始まった。

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