第2話 祖父のくれたおやつ
この世にいない人が見えてしまう姉との生活で、一番最初の記憶は小学2年生の
時だと思う。
その日、両親と三人の兄は、母方の実家からの電話で急遽外出する事になり、五人乗りの自家用車に乗れない姉と私は、外出の理由を教えられぬまま留守番を命じられた。
絵を書いたり、漫画本などを読んで時間を潰しているうちに、昼が過ぎ、二時位になった時、私は姉に空腹を訴えた。姉は食器棚などを開けてお菓子などを探していたが見つからず、台所へ入って行った。そして、しばらくすると、茶托に和菓子を二つ載せて戻って来た。台所へ行くと、勝手口から祖父が入って来て、二人で食べろと渡してくれたと言う。母方の祖父は茶道家で、父の仕事先である大手銀行の
茶道部の女子行員や歌舞伎役者など、幅広い層の弟子を抱えていたが、持ってきたのは新宿の有名な和菓子屋から仕入れている、茶の前に食べる練り切りの菓子だった。その祖父は訪ねた時にはお小遣いをくれるなど、私や姉を可愛がってくれていたので、会いに行こうとすると、菓子を渡すとすぐに帰ったという。来た時に教えてくれなかったことに文句を言いつつ、空腹だったこともあり、私はその菓子をひとつつまむと口に放り込み、一口で食べてしまった。その様子を見て、姉は自分の
分も食べていいと言い、私は二つとも食べてしまった。
それから一時間程経った時、両親達が帰って来て、祖父が病院で亡くなり、日取りの関係で、今晩通夜になるから、すぐに支度をするようにいい、両親は喪服を、
兄たちは学生服を着だし、姉と私は黒いスカートやズボンに白いシャツに着替えさせられた。その合間に、姉は祖父が訪ねて来たことを訴え、私は持ってきた和菓子を食べた事を話したが、両親たちは、軽い口調で祖父が二人を可愛がっていたから最後の挨拶に来たのかもねと、深く考えていない口調で言っただけだった。
母方の実家は丸の内線の駅近くの商店街と住宅の堺にあり、駐車場も無い事から
私たちはタクシーに分乗して向かった。その時、私は祖父の持ってきた茶托を握りしめていた。
茶道教室を開いている実家の二階は八畳の茶室が二間続きになっており、間仕切りの襖を取り払って祭壇が設けられていた。急な連絡にも関わらず、多くの弟子が焼香に駆け付け、間に合わない人は翌日の告別式に参列するという連絡が殺到し、親戚が一人、ずっと電話の前に座ってノートに書きこんでいた。
弔問客が途絶えたのは夜中の九時を大分過ぎた頃で、祖母や母方の兄弟、高弟たちで、遅くなった夕食を摂り、落ち着きを取り戻した頃に、祖父と一緒に茶道を教えている伯母が、私と姉に向かって、祖父が二人を可愛がっていた話をしたので、姉が今日の午後に祖父が訪ねてきた話をすると、親戚たちは一様に驚いた振りをしながら、最後の挨拶に行ったのかねぇと、母と同じ感想を口にしたが、決して信じている様子はなかった。しかし、私が祖父が持ってきた菓子の話をすると、それは
どんな形だったと聞くので、朱色の餡に上に緑のヘタを点けた柿を模した様な練り切りだったと言うと、二番目の伯母は顔色を変えて、二階に上がると、平べったい
木箱を抱えて降りて来た。
実家では、毎週土曜日に教室を開いており、祖父の死去で中止となったが、前日の金曜日、つまり、今日の午前に和菓子店から届いたのがその木箱だったと言い、
蓋を開けると、はたして同じ和菓子が大量に詰められており、そこから二つ無くな
っていた。そして、それを載せて来た茶托は、実家の物で五枚セットのうちの一枚だった。
その場の畏敬と恐怖が混ざり合った部屋の雰囲気を憶えている。
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