合宿の頭痛
高橋柚子之助
第1話
知り合いのユキという女性が、「大学の頃、一度だけ不思議な経験をしたんです」と話してくれた。
彼女が大学時代に入っていたサークルには、毎年九月に恒例の合宿があるという。彼女が二年生だったその年は、長野の、シーズンオフのスキー場の宿を借り切り、二泊三日で行われた。
合宿というと、夜は飲み会になる。宿のほうも勝手知ったるもので、「コンパ部屋」と呼ばれる部屋が用意されていた。
普段だったら終電を気にしなければいけないところを、帰りの心配をせずに深夜までダラダラと飲めるのが合宿のいいところだ。サークル員には酒豪が多く、例外ではないユキもその飲み会を楽しみにしていた。
ところが、一日目の夜のこと、夕食を食べ終わったころからどうも頭痛がしてきた。飲み会は夜の九時からということであり、それまでには治そうと部屋で横になっていたが、痛みはひどくなるばかり。
「ごめん。頭痛が治らないから、今夜の飲み会はパスするって、みんなに伝えて」ユキは同室のアカリという女の子にそう告げた。
九時を過ぎ、悔しい思いをしながら横になっていたユキだが、そのうち眠ってしまった。
ふと目が覚めた。頭はまだ痛い。枕元の携帯電話を見ると時刻は十二時を過ぎていた。アカリや、他の女の子が部屋に帰っていないところから見て、飲み会はまだ続いているものと思える。
はあ、また寝るか、と思ったその時、部屋の扉が開いて、アカリが飛び込んできた。
「どうしたの?」
「宮田が、鼻血、出したっ!」
このアカリという子は、合宿係というサークル内の役職を担当していた。宿を手配したり、スケジュールを管理したり、飲み会のときにサークル員が粗相をしたら片づけたりする役目だ。そのため、ビニール袋やらトイレットペーパーやらの準備が必要で、彼女の荷物の脇には、ビニールを破られていない、予備の十二ロール入りトイレットペーパーが置かれていたのだ。
「まったく、もう……」
アカリは文句をいいつつ、ビニールを破り、トイレットペーパーを二巻きつかむと、部屋を出て行った。なんで鼻血なんか……、と思ったが、自分の頭痛の心配もしなければならない。ユキは再び布団に横になり、目を閉じた。
ふと、目が覚めた。アカリが部屋を出て行ったあと、また眠ってしまったようだ。
「あれ?」
頭痛が治っている。体を起こしてみてもまったく痛くない。そればかりか、のどが少し渇き、水というよりビールの飲みたい気分だった。まだ飲み会が続いているならちょっと顔を出してこようかなと、携帯電話の時間を見る。
目を疑った。まだ九時四十分だった。さっき、十二時をすぎていたのを見たばかりだ。ユキの目は、自然と、アカリの荷物のほうへ向く。アカリがさっき破ったはずのトイレットペーパーのパッケージは、無傷だった。たしかさっき……、と思い出そうとしても曖昧だった。
そうか、あれは夢だったのだと、たいして不思議でもなく彼女は思った。とにかくまだ夜は長い。今からでも飲み会に……と、部屋を出た。
コンパ部屋は楽しい雰囲気に満ちていた。一年生から四年生まで参加するので、人数は五十人を超えている。普段サークルに顔を出さない先輩との話しも楽しみたいと、ユキは四年生の輪の中に飛び込み、酒を飲み、楽しんだ。
時間はあっという間に過ぎ、まだ飲み足りない人を残して、眠い人は部屋へ……という雰囲気になったころ、部屋の隅でガラスの割れる音がした。
見ると、四年生の男の先輩が三年生の男子に馬乗りになって、ぼこぼこと殴っている。周囲の男の子たちが慌てて引き離した。酒の席での口論が、殴り合いに発展してしまった。殴られたほうは鼻血を出して、顔をゆがめていた。
一時は騒然としたけれど、四年生が中心となって事態を収拾し、すぐに落ち着きを取り戻していった。そんな中、ユキはふと気になった。
殴られたほうの男子、彼こそが、宮田なのだ。
「宮田のやつ、今夜、鼻血出すの二回目ですか?」
一緒に飲んでいた先輩に聞くと
「何言ってんのよ、初めてでしょ」
との返事。首をかしげていると、廊下からアカリが飛び込んできた。
「トイレットペーパー、新しいの、持ってきたよ!」
宮田にトイレットペーパーを渡すアカリが、ふと、顔をこちらにやった。ユキと目が合った瞬間、アカリは「ひっ」と目を剥いた。
「ユキ、あんた、今、部屋で寝てなかった……?」
「アカリもぞっとしたでしょうけど、私もぞっとしましたよ」
ユキは僕にそう告げた。
「もしあのとき、私が部屋に戻っていたら、私自身と遭遇していたんですかね?」
合宿の頭痛 高橋柚子之助 @yuzunosuke
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