陶芸家の田中さん

絵羽 枝彦

 陶芸家の田中さん

S県の某市と聞けば温泉宿が多く、

シーズンには関西や都心の方からの観光客で賑わう場所というイメージだろう。

陶芸家の田中さんは、そんな某市在住の髭の濃いおじさんである

私は今でこそ自然に会話を交わすことも出来るようになったのだが、

少し前までは、田中さん近寄り難し、同じ作業場で横に並んだ際には

自分は一体、目の前の土くれと戦って居るのか

隣の田中さんの無言のプレッシャーを肌で跳ね返すのを作業としているのか

とにかく、その眼光のするどさと、そのするどい眼光の向かう先が一体どこなのか

気になって、いや、恐ろしくていつも恐々と私は仕事をしていた。


私は陶芸家の田中さんと同じ窯で焼き物を学び、陶器を作って居た

一日に何十個も土くれから器の形を作り出し、削り出し、素焼きをして…

幾階の作業工程を経て、陶器の器が出来上がる。

器を量産するとなると、形作りなら形作り、釉掛けなら釉掛けと

同じ作業工程を一日することもある。


先程の田中さんと並んでの作業というのは、

同じ大きさの陶器の器、湯飲みになる形を作りだしていた時のことだ。

電動ロクロを廻して作るのだが、作業場の電動ロクロが並んで置いてあるために

隣同士で作業することになる、気晴らしに会話も出来るぐらいの距離だ。

慣れてくると口は開いてようが閉じてようが集中して作陶出来るので

隣で作業する人と気晴らしに話しながらでも作業が出来る。

むしろ一切会話を挟まず、隣の事を気にして緊張する方が

ロクロ台での作業は効率が悪くなるような気がした。


今日こそ田中さんと会話をしてみよう


その日、始業時の軽い挨拶と作業の割り当ての話しぐらいの

会話とも言えない言葉を交わしたあと、一大決心をした

苦手意識なのか、田中さんが怖いのか、もう何週間も後回しにしてきたことだ

少しづつでも田中さんと隣で作業するときの決まりの悪さを無くそう

今日も幾度目かの田中さんを隣にしてのロクロでの作業

何時間も黙々と作業する中で

少しは何か話そう、一方的に気まずいままではいけない

そろそろ打ち解けてもいいだろう

何を言おうか吟味した結果、自宅で料理とかするのですか?

と聞くことにした、どう転んでも悪くないはずだ。



「田中さ…」と私が話しかける前に

「今日」と、田中さんが話し始めた

「今日、薬局で良い匂いのシャンプーとリンスが安いのだけれど一緒に買ってこよ うか?」


刹那に戸惑う私が居た、田中さんが初めて私に話しかけてくれた。

よく通る、少し高めの声だった。

目線だけを隣の田中さんに向ける、作業中なのでチラッとしか見れないが

田中さんは目の前の電動ロクロに器を乗せ、器の高台を削り出していた。

いつも通りだ

手を止めているわけでもない、何か考えがあって言ったことなのか

偶々、思い出して言った事なのか見当もつかないが


「お願いします」


とだけ、条件反射のように私の口から言葉が出た。

これで良かったのだろうか、お金は後で渡すのだろうか

いや、それを今聞けばいいのだけれど、シャンプーとリンスを田中さんは使うのか等と

色々と考えている内にその日は終業した。

田中さんと私は窯元、もとい仕事場に住んでいるのではなく自宅から通っている


後はもう明日に会うことになるので

帰り際に私は、これだけは言っておかなければと思い


「田中さん、シャンプーとリンスよろしくお願いします」

と伝えると


「うん、じゃあまた明日ね」

と、田中さんは、ぶっきらぼうに返事をして車に乗って帰っていった。

あっさりとしている会話だが、こんなものでも今まで無かったことだ。


もしかしたら、とふと思う

私の帰り道は山道で、スーパー等に行くには大回りして国道に出なくてはいけない

田中さんの自宅は仕事場から少し遠いので国道を通る、道すがらお店がある。

そこらのことを考慮しての申し出だったのかなと。


そして、考えてみると田中さんと私は結果的に

同じシャンプーとリンスを使うことになるのではないか

要するに、髪から漂う匂いが一緒になるということだ。

シャンプーが無くなる頃にはまた、田中さんは提案してくるだろう

シャンプーとリンスを買ってきてあげると。

職場の従業員は総勢10名程で若い女性が3名

この3名が何かとつけて男性と男性の恋愛について語る人達なのだ

これは過去、この職場で有った田中さん絡みのある出来事にも起因するのだが…


それはさて置き

この状況だと、ある事ない事で、はやし立てられるかもしれない

いや、確か田中さんはこう言った

「良い匂いのシャンプーとリンス」と

良い匂いとか気にしているのか…


もしかしたら少し面倒なことになるのかも知れない

と嫌な予感を覚えつつ明日を待つことにした。


次の日


仕事場には早めに着くようにした、もし私が始業時間まで間もない時刻に着いたら

シャンプーとリンスの受け渡し時間が終業まで間延びする可能性がある

そこまで引っ張るのは何となく田中さんに失礼かとも思うし

何より今日の作業中気がもたない。


「おはよう、買ってきたよ」

田中さんが居た、いつも早く来ている。

休憩室でお茶を飲んでいたようだ


田中さんが差し出した薬屋さんのレジ袋に、件のシャンプーとリンスが入っていた


「おはようございます、おお、ありがとうございます」

買い物自体を忘れては居なかったようだ、それはそれで気まずいのだけれども

「割と良さげのものですね、いくらでしたっけ?」

と、当初の目的である田中さんと日常会話的なものをする

ということは取り合えず出来ているなと思う

そこで田中さんは思いがけないことを言った


「これは、まあ日頃何もしてないから奢るよ」

戸惑う、こちらもいつも特に何かしている訳ではないというのに気前がいい。

ここは代金を払う払わないで問答を打つわけにはいかない場面だろう。

謙遜しつつもあり難くいただいておくのが良いと判断した。


「いいんですか、折角なので大切に使いますね、ありがとうございます」

田中さんは特に何でもないことだという素振りでレジ袋を渡してくれた


「うん、まあ普通に使ってもらえればいいよ」



その日も終業を迎え、帰路につく

いつもと同じ様な日ではあったものの、

少しだけ田中さんと打ち解けたような気がした。

結局、朝のこと以外では会話と言えるような言葉は交わさなかったが

それでも、田中さんと一緒に作業していても妙に緊張することは無くなったと思う

別に明日から同じ髪の匂いがしようが、どうでもいいことだ。

もし、あの女の子達が変に勘繰ることが有ったとしても

それは間違いなく田中さんが優しい人だったということの証であり

そんなことは妙に田中さんを怖がっていた私への戒めなのかもしれない

等と、自分なりの変な解釈を以って自分を納得させるのは程々にしておこう

なるようになると考えればいいと結論付けた。


家に着くと早速シャンプーとリンスを取り出した。

朝、渡された時にはあまり見ていなかったので、さてどんなものかと

見ると何だか今流行りの、植物性なんたらで結構高そうなものであった

ああ、本当に結構良いものだな

もしかしたら安売り云々じゃあなくて

私が石鹸で髪を洗っていると、女の子に言って馬鹿にされたのを

田中さんは聞いて居て気を使ってくれたのかなとも思う


と取り出したシャンプーとリンスをよく見ると

二つともリンスだった。


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陶芸家の田中さん 絵羽 枝彦 @mosimosi

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