第2話『躊躇いごと呑み込みな』


朦朧とした意識の中、自身と周囲に起きた状況の変化を問う必要がカガミにあった。はっきりしている原因は他でもない自分であるという事だけ。明日を恐れ好奇心に身を任せたばかりに災難と巡り合う。今を捨てる勇気もその決断を下す意思も持てないまま、ただ トラブルへ巻き込まれてしまう最低最悪で望まれない悲劇。既にその一ページは捲られた後となる。


「何、時…………」


じわりと体の回復を告げるように五感を取り戻した彼は左手首に巻かれた腕時計を確認しようと腕を視界の端まで持ち上げようとした……上がらない。

輪の形状をした鋼鉄が時計の代わりにカガミへ繋がれていたのである。同じく右側も、気がついた時 彼は壁へ磔にされていた。

現状に小さく呟いて乾いた笑いをあげるぐらいには滑稽に思えて、先ほどまで確かに感じていた恐怖が麻痺してしまったかのように、クリアな精神を保てていられた。


「……誰か?」


「誰かいないんですか? この辺 照明ついてるじゃないですか」


「隠れていないで早く姿見せてくださいよ。聞こえてるんでしょう?」


「…………あれ、れ」


この声だけが虚しく反響する空間。広い、とてつもなく大きな建物の中にいる実感と共に理由の無い怖れがようやく追いつき 無防備なカガミへ圧し掛かり覆い被さる。不安の中、頬に痒みを覚え腕を動かそうとすれば無機質な鎖の音で自由を奪われた意味を残酷に叩きつけられた。

無我夢中で拘束から逃れようと暴れながら出鱈目に声を荒げてカガミは叫ぶ。呼吸が荒れる、鼓動が高鳴り、体温が気持ち悪いほど熱く、激しく擦れる金属音が抵抗を嘲笑い何もかもを置き去りにさせてくれた。


「やめろ!! おい、何だこれっ!! 何なんだよ、何なんだって!?」


その悲痛な叫びはいつのまにか息苦しさに溺れていた。数年前、同じ様に息も絶え絶えといった様子で窒息に苦しんでいた子を、何処か手洗い場で見かけ介護した記憶はまだ新しい。だが あの子を救う要領で自らに処置を施す冷静さなど現状持ち合わせていなかった。次は「存分に味え」と孤独を念押しされながら天の声にでも囁かれるのだろうか? 汝 救いを断たれた故 一切の希望を捨てよ……震える感情が決壊を起こし始めた。


「――――――誰だって最初はそうだ。見方を変えれば、怯えるというのは生きたいと強く願える精神の表れ」


「っぎ!?」


「泣かないでくれ。運が良いあんたはきっとすぐに良くなれるさ」


唐突に現れた男、彼は興奮に囚われ暴れるカガミを諭すよう肩へ掴みかかると騒ぐ口へ強引にハンカチを押し込む。その首筋へ向かって注射器の針を立てようとしていた。

たったの一瞬、鋭い針の行方を理解した上で思考が停止するや否や死に物狂いでカガミは悶え狂う。目から鼻から体中の穴という穴から体液を垂れ流して男の行動を全力で拒み続けるのだ。そうするしかなかった。抵抗も及ばない彼の前に剥き出しにされたそれ、いや、一体何が目的なのだろうか。その注射器の中身って? …………暴れた。


「怖いんだろう? 中身は優しいビタミン剤、コイツを直に打ってやれば不思議と気分が落ち着く。とにかくは……」


「必要な処方となる。望んでいないにしたって受けてもらわんと困る連中がいるんでね。急ですまないが!」


「――――――!!」


鋭い一撃が眼球から脳へ伝うと吐き気を催す鈍痛と激しいコントラストを視界へ作った。男の肘がカガミの頭部を打ち抜き、がくんと脱力したその頭は前髪ごと持ち上げられる。霞がかった思考回路は抵抗を遅らせ 肩を微動させた時には……皮膚を破った針から何かが流し込まれていた。

口を塞いだままであったハンカチは床にはらりと落ちる。そんなどうでもいい光景を目で追うことが今のカガミにはやっとの想いとなる。なにか、された。首元の不快な痒みを抑えるようだらしなくぶら下がった左手を動かし、拘束が解かれていた事実を初めて認識する。解放された? 面を上げた先に立つ男は呆れ顔で「帰れ」と言うのか?


「ご褒美をくれてやらんと」


「……ポケットティッシュ?」


「街中歩いてると広告で配られるよな。こんな物にまで疑う余地があるか? 親切を素直に受け取れないと損をすると思うがね」


「チョコは食べるか? 好まなくても口に含んで舌の上でジワジワ溶かさせておけ。凝り固まった脳みそが解れる優しさがここに詰まっている」


何なのだこの男は。今更第一印象の悪さを拭おうと慌てているとでも? 同じ血の通った人間とは思えないほど男は極めて事務的にカガミへ取り繕う。どちらかと言えば今は妙な気遣いよりも嘘でもいい表情の変化の方が安心を与えてくれるような気がしなくもない。

さて 見渡す限り冷たいコンクリートの空間の中だ。右手側の通路の先には上る階段が、ならば左手側には下りる為の階段がその先に。天井は高く、暗い。灯りは通路の端々に備えられた非常灯のような物によって照らされていたらしい。自分を捕らえていた場所が部屋ではなく廊下のど真ん中であったという非常識を窺いつつこのひんやりとした肌触りの空気に対しカガミは男へ一つ尋ねた。


「いま立っている場所は、あの大きな冷蔵庫の扉の先で?」


「そうさ、表で見た施設の地下だ。たぶん思っている出口は上で俺がこれから案内しなければいけないのがこの下」


「ふざけるな!! ……何であろうと関わりたくない。従う義務もない……ここを出てからあんたらが行ってる悪事を摘発」


「胸に手を当てろよ、自分の意思でこんな所へ来たのは誰だ? 理不尽を受け入れろと言いたくないがその好奇心が身を滅ぼしたんだろ。違うのか?」


「……せめて、これから俺をどうするつもりか聞かせてくださいよ……でも」


「あのジイさんを追いかけた俺が悪かったって? 危ないって分かり切った上で……意味不明すぎる。冗談じゃないな…………」


「彼はスカウトマンだ。一つの手に拘らず他にも難解なやり方で人材を選んで来てくれる、らしい。俺がこの七年間過ごして来た中で一番理解から遠かった頭の…………あんた喫煙者かな?」


問われると返事より先にカガミの胸元のポケットから掌に収まる程度のソフトケースを抜き取り自らの懐へ。唐突すぎた行動に呆気を取られたカガミは、男の前で挑発的に両手を広げ、「他には?」と皮肉るよう哀れっぷりを自嘲気味に演じてみせた。


「匂いがきつい物は持っていないか。香水つけたりは?」


「いいや……匂いが何で――――うっ!?」


「時間も少ないんでな」


強引に手首を掴んだ男は拒もうと抵抗するカガミの力を容易にひれ伏せる力で階下へ引き込む。

「後戻りすら肯定されないままただ下るのみ」。男の無機質な雰囲気から僅かに嗅ぐわせた感情を悲哀であったと受け取るのはあまりにも自己都合による解釈が働きすぎだ。だが この違和感の正体は一体だろう? 自分の中にある悪人のイメージが極端であるのかもしれない。この理不尽な状況において全ての現象を悪と決め込むのが幼稚だとは言わせたくはないが、そもそも彼、あるいは彼らの目的とは何なのだという問題がカガミの中に大きく確立した謎である。謎は曖昧なまま進められるだけで暗闇に光が差すこともなく、歯がゆい。


「――――もういいだろ。この手 離してくれないか」


「おっと…………無駄話はここまでにしよう。とにかくあんたへ紹介したいヤツがこの先で待ってる。それの監視 及び 抑止が主な仕事の内容さ」


「仕事? 仕事ってどういう意味だよ。頭どうにかなっているんじゃないか?」


「お前ら拉致やってるのか? 海外だと人身売買なんてよくある話なんだろ? えぇ? 汚いよな! 相当エゲつない。絶対同じ人間と思いたくないゴミの中のド屑だな!」


「……正真正銘死んでいい類ってヤツらだ。決めた、死ぬ時はお前ら一生呪って死んでやる」


「入ってくれ」


悠長にも感じる時間を歩いた白い廊下の先にあった扉は、鍵代わりに備え付けられたコンソールへ彼が指ひとつ触れることで開放された。

その室内の異質な様か。

コンクリートの壁に床、そして天井が息苦しさを直に伝えてきながらも辺りへ無造作に置かれてある生活用品の数。その全てが部屋の中央に設置された大きな冷たい鉄格子の籠を中心に囲み、集中している。


「あんたには、しばらくこの部屋で暮らしてもらう。便所と風呂……キッチンは奥に進んだ所にあるんで心配はないだろう……」


「不便は多いだろうが、必要と思った物は気軽に申し出してみりゃ良い。全部が通るわけじゃないが奴らも気を利かせて届けてくれる。身体の状態は月に一度の検査で測ってもらえる。ストレス……まぁ、じき慣れるさ」


男の語るこの奇妙な部屋の批評など毛ほどもどうでもよかった。既にカガミは檻の中へしか視線を向けられていない、いや、向けるしかなかった。理由を問われる以前にこそが絶対的に異彩を放つ正体であるからして……すべからく、彼は声を大にして隣に立つ男へ問い掛けた。


「あの女の子は何だっ!?」


檻の中にいた少女の姿に動揺を隠す間もなく、カガミは男の胸倉を捉えていた。漏れる息は熱を帯びており、返答次第で灼熱の業火を放射する勢いこそある。目の焦点は少女へ男へ、少女へと、平静を保つことなど忘れながらかつてない伏せられた闇を刮目させられる。尋常ではない汗を額から流し、自身がこれから関わらされる陰鬱な体験を予期するしかカガミには、もう無かった。


決して穏やかとは呼べない彼らの様子を彼女はヒンヤリとさせた態度で仲裁に入るわけもなく、ましてや悲嘆に暮れてくれるでもなく、争いの一つや二つ意に介さずぼんやりと傾いている。少女の剥製、あるいは上手く仕上げられた人形であらんとする佇まいが憤っていた彼の時間を止めてくれる。


「…………あの子は、何なんだよ」


檻の手前に置かれた三脚付きのビデオカメラを鬱々と睨み付けながら肩を落としてみせた。もやはこの場へを抱くことこそが疑問であると知りながらも最後に問いを重ねる。解消されない問題の沼の中へ溺れながらも。


「最初に話した通り、あんたが彼女の面倒を見なくちゃならない。……手綱を握る役に選ばれたんだ。今後 全ての行動を見張り、制御する。同じ時間を共有しながら」


「は?」


「否が応にも仕事は馴染むさ。週に一度だけ宅配便が来る。ビデオあるだろ? 録画したテープはその時一緒に渡してやれ、そういう決まりになっている」


「あとは自由だ! 好きにやればいい…………」


「…………あぁ、それから」


「俺はこの子をと呼んでいた。好きなものは蚊取り線香の香り、雑多がある街中を連れて歩くとよく気分を悪くしていたかなぁ」


「意思表示するのが苦手で表情を表すのも下手くそでどうしようもないが、心はある。あまり深入りする事だけはするな。人じゃない」


「人じゃない? おい……それって――――――」


「じゃあな」


一方通行な説明を終えるや否や入って来た扉へ男は後ずさり、制止も待たず彼は扉を閉ざした。その瞬間 言いようもない渦に囚われたカガミは逃げ場のない無へ落とされた恐怖、理不尽へ対する大きな憤怒、どれにも似つかない重苦しく吐き気の催す渦に流される。

閉ざされた扉へ幾度と拳を叩き付けようとも元来た道が現れることもない。振り翳した拳に意味を宿せないまま 我武者羅に ひたすら殴ることを彼はやめなかった。

もし止めたとして、そこにいるのは全てを諦め屈した愚かな自分だろう? 今がどうしようもなく哀れであろうと構わない、認めて敗北する己こそが気に食わないだけだ。認めてたまるものかと扉を叩く拳の強さはより大きなものとなる。


「――――ざけんな」


「ふざけんな……ッざけんなよ。こっちはテメェの都合で人生に汚点つけられるってか?」


「俺の、俺の、大事に組み立ててた色々ぶッ壊しあああああああああ、あああああああああッッッ!!」


「…………おかしいだろ……なぁ!! …・…おかしいって…………思わないか!?」


振り返って見た鉄籠の中の少女は俯き加減なまま返事どころか目を合わせる気すらなかった。まるで人形など生易しい表現も必要に値しないありのまま人形である。呼吸をしているかすら怪しく、白い肌は張って当たり前な青い血管すら浮かんでいないようにも見えた。彼女はきっと綺麗だろう。人間としてかけ離れ、絵画的な象徴を印象づける概念じみた美しさを宿している。正直にだが、彼女をしばらく瞳の中へ捉えているという行為だけで罪悪感に苛まれてしまう程 魅力を超越した気味悪さが勝ってしまう。


「お前、何とか言ってみたらどうなんだよ……薄気味悪い……」


「…………」


「無視かよ――――あ?」


声も満足に発せられない哀れな少女に脱力させながら、抵抗を一時取り止めたカガミの瞳へ映ったのは、立ち上がり、こちらへ歩み寄っていた微かなその変化である。

檻の前に立っている? 呼ばれもしないのに自発的に行動を? 惹かれるように彼女の元まで移動すれば、少し手を伸ばすだけで鉄格子の隙間越しからあの透き通るように白い頬に触れられてしまう。

……温かいんじゃないか。指の先で確かに感じ取れた体温は想像した死体の冷たさを真っ向から否定してくれる。思い切って掌を無防備な肌へ押し当ててみようとしたその瞬間。


「っ……!」


少女がカガミの前で初めて表す感情の揺らぎ。尊いとすら思えた美しい顔は何かを備えた緊張を即座に帯びた。痛みだ。

まるでこれからカガミがこの少女の頬を叩き付けてやろうとでも思わんばかりに彼女の表情は歪んだ。その様を押し付けられ、先ほど熱へ触れた手の行き先に戸惑いながらも強く言い聞かせていた。


「ひ、酷い事なんてしない! どんな仕打ちを受けていたかも俺は聞かされてないんだよ!? これからの事だって……」


「気味悪い、だなんて嫌なこと言って悪かったよ…………女の子だもんな、どんな事情であろうと……ここから出してやらなきゃダメだ」


「待ってて、すぐに鍵 開けるから。錠を壊せる物を探してみるよ。お腹空いてるでしょ? 食べ物なんかも――――」


「――――殴らないの?」


「えっ」


脳裏に焼き付けられたあの痛々しさを印象づけた表情は一変し、そこには人形へと戻った彼女が立っていた。

唖然とさせられながら硬直するカガミへ、冷たく、無気力な眼差しが当たる。反応に困っていた彼を助けるように少女は小さな口を開き、欠けて破れたものを綴るように継ぎ接ぎの話を彼へ向けた。


「そういう指示なの。怒っている時は頬を叩かせてくれたらいい。痛いと思わせられる顔とか、痛いって顔は熱く滾ったオレの心を唯一癒すんだって」


「わたしもあの人も変化って嬉しかったわ。退屈じゃない? 毎日こんな薄暗いところで暮らすのって」


「うんざりしてくるんだよ」


吐き捨てるかのように口から零れた台詞こそ、明らかに彼女の思いを乗せた言葉ではない。影響による完全な模倣だった。


「い、いや……俺は……!」


「そうやって言い聞かされたの。退屈って苦しいから何か少しでもこんな状況を変えられるスパイスがなくちゃ」


「あなたのお名前はなぁに? さしつかえ無ければ是非聞かせて。興味あるの」


「…………か、カガミだよ。キミが、か?」


「素敵な響きだわ、カガミさん」


「さん、は要らないよ……アオハ」


「カガミ、あなたはどうしてわたしをアオハと呼ぶの? たぶん呼んでくれているんでしょうね」


「いや、キミは自分の名前がわからないのか? 俺に色々と押し付けていったアイツはキミをアオハと紹介してくれた。……そんな事より」


「そんなに焦った顔してどうしたの、カガミ? わたしとの生活が不安に思えるなら心配要らないわ。わたし別に困っていないし」


「そうじゃない! お前は自分が危うい奴なんだって思った試しもないのか!?」


「こんなの異常だ!! どうかしているっ! 分からないのか、この意味不明さが!? 外へ逃げたくはないか? 逃げようって思うだろ! そんな事考えられないぐらい酷い目に合ってきたのか!?」


「悪いけど質問が多いとどれから答えていいのか迷っちゃう」


「おかしいって言ってんだろ!!」


「……なぁ、俺はこんなのは望まないんだよ。いきなりこんな女の子の世話を任せられて……わかるか? お前は……」


「カガミ、あなたって不思議。わたしを殴らないんだもの」


「……畜生」


「ムシャクシャ、っていつも言ってたわ あの人は。それを晴らすのに一番なのがわたしへ乱暴を振るうことでしょう?」


「だから、殴らないの?」


「あぁ……アオハ、彼はきっと心の弱い人だったと思う。何かに平気で暴力を振るう神経を理解する必要なんてない。これから教える言葉をゆっくりとでも良いから受け入れてほしい」


「過去に縛られないでくれ。弱い奴は淘汰されるべきだ」


「俺は、出来るだけ 君を理不尽から遠ざけてやりたい。だから――――」


「えっと、カガミ。こんな時 わたしはどういう反応していいか学んでないけれど……これが一番最適かも」


「はじめまして、アオハ って気安く呼び捨ててくれて構わないわ」



『人じゃない』 ……彼の残した言葉の意味を知る術など、必要だと思わなかった。




――――――――――――――――――――――――――――




地面から足が離れて行くようにこの心は、不確かで不鮮明な思いに支配されていた。

蛍光灯に淡く照らされた古いアパートの廊下に立ち、錆びついた鉄柵へ肘を置いたヤヒロは思考を一旦止めた。見下ろした先には庭で鬱蒼と生い茂った雑草の数々、耳を傾けなくとも嫌でも聞こえてくる不穏な音。今頃テレビのチャンネルはほとんどニュースの緊急速報で埋まっているのだろうか。

つい先ほどまであの場所に自分と彼女はいた。頼んで頬をつねってくれるように言ってみようか? 多少は実感の片鱗を味わえるかもしれない。


「気持ち悪い……」


まるで祭りのあとだと思い耽るように流れる時を気にした。携帯電話の液晶画面に表示された時刻は既に午後十時を回っている。着信履歴もなければメールの一通も届いてはいない。帰りにゼンヨウジへ顔を見せれば呆れて大きな溜め息を吐かれてしまうだろうか? イスノキは? 今の彼へ電話を求めて答えてくれるだろうか。

事件から数時間後、彼らは――――――


「先輩、もう上がっていただいても」


「そう? ていうかアキマル 機嫌悪くない?」


背後の扉が半分開かれると、そこには制服の袖を捲り上げて大きなゴミ袋を両手にぶら下げたアキマルの姿。気遣い程度に扉を足を雑に使って大きく開けたヤヒロの横を小さな彼女が肩を怒らせ行く。すれ違いざま、「くそ野郎」とイラ立ち交じりに呟いてみせたその表情からこの室内へ足を踏み込む勇気はどうにも揺らがせられる。


……宅配ピザの空き箱がタワーになって壁に寄り掛かっている。

生活感を感じられるとでも呼んでおけば聞こえは悪くはないが、これは尋常ではない。最悪の城へと変貌を遂げた住まいの在りようだ。

台所には黒いカビが張った食器が無造作に置かれ、辺りには空き缶や瓶が砂浜へ流れ着いた流木よろしく散乱していた。あり得ないだろう。夏場の地獄絵図は想像するのも身の毛がよだつ程だ。これなら外で待っている方が幾分ましなぐらいだろう。


「と、トイレ借りまー……わああぁぁ!! ここで糞しろって死んでも無理っ!!」


一先ず判断できるのが家主の生活力の無さ。掃除、片付けといった当たり前は頭の中から廃されているのが理解できる。どう解釈を重ねてみようとまともな人間がこの先で構えているとは思えない歓迎を受けながら薄暗い台所に再度立ったヤヒロ、微かに灯りが漏れる戸へ手をかけ躊躇の色を顔へ浮かばせながら開け放つ。


《 キューティークリティカル値・オーバー120%!? バカな! かさかさに乾き果てた肌が艶々に変わってゆく!! これが… 》


《 そう、ワタシの能力に限界なんてない証拠! ありのまま証明してあげたわ 魔法は困っている誰かのためにある素敵な力なんだって! いっくよー! 》


「ぁ……あ!」


《 はああぁぁぁぁ! 届いてわたしの描いたドリーム! 汚染獣コナフキン、あなたのスキンをキュキュっと―――――― 》


「耳障り」


「アニメ好きなんだ、でも ただアニメってだけじゃ刺激に結びつかないよな。昨今じゃあ目で楽しませるより、耳で惹かせる事も重要なんじゃないかって感じる時あるんだよ。こうやってながら見視聴者も多いんだろうから……作品に向き合っていない? ボクは批評者じゃないんだよ。娯楽は娯楽としてそれを楽しめる人間の一人でしかないんだ。不満はあれどネットにわざわざ不満を巻き散らす行動に移ろうと思うほど暇じゃないし、愛は深くはない。好きの反対は無関心だろ? 道理に叶っていると思うんだボクの有り様って」


「共感してくれる? そこのお兄さん」


「…………アキマルちゃんから俺に会わせたい人がいるって聞かされて流されるままここに来ました。お邪魔してます」


「状況とか意味とかもうワケ分からなくて、俺としてもハッキリさせたいなって思いながら、来ちゃって。……テレビ、ニュース見させてもらっていいですかね?」


「まぁ、その前に一つ聞いてもいいかい」


「え? まぁ……」


「 その首 大人しく差し出す 覚悟 あるんだな ? 」


小太りで無精ヒゲを生やしたその男、はモニターに囲まれた机から離れると傍に転がされていた酒瓶を手に取りながらこちらを睨み付けていた。鋭く憎悪の宿った眼差しはいとも容易くヤヒロを危めてくれよう殺意を存分に漂わせながら、壁に瓶を叩きつけ、その切っ先をゆらりと突きつけてイセミは言葉を呟いた。


「眷属」


、あの時 アキマルも同じワードを口にしていたのは記憶に新しい。

一部での呼称だとごく自然な形で説明されたがその意味まで理解させてくれる猶予も教えも欠いていた。

未発達な……仲間の生き血を好む…………仲間。


……気を悪くしないでくださいね。狙われているのは一人かも、って。


…………狙われたのは、誰だったのか。


あの瞬間 迷われることなく バケモノへ 選ばれたのは 誰だ。


「デナイアルとかいう鬼の事をあんた知らないかっ!?」


振り翳された瓶が目の前で静止する。即座に瓶は横へ吹き飛び、壁へ当たって弾けて砕けた。ガラスが砕け散る音とともに膝を折ったイセミは突然顔を手で覆いながら荒くなった鼻息がその手の間から漏れ出す。

凶器を構える相手を対面するのが二度あったという日は命ある限りこの一日だけでと強く願いを込めながら呼吸を整えながら、制服についたこの部屋の埃を払った。

何にしても、このイセミという男がデナイアルの名に反応を示してくれたというだけで後輩女子に誘われた甲斐はあったというわけだ。気に食わないのは自身に謂れのない称号が与えられたのと仇名す関係が生じたこと、アキマルとは運命の人らしい。


「あの胡散臭い赤鬼だ、特撮やアニメで出てくる怪物チックな変態野郎! 俺たち アイツとついさっき会ったんだ。 知ってるんだろ?」


「……正真正銘、彼はデナイアルを名乗ったんだな」


焦燥する瞳でヤヒロを写した彼は、うんの了解も待たずに開きっぱなしのままであったカーテンを思い切り良く閉め始める。窓という窓 全てへ鍵をかけ、幕を引きながら指示を叫ぶのだ。灯りを消せ!


「とんでもない名前聞かせてくれたな お前!? 関わり合いになんてなりたくなかったのに。こっちが何の為に隠居していたかお前には分からないだろ! ボクと一緒に死ぬか!?」


「そ、外にまだアキマルちゃんいるけど!?」


「ボクが外へ出る 君は一歩も出て行くなッ!! 奴は」


「…………外に出られてどんな不都合あるのさ?」


「イセミさん、俺はここへ話を聞きに来た。夢みたいだけど何かおかしなことが起きているんだって目の前で見せ付けられて、信じた。知り合いが関わっているのも薄々感じてる。だから詳しい話を聞いて理解を深めたいっス」


「覚悟あり。で、色々知りたいなって思うんですわ 俺」


「――――――自分が何者か、という含みを持たせてという意味でしょうか」


「何故 私から命を狙われるか? あの化け物と対峙した時、なぜ真っ先に獲物として狙われたか? お友だちの正体と関係があるのか? ……それは簡単。一繋ぎ」


「ヤヒロ先輩、あなたは眷属。あれら化け物と同等の血を体に宿す人ならざるモノだからに決まっているじゃないですか?」


「お前は何でそのゴミ持って帰ってきちゃったの?」


地区に関するゴミ収集日程表をアキマルが提示してつべこべどうのと言い訳を展開させる中でゴミ屋敷の当事者である彼が改めて玄関の鍵を閉ざし、震えた吐息を吐くことすらままならない様子で床に転がったアニメキャラクターのいかがわしい姿がプリントされた抱き枕をヤヒロへ蹴飛ばす。禄でもない態度を見せ付けられながら、イセミが顎を使って指示する通り大人しくそこへ腰を落としてみせた。壁を背にして胸の前で腕を組んだアキマルから一瞥くれられると、ようやく。


「イセミ兄さん、こちら ヤヒロさんです。一連の流れから理解してもらえた通り 彼は疎いというべきか無自覚なまま人として暮らしていました」


「……はー、この、兄さん?」


「腹違いの兄妹です。お互い、自分たちの存在を知ったのは まぁ つい最近の話というべきか、偶然を装った必然みたいに巡り合えて」


母体差なのか? 醜美を並べたところで彼らに同じ血が流れているとは到底考えられないが、複雑な家庭事情に辟易させられる間もなく覚えたての名を口にしたがる兄が下手に割り込んでくる。


「貴様、ヤヒロくんは……いや、やっちー」


「今すぐ呼び方変えようぜ、戸惑うから」


敵扱いされた身としては まだまだ距離感を感じさせる間柄を示して欲しいものだ。


「ボクは いや ボクたちは君を危険だと確信している。これは経験からだ」


「君がボクらへ友好的だろうが話は別だ。君という立場を一切信用できない。話をしよう、与えるもの 与えられるものという関係がある。親と子、果てには老人と野良猫。単刀直入に言えば欲を補おうとする形で両者間にバランスが生じる。君は河川敷に放られたダンボール箱の中で哀れな子犬を見つけたとしよう。気が付けば皿にミルクを盛ってそれへ施しをやっていた。何故か? 心に宿す愛へ疑問を感じるのか? 哀れすなわち愛へ直結だ」


「一方で……コイツよく知らないけど餌をくれるなぁ。それは親鳥がヒナへ虫を捕まえてきてくれるように容易く刷り込まれるイメージ。無償で与えられる幸を否定するのって難しい。故にそれら思考へ刷り込まれてしまう、コイツ 自分を守ってくれているのでは? 守ってくれているに違いない! 好き! ラビュー! グッドラブ! メット五回ぶつけてみたりブレーキランプ踏んでみたり、なんか暮らしていける気がする、この人となら!」


「……ダメだこりゃあ。あーあー! 結論が何だってー!?」


「悲しいまで愛に順ずる庇護欲も寵愛すら持たないのだよ、貴様らは」


「隣人を否定しながら己の存在のみ保ち、我が道を往くだけの人ではない何か。あわよくば餌を与えてくれる老人を出会い頭に殺せる畜生の道を…………もう一度だ、人じゃない」


「与えるもの 与えられるもの。いいか? 単なる比喩なんかじゃないぜ。ボクらは補い合って生きている共生体なのだ」


持論を展開させながらデスクトップPCの前に向き直り、手に取った2リットル容量のペットボトルの中にあった麦茶を勢いよく飲み干した彼がげぷりとおくびを上げながら、モニターを抱えてその画像をヤヒロへ突き付けて見せたのだ。

瞳の中へ飛び込んでくるのは、辺り一面が白と無で統一された部屋を塗り潰すよう線と飛沫、そして床に散乱する砕けた肉、裂けて千切れた肉の数々……何よりも目を引いたのは何かを踏み潰し、持ち上げた足にねっとりと付着されたうす黄色い粘着質な液を指で掬って舐め取ろうとした……赤鬼。


「これ、アイツかよ?」


「そうだ、忌むべき過去があった。当時の防犯カメラが撮り続けた映像の一片だ、今も鮮明に残っているのはこれぐらいでな」


「こんな物ばかりが証明を果たす証拠であるとは言い切れないが、状況を思い返してみろ。そして認識しただろう。デナイアル、いや、眷属は 奪うものにカテゴリーされる」


「相容れない。人類の観点からは、良くて事故あるいは天変地異だ」


淡々とした、波が立たない抑揚の失われた口調、イセミの瞳に写る漆黒を思わせる色はヤヒロの口を閉ざさせていた。自由に生きろと告げれたまま 思うように日々を過ごして来たが、これまで恨みという恨みを買うという経験は皆無だった。この心地を例えようならば ぬるま湯につかり続けていたまま気持ちよく遊泳していた途中、容赦の無い明確な意思を持って銛を打ち込まれたのだ。不味い。

獲られる、俺の命が。


「……その眷属っていうのは」


「本来の異称は、神聖なるモノの血を体に巡らせし者。神道における神使しんしのニュアンスを含んでいると私たちは教わりました。お友だちだったイスノキさんのあの姿と力は覚えてるでしょう?」


「何で過去形だよ。嫌味か」


くすりと笑みを零したアキマルはそのまま口角を上げ、挑発的な態度でヤヒロへ接してきた。待ち侘びていたのはこの笑顔ではないというのに。妖艶に微笑む彼女を横目にしながら強く握りしめた震える右手を左手で庇い、心中を悟られまいと強く願いながら、ゆっくりと、言葉を連ねる。


「まずは原因からが説明の基本だと思うんだけど?」


「正しいです」


「説明しましょうか、すべてを。どうしてあなたがここにいるのかも、答えは全てあの時に決まっている。あなたが……私の提案を呑んだから……」


「ですよね? ヤヒロ先輩、いや」


「従僕」




――――――――――――――――――――――――――――




『――――お前みたいのが?』


『笑うよッ!! 最近は化け物人生相談所なんて開いてくれてるんだな、捕って食われるよか良心的で皮肉の効いたアイディアしてるぜ!!』


腕の翼は見掛け倒しの飾りと思うのか? 刃として扱うのは、意外か? この野郎が。


慣れた動作、角度、速度、息をするように感覚で身に染み込ませた彼の猛り立つ殺法に 涼しげな態度で赤鬼が応じてくる。

素早い一撃すら軽く往なされ 羽根を撫ぜられ、足を使えば呼応するように赤鬼が同時に蹴りで妨害を働き、いや まだ踏み込める。果敢に肌を切り裂かんと翳す左腕の羽根の存在が 一瞬を欺いた、が。


『それでこそ価値を見出せる』


『って!?』


顔面を捉えんばかりに力任せで突き出した拳は空をなぞっている。勢い余ってよろめいたイスノキが振り返れば、人間の真似事かと疑いたくもなるその歪んだ表情。確かに笑っていた、鬼は。


『最高の質は常に保たれなければならない。こけ脅しが通用しないのであればどうするね?』


……掌の上で踊らされている。


咄嗟に翼を大きく広げ風を切り、敵の目を晦ませながら飛翔したイスノキは足の爪で掴んだ瓦礫の欠片を頭上目掛けて落下させる。直下で難なく横へ避けようと動いたデナイアルに対し蹴りを放つが空振り、地面を蹴って飛行へ移ろうとした彼の足首が鷲掴みされた。逃げ悶えるイスノキをぐっと自分へ引き寄せ 青く輝いた眼光で嗅ぐように全身を精査してくる。痛み以上に纏わって離れない気持ちの悪さがグツグツと濁った苛立ちを煽り、必死の抵抗と化した。

暴れる翼から離れて宙に舞う黒羽の数々はデナイアルの頬をくすぐる。


『話したばかりだろう? 思考を止めるなと……足掻けば――――』


「イスノキッ!!」


『が は…………っ…………』


無残に、アスファルトへ叩きつけられる自身へ飛ばされてきた声の正体に気付くまで十秒以上は掛かっていたかもしれない。ボヤけた景色の中であの女に転ばせられる相棒の姿を追った。どうか神様あのガキへ残酷な鉄槌を。


『少々手荒な真似をせざる得なくなる。どうだ? 君は私との力比べに負けてしまった。こんなにも容易い……』


『ま、まだぁ……が…………ッ!!』


痛みにのたうち回るよりも早くこの手は赤鬼の足元へと伸びていた。うつ伏せになったままアスファルトの上を這い、上下左右に揺れる視界の中、止めどない衝動に突き動かされて…………黒く鋭い獣の手は、かつての人の色へと回帰しつつあった。


『悲しいが、いくら闘争を求めたところで君の限界はここまでだ。大した満足にもならないだろうがね』


目の前で屈み込んだ赤鬼に髪ごと頭を持ち上げられながら、不気味な瞳と視線が混じり合う。じんわりと額から吹き出て肌を伝う液体の感触に嫌悪しながら、黙り込む。地面へ流れ落ちた汗はほとばしり、黒い染みの群を今も作り続けていた。


「っー…………!」


『それで良い。恐怖は生命を維持させる重要な感覚だ、それを捻じ曲げ機能を止めてしまうなど実に馬鹿馬鹿しいと思わないか?』


『そしてこの生命は 私の手の中にある。私のさじ加減一つで君は……どうする?』


初めから実力の差は明らか、足掻いたところで足元にも及ばないと理解させる為に彼は交戦に応じた。冗長だと吐き捨てたくもなる。デナイアルが示して見せた道を否定することは決して叶えられないのだから。どうして? 残酷に死の淵へ押し出されてしまった故に? 否、イスノキ、彼が守るべき人が傍にいてしまったからだ。


「このクソ野郎っ! おい、待ってろ! いま助けてやるから!!」


『俗っぽいのは中々嫌いじゃないよ。しかし、囚われ過ぎて前が見えなくなる傾向がある』


『俄然、嫌うね』


『よせ止まれッ!! …………頼むからさ、止まっててくれよ」


放たれた矢のように踏み込んだヤヒロの足は望むままその場で静止した。真に迫っていた表情から一変し、不穏な予感に血色を青ざめさせている。瞳孔の開かれたままこちらを凝視し続けているのは興奮までも落ち着けさせられていない情態なのだろう。

友の頭蓋を握り潰さんと筋肉を張ったデナイアルへ対する、理不尽の怒りは。


『あぁ、知恵を振り絞ったな。次は君だ、どうする。賢い友人の忠告を顧みず思うがまま 私をブッ殺してみるか?』


「黙ってろっ!!」


「そいつを放してくれよ、あんたに従う義理なんて無いんだ。頼むから……お互い穏便に行こうじゃねーか……」


『無理だな』


一瞬の躊躇いもなく人の形へ戻ったイスノキの頭部が地面へ叩き付けられた。散布した血液は生々しい音を帯びて足元に跳ね、飛沫と化した行方を追おうとしたところでヤヒロの中のナニかが切れて、決壊する。


「うわああああああああああああああああああああぁぁぁぁーーっ!!!!」


握りしめた拳はその頬を掠めるもなく横を通り過ぎる。小さな喜びを息に吐き出すデナイアルを睨み付け、振り返り様 蹴りを放った。顎を砕かんと打たれる一撃は片手で軽々と払われ、体は錐揉みしながら地に伏される。ヤヒロの悶える様にこの場が熱狂した観客によって囲んでくれているよう 両手を大きく広げ、自らの強さを誇示しながら鬼は不敵な笑み声をあえて零すのだ。


「てめぇッ!」


すかさず立ち上がり、跳び付いたヤヒロはその背へ跳ぶと組んず解れつになりながら羽交い絞めにした鬼へ声を荒げて首に噛み付いてみせる。ため息混じりに腕を後ろへ伸ばそうとしたデナイアルの手から血飛沫が上がる……アキマル?

彼女が手にしていた、いや、いつのまにかスリングショットが備えられた篭手がアキマルの右腕に取り付けられている。発射した弾が敵の身体へ損傷を与えたのを確認した後 次弾を太いワイヤーと共に引っ張り上げ追撃を撃ち込む。

注意が反れたと同時、上手く犬歯へかかった管の感触に飛び切りの憤怒を込めて引き千切りにかかったヤヒロ。野生を彷彿とさせる激昂の最中、アキマルは制服の懐から細長い鉄の杭を取り出す。

それは見る者へ同じ違和感を与える奇怪な形状をしていただろう。

杭は、プラスドライバー形状の先端部に小さく釣り針じみたが施されており、攻撃性の高さを思わせる。ならばこの塊を撃つ媒体となるものは。篭手の形状をワンプッシュで、歪・勇猛な鋼鉄メカニカルな変形をさせながら化け物へと駆ける少女。


≪ Lock And Load……Get Ready ≫


デナイアルの胸部へ向かって突き出された篭手はガコンと重みを乗せた駆動音を打ち鳴らす――――ッ。


「食らって、竦んで! 滅びろ! 外道ォおおおおおおぉぉーーーーっ!!」


《 RADICAL -インパクト- !! 》


『何っ?』


《 Oh~ , My God !! 》


篭手から発せられた機械音声の後、雷鳴に等しい耳を劈く壮絶な筒音が周囲に轟く瞬間、アキマルの篭手から炸裂した杭はデナイアルの横腹を抉り取り蒸気を発して発射口から砕け落ちる。……このままでは、制動効かない力だ。先ほどまでグリーンを発光させていた篭手側面に直線型で走らされたLEDラインライトが赤へ変わり、アキマルへ弾切れの意味を暗示させる。


「……あ、危ねェーよ!! ていうか今の何だよ!?」


「気にしている場合なんですか。狙いが逸れました……ドこン畜生がよ」


『…………いいや、見事だった。この傷は思った以上に不快で気に障る』


傷をさすりながらも依然として尊大な態度を改めず、滴った血液を人差し指で受け止めると親指を使って感触に心躍らせているではないか。言葉の意味と裏腹に。


の肌を直に貫いて破ることを可能にした、か……遂に実現させてくれた』


「先輩、これ以上ヤツの減らず口を叩けるガラクタなんて残されていません。どうしたいですか? 勝てません。意見を聞かせてください、なるだけ早く、さぁ――――」


自らへ傷を負わせたアキマルの武器へ恍惚と感想を一人述べ続けるデナイアルを尻目に絶望を前提とし、訊ねられる。当の本人といえば便利なビックリ機能満載な対抗手段をゆっくりと、慎重な動作で腕から取り外しながら小脇に抱え始めていた。土下座でもして必死に許しを請えば次の朝日を拝める? どちらにせよ無謀な企みだと見え透いた自分たちは鬼から惨殺されてしまうだろう。ならば、天を仰ぎながら倒れたイスノキを犠牲に走れと? この場で一番に執着を向けられている彼を置き去りにして……天を仰いで。


「――早くして!!」


腹を括る。アキマルが抱えていた篭手を引っ手繰るように奪いながら、ヤヒロは再度デナイアルへ歩み寄っていた。

篭手とともに両手を小さく挙げながら彼の元までたどり着くと、それを放り捨てながら正面で青く残酷な眼差しを受けて立ってみせる。反応を待つ前に膝を付き、力の抜けたイスノキを肩に背負い、踵を返したところでようやく一声浴びせられた。


『私をコケにしようというのかね?』


「お眼鏡に適わないなら容赦なく背中を……ッても、こっちは文句無いんだぜ。要らないのか?」


「そう遠くない未来、コイツはお前ら全員まとめて根絶やしにする脅威に変わるぞ」


「インカネーター、いや、眷族……デナイアル」


空いた手を即座に制服のポケットへ突っ込みたくなる気分だった。似合わないポーカーフェイスは敵へ見せた背中に隠しつつ、備えていたアキマルへ瞬き連続からウィンクの意思疎通を図れているかも怪しいアイコンクトを送り続ける。気付け、気付いてくれ、バッチリ覚悟で迫真の演技を決めて来たこの俺の意図を。芯の通った身体に突き刺さる氷柱を強くイメージさせる緊張に包まれながら、まだ息のあるイスノキを運ぶヤヒロ。

ダメだ、殺される。…………振り返るんじゃない、一瞬の躊躇がすべてを滑稽に変えるのだから。


「なんて、ことを……してくれたんですか」


お?


「血潮にかけて開発を重ね続けたイグナイトシステムを手放すだなんて……」


『イグナイトシステム? これはこれは、名付け親の顔を浮かばせてくるセンスがある』


の継承だな…………面影がある』


「黙れ!」


「あなたバカじゃないの!? ねぇ、何とか言ってみなよ! そんな化け物助ける為に差し出した代償の大きさってわかる!?」


「……イスノキは替えの効かない俺の大切な相棒だ。絶対に失えない」


途切れとぎれに、笑い声が木霊する。

顔を抑えて肩を震わせたデナイアルが転がる篭手を拾い上げたのを見送ると、アキマルがヤヒロへ目配せしながら後ずさり、構えた。

小さく頷いた彼女を確認してから背負っていたイスノキを強く揺する。呼応して目を覚ました彼は紅く眼光を光らし 程無く黒羽の獣へその身を変貌させ、雄々しい翼を展開させたのだ。


「アキマル!!」


足が地面から離れるや否や味わった経験もない重力の抵抗を全身を通じて食らう。通り過ぎようとした影の下に待機していたアキマルをぴんと伸ばした両足に掴まらせながら、緩やかに地上から離れて行く事態に鼓動を高まらせながら腕を組んで見上げる鬼へ向かって叫んでいた。


「ハッハー! 鬼さんこちらぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


『…………悪いけど結構限界あるんでさ、長くは飛べねェかな』


「あの、これから私が言う場所まで運んでくれませんか?」


『あぁ? うるさくて聞こえねェー。お姫様特権でどうぞご自由にってな。アニキ』


「…………も、もうダメだーって思ったんだ。なのに お前いつのまにかさ、上向いて倒れてるんだもん! バカっ、ゾンビかよって! この野郎!」


『まぁ、死体だって寝返りぐらい打つかもしれねーよ。ていうか』


『……兎にも角にもそこの文学少女が一芝居付き合ってくれたお陰というか、癪だけどな』


目に写るもの、耳に届くもの、利用してやるしか方法は残されていない。文字通り生死を賭けてヤヒロはあの瞬間 ペテンに挑んだ。大きな違和感を得られたイスノキの状態。何よりもそれに気付かせてくれたのは彼女、アキマルの一方的な問いかけ。デナイアルへ唯一対抗できた篭手をただのガラクタ呼ばわりとは。一度は息の根を止めにかかった相手へ提案を求めて状況を任せるのか? ヤヒロが導き出した答えがありのまま現状だった。


「残念ながら明かした内容は事実でしたけれど」


「あん?」


篭手アレを上手くバラせるのであれば機構を元に根本のシステムまで辿り着くのも時間の問題じゃないでしょうか? ……冗談ですけれど」


目下、逃げ惑う群集の姿に彼女は小さく舌打ちしながら、提案する。


「もう少し場所を高くして飛べないんですか? 大騒ぎの後なんですけど。理解していますよね」


『責任持ってこのウザくて小便臭いガキに立場教えてやれないっスか?』


「まぁまぁ! ガソリン代奢るからよぉー!」


『ハァ? あんた、俺を…………こんな場面で訊くのは卑怯だって自覚あるけど、実際どうなんだ?』


答えるよりも先に見上げた変わり果てた友人の姿。風の切る音とともに静寂の一時を齎し、瞳だけギロリと動かした彼へ精一杯だらしなく微笑んだ。


『……答えになってねーよ、そんなの』


「待って、あっ、ごめんなさいやっぱり。人に見られています!」


「マジかよ! おいおいっ、冗談抜きで明日晒し者か!?」


『言われんで、も――――――――――――!?』


アキマルに従って無理にでも上昇飛行すべきであった。数秒にも至らない目視の瞬間に行動と結果は決着している。

視界へ飛び込んできた複合商業ビル、フロア内にいた人間がガラスを椅子か消火器で強引に破りながら外へこの一人を炸裂させんとした。無作為ではない工作活動は人の域を超えたイスノキの目へ正しく鮮やかに行われていることが理解される。

この身に刻まれた意思を阻むことなく 投げ出された身体へ弾丸のように突っ込み、手をさし伸ばした瞬間、叩き込まれていた。


落下の推進力を得て爆発した猛打はイスノキの頭部を打ち抜き、墜落させる。

絶叫…………振り解かれたこの手は明後日の方向を向きながら足にしがみ付いていたアキマル共々、ヤヒロは宙を舞った。捨て身覚悟で手繰り寄せた彼女を腕で包みながら 自由落下に任せて重力の抵抗を受ける。そして、一足先に下へ墜落させられていた友人の元へ立っていたのは、あの――――――。


「ぐっえ、あぁッ!!」


不幸中の幸いとも呼べるだろうか。落下先には鉄の屋根、SUV車の天井の上……それでも、生きているのか。これが運良くと呼べるだと? 衝突の影響で感知し、響き渡った車の盗難防止ブザーが増々と訴えかけてくる節々の痛みと嫌味に調和していた。腹の上で意識を失ったアキマルに捉われながら、触れたこの温かみから離れた手は自在に動かせるものだと時を経過させながら感覚を取り戻していく。


『――――空を自在に飛べるという利点がどうした。紛い物の翼で空の王を気取ったつもりか? 執念深さを知らないのなら教えてやる』


『逃がれられると思っていたのか?』


抉られた腹の肉が、傷が完全に塞がっている。人知を超えた怪物に相応しい驚異的な回復力とでもいうのか。傷一つ残されていない真紅に染まった身体は陥没しヒビの走った道路へ転がるイスノキを肩へ担ぎながら足元で散乱する砂利を踏み鳴らしている。

見間違いでもなければ、ビルの窓を破って飛び降りた男が刹那に赤鬼へ姿を変えてみせた。あの短時間で追い抜かれた? 奴にこちらの飛行速度より勝った先を往くスピードが? ……呼びかけられていた。


『意識はあるんだろう? ここに転がっていた鳥にじゃない。君だよ、話しておこうと思っていたことが一つあってね』


「…………っ、ぎ」


空いた手で埃を払いながら怪しく青い眼光を輝かせたデナイアルへ頭を上げながら二つ返事で睨み付けるヤヒロへ人差し指を立てる。


『たった一つだ、君に合ったストイックな方法がある。我々で根競べといこうじゃないか』


「…………お、まえ……何なん……だよっ………………?」


『私がこれから責任を持って彼へ教育を施そう。自由に想えよ、解釈は自由なのだから!』


『ッハハハ #ハハ ハハハ ハ%ハ ッ!!!!』


『おいで、精々意地になって追い回してくれたまえ バケモノ――――――』


ゆっくりとこちらへ背を向けて歩み去る影を追いかけて掴まえようと手は伸びた、伸びていたが、現状ありとあらゆる手段と策を練ったところで否で返され続けた心は彼の想像以上に疲弊し切っていた。この手が震える、揺らぐ景色の中 連れ去られた親友の姿にヤヒロの中へ小さな火が灯された。

否定の名を強く記憶に刻みつけながら、今はか弱い少女でしかないアキマルを抱きかかえ 車の屋根から慎重に降りて立つ。…………目が合った。

誰と? 個人ではない。複数多数のその場で立ち往生していた人々とだった。


デナイアルの去った後、緊張が解けたのかスマートフォンを取り出し始めた諸々に構うことなく足早に注目の的から外れようとすれば、一人の初老の男が恐々と心配を投げかけてくる。それに倣って若い女が、また一人、一人と、ヤヒロたちを囲んで行く手を阻むのだ。


「わ、私はスルギという者だ。怪我をしているんじゃないか? すぐにその女の子と一緒に病院へ行こう……」


「あたし……ううん、今見たのって冗談じゃないと思う。助けてもらおうよ。逃げてったアレが気がかりなら大丈夫だからね」


「通報したんだろ? 心配しなくてもすぐにあの危ない奴は特定されるって、な?」


「誰かさっきのコスプレ男の情報掴めてない? 名前は?」


「あー……画像検索で名前が出てこないよ。この写真じゃIDが判別できないんだ」


「え、顔はバッチリ写ってるけど。……【NO-NAME】?」


「何コレ?」


……どいつもコイツも有象無象に取り乱す。周囲でまだらに鳴る撮影音と微かなフラッシュ、その目は注目を止めず沈黙に押さえつけられていた熱はあがった。


人を、個を尊重するあまり あの日から この国は 垣根を無くしてしまった。

手元の端末で目の前にいる人間の名前や不特定多数から書き記された特徴を第三者への情報源として容易く取得できてしまう。国民による姓の撤廃、重複される呼称を禁じる案、既存の住民登録者もしくは生後一ヶ月以内の育児への命名を国の管理下へ託さなければない。国民は肉親から名付けられた元々の呼び名を失い、まったく新しいこの世に一つとないネームを与えられる。個人の情報取得が容易になされ、加速されんと懸念された不法行為は 国民による国民の為の公共への監視、摘発、教育とその圧力、文字通り我々が唯一無二と化した環境下で大きく作用し、この抑止へと昇華されながら社会のフェーズは繰り上がっていた。その背景にあるのは×××と隙の無いネットワークの大きな浸透がある。


「彼女をこっちに。君は、ヤヒロくんかな? さぁ 急いで!」


「救助ももうすぐ到着するって……良かったよ、ワケも分からないで逃げ回るなんてもうご免だ!! 見たよな、あの光っ!!」


「燃えてるんだぞ!?」


その言葉で急に肩を痙攣させられたヤヒロが空模様から察する。月明かりに照らされた黙々と立ち上がる煙に、炎、絶命したと思わしき人であった何かたち、事の重大さを認識させられながら顔を伏せて通り過ぎようとすれば肩を強く掴まれ振り向かされていた。


「私たちは何も聞かない……一緒にいこう」


「……俺たち、オジさんたちと一緒にいたらきっと良くないと思う」


「ヤヒロくん?」


「ごめんなぁ、ありがとう。でも もう行くから……怪我なんかしてない。大丈夫だよ………………ふぅ」


「ハイハイハイ通して通してー! 皆さん通させてくださいよー! どいてどいてー、退け~、退いてくれ、退けって! 退けっつッてんだろうが!! 邪魔だ!! 道開けろ!! 」


慈恵の意を持って差し出された手を振り払ったヤヒロは、雑踏の中を一直線に駆け抜けた。見下ろした腕の中で相も変わらずと眠り続ける重みに対し、倦怠感を帯びた彼のこの眼差しこそ昏倒一歩手前を内含させているのだろう。

揺らめき、かろうじて前進を続ける足取りで人通りから離れてゼンヨウジに借り受けた自身の住まいであるアパートへ向かおうとしていた。今の具合を必要以上に干渉されなければ贅沢なんて言わない、とりあえず一息吐ける場所であればどこであろうと構わなかった。俺に話の整理をする時間を与えてくれ。難しい希望なんかじゃない筈だろう、一晩大人しく寝かせて欲しいだけ。それなのに、なのに奇妙だ、何故だろう? 血が足りないと思う……血が……。オレは飢えに悶えて軋みを上げている。血が、騒ぎ立てている。冷めない怒りに沸々と熱が昇った頭はヤヒロ自身へ脳から分泌された興奮剤を投与し続け追い込み、何をすべきなのかと問いを重ねては鞭を打つ。

電柱にはぶつかって、躓いて、側溝に足を取られて、それでも止まない声から逃れようと前へ進んでゴミ箱を引っ繰り返して、アキマルを道に落として、彼は今にも力尽きそうな瞳の光を辛うじて点して、そうして、冷たい地面を枕に瞼を閉じようとしながら――。


「大丈夫ですか?」


この首に掛かった細く白い手の持ち主を見つめる。

未だ定まらない焦点はぼんやりと、上半身を跨いで両膝をつきながらこちらを見下ろしている少女を写していた。個人的には好みの顔をしているし、恐らく大多数は彼女を一目で気に入る魅力がある筈だがこのシチュエーションを素直に喜ぶことができないのは、かろうじて正常な思考を保てている証拠なのだろうか。


「ねぇ……情が湧いたって、あの言葉に嘘はありません。あなたみたく実際バカ正直に生きることができたら人生楽しそうだなって、あの衝撃は忘れられません。そして」


「知らない方が身の為になる事があるんだなって、その無神経な生き様を微かでも渇望させてくれたあなたが妬ましい……ひどく哀れと考えた自分がここにいる」


「この人は これから 親切な周りの人間を裏切る存在へ変わっていくんだと、はじめて」


押さえる力は絶えず強くなり、程なく圧迫感が生命の危険を警告し始めながら脳裏に抵抗の指示を強制させてくる。しかし、くたびれたこの身体が搾り出せる力など知れたこと。締め上げられる己を最前席でただ沈黙で見守るしかできないとは不条理と呼ぶに相応しい。


「……取引をしませんか?」


一体何を言い出しているのだ、このアキマルは。


そう思うも束の間、塞がれていた器官から肺へ一気に満ちた酸素に激しく咳ごみながら横たわっていた体を小さく丸めたヤヒロの頭部へひんやりとした感触が触れていたではないか。……何処からか仕込んだ錆び付いた鉛の棒。


「今死ぬか、明日死ぬか? とりあえずは私を出会った時と変わらない変人扱いするつもりならそれで構いませんが」


「一か八か、やるか? やらないか?」


取引条件の開示も知らない非道な悪魔が見下ろしていた。

疑わしい手つきで棒を掴み、自らの首元へ手繰り寄せながら口をパクパクと動かして意思表示を示して見せる。強く、より強く示そうとするその意思は腕を伝って掴み上げた鉛の棒を力強く折り曲げていた。やがて握力のみで真っ二つに割れた棒の崩れる音を合図にヤヒロの目は大きく見開かれていた。


「――――明日、明後日……ダメだ、何年後でもまだ許さねぇ……」


「燃え滾って…………収まらねぇし、野郎をぉ…………どうにか、っ潰す……!」


「これ以外とか、もう………………どうだ、シンプル極まってて最高だろ……?」


闇に染まった宙をなぞろうとしたこの手が掴まれると、だらしなく倒れていた体を起こさんと手が引かれる。全身全霊を捧げるように声を唸らせ、懸命に彼を引き摺り去ろうと働かれた力は彼の返答を肯定したと捉えられる。この場で即座に葬られなかったいう現状こそ、アキマルが差し出した選択の内一つをじっくりと理解させてくれているのだから。


「将来的には、あなたも潰します、この私が……っ」


「あなた、は……ったしに、利用され……て……!」


「ゴミみたいに…………!!」



ゴミ扱いだろうが何だって良い、構わない。戦わなくちゃいけない時が来た。


やっぱり屑の根性は惨めだと後ろ指刺されたって 一旦背負っちまったもん適当に放り投げちまう方が、よっぽど惨めなんだって。


文字通り命運がかかった一世一代の正念場だ、踏ん張り所じゃないか……。


ところで アキマルちゃん。



「ま、まーだ 俺に勝てると思ってるワケかね? このチビ女は」


「……あぁ?」


「だって実際もう黒星つけられちゃってる後なんだしぃ~~、んー? んぅー?」


「はぁ!?」


「それだ アキマル! やっぱりお前は表情豊かに目まぐるしく動かしていた方が魅力たっぷりだなぁー! 変に肩筋張られてガチガチよか全然愛嬌も涌いてくる!」


「…………」


「はっはっはー!! 照れろや照れろっ、お前のそういう一面が見られただけで俺さまなんかね ほら! しんどいのも痛いのもドカーッと吹っ飛んでこんなに げん…………あぁ、痛てぇ……痛てて! へ、へへっ!」


一体何がおかしくて面白いというのだ、肩を解いてぴんぴんだと騒ぎながら自滅したヤヒロへ差し伸ばしてやろうと思う手は生憎彼女の持ち合わせにはない。先程の決意表明を秒も掛からず投げ捨ててくれるのであれば、躊躇いもなく踏ん切りをつけられてしまえるだろう。今日彼と共に行動した中で起きた事実を元に推測を立てるのであれば、あのヤヒロの原理は興味本位に順ずるものからだと言えば筋が通せる。

アキマルの、理由など単なる気の迷いからだとすれば分かり切った貧乏くじを引いた彼女こそ最も愚かであった筈だ。

だからこそ、初めから理屈抜きでその手綱を掴もう……。


「……こういうのはどうでしょうか」


「何だよ?」


「私は、あなたへ有りとあらゆる全ての限りまで与えてみせましょう。その代償についてなんですが――――――なんでも、なーんでも、何でもね」



「わたしの言うことを聞きなさい、従 僕ヤヒロ さ ん 」



いずれ使い捨てる道具として――――――。



                       第2話 『躊躇いごと呑み込みな』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファニー&ファニーデッドマンズショー - Funny & Funny Dead man´s Show - OKA素 in @okamotoin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ