第5話女勇者はかくして旅立った

 小鳥の囀ずりが聞こえる早朝。

 未だ、微睡みの中にある、閑静な町の通りを私は歩いていた。


 ――遂に旅立ちの朝が来た。

 私はこれから、この生まれ育った町を離れ、風の吹くまま気の向くまま、念願の彼氏獲得の為、あてどもない旅へ出るんだ。

 そう――今回は勇者アリシアとしてじゃなく、恋の冒険者アリスとして。


 無論、旅立ちの準備は既に万端だ。

 財布とハンカチは持った。日焼け防止に日傘も持った。護身用として、スカートの中に短剣を仕込んだ。肩掛けの大きめな鞄の中には、化粧ポーチとか替えの衣類とか医療品とか、いざという時に必須な口臭対策の飴玉とか、とにかく必要そうな物は全部詰め込んである。

 そして、親しい人達には昨日、別れの挨拶をしっかりと済ませた。


 ――完璧だ!

 流石、旅へ出るのも二度目になると準備は万全だな。正に備えあれば憂いなしを絵で示したかのような完璧な布陣だ。

 短剣と僅かばかりの薬草だけを持って旅に出た、一度目の私とは雲泥の差じゃないか。


 おいおい。なんだよ一度目の私。近所の森へカブトムシ狩りに行く子供じゃないんだぞ。

 そんな装備で大丈夫か? 旅を舐めてないか?

 せめて、替えの服と下着ぐらいは準備しとけよ。でないと――森の湖で洗濯した服を乾かしてる間、ほぼ全裸で過ごすことになるぞ。挙げ句、近くを偶々通り掛かった男に全裸を見られる羽目になるぞ。


 まあ、その通り掛かった男というのが後々、私の旅の仲間になったりするんだけど。


 ふふふっ!

 あいつ、いま頃、元気でやってるかなあ。

 あの時、私に「おおっ! あまりにも貧相な胸をしているから男かと思ったぞ。いやすまん。まさか女だったとは……」とか、失礼な言葉を抜かしやがりましたことは未だに覚えてるぞ。


 ――クソ! あの野郎!

 何が貧相な胸だ! よく見れば、それなりに膨らみはあるだろうが! この節穴野郎め!

 挙げ句の果てには「女なのにそれでは、これまでさぞかし不憫だったろう。可哀想になあ」とか、私の肩を叩いて同情してきたことが更にムカつく!

 ああなんか、あの時のことを思い出したら、また腹が立ってきたぞ。




『おい。何やら、間抜け面を晒して物思いに耽っているところ、申しわけないのだが。勇者アリシアよ、ひとつ、お前に尋ねても良いか?』


『私はアリシアじゃない、アリスだ! ……で、なんだよ?』


『ああなんだ……お前はこれからその、どこぞの避暑地にでも、バカンスに行くつもりなのか? そのパンパンに膨れ上がった鞄はなんだ?』


『はあ? そんなもん、旅に必要な物が色々と入ってるに決まってんだろ! アンタ、何言ってんの? もしかして馬鹿なの?』


『ふむ……なるほど。まあ、いくつか言いたいことはあるが、ここは敢えて百歩譲っておこう。だが――それならば、その格好はなんだ? 何故、ドレス姿なのだ? そんな格好では動き辛くて、旅をするには不向きだと思うのだが』


『本当に馬鹿だな、アンタは! いつどこで良い男に遭遇するか判らないんだから、常に身なりはきちんと整えておかなきゃだろ! なんの為の旅だと思ってんだ!』


『――馬鹿はお前だ! この大馬鹿者め! そんな格好で大荷物を抱えて、フラフラと町の外へなんか出てみろ――盗賊共の格好の的になるではないか! いまのお前は言わば、鴨がネギを背負っているようなものだぞ!』


 ――はあ? 本当に何言ってんだ、こいつ?

 やれやれ、まったく判ってないな――私は肩を竦め、おもむろにかぶりを振った。


 別段、盗賊に狙われたとしても、それは一向に構わんじゃないか。

 その盗賊の中にもしかしたら、私の運命の相手がいるかも知れないんだし。そう考えれば、むしろ、盗賊に狙われるのは願ってもないことだろ。

 こいつは言ってみれば、発想の転換ってヤツさ。


 まあ、もっとも――仮に盗賊の男と結ばれた場合、彼氏ないしは旦那の職業が盗賊ってことになるのは、世間的にどうかとは思うけど。でも、そこはほら、私の愛の力で更生させれば良いんだし!


 そもそも、こいつが何をそんなに心配してるのか、私にはさっぱりと判らないんだけど。

 私が盗賊に襲われたとして、だからどうだって言うんだよ?

 もしかして、こいつ――肝心なことを忘れてないか?


『あのさあ……アンタ、ひとつ忘れてない? 私はこう見えても、かつて、魔王であるアンタと死闘を繰り広げた女なんだよ。しかもアンタに勝った女なんだよ。そんな私がいまさら、そこらの盗賊に後れを取ると思うのか?』


『ふむ……確かにそうか。そう言われてみれば、要らぬ杞憂だったかも知れぬな。ここはむしろ、迂闊にお前を狙ってしまった、盗賊共の身の危険を案じるべきか』


 おい。そりゃあ、どういう意味だ?

 魔物相手ならともかく、盗賊と言えども相手は人間だぞ、流石に私だって手加減ぐらいするわ!

 私のことをなんだと思ってんだ。まったく!


『大体にして、旅に出る前から――あれが嫌だこれが嫌だと自己保身に走って、危険を恐がってばかりいたら、いつまで経っても旅なんて出来やしないじゃないか。旅に危険は付きものなんだからさ』


『ほう……お前にしては珍しく、真っ当な理屈を吐くではないか』


『珍しくは余計だっての! ……まあ、要はとにかく当たって砕けろってことだよ。実際に行動しなきゃあ、何も結果は生まれないんだし。それは旅に限らず、恋愛だってそうだろ?』


『――フン! この我輩に向かって、随分と小癪な口を利く。だが、お前の意見はもっともだな、そこは認めよう。……少しだけ感心したぞ』


『そうケチケチすんなよ。もっと大いに感心しても良いんだぞ。――それにさあ、さっきの話だけど。仮に私が盗賊に狙われたとして、その中にもしかしたら、私の運命の相手がいるかも知れないだろ。そう考えたら、盗賊に狙われるのも悪くないかなって思えないか? むしろ、積極的に私を狙って欲しいかなって!』


『ああ……早速だが前言は撤回だな。やはり、お前はただの大馬鹿者だ』


『なんだと、この野郎!』


 ――クソ! なんだよまったく!

 私のことを珍しく褒めたと思ったら直ぐにこれだ。

 なんなのこいつ。私のことを一日に数回は罵倒しなきゃ死んじゃう病気なの? それとも好きな女の子を苛めちゃう、いたいけな少年の複雑な心理が作用したアレなの? まさかのツンデレ魔王なの?


 いや……こいつの場合、デレが一切ないから、ただのツンツン魔王だな。

 あれ――それってつまり、単にこいつの性格が悪いってだけじゃないのか?

 うん。大体、それで合ってるな!


 やれやれ。こんな性悪魔王とこれから先、一緒に旅をしなきゃいけないとか、そのことを考えるだけで頭が痛くなってくるな。

 これはなんだ。私に課せられた試練なのか? それとも新手の精神修行か何かなのかな?

 そして、その精神修行の果てに悟りを開いた私は、新興宗教モテない女教の教祖となって、全国の恋に悩めるモテない女子から崇め奉られたりするのかな?

 おい待てよ。私は一体、どんな悟りを開いたんだ? それって悟りを開いたって言うより、なんかもう、色々と諦めた末に開き直ったってだけなんじゃないのか?


 と言うか、そもそも――私は一体、いつになったら、こいつから解放されるんだろうか。

 まさか、このまま一生ってことはないよな。ははっ……ホント、まさかね。




『ふむ……見ろ、勇者アリシアよ。町の出口が見えてきたぞ』


『私はアリシアじゃなくて、アリスだっての! ……何回言えば判るんだよ、まったく。てか、そんなん、アンタに言われなくても判ってるよ』


『何やら、先程から上の空になっているようだから、わざわざ教えてやったのだ。お前のことだから大方、またくだらん妄想にでも浸っておったのだろう?』


『も、妄想なんかしとらんわ! 年頃の女に向かって、失礼なことを抜かすな!』


『クククッ! それよりも早く行くぞ。我輩もいい加減、この町には飽き飽きしてたところなんでな』


 ――なんだあ?

 確かこいつ、昨日までは旅に出るの、散々渋ってたと思ったんだけど。いまは何故だか妙に乗り気な感じだな。これは一体、どういう心境の変化なんだ?


 まあ、そんなことはどうでも良いか。

 こいつが渋ろうが乗り気になろうが、私が旅に出るのは決定事項なんだし。

 あの出口さえ越えてしまえば、いよいよ私の旅がスタートするんだから。


『ところで勇者アリシアよ。お前に敢えて苦言を呈すが、そのドレス姿――絶望的なまでにお前には似合っていないので、旅先で恥をかく前に、早々と別の服へ着替えることを我輩は強くお勧めするぞ』


『うっさい馬鹿! 人の趣味にケチつけんな! そんで私はもう、アリシアじゃなくてアリスだって、さっきから何回も言ってんだろうが!』


『クククッ! ほらな、お前とその服はまるでチグハグなのだよ。だから悪いことは言わない、お前はもっと、自分の身の丈にあった服を選ぶことだな』


『大きなお世話だ! この野郎!』




 やっぱり、こいつは単純に性格が悪いだけの性悪魔王だ。

 こんな奴とこれから先、一緒に旅をするなんて、本当に最悪極まりない。

 いや。下手をすれば、私は死ぬまでこいつと一緒という可能性も……。


 ――あらら?

 そうなったらつまり、アレじゃないかしら。仮に私に彼氏が出来た場合、その男とデートしてる時とか、その……アレの時とかも全部、常にこいつの監視下におかれるってことよね。

 ふふふっ。なんだろう。それって最早、地獄すらも生温く感じるほどの拷問じゃないかしら。やだわーもう。ストレスで頭がハゲてしまったらどうしましょう。髪は女の命なのに。もしかして、遠回しに私に死ねって言ってるのかしら?


 私はこれから、あてどもない旅に出る。念願の彼氏獲得の為だ。

 でも、どうやらここにきて、旅の目的がもうひとつ増えてしまったようだ。

 そう――こいつを私の影から引き剥がす方法をなんとしても探し出すのだ。

 絶対に必ずや!

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世界を救った女勇者は恋に生きるようです マカダ @11908032

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