第5話
安広は船を三嶋城へ向かって進めていた。
(私の失策で、兄上が犠牲になってしまうのか……?しかも私は内心、自分が助かったことを喜んでいる)
そう思うと安広はもはや自分に呆れてきてしまう。
(昔から、皆は兄上のような兄を持って幸せ者だ、と私を羨んだ)
安広はふと、昔のことを思い出した。
(確かに、兄上はいつも私に優しかった。本も、自分が読むより先に、私がねだって貸してもらった。色々な物を、事を、兄上は私に譲ってくれた。でも────)
安広の頬を、涙が濡らす。
(本当に欲しいものは、何も譲ってくれなかった。両親からの期待も、地位も、名誉も、死に場所も、そして好きな人も)
拳を握ると、安広は自身の足に叩きつける。(全て、譲ってもらうものではない。兄上が努力した、それだけだ。なのに、こんなにも、羨み、恨めしく思っている自分が嫌だ)安広は見えてきた三嶋城をじっと、睨んだ。
鶴と安広が三嶋城に戻った頃、日は沈んでいた。そして、後からやって来た兵から、安成の死が、告げられた。
「最期は、敵の中心にまで迫り、凄まじきご活躍でございました」
「そうか」
鶴の隣で、安舎が代わりに頷く。
鶴は耐えられなくなって、その部屋をあとにした。
(安成は、この城を出た時から、死ぬ気だった……。なぜ気がつかなかったのだろう)
鶴は櫓ですすり泣いた。
「鶴」
安舎の声がして、振り返った。
「安成の亡骸は、海に沈んだそうだ」
「そうですか」
「船を壊し、良い働きだったそうじゃ」
「……」
鶴は海を眺めた。あの海のどこかに、安成は眠っているのだ。
「そろそろ、潮時であろう。もう、我らの負けじゃ」
鶴はその一言で、再び何かが燃え上がるのを感じた。
(ここで私達が諦めたら、安成は何のために死んだの……?)
「兄上、今敵はどこに」
鶴は凛とした声で聞いた。
「……鶴、そなたも武将なら退くことを覚えよ」
「知らぬなら、他の人に聞くまでです」
「鶴!!」
鶴は兄の声を無視して、櫓から去った。
「戦う意思のあるものは、私ももとへ集まれ!集まりしだい、策を練る!!!」
大声で鶴は叫んだ。
(どうせ負けるのなら、安成の仇くらい討ってやる!)
鶴の目は爛々と、鋭い光を放っていた。
「姫が敵に仇討ちに行くらしいぞ!」
「出陣か!」
兵から兵へ、その話は口々に広がった。
当然、同じ城にいる安広の耳にも入ってくる。
(仇討ち……兄上のか……!!!)
安広はすぐに行こうとしたが、一瞬躊躇った。
(私が、行ってよいのか?兄上を死へ追いやったのは、私なのにか?今さらどの面さげて……)
『次の戦では必ず……!!』
昔、そう思っていたことを思い出した。
(そうだ、まだ戦は終わってない!何のために兄上は兵を半分に分けたのか……。このためだったのだ!)
安広は駆け出した。もう、迷いはなかった。
雨が降り出していた。鶴は雨粒に濡れながらも、熱気を放っていた。
「集まってくれて、ありがとう」
鶴はよく通る声で、兵達に告げた。
「大祝様は、この戦を負けと考え、これ以上犠牲が出る前に止めようとお考えである。が、私はこのままでは終われぬと思う!」
鶴は精一杯、思っていることを話した。
「陣代である安成殿をはじめとする、多くの兵を失った!もっと遡れば先の戦では、先の陣代であった私の兄も!それでも、私達は命をかけた。何故か!?この……この大海島を、瀬戸内を守りたいからだ!」
兵が口々に「そうだ」と賛同の声をあげはじめた。
「皆の働きもあり、安成殿の立てた策の通り敵は今、御多洗沖の辺りで船の修理に追われておる。そこに奇襲をかける!瀬戸内を守りたい武士は、私についてこい!!!」
わぁっ、と兵から雄叫びが上がる。
「姫、この雨の中ですか!?」
安広が支度をする鶴のそばにやって来た。
「この雨の中だからよ。じき、嵐になるわ。敵もこんな中来るとは思わない。それに、潮の流れは私達に有利になっている」
鶴は船に乗り込むと、鈴を鳴らした。
(安成、あなたのくれた好機を、私は逃さない!)
嵐の中、船は荒れ狂う海を進み出した。舳先へ鶴は立つと、空を見上げた。
「あれは!」
分厚く今にも落ちそうな黒い雲の隙間から、白い鳥が一羽、鶴の目に映った。
(こんな嵐の中、鳥……?まさか、公の見た伝説の白鷺……!!)
鳥はそのまま御多洗の方へ飛んでいくと、雲の中へ消えていった。
(この戦、勝てる!!)
鶴は勝利を確信した。
「全軍怯むでないぞ!私に続け!我らは神域を託されし水軍!!神をも恐れぬ無礼者らを震え上がらせてくれるわ!!」
鶴が先陣をきって攻め込むと、兵もそれに続いた。
「姫に遅れをとるなー!」
「目に物見せてくれるわ!」
嵐の中、突然現れた鶴たちに、大内軍が総崩れとなった。
「退け!ここは退くのだ!」
気がつけば嵐は去り、日が昇っていた。
敵の残骸が残った御多洗沖に、鶴たちの勝鬨が、勇ましくこだました。
大内軍は去り、三嶋城では宴が催されていた。夜になると、いよいよ酒もまわり、皆上機嫌だった。
が、鶴は一人、櫓にいた。
(もう、安成はいない。私がいる理由も、ないのね)
鶴は自室に戻って鎧の前に辞世の句を置くと、宴の喧騒に紛れ、小さな船に乗り込み、海へ漕ぎだした。
(そういえば、安成があの島に取り残された私と安広を助けに来たのも、これくらいの船だったわね)
クスリと笑うと、鶴は鈴を鳴らした。
『この鈴の音を頼りに、何があっても姫の元へ戻ってきますから』
潮風は鶴の髪を優しく撫でてゆく。
(安成、私はここにいる。迎えに来て……)
鈴の音が最後にもう一度、チリンと海に響いた。
海上の姫、泡沫の恋 ダチョウ @--siki--
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