第4話
安房の死により、空いた陣代の座に安成が就くことになった。
(大内軍は遠からずまた攻めてくる。それまでに、なんとか立て直さねばな)
「姫!」
「安成!」
その頃にはすっかり二人は息ピッタリ。
鶴はこのころ二十歳になり、美しい豊かな黒髪の女性になっていた。
安成も男性らしく、背が伸び、引き締まった立ち姿には見惚れるほどだった。
そんな二人には何度かの戦で、刀で戦う安成を、弓で鶴が援護するという構図が出来上がっていた。
二ヶ月後、安成の予想通り大内軍は瀬戸内に進軍。しかし安広と安成、鶴によって撤退。特に安成と鶴の活躍はすさまじく、「阿吽の呼吸とはあの二人のためにあるような言葉だな」と兵は口々に言った。
鶴の初陣から二年たった六月ごろ。ついに陶晴方は自ら大海島へ乗り込んできた。
さすがに二度も自身の進言による戦で負けたのは、彼の威厳に関わるのだろう。
着々と準備されていただけあり、兵も船も、三嶋水軍とは桁違いだった。
「安広、
「はい!お任せ下さい!」
安広は嬉しかった。やっと、三嶋水軍の役に立てるのだ。
「ただ、人の数はあちらが圧倒的に多い。そこを、忘れるなよ」
「はい!」
安広はそのまま戦支度を済ませると、三嶋城をあとにした。
(手柄をきっと、立ててみせる……!!)
彼は張り切っていた。
そう、張り切りすぎていた。手柄を立てようとするばかりに、大事なことを見落としていたのだ。
「安広の軍が敗走!?」
「まずいことになったな……」
鶴と安成がその知らせを聞いたのは、安広が出陣して一日も経っていない頃だった。
「は。その上、主要な船の多くを沈められたと。なんでも奇襲を仕掛けようとしたところ、敵方に見つかり、逃げ道を確保していなかったので、逃げられなかったと……」
安成は、予想より悪い結果に、深く考えこんだ。
「敵は今、どこにいる?」
「
しばらく安成は地図を見ていたが、何か覚悟を決めたらしく、「私が出よう」と言った。「私も参ります」
「ダメです。今姫も城を出れば、誰が守るのですか?」
「私ではダメか?」
二人は同時に振り向いた。そこには鶴の兄、安舎がいた。
「兄上!」
「大祝様!?」
安舎はニコニコしながら、二人のもとへ歩いてゆく。
「神職ゆえ、戦に出ることは叶わぬが。何、城を守るくらいは許されよう。私も、家のため、瀬戸内のため、何かしたい」
鶴は兄に礼を言うと、戦支度を始めた。
安成は止めようとしたが、「あやつがああなっては、誰も止められぬ。おぬしも知っておろう」と安舎に言われ、渋々折れたのだった。
鶴と安成の軍は敗走してきた安広の軍と合流するため、船で移動していた。
「あの、安成」
鶴は安成の横顔を見て、思わず話しかけた。
すると、安成は鶴が次の言葉を言う前に、こんなことを言った。
「姫、私達がまだ幼き頃、出会いましたね。その時からずっと、姫の傍にいました。何度も姫に助けられましたし、何度も姫を助けました」
鶴はなぜ、今そんなことを安成が言い出したのかわからなかった。
「ずっと、姫を守っていたかった。それはこれからも変わりません」
安成が何か続きを言いかけた時、鶴は安成の口を塞いだ。
「安成、死なないわよね?」
安成がまるで最後の挨拶をしているように鶴は感じたのだ。
「……死にませんよ」
安成は笑うと、鶴の手を口から離した。
「これっ!」
鶴は母から貰ったお守りを、安成に渡した。安成は意外そうに受け取ると、「これは、姫の大事な物では?」と目を丸くした。
「武運を、と貰ったの。安成を護ってくれるように」
「そんな……。では、この鈴は姫が持っていてください」
安成はそっと鈴を鶴に手渡した。
「この鈴の音を頼りに、姫の元へ何があっても戻ってきますから」
「戻って……」
鶴は安成を信じることしか出来なかった。
(私は……まだ生きているのか……)
船に揺られながら、安広は呆然としていた。(三嶋水軍の役に立ちたくて、手柄を立てたくて焦って、いたずらに兵を死なせ……)
ぐっと手を握り堪えるが、涙が頬を伝う。
「安広殿、あちらに船が!!」
「何っ!」
安広は幾隻もの船の影を、まじまじと見た。
「なんということだ……」
このまま安広達の船を追い、一気に攻めようと思っているらしい。
「この速度では、追いつかれます!」
「くそっ!ここで迎え討つ!」
そう叫んで、安広は刀を抜く。
「殿!反対からも船が……」
「敵か!?」
兵は涙声で答えた。
「味方……味方です!」
「……援軍か!援軍じゃー!!!」
兵の士気が一気に上がった。
(しかし、援軍がきたとて高が知れている。大内軍の半数ほどだ……)
これ以上大内軍が増えたら、明らかに三嶋水軍は破滅である。
安広は刀の柄をもう一度、強く握り直す。
「かかれー!!!」
安成が鶴の隣で叫ぶと、刀を鞘から抜く。
鶴も弓を構えると、狙いを定める。
兵の士気は上がり、少しづつ形勢も逆転しつつある。
(勝てるかもしれない……!!)
しかし、陶晴方はそれほど甘い男ではない。二度も三嶋水軍にしてやられ、屈辱を味わったのだ。どんな自体にも対応できるように、兵と船の数は大量に用意していた。
「援軍、援軍です!敵方の数が、膨れ上がっています!」
「やはりか!」
安成は舌打ちをして、弟の安広の乗っているであろう船を見た。
(援軍があちらにもきたとなれば、こちらの劣勢、敗戦は目に見えている)
安成は味方に向かって叫んだ。
「いいか!今、我らは絶対絶命である!もはや、待つのは死である!」
兵がざわめくのがわかった。鶴に至っては目をまん丸にし、驚いていた。
「が、ここで我らが命をかけずして、誰が瀬戸内を守るのだ!!!男なら、武士なら!ここが命のかけどころではないのか!?私達は、瀬戸内を守る武士なのだ!!!」
静まり返った兵たちから、雄叫びが上がった。
「我らはここで、命に代えて瀬戸内を守る」そう言うと、安成はテキパキと兵をいくつかにわけた。
これから城に戻り、兵を整える『一軍』。これから大内軍と戦う『二軍』。とわけると、安成は鶴の方を向いた。
「姫はこれから合流する安広と共に一軍の指揮を」
「な!私は二軍で────」
「駄目です!!!二軍は私が率いるので」
安成は鶴を真っ直ぐに見つめた。
安成は何か続けようとしたが、安広の声にかき消された。
「兄上!鶴姫様!」
「安広!」
「申し訳ありません!!!私が……」
泣きそうになりながら、安広は船に乗り込んだ。
「詫びるのは後で良い。安広は姫とともに兵を率いて城へ戻れ」
「はい!」
安成は鶴たちに向き直った。
「鶴」
安成は初めて鶴の名を呼んだ。
ドキリと鶴の心臓が跳ねる。
「傍にいさせてくれて、ありがとう」
安成は鶴の頬に手を添え、耳元でこう、囁いた。
「これからも、愛してる」
「!!!」
鶴の目から涙がこぼれた。
「私もっ……安成────」
死なないで、と言いかけた時、鶴の唇が塞がれた。
一瞬だった。
それが、鶴には長く感じた。
安成の唇が鶴の唇から離れた。
「安成……安成!安成!やだっ、やだ!」
鶴は安成にしがみつこうとするが、安成は強く抱きしめたかと思うと、するりとすぐに鶴から離れた。
「安広!鶴を抑えろ!そのまま船を出せ!」叫びながら安成は別の船に飛び乗る。
「は、はい!」
安広は鶴を抑えると、強引に船のなかに押し込んだ。
「安成!安成!」
安成は背中越しに鶴の声を聞いた。
(私は、この声を守らねばならない)
懐から出したお守りを強く握ると、刀を鞘から抜いた。
(鶴、私はお前と瀬戸内を守りたい!!!)
安成は敵陣に突っ込んでいった。
「安成!」
鶴はボロボロと止まらない涙が、情けなかった。死ぬな、とは言えなかった。
安成が、武士が何かを守る時に死ぬ覚悟が無くては何も守ることは出来ない。
(きっと、戻ってくると信じよう)
鶴は一人、懐から鈴を出して鳴らした。
それはひどく悲しげで、寂しく耳に残った。
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