第3話
鶴が三嶋城に来てから、六年ほど経ったころ。瀬戸内海は戦の波にもまれようとしていた。大祝家と共に水軍を束ねていた冲野が室町幕府の管領の
不穏な波が、大海島、いや瀬戸内の島々へ迫っていた。
そんな中で、三嶋城へ鶴の母がやって来た。
「母上!お久しゅうございます」
「鶴、大きくなったわね」
「どのようなご要件で?」
「ちょっとね」と言うと、鶴に安舎、安房を連れてくるよう頼んだ。
「母上が、如何なる用であろうな」
「さぁ、検討がつかなですが……」
「まぁ、行ってみれば分かることでしょう」
口々に言うと、兄妹揃って、母の前に並んだ。
「揃いましたね、では」
そう言うと、供の者にある物を部屋に運ばせた。
「そなた達の父、安用様の形見です」
その中でも、特に目を見張るものがあった。
「これは……」
鶴は鎧の側に駆け寄る。
「鶴へ、京の鎧師に頼んでおいてくれたようですよ」
その鎧はただの鎧ではなかった。胸のあたりがゆるやかにふくらんで、腰は細く引き締まり、腰の周りに沿うよう草摺の垂れ下がった、女用の鎧だったのだ。
「これは……私に戦に出ても良いと?」
「私は反対でしたがね」
ふぅ、と母は息を吐くと、懐からなにか取り出した。
「でも、止めたところで鶴は聞かないでしょう?」
鶴は鈴のついたお守りを、受け取った。
「武運を祈っていますよ」
「ありがとうございます、母上」
チリン、と鈴が鳴った。
それから二年経った6月。
大内軍が数百隻もの軍船を仕立て、大海島へと攻め込んできた。
大海島は十九年ぶりに、戦の火蓋がきって落とされることとなったのだった。
鶴も形見の鎧を身につけ、戦支度をしていた。
「鶴、安広は城に。私と黒鷹はこれから大内軍に奇襲を仕掛けようと思う」
「そんな!兄様、私も一緒に……」
身を乗り出した鶴を、安成が制した。
「姫、城の守りも重要な役割戦仕事です」
「……安成」
「鶴と安広が城を守っていてくれるなら、安心して戦えるからな。そんな顔をするな」
「……兄様」
しゅん、とした鶴の頭を安房は優しく撫でると、「出るぞ」と城をあとにした。
鶴は門から、二人の背中を眺めていた。
「大丈夫ですよ、姫」
安広は鶴に微笑むと、海を見つめた。
しかし、こちらの兵は大内軍の半分ほど。
最初から、勝ち目は薄かった。
夜が明けた。鶴は櫓にいた。
(夜。沖のほうでは火が揺れていたけれど、どうだったのかしら……)
鶴は一睡もせず、無事を祈っていたのだ。
「姫様!」
安広が顔色を変えて鶴の元へやって来た。
「帰ってきました……それが」
「どうかしたのですか!?皆は!?」
安広は言いづらそうにして、もじもじとしていたので、鶴は舌打ちをすると、安広を押し退け、走り去った。
「安成!その怪我は……」
鶴の目に最初に飛び込んできたのは、怪我をした安成の姿だった。
「姫……」
右の太ももに矢が刺さったらしく、巻かれた包帯が血で赤く染まって痛々しかった。
「私は大したことありません……。それより……」
安成は目を伏せてから、何かを決意したように顔を上げると、鶴の目を真っ直ぐに見た。「陣代……安房様がお討ち死……しました」鶴は声が出なかった。「申し訳ない」と頭を下げる安成に「いいえ」と答えるので、精一杯だった。
「兄様……!!!」
鶴は安成にしがみつくと、わんわんと人目をはばからず泣いた。
しかし、それはほんの少しであった。
鶴は顔を上げると、毅然とした表情で「仇討ちへ」と立ち上がった。
「待ってください、今すぐはなりません」
「でも……」
「向こうも同じ人間。陣を張って休息するでしょう。その時が好機かと」
安成の目に曇はなかった。
「わかったわ。では私は兄上の元へ。誰か、馬を!」
鶴は駆け出した。
(私は、何も出来ない)
安広は鶴が去った後も、一人で櫓に座り込んでいた。馬の駆けてゆく音がした。櫓から覗くと、鶴が乗っているのがわかった。おそらく大祝様の元へ向かうのだろうと、安広はまたイモムシのように丸まる。
(私は兄上のように鶴姫様に伝えることも、鶴姫様のように、立ち上がることも出来ぬ。これではただの臆病者だ)
安広はいつも、恵まれていた。兄である安成は優しく、両親も優しく、鶴とも出会い、こうして今、生き延びている。
(私は……鶴姫様が好きなのだ。でも、鶴姫様は兄上を好いておられる)
ごろり、と安広は櫓に丸まったまま倒れ込んだ。
(それはそうだ、こんな男。でも、それでもやれることはあるかもしれない)
安広は起き上がると、ノロノロと兄のいる本丸へ向かった。
しばらくすると、鶴が帰ってきた。
「ご託宣が下ったとのこと!勝てるそうです!」
「よし!日が暮れたら参る!」
安成は痛みをこらえて立ち上がった。
鶴は心配そうに安成を見る。その視線に気がついたのか、安成は苦笑いした。
「大丈夫です。皆に迷惑はかけませんよ」
日が暮れると、安成、鶴は船を出した。
安広は「城を頼んだ」と言われ、一人城にいた。
(次の戦では、必ず……!!!)
この決意が、どんな結末をもたらすかは、まだ誰も知らなかった。
一方、大内軍に奇襲を仕掛ける事となった安成、鶴。こちらは動ける二百人にも満たない兵を率いて、背後から大内軍を襲おうとしていた。大内軍は浜で陣を張り、すでに勝った気でいた。陣の背後は小高い丘になっており、木がうっそうと茂っているので、少しの灯なら問題ない。
「よいか、では、火矢を」
安成が小声で指示を送ると、兵たちはこそこそと伝達した。
「放てー!!!」
それと同時に勢いよく兵たちも動き出した。
「奇襲じゃー!!!」
敵方の兵は誰ともなく叫ぶと、混乱状態に陥り、ろくに刀も抜けなかった。
鶴も矢を次々と放って、味方の援護をする。
「て、撤退、撤退せよ!」
大内軍はそのまま船で去っていった。
「か、てましたね」
鶴はへなへなと腰を抜かして、その場に座り込んだ。強かっていても、初陣なのだ。
「姫、お疲れ様です」
安成は鶴に微笑むと、「仇討ち成功」と恥ずかしそうに海を見た。
(兄様、仇は討ちましたよ……!)
鶴は誇らしげに、安成の隣に立って海を見た。
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