第2話

安用が亡くなってから、三年の月日が経った。鶴は「水軍に入りたいのです!そのためには海を知らねばなりません!」と息巻いてて、母の反対を押し切り、大海島の三嶋城みしまじょうへ移った。三嶋城は目の前が海の、小さいながらにも堂々とした城だった。

「鶴!よく来たな」

「兄様!」

陣代となった安房やすふさが三嶋城で鶴を出迎えた。

「少し背が伸びたな」

「へへへ、これからもっと伸びますよ!」

兄妹らしい会話をしばらく交わすと、「そうだ、黒鷹を呼んでくる」と去っていってしまった。

(黒鷹……?誰かしら)

しばらくすると、安房は一人の少年を連れてきた。鶴はその顔を見るなり、大声を出した。

「あー!安成!」

「げっ!姫!」

「そうだ、一度会ったんだったな。今日から鶴の養育係に、と思ったんだが。うん、知り合いなら話は早い。仲良くするんだぞ!」

「ちょ、兄様!?」

安房は明るく、いい人なのだが、話を聞かないのがたまにキズ。

それを理解している鶴は諦めることにした。

「……とりあえず、的場に行きますか」

ポツリと安成は呟いた。

「……そうね」

なんとなく気まずい空気が流れ、鶴は黙ってしまう。

「それと」

顔を上げて、安成はつけ足した。

「弟の面倒を主に見ていますから、あくまであなたはついでです」

「なっ、何よそれ!嫌な人!黒鷹とか名乗っちゃってさ」

「それは勝手につけられただけです。年の割にそれなりに武芸全般やれますからね」

言い合いをしながら、二人は的場へ向かった。

(なんだ、仲がいいなぁ)

その様子を安房は見ていた。

(鶴、兄は少し寂しいぞ。もうお前がそんな年頃なんて……)


「はじめまして、越智安広おちやすひろです」

「さっき言った私の弟です」

一方鶴は、的場で安成の弟、安広と対面していた。

「私の二つ下ですから、姫と同じ歳です」

「そうなの?よろしくね」

(なんというか……)

鶴は不思議な気持ちだった。

(二人とも、顔は整っているけれど、ちょっと雰囲気が違うわね)

実際、鶴の思うとおり安成は精悍な顔つきで、色男に後々成長するのだが、安広は女子のような顔立ちで、美少年、という表現の方がしっくりくるのだ。

「では、早速ですが、姫。弓を」

「はーい」

その様子に安広は目を丸くした。

「姫様は、弓を?」

「その辺の年の近い者には、負けないつもりよ」

鶴は下手くそなウインクをして、弓を手に持った。深呼吸して、集中する。

鶴の放った矢は、的の中心から少しズレた所に命中した。

「では、次は安広」

安成は鶴の結果について何も言わず、安広に向き直る。それが鶴は少し不満だった。が、安成に自分の弓の事をとやかく言われるのも嫌なので、黙ることにした。

「安広?」

「えっ、は、はい!」

安広は鶴が弓を引いたことに驚き、うまく集中できそうになかった。

(しかし、美しい所作だったな)

そんな事を思いながら矢を放ったものだから、安広の矢は的の端にどうにか、頼りなさげに命中した。

「安広、集中出来てなかったな」

「はい」

「戦場ではどんな敵がくるかわからない。何があっても集中できるように」

「……はい」

「落ち込むな。これに学べばいい」

そう言って安成は、安広の頭をポンポンと撫でる。

(……私への助言は!?)

鶴はボーゼンと、その光景を眺めるしか出来なかった。

何度かそれを繰り返し、「では、これで今日は終わりです」と言って立ち去ろうとする安成を鶴ははっとなって、止めた。

「待って!あなたはどうなのよ!」

「は?」

「安成の弓の腕をまだ見てないわ」

助言もくれない上に、自分より上かもわからない安成に武芸を教えてもらうのは、鶴の自尊心が許さなかったのだ。

「……構いませんけど……」

面倒くさそうに安成は言うと、弓を構える。

一瞬で安成の表情が変わったことに、鶴は気がついた。

矢は、的の中心に命中した。「さすが兄上」と安広は言う。

「これで満足ですか?」

少し小馬鹿にしたように安成は鶴に言った。

「満足です!」

鶴はいーっ、と安成を威嚇した。


「水軍では潮の流れを掴まねば、まず勝利は難しいです」

次の日、3人は船で海へ出た。

潮風が吹いて、波が船を優しく揺らす。

「瀬戸内の海は穏やかとはいえ、油断してはいけません」

「あら!お魚が跳ねたわ!」

「姫」

鶴が振り向くと、鬼のような顔をした安成がいた。

「いいですか、姫!海というのは、顔を変えます」

「顔を……変える?」

「今は穏やかな顔をしていても、突然、嵐のように荒れ狂います」

安成は真剣な声だった。

「ふざけたり、油断した者から死んでいくのですよ。それを自覚しない限り、水軍に入れることはできませんね」

「はい」

鶴はしゅんとして、小さく丸まった。

「姫」

鶴が顔を上げると、安成は穏やかなに微笑んだ。

「わかればいいんですよ。そうやって、少しづつ自覚を持っていってください」

ドキリと胸が高鳴ったが、鶴はまだその想いがなんという名か、知らなかった。

その日の夕方、鶴の元へ安広がやって来た。

「姫、先ほど舟でいったところに、美しい所を見つけたのです。砂浜で続いていて、島のように一部が高いのです」

安広は笑顔で説明すると、「行きませんか?」と鶴を誘った。

「そうね、夕餉まで時間があるし」

鶴はその提案にのると、二人で歩いて、その場所へ向かった。

歩いて小半時(30分)もかからなかっただろう。

三嶋城が見え、砂浜で繋がった、本当に島のようだった。

「まぁ、ちょうど夕日が沈み出して、キレイね。素敵な場所を見つけたのね」

「いえ、そんな……」

安広は照れたようにはにかんだ。

鶴と安広は、そこでゆっくりとしていた。

それが、間違いだった。

気がついた時には、こちらとあちらを繋いでいた砂浜は、波の下に消えていた。

「どうしよう……帰れない……」

鶴は安成の言葉を思い出した。

『海というのは、顔を変えます』

(どうしよう、私が安成の言うことを守っていれば……!!)

鶴は夕日に照らされた三嶋城を、ぼうぜんと見ることしか出来なかった。


「姫が戻っていない?」

安成のもとへ鶴不在の連絡が回ってきたのは、日が沈んでしばらく経ってからだった。

「なんでも、いつもは夕餉の時間にはお部屋におられるのに、今日はおられぬらしく……」

「ふむ。わかった、私も探そう」

安成は侍女から話を聞くと、城の門まで走った。

「すまぬ、姫を見てはいないか?」

二人の門兵に聞くと、一人が「ああ」と何か思い出したように言った。

「そういえば、姫さん、安広さんと一緒にどっか行く言うてましたな」

「安用と?」

安成はますますわからなくなった。

(二人でどこへ行ったのだ?)

「そうそう、景色のキレイなとこに姫さん連れてくんだってな」

もう一人の門兵も思い出したらしく、そう言った。

「そうか、ありがとう」

安成は一つ、二人のいそうなところを思いついた。

(まさか、安広……あの場所へ連れていったのか?)

安成は三嶋城を出て、その場所へ駆け出した。


「どうしよう……」

安広は不安で押しつぶされそうだった。

(このまま助けが来なかったら、私達は取り残されてしまう……)

潮の満ち干きにより消え去った砂浜を、安広は恨めしく思った。

この場所は安広が安成と三嶋城に来たばかりの頃、実は安成が見つけた場所だった。

(私が自分で見つけたなんて、見栄を張ったからだ)

安広は震える手を、隠すことしかできなかった。

「ねぇ、このままでは私達、沈んでしまわないかしら?」

「まさか!大丈夫ですよ!」

不安そうな鶴をこれ以上怖がらせまいと、強がった安広だが、声が震えてしまう。

(本当は、大丈夫かはわからない。夜までここにいたことなんて、ないのだから)

いつもは安成が、潮の満ちる前に帰るよう促していたから、安広はてっきり安全な場所だと思っていたのだ。

「姫様、私、泳いで三嶋城まで行って、船を出してきましょうか」

安広の頭を全力で回して出た解決方法が、これであった。

「え、そんな安広が溺れてしまったら!」

「でも、何もしないよりはましです」

安広は手際よく着物を脱ぐと、褌一丁になった。そして、飛び込もうとした時、視界に見慣れた姿が入った。

「兄上!」

「安成!」

船を漕ぎながら、安成がこちらへ向かってきたのだ。

「何をしている、安広。そんな格好をして」

無表情で安成は船を止めると、島へ上陸した。


(よかった……助かる!)

鶴は溢れそうになる涙を堪え、安成の元へ駆け寄る。

「安広、これはどういうことだ?」

無表情で聞く安成が、未だかつてないほど怒っていることに鶴は気がついた。

「……あ、あの」

「まぁ、いい。話は城で聞く。早く戻るぞ」

3人は船に乗り込むと、安成がぎぃ、と漕ぎ出す。

海水が船にあたって、音を立てる。

「その、ごめんなさい。安成」

「すみません、兄上」

鶴と安広は深々と頭を下げた。

安成はため息をつくと、「頭をあげてください」と鶴と安広を見つめた。

「いいですか、こんなふうに後先考えず行動するのはやめてください。何かあったらどうするんですか?」

鶴と安広はしゅん、と項垂れる。

「こうやって、皆に迷惑をかけて、心配させるのですから……でも……」

安成は言葉をそこで一度区切ってから、続けた。

「二人とも、無事でよかった……」

鶴は、堪えていた涙が溢れ出るのも気にしないで、「ごめんなさい」と泣きながら言った。

三嶋城へ帰った時には、もう日は沈んでいた。


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