海上の姫、泡沫の恋

ダチョウ

第1話

瀬戸内海に、大海島おおみしまという島がある。

そこには由緒ある『大山祇命神社おおやまずみじんじゃ』という神社があり、様々な鎧や、武具などが奉納されている。

その中に一際、目立つ鎧がある。

女用のものだ。これを着ていたのは、とある姫君だという。

その名は、鶴姫つるひめ


「せっかく来たのに、曇ってるなんて。はーあ、運が悪いわ」

鶴は憂鬱そうに長い髪を撫でる。七歳の彼女は大山祇命神社の大祝おおほうり、つまり神職の娘だ。両親が歳をとってからできた子で、年の離れた兄が2人いる。大祝の家は神職ではあるが、古くから伊予国いよのくに冲野家こうのけと共に『三嶋水軍みしますいぐん』を束ねる立場でもあった。

とはいえ、大祝家は神職。四月の大祭に向けて家族で普段住んでいる今張いまばりの屋敷から、大海島へ渡ることとなった。

「せっかく船で來嶋海峡くるしまかいきょうを渡り終えたのよ?瀬戸内海の難所を越えたのにこんな天気なんて……」

「ほんとでございますねぇ」

乳母も鶴の言葉に頷くと、ふうとため息をついた。

しばらく経つと、船は大海島へ到着した。

その頃には雲は消え、青い透き通った空が顔を出していた。

「さ、鶴姫様、神社へ参拝しますよ」

鶴の父である安用やすもちが大祝職を務める大山祇命神社は、祭神として天照大神の兄、大山祇命大神を祀る神社だ。

「ねぇ、これ!越智命おちのみことのお手植えの楠でしょう!?三嶋水軍の武将の冲野通有こうのみちあり公が出陣の際に兜をかけたのよね!わぁ……これがその木なのね……」

一人でペラペラと喋る鶴に乳母は驚いた。

「よく、そんな難しいお話をご存知ですね」

「ふふ、父上が、大祝様がよく聞かせてくれたのよ」

得意気に鶴は胸をはると、空を見上げた。

「大山祇命神社を神の使いの白鷺がね、突然飛んできて、通有公を勝利へ導いたのよ」

鶴は、見えない白鷺を探すように、眩しい空を眺めた。

(私には、見えないわね)

しかし、白鷺に似た雲を見つけ、面白くなって鶴はその雲へ視線をうつした。

乳母は呆れながら「先に三嶋城へ行ってしまいますよ」と鶴を促した。が、そんな事で動く鶴ではない。乳母が怒って鶴を置いていった後も、鶴はじっとその雲を見ていた。

そして、その雲の下に、一人の少年がいることに気がついた。

「誰……?」

鶴と歳のあまり変わらない少年だろう。

「それはこっちも同じですよ」

嫌味ったらしく少年は言うと、そそくさと鶴から離れようとする。

鶴はムッとして、少年について行った。

「なんでついてくるんですか!?」

「あなたみたいな無礼な人が誰といるのか、知りたいのです!その人に躾の仕方を教えて上げなくては!そうすればあなたが誰かもわかりますしね!」

少年は嫌そうな顔をすると、思いっきり走った。鶴はそれでも追いかける。

「こら!ここは神域。何やってるのだ」

少し離れた所から、鶴の一番上の兄で、水軍を束ねる陣代じんだい安舎やすおくがいた。

祝様ほうりさま!」

少年は驚いたように言うと、すぐに頭を下げた。

「申し訳ございません。実は、この女子が」

「ん、鶴がどうかしたのか?」

「は?」

もう一度驚いたように少年は声を出すと、鶴をまじまじと見た。

「こいつは私の妹でな。鶴という」

「はぁぁぁ!?」

目を飛び出さんばかりに見開いて、少年は鶴を見つめた。

「ふふふ、こう見えても鶴は武芸を仕込まれておってな。怒らせると、痛い目にあうぞ」

「兄……じゃなくて、祝様!この人は?」

鶴は耐えきれなくなって、少年を指さした。「越智安成おちやすなり。鶴より二つ、歳上だ」

「越智家の……」

越智家は大祝家とは縁続きにある家で、安成も後々は水軍の将となるため、ここにいたのだった。

「鶴、お前の腕はなかなかだが、安成には敵わないだろうな。それくらい、こやつは強い。そうだ、しばらく一緒にいて、教えてもらえ」

愉快そうに笑う安舎を横目に、鶴と安成は見つめ、否、睨み合った。

(こんな生意気な人に私は敵わない?)

(こんな生意気な女子に痛い目にあわされる?)

((そんなことあるものか!))


鶴が大海島へ滞在して数日。

四月大祭が行われた。近隣の島々からは多くの人がやって来て、座も多く立ち、神社境内は活気に溢れていた。

「うわぁぁ!すごい!神社の宝物が回廊に並べられているわ!」

「うるさいですよ、姫」

鶴に引き回され、安成はグッタリとしていた。ここ数日、安成は鶴と共に行動していたのだ。

(なんという体力の持ち主だ……)

心なしか痩せた自分の体を労りながら、安成は鶴について行く。

「おや、鶴に安成」

「大祝様!」

安成は背筋をのばすと、安用の方へ向き直る。が、鶴はお構い無しで宝物を眺めている。

「ちょ、姫!」

「はは、よい。ああなった鶴は止められん」

「そんな風に甘やかすからこんな破天荒な姫になったのですか」

安成は言葉を発してから「ご無礼を」と謝った。しかし安用は気にするどころか、クスクスと笑い出した。

「これは、確かに安成ほどのお守り役はおらぬな」

「は?」

「いや、鶴はな、乳母ですら手を焼く姫だ。武芸をやると言い出した時も、わしらがとめても聞かずに……。誰の指図も受けぬようなワガママ娘じゃった」

そこまで言うと、安用は安成をチラリと見た。

「じゃが、安成の言うことは割と聞くようじゃな」

面白そうに安用は笑うと、「鶴を頼むな」と安成の頭を撫で回した。

(そんなこと、ないけどな……。頼むっていっても、無理ですよ)

安成は去ってゆく安用の後ろ姿を見送った。

この年の七月。

安用は病に倒れ、亡くなった。

安用亡き後、大祝職は一番上の兄、安舎が。三嶋水軍の陣代は二番目の兄の安房が就いた。

(私は神職ゆえ、戦にはもう出られぬ。さて、鶴を武将とするしか手はないな……)

重い気持ちで、安舎は空を見上げた。

彼の目に、白鷺はうつらなかった。

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