第56話「ペケの魔法の真の意味」

 ニコから貰った魔女帽を被り直し、呼吸を整える。胸元の鍵を握り締め、心を落ち着かせる。そしてペケは思い出す。そうだ、なぜペケの鍵は何にも刺さらないのだろうか。魔女・魔導士・魔法少女の全属性を持つのなら、むしろどこにでも刺さっていいはずだ。脳内でいくつもの歯車が噛み合い、確信に変わっていく。そうだ、これならきっとシャルノアにも対抗できる。


「やあ、待たせてしまったかい? さあ、続きを始めようじゃないか」


 蔓のカーテンの向こうから、シャルノアの声が聞こえてくる。あまりにも、到着が早かった。


「驚くことはないだろう? だってこれは、キミもよく知っている魔法じゃないか。元気百倍の魔法、フルスロットル・エンハンス。これで靴を強化したのさ」

「……え?」


 シャルノアは大魔導祭へ行っていた。そこにはモモカもいたはずだ。二人とも、モチーフは〝C〟だった。そしてソラの森の奥地には、モモカとテンリの思い出の場所がある。なら、モモカの回帰ゲートの行き先も、テンリと同じくソラの森の奥地なのではないだろうか。

 シャルノアは何らかの方法で、モモカの回帰ゲートと魔法を奪ったのだ。


「モモカに、いったい何をしたのさ!」

「なに、この機会に魔法媒体を変えようと思ってね。ただ、大魔導祭で調達してきただけさ」 


 薄暗いソラの森で、シャルノアの姿が見えてくる。藍色の〝C〟の鍵は、万年筆に刺さってはいなかった。シャルノアの鍵は、桃色の〝C〟の鍵、つまりはモモカの鍵に刺さっていた。


 そうだ、シャルノアの第一魔法・シャルノアコマンドは、自身の魔法媒体を自在に操る魔法だ。シャルノアはモモカから鍵を奪い、魔導士としての魔法媒体を万年筆からモモカの鍵へと変更したのだ。モモカの鍵の持ち手に自身の鍵を突き刺して、シャルノアコマンドで操ることで、モモカの魔法と回帰ゲートを強制的に行使しているのだ。


「キミのおかげで、計画は第二段階に進んだのさ。次なる被験者はこのボクだよ。鍵が融合できないなら、繋げてしまえばいいだろう? 魔導士なら、ボクの魔法なら、それができるのさ」


 それでも反動は避けられないのか、シャルノアは吐血する。だが、その眼光は揺らがない。


「一つだけ教えて。モモカは、どこ?」

「もちろん彼女は無事さ。枢機摩天楼に保護されて、今ごろ鍵の捜索も始まっているはずだよ」


 それを聞いて安心した。これなら、シャルノアから鍵を奪い返せばモモカの件は解決する。


「そんなことより、早くキミを見せてくれ! キミの底は、あんなものではないだろう?」

「言われなくても、全部見せる。でも、覚悟して。これが、見納めになるだろうから」


 会話は通じそうにない。覚悟を決め、蔓の向こうのシャルノアを見据える。そして〝X〟の鍵を握り締め、胸元の鎖から外した。ペケがやろうとしているのは、一つの大きな賭けだった。


 今までずっと、大きな勘違いをしていた。鍵がどこにも刺さらなかったのは、すでに鍵があるモノに刺さっていたからだ。

 テンエンハンス修得後に回帰ゲートを使えるようになったのは、テンエンハンスが第四魔法だったからだ。そう、ペケプレスは第二魔法で、バッテンバインドは第三魔法だった。そして真の第一魔法は、生まれた日から常に発動され続けていた。

 ペケプレスやバッテンバインドがあまりに低出力で、またテンエンハンスがあまりに低精度だったのは、魔法の二重発動の弊害だ。

 そして今、ペケは第一魔法を生まれて初めて解除する。


 宙で鍵を構え、捻りながら引き抜いた。ペケは、いままでどこにも鍵を刺さずに魔法を使っていたのではない。胸元で揺れる〝X〟の鍵は、世界そのものに刺さり続けていたのだ。


 世界に鍵を刺す。これにより、世界に直接干渉する。同時に、世界そのものを魔法媒体にし、世界という道具を経由し魔法を使う。そして世界は、自身の肉体をも内包している。つまり世界そのものに鍵を刺すという行為は、魔女・魔導士・魔法少女の全属性を満たしていたのだ。


「――エクステンド・ペケクロス、解除」


 第一魔法、エクステンド・ペケクロス。それは自己ペケの内面世界を拡張エクステンドし外界と交差クロスさせることで、ペケという存在を世界に馴染ませ、安定化させる魔法だ。そして〝クロス〟〝エクス〟〝テン〟という三属性を拒絶反応なく束ね上げ〝ペケ〟として成立させる、免疫抑制剤にも似た魔法でもある。

 三属性の重ね合わせの状態にあるペケは、あまりに不安定な存在だった。この魔法は、ペケの存在と生命を維持するのに必要不可欠なのだ。


 あの千年樹でさえもこの魔法だけは異物として感知できなかったことから考えて、この『存在を外界に馴染ませる』という効果は極めて絶大なのだろう。だが、ペケは二重発動による他の魔法の性能低下を避けるため、あえてエクステンド・ペケクロスを解除した。

 途端に、引き裂かれるような痛みが心身を襲う。だが、短時間なら耐えられる。なら、やれる。頑張れる。


「そうか、キミはずっと魔法で存在維持をしていたのか! 道理で拒絶反応で心身が崩壊しないわけだ! なら、解除したとき何が起こる? 解除することで何ができる?」


 シャルノアが、新たな魔法媒体であるモモカの鍵を筆代わりにして、コネクタチェインを発動する。連結された〝C〟の鍵が目にも留まらぬ速さで飛び回り、モモカの鍵先から漏れ出た光で魔法陣が描かれていく。

 瞬時に百個の魔法陣が宙に展開され、光の鎖が飛び出した。百本の鎖は器用に蔓を避けながら、あらゆる角度から蛇のように迫り来る。ペケは息をのみ、〝X〟の鍵を握り締めた。


 ――〝X〟というは、未知を意味するだ。


 ペケという存在は〝クロス〟〝エクス〟〝テン〟という可能性の重ね合わせだ。だが、世界への楔を抜かれた今のペケは、まさに未知の存在だった。だからまず、自分という〝未知数〟に、魔導士という可能性を代入する。世界から引き抜かれ自由になった鍵を、杖に突き刺す。そして、叫ぶ。


「――バッテンバインド・ロゴス!」


 身の丈ほどの〝X〟の帯を一秒間に十連射し、周囲の蔓の隙間を埋めていく。魔導士は道具を介して魔法を使うため、大規模な魔法行使でも負荷が少ない。さらに第一魔法を解除したことにより、単純に出力も上がっている。これが、魔導士となった今のペケの全力だった。


 鎖が何本あろうとも、物理的に隙間がなければ届かない。蔓に絡まる純白の帯が、全ての〝C〟の鎖を防ぎきる。


「なんてことだ! 〝バッテン〟という魔法少女きごうのチカラを、魔導士として使うとは! キミはどこまでボクの心を高鳴らせる? ああ、もっとだ! 全てをボクにぶつけてくれ!」


 鎖に操られた純白の帯が、ペケを押し潰そうとする。ペケは杖から鍵を引き抜いて、十秒経つ前に無理やり魔法を解除した。純白の帯が消滅し、それを操っていた鎖も消える。


 世界に鍵を刺し直すと、体中から痛みが消えた。脂汗を全身から流しながら、ペケは呼吸を整える。

 エクステンド・ペケクロスの解除中は体が灼けるように熱く、呼吸もままならないほどだ。解除は、一度につき十秒が限界だろう。それ以上は、立っていることも困難になる。


「おや、もう息切れかい? そのチカラには、もっと先があるはずだろう?」


 張り巡らされた蔓の向こうで、連結された鍵が振るわれる。その軌跡から三日月の刃が放たれて、ペケへと迫る。とっさに飛びのくが、蔓に動きを阻まれて、刃が左手の小指を掠めた。


 想定外だった。一歩間違えば即死に至る万物切断の刃をペケに直接向けるとは、シャルノアの考えが読めない。だが、ペケはすぐに異変に気付く。小指は、無傷だった。しかし感覚は失われ、動かすこともできなくなっていた。刃はなおも飛び回り、蔓と木々を断ち切り続ける。


「キミを壊すわけにはいかないからね。神経伝達だけを一時的に断ち切らせてもらうとするよ」


 クルクルクレセントは、あらゆるものを断ち切る魔法だ。逆に言えば、断つものと断たないものを自在に選択することができたのだ。シャルノアは連結された鍵を何度も振るい、三日月の刃を生み出し続ける。縦横無尽に飛び交う刃は、障害物を薙ぎ払いながらペケを狙う。


「――テンエンハンス・アリス!」


 世界から鍵を引き抜き、胸元に刺した。そして、自分という〝未知数〟に魔法少女という可能性を代入する。

 魔法少女は肉体を経由して魔法を使うため、魔法の制御に長ける。二重発動の弊害も消えた今、ペケは瞬時強化を完全に制御していた。脚を強化し、体勢を保ったまま加速する。三歩連続で高速移動し、七つの刃を飛び越えて、倒れてきた木々を避け、蔓を潜り抜ける。


 だが、魔法少女の神髄はここからだ。魔法少女は己の肉体に魔法を使うだけの存在ではない。己の肉体を経由して魔法を使う存在なのだ。

 ペケは周囲に漂う〝X〟の魔法陣に手を伸ばし、その一つを掴み取る。そして三日月の刃を紙一重で避け、その側面に〝X〟の魔法陣を押し込んだ。刃はカーブして再びペケを狙おうとするが、突如急加速しあらぬ方向へ飛んでいく。


 残る魔法陣は、六つ。二歩連続で脚を強化し、シャルノアとの間合いを詰める。左手に持った杖で殴ると見せかけて、強化した右手で腹部を殴る。素人の拳だが、触れたついでに腹部の痛覚も瞬時強化したので威力以上に効くはずだ。棒立ちのシャルノアが、膝から崩れ落ちる。


「素晴らしい! ああ、まさかこれほどとは! お礼に、ボクのとっておきも見せてあげよう!」


 シャルノアが再び吐血し、地面に倒れながら笑う。連結された〝C〟の鍵が素早く飛び、二つの三日月の刃を至近距離から撃ち出した。ペケは残り二回の強化を使い、大きく飛びのこうとする。だが、刃は風より早く宙を駆け、ペケの左膝と右肩をすり抜けた。

 シャルノアは、万物切断のクルクルクレセントを百発百中のモモカストライクで撃ち出したのだ。左脚の膝から先が動かなくなり、ペケは地面に転がった。右腕も微動だにぜず、左手で鍵を世界に刺し直す。


 それでもペケは、這うようにしてシャルノアへ迫る。シャルノアは髪を振り乱しながら起き上がると、鍵をすばやく飛び回らせる。ペケとその周囲に向かって、無差別に鎖と刃が放たれた。

 だが、まだ逃げ道は残されている。ペケはとっさに杖を捨て、まだ動く左手で蔓を掴む。


 三日月の刃によって根元から切り離され、絡まる木も失った蔓は、浮きカボチャの浮力によって空へと昇る。ペケの体が地面を離れ、乱れ撃ちされた鎖と刃を紙一重で回避した。


「それで避けたつもりかい? またモモカストライクと併用すれば――」


 魔女二人分ほど飛び上がったペケをシャルノアが見上げたとき、それは起こった。昼でも暗いソラの森に、目も眩むほどの陽光が差し込んだのだ。シャルノアが木と浮きカボチャの蔓を薙ぎ払ったせいで、森には隙間ができていた。そして、その隙間を太陽が覗き込んでいた。


 魔女界グリムスの太陽は気まぐれだ。だからたまには、誰かに味方することもあるだろう。ペケの背中は、煌々と降り注ぐ陽光に照らされていた。


「なるほどね、魔女界グリムスでは当然キミたちに分があるわけか! そして百発百中にしたくても、目視できなければそもそも標的を指定できないときた! だが、これはどう凌ぐんだい?」


 逆光でペケを見失いながらも、シャルノアは万年筆を取り出した。そして、鍵が宙で回される。シャルノアコマンドの遠隔発動により、鍵を抜いたままの万年筆が飛び出した。今までずっとシャルノアと心を繋げてきた万年筆は、シャルノアの直感と連動して一直線にペケを狙う。


 これが、シャルノアの奥の手だった。蔓にぶら下がるだけのペケに、弾丸のごとき万年筆を防ぐ手立てはない。だが、突如飛来した懐中時計が、ペケの眼前で万年筆を受け止める。茂みから這い出たニコが、天樹の懐中時計をツインウイングで飛ばしたのだ。


「何があっても壊れない、魔女が降っても壊れない、でしょ?」

「ニコ!」


 その隙に、ペケはシャルノアめがけて落下する。そして、まだ動く左手で鍵を構えた。


「そうくるとはね! ならばこれをどう乗り越える? ――パーフェクト・プロテクション!」


 シャルノアがフードを深く被り、連結された鍵をフードの内側に突き刺した。そして、ローブが淡い光に包まれる。これは百回までの衝撃から物体を保護する、モモカの百世不磨の魔法だった。


 ローブはシャルノアの全身を覆っている。袖から指先が見え隠れしているが、狙ったところで決定打にはならない。毎秒十発のペケプレスの連射で手早く百回攻撃することもできるが、逆光による隙は十秒も持たない。鍵はフードの中にあり、直接狙うこともできない。


 なら、やることはひとつだった。自分という〝未知数〟に、魔女という可能性を代入する。


 世界から鍵を引き抜く。そして右脚での着地と同時に、鍵をシャルノアの腹部にねじ込んだ。魔女の鍵先は保護されたローブをすり抜け、その奥にあるシャルノアの体内に潜り込む。


「――ペケプレス・グリムス!」


 シャルノアの体内で、微弱な衝撃波が炸裂した。どんなに小さな衝撃でも、内臓や血管の内部で弾ければ、無防備な体組織を破壊できる。毎秒異なる十箇所で衝撃波がパチンと弾け、内から肉体を蹂躙していく。シャルノアが吐血しながら痙攣し、ついに動かなくなった。


 十秒経ったところで鍵を引き抜き、世界に刺し直す。倒れたまま動かないシャルノアから連結された〝C〟の鍵を奪い、モモカの鍵を回収した。そしてシャルノアの鍵に手をかける。


「……シャルノアさん。言い残すことは、ありますか?」

「異界とキミの行く末を見届けられないのは残念だよ。だけれども、後悔はしていないさ。夢を追い心のままに生き、こうしてキミという最高傑作に出会えたんだ。ボクは最高に幸せ者さ」


 血を吐きながら、それでも目を爛々と輝かせ、シャルノアは満足そうに微笑んだ。わかりきっていた答えだ。今さら、ペケは何を期待していたのだろうか。


「そうだ。地下の書斎にある、机の引き出しを探すといい。そこに、キミに関する考察を纏めた手記がある。大丈夫さ、たとえ異界を離れてもボクはいつでもキミの味方だよ。ペケくん、ニコくん、キミたちに異界の加護があることを祈っているよ」


 鍵を折られる間際に、シャルノアは初めてペケの名を呼んだ。そして鍵を失い人間となったシャルノアは、空間の歪みにのまれて人間界へと消えていった。ソラの森に、静寂が訪れた。


「……終わった、のかな」


 全身から力が抜け、ペケはニコの隣に倒れ込む。シャルノアの魔法が解けたおかげで手足も元通り動くようにはなっていたが、それでも立っていられなかった。


 やっと、ペケの正体を知ることができた。探していた中身も見つかった。そして、脅威も全て乗り越えた。全部、ペケとニコの頑張りの結晶だ。小さな体とちっぽけな魔法でよくここまで来られたものだと、ペケは気の抜けた笑みをこぼす。

 まだ体中が灼けるように痛いが、胸の奥に沸々と湧き上がる感情が、痛みを掻き消していく。感謝と歓喜とよく分からない感情を全て込めて、ニコの手をぎゅっと握る。ニコは手を握り返すと、涙交じりの笑顔を浮かべた。


「違うよ、終わったんじゃないよ。だって、これから始まるんでしょ? ねっ、ペケ?」

「そっか、そうだよね、ニコ。それじゃ、まずは帰ろっか。私たちの家に、さ」


 ペケは何とか立ち上がると、満身創痍のニコを背負い、ソラの森を歩いていく。普段は飽き性の太陽も、今日は二人を優しく照らし続けてくれるようだ。囁くように何度も言葉を交わし、服越しに体温を感じあいながら、二人は懐かしさすら感じる大樹の家へと帰っていった。


 こうして、ペケとニコの初めての大冒険は幕を閉じた。

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