第55話「過去と未来に決着を」

「やあ、待たせてしまってすまないね。ラヴィの暴走は予想外だったけれども、キミたちが無事でよかったよ。さあ、早く家に帰ろうじゃないか。ニコくんの手当ても必要だろう?」


 シャルノアは、上機嫌で歩み寄ってくる。ペケはニコを庇うように前に出て、杖を構えた。


「ニコ、ここで安静にしてて。あとは、私の番」

「何か勘違いをしているようだけれども、ボクはキミに危害を加えるつもりはないよ。もちろん、キミをこれ以上加工することも、自由意思を奪うことも、モルモットのように扱うことも一切ない。ボクはただ、今まで通りキミという奇跡を間近で観察したいだけさ。だからボクと友好関係を結んではくれないかい? そしてキミは今まで通り、ニコくんと冒険するといい」


 ようやくわかった。このシャルノアという魔導士は、どうしようもなく〝C〟なのだ。

 人も魔女も、一人ではちっぽけな〝Ⅰ〟に過ぎない。ペケやニコは二人で関わりあう中で、〝X〟や〝Ⅱ〟となってきた。しかし、シャルノアは違う。〝Ⅰ〟が一人でねじ曲がり、一つの輪として自己完結した〝C〟なのだ。そしてその輪は、間違いなく欠けている。

 欠けた円環、シャルノア・クルール。それが、この魔導士の本質だ。


「もう一度よく考えてほしい。済んだことはお互い水に流そうじゃないか。大切なのは、今をどう生きるかだろう? キミにデメリットは何もない。それどころか、ボクならキミの性能を一緒に引き出していくこともできる。どうだい? ボクたちの利害は未だに一致しているのさ」

「――ペケプレス!」


 返事の代わりに、あらかじめ溜めておいたペケプレスをシャルノアの顔に叩き込む。

 ここから先は、過去にけじめをつけるための戦いだ。本当は、戦わずにやり過ごすのが得策かもしれない。結局、シャルノアを許せないだけなのかもしれない。それでも心の整理をつけるために、ペケがペケとなるために、明日へと踏み出すために、これは避けて通れない試練だ。

 シャルノアは大きくのけぞり、無抵抗で地面に倒れた。そして、ゆっくりと起き上がる。


「困るじゃないか。キミを連れ戻したいところだけれど、キミを壊すわけにもいかない。だけれども、確かに今のキミの性能も気になるところだね。それじゃあさっそく試してみようか」


 シャルノアは鍵の刺さった万年筆を振り抜いて、三日月型の刃を横に放つ。万物切断の魔法・クルクルクレセントはブーメランのように風を切り、軌道上の石柱を次々と薙ぎ払っていく。


 そしてシャルノアは宙に七つの魔法陣を描き殴り、接続操作の魔法・コネクタチェインを発動した。七つの魔法陣からそれぞれ光の鎖が飛び出して、刈り取った石柱たちに潜り込む。鎖に繋がれた七本の石柱が、上空に浮かび静止する。その先端は、全てペケに向いていた。


「さあ、キミはこれをどう凌ぐ? 早くボクに見せてくれ!」


 圧倒的な質量が、次々とペケへ降り注ぐ。だがその速度も破壊力も、ラヴィの猛攻には及ばない。テンエンハンスで脚を強化し、無茶な加速と受身を繰り返しながら石柱を全て回避する。


 そしてペケプレスを連射する。しかし純白の衝撃波は、ジグザグに飛び回る万年筆に一つ残らず迎撃された。万年筆の瞬発力は、千年樹の鞭にも匹敵していた。だからペケは、粘着特化のバッテンバインドを放つ。トリモチ状の帯は万年筆に絡みつき、動きを鈍らせた。

 こちらの魔法を律儀に迎撃してくれるなら、それを利用すればいい。千年樹との戦いで学んだことだ。


「うん、基礎能力や柔軟性はなかなかだね。なら、これはどうするのかい?」


 シャルノアは顔を綻ばせ、万年筆を手元に戻した。そして今度は、宙に三つの魔法陣を描く。三本の鎖が、槍のようにまっすぐペケへと伸びた。その先端が、頬と脇腹と右肩に命中する。


 だが、体や衣服を操られることはない。手のひらサイズのバッテンバインドを自分に連射し、鎖が当たる場所にあらかじめ貼り付けておいたからだ。そして、連射したバインドは非常に脆い。鎖に繋がれた〝X〟のシールを三枚とも体から剥がし、ペケは再び杖を構えた。

 光の鎖は厄介だが、以前イーユの魔法を防いだように、バッテンバインドを間に挟めば無力化できる。


「なるほど、精密性も申し分ない。だけれども、これはどうだい?」


 次の瞬間、万年筆が不規則な軌道で疾走し、ペケの左腕に深々と突き刺さる。しかし、これはチャンスでもあった。歯を食いしばって痛みに耐え、鍵を折ろうと手を伸ばす。だが、万年筆はすぐに逃げ出そうとする。鍵折りが間に合わないと悟ったペケは、万年筆にテンエンハンスを纏わせた。

 素早く宙を飛び回るモノへの対処法は、スピカとの戦いで十分学んだ。


 そしてペケは、シャルノアに向かって駆け出した。シャルノアが万年筆を手元に戻し、宙に魔法陣を描き始める。だからペケは万年筆を瞬時強化し、筆先の動きを乱れさせた。

 シャルノアが、万年筆を後方へ飛ばす。ペケから十メートル以上離すことで、テンエンハンスを解除するのが狙いだろう。あえてその動きを強化し、万年筆を遥か彼方に吹き飛ばす。


「ふむ、判断力も悪くな――」

「――ペケプレス!」


 丸腰となったシャルノアをペケプレスで怯ませて、頭めがけて杖を振るう。だが、杖は小柄な風船クラゲに阻まれた。シャルノアが乾燥クラゲを口に含み、それを吐き出したのだ。


「だけれども、異界への愛がまだ足りない。魔法使いとは、異界に適応した存在さ。なら、ヘンテコを使いこなすのも魔法使いの実力だとは思わないかい?」


 風船クラゲに乗って、シャルノアは宙へ逃れた。そして、飛んで行った万年筆が戻ってくる。

 万年筆がひとりでに宙を駆け、一瞬にして空中に五十を超える魔法陣を展開した。そこから、五十を超える鎖たちが空へと放射状に伸びていく。その先にあるのは、谷の上部にひしめく帝王クラゲたちだ。シャルノアは、クジラほどの巨体を持つクラゲを、数十匹まとめてここに落とすつもりなのだ。そんなことをすれば、三人とも無事で済むはずがない。


「おや、ボクの狙いに気付いたようだね。だけれども、これを受けてもボクを妨害できるかい?」


 シャルノアがローブの中から取り出したのは、一冊の分厚い本だった。そしてその表紙には『魔法属性論』と書かれている。次の一手はすぐに読めたが、ペケには防ぐ手段がない。


「――ココロコーリング」



 直後に、ペケの脳内に無数の情報が流れ込む。頭蓋が軋み、うずくまる。気付けば悲鳴を上げていた。シャルノアは専門書一冊分の文章をまるごとテレパシーに変え、全ページ分を同時にペケに送ったのだ。知識の奔流に思考を掻き乱されながら、やっとのことで意識を保つ。


「キミを壊したくはないからね、この手はもう使わないよ。だけれども、これで準備は整った」


 光の鎖に繋がれた無数の帝王クラゲたちが、シャルノアめがけて落ちていく。帝王クラゲは、体の十割が水分だ。そんなものが何十匹も落ちれば、一帯は洪水となるだろう。


「さて、実験の時間だよ。魔導士だが魔導士ではないキミは、魔導士界ロゴスにどれだけ愛されている? さあ、ボクとキミの運試しだ! 大丈夫さ、キミならきっと生き残れると信じているよ」


 視界を埋め尽くすほどの巨大な水の塊が、流星群のように迫り来る。急いでニコの元へ駆け寄るが、回帰ゲートは短期間に何度も使えるようなものではない。逃げ場は、なかった。


「ペケったら、私の魔法がいくつあるか、忘れてない? 私だって、一人前になったんだよ」


 ペケの腕の中で、ニコが精一杯の笑みを浮かべた。傷だらけの手で〝Ⅱ〟の鍵が三度回され、回帰ゲートが展開される。帝王クラゲの大群がシャルノアに直撃し、そのまま地面にも衝突した。クラゲの体が衝撃で弾け、津波と化して周囲を飲み込む。ペケはニコを抱えてゲートに飛び込み、紙一重で津波から逃れる。そして二人は魔導士界ロゴスを離れ、魔女界グリムスへと戻っていった。


     ×××

 

 ペケとニコは、折り重なるように土の上に転がった。すぐに周囲を見回すと、木々の間に張り巡らされた細い蔓が目に映る。間違いない、ここはソラの森にある浮きカボチャの群生地だ。ペケとニコが初めて出会ったこの場所こそが、ニコの心の居場所だったのだ。


 だが感傷に浸っている暇はない。シャルノアの第五魔法は、おそらく他人の居場所や状況を把握するものだ。ニコの治療のためにも、探知が及ばぬ場所を探さなければ安心はできない。


「だけど、泉の底で見た限りだと、魔導士界ロゴスにいながら魔女界グリムス魔法少女界アリスの情報も手に入れることができていたはず。三界全部に作用するなんて、いったいどんな魔法を……」

「ラヴィが言ってたよ。シャルノアさんの魔法をジャックして、私たちを見つけた、って」


 息も絶え絶えにニコが呟く。エンゼルアローで操れるということは、魔法自体は発信機のように観察対象の近くにあるのだろうか。だがそうなると、広域を探知できる原理がわからない。


「ん? 三界の全部に? 魔法使いの近くに? ……そんな、まさか。でも、これなら」


 ヒントはあった。シャルノアの著書は、一冊残らず手書きだ。そして裏表紙には、大きく〝C〟の紋章が描かれている。だが、もしこれが紋章ではないとしたら。もしこれが全て魔法陣なのだとしたら。ペケは鞄から『新米魔女の魔女界グリムス入門』を取り出し、急いで投げ捨てる。


『うん、無事に解き明かすことができたようだね。ボクも嬉しいよ』


 突如脳内にシャルノアの声が響き渡り、ペケは肩を震わせる。ココロコーリングにより、シャルノアがペケの心へ文章を送り付けてきたのだ。


『ボクは本の一冊一冊に、文字通りココロを込めているからね。本はボクの分身なのさ。だからこれまで書いてきた八十万冊全ての位置と、その周囲の状況を把握するくらい朝飯前だよ。そして読者がボクの本を深く理解するほどに、ボクも読者を深く理解することができるのさ』


『第五魔法、コピーライトクラスタ。著書を通して読者と繋がるだけの魔法だよ。本を覗くとき、本もまた読者を覗いているというわけさ。ちなみに余談だけれども、ボクは魔力と思考の八割以上を常にこの魔法に割いているよ。どうだい、少しは参考になったかい?』


 魔法の規模も、同時発動数も、本人の情報処理量も、あまりに規格外すぎる。それ故に、堂々と魔法陣があっても気付けなかった。シャルノアは、ラヴィとは違った意味で化物だ。


 だが、これなら対処法はある。今いる場所はばれてしまったが、すぐに本がない場所へ逃げればいい。そうすれば、この広い異界でそう簡単には見つからないはずだ。

 しかし淡い希望はすぐに打ち砕かれる。森の遥か彼方で大気とマナが震え、森全体が激しくざわめいたのだ。ざわめきは、急速にこちらに迫ってくる。泉の近辺にもソラの森にも、固定式ゲートはなかったはずだ。しかし状況から考えて、シャルノアがやってきたと見るべきだ。


 だが、これは幸運でもあった。例え今逃げ切ったところで、ペケたちは今後も姿の見えない脅威に怯え続けることになる。それは、ペケの望みではない。ニコと交わした約束通り、二人で異界巡りの旅に出るためにも、過去とはここで決着をつける。


「ペケ! やるなら、私も一緒に――」

「ありがと、ニコ。見守ってて」


 身動きの取れないニコを茂みに隠し、思考を巡らせる。今まで培った技術と、泉で知ったペケの正体。その全てを組み合わせて、シャルノアを倒す手を編み出さなくてはならない。


 今度こそ、逃げ場はない。正真正銘、これが最後の戦いだ。

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