五章『魔女×魔導士×魔法少女の物語』

第50話「ニコが望んだ二人のカタチ」

 それは、あまりに危険な賭けだった。だが、ニコは賭けに勝った。二十を越えるエンゼルアローの閃光は、溢れかえったシャボン玉たちに突き刺さり、一つとしてニコに届かない。ニコは水筒に汲んだ泉の水を腕にかけ、目の前に無数のシャボン玉を生み出したのだ。

 エンゼルアローは、ココロあるモノを射抜く魔法。なら、追憶のシャボン玉は盾になる。


「クソが! 精神ココロ魔法ココロだけじゃねえ、思い出も立派なココロってか? だが、丸ごと全部吹き飛ばしちまえば関係ねえ!」


 ラヴィが鍵を胸元に刺し替え、〝♡〟の風船を召喚した。ココロが弾む魔法、トキメキバルーン。弾む風船は、膨れ上がって破裂すると嵐のような衝撃波を巻き起こすのだ。


「させないよっ!」


 ニコギロチンでナイフの刃と柄を切り離し、刃だけを素早く投擲する。膨らむ前の風船は、刃に刺されてパチンと割れた。すぐにニコギロチンを解除して、投げた刃を柄に引き寄せ回収する。

 だが、ラヴィもこれで終わらない。〝♡〟の魔法同士の距離を操る魔法、ココロマグネット。その魔法陣を靴底と地面に展開し、反発により一瞬でニコとの間合いを詰めてくる。


 ラヴィの掌底が放たれる。ニコはダブルドールを召喚する。そしてニコ人形を盾にすると見せかけて、すぐに人形の胴をニコギロチンで上下に裂いた。ラヴィの掌底が、人形の胴があった場所を空振りする。それが、ニコの狙いだった。ニコギロチンを解除して、人形の上半身と下半身でラヴィの腕を挟み潰そうとする。だが、ラヴィはとっさに手を引き回避する。


 ラヴィが小さなトキメキバルーンを二十個近く召喚し、それを足場に立体的に跳ね回る。その動きを、目で追うことはできなかった。魔女の直感だけを頼りに、ラヴィの突進を回避する。

 魔法使いにとっての心とは、マナの代謝器官であるとともに、マナや魔法を感じ取る感覚器官でもある。目で光を感じるように、耳で音を感じるように、心で周囲のマナや魔法、さらには他人の心を感じ取る。それが『想覚』と呼ばれる魔法使いの第六感だ。そしてどうやら、ニコの想覚は非常に発達しているらしい。確か、シャルノアがそんなことを言っていた。


 紙一重で避け続ける中で、ニコは異変に気付く。周囲に浮かぶ風船が、徐々に膨らんでいたのだ。すぐにその場を離れようとするが、跳ねるラヴィに行く手を阻まれる。


「だったら!」


 左手首をニコギロチンで切断し、それを残った右手で投げ、数十歩先の地面にペタンコペイントで貼り付けた。そして、ニコギロチンの解除により風船の包囲から抜け出そうとする。

 だが、それより先に風船たちが破裂した。直撃は免れたものの、余波だけで石柱に叩きつけられる。背骨が軋み、声にならない声が漏れた。倒れたニコに蹴りが迫るが、今度こそニコギロチンを解除して、氷の大地を滑るようにラヴィの間合いから離脱する。咳き込みながら、ふらつきながら、それでもニコは立ち上がる。


「おいおい、もうボロボロじゃねえか。これじゃ肩慣らしにすらならねえぜ?」


 言葉に反して、ラヴィの足取りは慎重だった。それを見てニコは気付く。ラヴィは試練を無視したせいで、泉に受け入れられていない。だから滑らかな氷上で、転ばないよう必死なのだ。

 だからといって、マジカルハート・ブレイカーを使うこともできないはずだ。滑る足場では、重い大槌をまともに振り回せない。それに、もし誤って泉のヘンテコを消してしまえば、ペケは溺れることになる。ペケを利用したいラヴィにとって、それは避けたいに決まっている。


 エンゼルアローは封じた。マジカルハート・ブレイカーも封じた。泉はニコに味方している。

 追い詰められているのは、むしろラヴィの方だ。痛みを堪え、ニコは強気な笑みを浮かべた。


「ハッ、まさか勝てると思ってんのか? 忘れちゃいねえよな。私は殺しても死なねえぜ?」

「だったらその真っ赤なハート、ひとつ残らず砕いてあげるっ! ――ニコギロチン!」


 背の高い石柱を根元から切り離し、ラヴィに向かって倒す。ラヴィはココロマグネットによる反発移動で回避するが、足が滑り着地が乱れる。その隙に、倒れた石柱の断面にマントを押し当て、ペタンコペイントでラクガキ化する。ラヴィには、見られていないと信じたい。


 体勢を立て直したラヴィが、悪態をつきながら突進してきた。ニコは闘牛士のようにマントを構え、ペタンコペイントを解除する。ラヴィがニコの意図に気付くが、もう遅い。マントから石柱が真横に突き出し、ラヴィの腹部にめり込んだ。ラヴィの体がくの字に折れ、大きく吹き飛ぶ。吐血しながら氷の大地を数度跳ね、別の石柱にぶつかって、ラヴィは地面に転がった。


 だが、魔女の猛攻は終わらない。痙攣しながら呻くラヴィも、ニコの狙いに気付いたのか目を見開く。そう、ラヴィの腹部には、石柱の断面のラクガキが描かれていた。

 石柱をラヴィに叩き込んだ際、ニコはもう一度ペタンコペイントを発動し、今度はラヴィの腹部に石柱を貼り付けていたのだ。そして反撃の隙も与えず、ニコギロチンだけを解除する。


 切断されラクガキとなった石柱が、元の位置に戻ろうとする。ラヴィの体が石柱の生えていた場所まで吹き飛んで、腹部が地面にくっついた。間髪入れずに、ペタンコペイントを解除する。石柱が一瞬で元に戻り、ラヴィの体が勢いよく突き上げられる。ラヴィだったモノが、宙を舞って地面に落ちた。だが、その体は真紅の光に包まれて、すぐに無傷の状態に戻る。


 ココロを奪う魔法、ラヴィテイカー。ラヴィは他人の魔法素質をルビーに変えてまるごと奪い、予備の命にできるのだ。残機の数は不明だが、とにかくこれでひとつ削った。


「やってくれるじゃねえか、この魔女が!」


 三つの〝♡〟の風船が、ココロマグネットで射出される。弾む風船は石柱にぶつかりながらスーパーボールのように跳ね回り、あらゆる角度から何度もニコに襲いかかる。そしてラヴィも氷上移動に慣れ始めたようで、一歩ごとに靴底と地面にココロマグネットを展開し、器用に吸引と反発を繰り返しながら機敏にニコへと迫り来る。氷の大地に〝♡〟の魔法が吹き荒れた。


「まだだよっ!」


 いくらスタミナを鍛えたとはいえ、二重発動の連発は負荷がかかる。だが一瞬でも気を抜けば、たちまちねじ伏せられてしまう。圧倒的な実力差を埋めるには、己を燃やして全力以上を出し続けるしかない。ニコは魔女の咆哮を上げ、〝Ⅱ〟の魔法の二重発動を繰り返す。


「ハッ! なんでそこまでアイツに入れ込む? 気持ちわりい、依存でもしてやがるのか?」 

「そうだったかもね! だけど、もう違うよ! だって私は、もう一人でも〝Ⅱ〟だから!」


 人も魔女も、一人では生きていけない。だが一人で何もできないようでは、それはただの依存でしかない。そして気付けば、ペケは自力で歩き始めている。なら、ニコも頑張るしかない。

 自立した二人が、それでも一緒にいたいと思えて、それでも一緒に支え合って、それでも残った弱さを埋め合うことができたなら、それこそがニコの望む在り方だ。


 体は悲鳴を上げていた。強がりで心を奮い立たせていなければ、すでに折れていただろう。だが、それで構わない。強がることも強さだと、ペケが教えてくれた。そのおかげで、ニコは今まで理想の魔女を貫けた。そして今、圧倒的な力を前にしても、ニコは魔女を貫けている。

 ずっと、絵本の中の勇敢な魔女に憧れていた。そして今、やっと理想の背中に追いついた。


「やっと並んだ! やっと届いた! 私が私に追いついた!」


 理想の自分と本当の自分、その二つが重なって、ようやく一人で〝Ⅱ〟になれた。


 強がることが、ニコの強さだ。強がれるだけ強がって、それに全部追いついて、それを全部追い越して、全部強さに変えてやる。もっともっと背伸びして、その先まで飛んでいく。

 〝Ⅱ〟の鍵は、いつの間にか溢れんばかりの輝きを放っていた。


「その光、まさか、バカな!」


 オレンジ色の光が煌めいて、ニコの中に四つ目の魔法を紡いでいく。

 〝Ⅱ〟とは、ペア、一対、そしてなにより今のニコそのものだ。


「――ツインウイング!」


 背中のマントに鍵を差し込むと、二枚の光の翼が生えた。ニコの体が宙に浮き、風より速く石柱の間を駆け抜けて、弾むバルーンを回避する。翼は二秒で消滅し、ニコは氷上に着地する。

 双翼の魔法、ツインウイング。たった二秒間だけ高速飛行ができる、ニコの第四魔法だった。


 二秒しか飛べないのなら、高く飛んでも落ちてしまう。そしてどうやらこの魔法は、再発動までのインターバルも二秒らしい。二秒飛び、二秒氷上を滑り、また二秒飛ぶ。地面すれすれの低空高速飛行を繰り返し、三つのバルーンが跳ね回る危険地帯から離脱する。氷の大地は、ニコを受け入れていた。走る時は滑らないが、滑りたい時はちゃんと滑ってくれるようだ。


 そして、魔女の直感が次なる戦法を導き出す。小石に鍵を突き刺して、そのままラヴィの方へ向け、鍵を回す。小石に光翼が生え、鍵先から矢のように飛び出した。小石はラヴィを追尾して、頬を掠める。これはモモカの第一魔法、百発百中のモモカストライクを真似た使い方だ。


 体勢を崩したラヴィめがけて、今度はニコ人形に光翼を生やし突進させる。ラヴィがとっさにトキメキバルーンを盾にするが、関係ない。空飛ぶニコ人形は急カーブし、すれ違いざまにラヴィの髪を掴む。そしてすぐ後ろにある追憶の泉へと、勢いのまま引きずり倒した。


 ラヴィの体が泉に浸り、追憶のシャボン玉が辺り一面に溢れ出る。それだけではない、シャボン玉のいくつかは、泉の底へと沈んでいく。これで、ペケにも今の状況が伝わるはずだ。


「そしてついでに約束通り、あなたの秘密とペケの秘密、ちゃんとこの目で覗かせてもらうよ!」

「やりやがったな、この魔女が! いいぜ、もういい。もう出し惜しむ意味はねえ!」


 泉から這い出たラヴィの瞳が、真紅に燃える。大気どころか、地面さえもが身震いした。今までのラヴィは、泉に沈んだペケに存在を悟られぬよう、魔法の出力を落としていたのだ。


「今度は何を見せてくれる? さあ、派手に弾けて爆ぜ散らせ!」


 トキメキバルーンが一瞬で膨らみ、衝撃波の嵐を巻き起こす。ナイフを投げる暇もなかった。ニコはシャボン玉とともに吹き飛ばされ、宙を舞う。ツインウイングを発動し、石柱にぶつかる前に空中で踏みとどまるが、それでも体中が悲鳴を上げていた。だが、ニコは強気に笑う。


「ありがとね、シャボンと一緒に飛ばしてくれて! おかげで、いろいろ中身が覗けたよ!」

「あ? お花畑もはなはだしい! てめえ、この状況でまだ笑うか?」

「もちろんだよっ! だって私は魔女だから!」


 目的は、いくつか果たせた。泉の底に、ラヴィの存在を伝えることができた。ラヴィの秘密も、ある程度だが知ることができた。そしてペケの正体も、ほんの少しだが見えてしまった。


 この真実をペケがどう捉えるかはわからない。ニコにできるのは、ペケを信じることだけだ。


 魔法少女の形をした災厄が、〝♡〟の魔法を撒き散らす。ペケにもう一度会うためにも、ニコは鍵を握りしめ、最後の力を振り絞る。

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