第46話「後戻りなき旅立ちを」


 魔導士界ロゴスに来て三十二日目。その日は、雲ひとつない快晴だった。

 シャルノアは外がまだ薄暗いうちに家を出て、予定通り大魔導祭へと向かって行った。


 ペケはニコにすぐさま事情を説明し、二人でシャルノアの書斎に向かう。五階建てのこの家は、一階に書斎やリビングなどがあり、二階と三階が全て書庫、四階が物置、五階が寝室とクラゲ部屋というつくりになっている。


 ここ一か月、室内にいる間は主に書庫とクラゲ部屋に入り浸っていたのだが、そこにエクセリアに関する手がかりは一切なかった。物置にも何度か入る機会があったが、あそこはシャルノアの異界コレクションで埋め尽くされており、勝手に立ち入るのも危険に思えた。調べるにしても、物置は最後にすべきだろう。

 それに、シャルノアは冒険時以外のほとんどを書斎か書庫で過ごしており、特に書斎にはなかなかペケとニコを入れたがらない。だから、まずは書斎から調べるべきだ。


 意外なことに、書斎に鍵はかかっていなかった。ペケが先頭となり、恐る恐る書斎に踏み入る。見たところ、前回ペケが入ったときと部屋の様子は変わっていない。ニコと手分けして机の中やカーテンの裏まで探してみるが、原稿や貝殻しか出てこない。


 ペケは考えを巡らせる。ペケの回帰ゲートはこの書斎に繋がった。シャルノアは〝エクス〟の魔導士とここで暮らしていた。これが偶然のはずがない。きっとどこかに手がかりはある。


「……あれ? 回帰ゲートでここに来たとき?」


 下を向いて考え込んでいたおかげで、大きな違和感にやっと気付く。そうだ、回帰ゲートを通ったとき、書斎の床は石畳だった。しかし、この部屋の床は石ではなく氷だ。


「まさか。でも、そうだ。……あのとき来たのは、この部屋じゃない」


 そこまで辿り付いた時、ペケの背後で何かが倒れる大きな音と、ニコの小さな悲鳴が聞こえた。急いで振り向くと、壁際の本棚が床に倒れ、その横でニコが腰を抜かしていた。


「あわわっ、ごめん! 勢い余って倒しちゃった! 本棚の裏、探そうと思って!」


 本棚があった場所を見る。石の壁面に、木製の扉がはめ込まれていた。それは、間違いなく隠し扉だった。素早く扉に駆け寄るが、当然鍵がかかっている。扉の周りに隙間もなく、ペタンコペイントでマントに押し込んでもらっても扉の向こうへは行けないだろう。


「ニコ、お願い。扉を壊して。後でシャルノアさんにバレてもいい。それでも、行かないと」


 この先に答えがあるかもしれない。そうでなくても、決定的な何かがある。ペケの拙い直感がそう告げていた。なら、躊躇っている暇はない。もう後戻りはできないが、構わない。


 ペケの決意を汲み取って、ニコはゆっくりと頷いた。そしてポケットから小石を取り出し、ニコギロチンで両断した。その片方を扉へ、もう片方を向かいの壁へと同時に投げる。


「遠隔ペタンコペイントッ!」


 両断された小石が、扉と壁のそれぞれにラクガキとして貼り付けられる。ニコはペタンコペイントの対象をひとつの小石に設定し、その後ニコギロチンで切り分けることで、疑似的に二か所同時にラクガキ化を行ったのだ。

 そして、次にニコギロチンのみが解除された。扉と壁のラクガキ同士が引き寄せあい、木製の扉が悲鳴を上げる。扉は壁から外れると、向かいの壁に激突した。


「へへっ、二重発動も遠隔発動も、もうバッチリだよっ!」


 ニコの額に汗が滲むが、それだけだ。魔力の枯渇により虚脱状態に陥ってはいない。第四魔法こそまだ修得できていないものの、ニコは着実に成長していた。


「ありがと、ニコ」


 隠し扉の先は、地下へと続く螺旋階段となっていた。毎夜動き回る家に地下があるとは、誰が想像できただろうか。期待と不安で、心臓が痛いほどに脈打った。

 ランタンクラゲに照らされた階段を降り、すぐに地下室に辿り着く。そこは、あまりに見覚えがある場所だった。


 石畳の床が特徴的な、小さな書斎。そこは一ヶ月前に回帰ゲートが繋がった場所だった。だが、それだけではない。

 夢で何度も思い出す、あの始まりの記憶の場所でもあったのだ。


 訳がわからず、膝から崩れ落ちる。石畳の冷たさが、ペケの記憶を呼び起こしていく。相変わらず、言葉ははっきり聞こえない。視界も霞み、ほとんど見えない。だが、それでもわかることがあった。今までは、脳が理解を拒否していただけだ。


 ――なあ、おい! 無事か? しっかりしろよ、死ぬんじゃねえぞ!

 ――やめたほうがいい。今の彼女に必要なのは、何より安静と休息だよ。


 今なら、おぼろげな声色だけでもはっきりとわかる。だが、理解が追いつかない。

 始まりの記憶の中で、この書斎にいた二つの人影。それは、ラヴィとシャルノアだった。


     ×××


 それからのことはよく覚えていない。ようやく我に返ったとき、ペケはリビングにある泡のソファで横になっていた。ニコはソファに寄りかかり、ペケの瞳を心配そうに覗きこんでいる。


「……ニコ。わかったことが、いくつか増えたよ。わからないことが、いくつも増えたよ」

「それでも、まずはゆっくり休まないと。だって、ペケったらすっごく顔色悪いもん」

「でも、今言わないと。ニコ、しっかり聞いて」


 そしてペケは、思い出した記憶を全て語った。ソラの森で目覚める前に、ペケが地下の書斎にいたこと。そこにシャルノアと、なぜかラヴィがいたこと。ラヴィがペケの身を案じ、シャルノアがそれを制したこと。にわかに信じがたい内容を、一気に吐きだした。


「とにかく、私があそこにいたのは間違いない。私、やっぱりエクセリアなのかも」


 ニコは最後まで話を聞くと、真顔で何度か頷いた。そして、ひび割れた鏡をペケに差し出す。


「これ、なに?」

魔法少女界アリスの特産品、鏡写真だよ。地下の机に飾ってあったの。でも、これって……」


 鏡面には、二人の魔導士が写っている。一人はシャルノアで、もう一人は見たこともない小柄な魔導士だ。だが小柄の魔導士は、ペケと同じ杖を持っていた。そしてその胸元では、青い〝X〟の鍵が煌めいていた。

 まさかと思い、鏡を裏返す。そこには、シャルノアの字でこう書かれていた。


 ――親愛なる〝エクス〟の魔導士、エクセリア・サイルーンに捧ぐ。


 違う。ペケとは明らかに姿が違う。ペケはエクセリアではない。なら、ペケは一体何なのか。

 手がかりが増えるほどに、わからないことも増えていく。


 ――地下の書斎で何があった? なぜラヴィがあそこにいる? そもそもラヴィとシャルノアは本当にグルなのか? なぜシャルノアはペケを助ける? なぜヒントを与える? シャルノアは何がしたい? ペケがテンリでもクロスでもエクセリアでもないのなら、今まで集めた手がかりは一体何だったのか? 何の意味もなかったのか? 全てふりだしに戻ったのか?


 いや、違う。全てが無駄なんてことはない。情報の使い方がわかっていないだけだ。それに今までの旅があったから、ペケはここに辿り着いたのだ。だが、このままでは埒が明かない。


「ねえ、ニコ。考えがあるんだ」


 こうなっては、安全圏はどこにもない。今日は魔導士界ロゴスに来て三十二日目。最悪を想定した場合、ラヴィが自由になるタイムリミットまで残り約二か月。予定より早いが、やるしかない。


「追憶の泉に、行こう! ニコ、付いてきて!」


 ニコはぽかんと口を開けるが、すぐに強気な顔に戻り、拳を突き上げる。


「善は急げ、魔女は走れ、ってね! こうなったら、何が何でもやるっきゃないよ!」


 今まで、ペケたちはずっと後手に回っていた。ずっと得体の知れない事件に巻き込まれ続けてきた。だが今回だけは違う。ラヴィが身動きを封じられ、かつシャルノアも不在。今だけは、ペケたちが先手を取れるのだ。追憶の泉に挑むのに、これ以上の好機は二度と来ないだろう。


 最大の不安は魔法の熟練度不足だが、この一か月でペケとニコは着実に成長している。それでも足りない分は、気合と機転で乗り切るしかない。あいにく、できる範囲で最善を尽くすのには慣れている。


「でも、どうやって泉まで向かえばいいんだろ」


 泉がある方角には、渓谷や氷山が連なっている。羊車やイカダで移動するのも困難だろう。

 そこまで考えたところで、泉に関する情報を当然のように信じている自分に気付き、笑ってしまう。こんな状況でも、シャルノアの異界に対する真摯さだけは本物だと思えたのだ。それに、これを疑ってしまってはそれこそ打つ手がなくなってしまう。


 そのとき、リビングの窓を伝書イルカがノックした。一階の書斎に誰もいないので、シャルノアを探しに来たのだろう。伝書イルカの姿を見て、ニコが弾かれたように立ち上がる。


「ニコ、まさか」

「もちろん、そのまさかだよっ!」


 ニコがやろうとしていることは、あまりに無茶だが同時に最も現実的だった。実力が足りないのなら、リスクを負うのは当然だ。ペケは覚悟を決め、ニコの策に乗ることにした。


 二人は一度リビングを離れ、急いで旅の準備を整える。長旅の場合、大量の荷物は機動力を削ぐだけだ。必要最低限のモノを持ち、残りは現地調達するのが異界の旅の鉄則なのだ。

 水筒、ナイフ、毛皮、ロープ、火打ちクルミ、救急用具、双眼鏡、お守り代わりの『新米魔女の魔女界グリムス入門』。いつもの冒険道具を小さな鞄に入れ、残りスペースに乾燥クラゲを大量に詰め込む。


 そして二人はリビングに戻る。まずはイルカに、追憶の泉がある方角と、その入口の目印である二重螺旋の滝を教える。魔導士界ロゴスのイルカは非常に賢く、すぐに尾びれを縦に振った。


 次に、リビングのカーテンを取り外して床に広げる。その上に二人で立ち、手を繋ぐ。そしてニコがダブルドールを召喚し、準備はすべて整った。

 ペタンコペイントで、二人はカーテンに描かれたラクガキとなる。すぐにニコ人形がカーテンを折りたたみ、視界が暗闇に包まれた。


 魔法とは、ココロの顕現。ニコは魔法を鍛える中で、ニコ人形と心で繋がり五感を共有することに成功していた。だからニコの視界が封じられても、ニコ人形の視覚情報を頼りに操ることができるのだ。そして折りたたまれたカーテンは、郵便物として伝書イルカに託される。


 険しい地形があるのなら、自身が郵便物となり、空を泳げる伝書イルカに運んでもらえばいい。それがニコの作戦だった。常識外れだが、二人の実力を考えれば最も堅実な策でもある。


 宛先は、魔導士界ロゴスの最果て。伝書イルカは、弾丸の速度で飛び出した。

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