第45話「巡る疑念は書斎の中で」
「うん、ヒトとしてのあらゆる機能に特段異常は見られない。それに、鍵の機能も正常だ。つまり記憶がないこと以外、キミはすこぶる健康体さ。あの状態から、よくここまで回復したね」
シャルノアは満足げに手を叩く。ちなみに釣竿の麻痺毒が想定外に強かったらしく、シャルノアの左手は先日完治したばかりだ。そのせいで、ペケの検査がここまで遅れてしまったのだ。
「それにしても、何とか検査が間に合ってよかったよ。まだ言ってはいなかったけれど、ボクは来週からしばらく家を空ける予定でね。大魔導祭で、ぜひとも入手したいものがあるのさ」
どうやらシャルノアも大魔導祭に行くようだ。この機会を逃すものかと、ペケは問いかける。
「それ、私とニコも連れて行ってもらえたり、しませんか?」
「残念だけれども、それは難しい。ここから
聞けば、ここは最寄りの支部摩天楼までも一週間ほどかかるような僻地らしい。
これでは、どうやっても大魔導祭には間に合わないだろう。ペケは、大きく肩を落とした。
「だけれども、キミがそこまで大魔導祭に行きたがるとは意外だね。何か用でもあるのかい?」
「あの、実は友達が
モモカの名を聞き、シャルノアが一瞬動きを止めた。意外な反応に、ペケは首をかしげる。
「モモカのこと、知ってるんですか?」
「ああ、彼女には以前とても世話になっていてね。今はもう引退したようだけれど、彼女は百戦錬磨の冒険者だ。だから三年前、ボクが『
一流の魔法使い同士ともなれば、思いもよらぬ縁があるものだ。ペケは今になって、モモカの凄さを実感し始めていた。
「それに、落ち込むことはない。ちゃんと土産は山ほど買ってくるよ。ああそうだ、実はボクの万年筆も大魔導祭で手に入れた代物でね。天樹のボディに、雲編みワシの爪のペン先、天海クジラ革のグリップ。三界のヘンテコを組み合わせた、これ以上ない逸品さ。しかも……」
語り出したシャルノアは止まらない。シャルノアの長話にも、気付けば慣れてしまっていた。
ともかく非常に残念だが、大魔導祭に行くのは諦めざるを得ないようだ。ペケは息を長く吐き出し、思考を完全に切り替える。ここからは、本来の目的であるエクセリアの情報収集だ。
結局、ペケはこれまでシャルノアから何も情報を引き出せずにいた。だが、今日という日はこれ以上ないチャンスだった。シャルノアの書斎に入るのは、回帰ゲートで来た時を除けば初めてなのだ。少しでも手がかりがないものかと、ペケは改めて書斎を見回す。
融けない氷でできた床、石の壁、銀細工の棚、大理石の本棚と机。書斎は実験室も兼ねているようで、棚には原形を留めていない人間界の時計や観葉植物などが並んでいる。きっと、どこまでの加工なら異界製と見なされず純白の門を通れるのかを研究しているのだろう。
「……ん? なんだろ、あれ」
隅に置かれた机の上では、鍵の刺さった万年筆が勝手に本を書いていた。万年筆は目にもとまらぬ速さで動き、五分に一冊ほどのペースで本を書き上げ続けている。おそらく身体検査の間もずっと書き続けていたのだろう、机の横には完成した本が山のように積まれていた。
万年筆は筆先で器用にページをめくり、瞬時に本文を書き綴り、そして仕上げにトレードマークである〝C〟の紋章を裏表紙に描いていく。そして、本はまた一冊完成する。
「どうだい? 万年筆を自在に操るだけの魔法でも、磨けばここまで光るのさ」
よくぞ気付いてくれたとばかりに鼻息を荒くし、シャルノアは異界の出版事情を語り始める。
異界には、まともな印刷技術が存在しない。精密な機械ほどすぐに細部が変質し、誤作動を起こしてしまうからだ。そのため異界にある本や雑誌のほとんどは、人間界で刷られた上で持ち込まれている。だが、人間界の紙も徐々にマナで変質するため、長期保存には向いていない。
だからこそシャルノアは、異界の羊皮紙とインクを使い、全ての本を異界で書き上げているという。すでにマナが宿ったものは、さらなるマナに晒されても変質劣化しにくいのだ。
シャルノアは食事中も睡眠中も常に無意識下でシャルノアコマンドを発動し続け、本を大量生産している。そんな生活を十数年も続けた結果、気付けば魔法を極めてしまっていたらしい。
もはや執念をも超えた、シャルノアという魔導士の生き様だった。
「まさかシャルノアさんの本って、異界に流通している数十万部、一冊残らず自筆……ですか?」
「ああ、そうさ。ちなみに、過去に見つけた秘境のひとつに時の流れが隔絶された洞穴があってね。入門書の生産がどうにも追いつかないときは、そこに篭ったりもしたものだよ」
そのとき、伝書イルカが書斎の窓をノックした。シャルノアは話を切り上げ、窓を開ける。
「話の途中ですまないけれど、キミに一つお願いだ。本の受け渡しを手伝ってもらえるかい?」
窓の外では、枢機摩天楼行きのイルカの群れが一列に並んでいた。ペケとシャルノアは、書き上がったばかりの分厚い本を五冊ずつイルカに託し、代わりに白紙の本を受け取っていく。
「でもこれだけ大量の本、素材集めや製本も大変だったりしませんか?」
「今までは優秀な弟子がいたから、苦労なんてなかったけどね。だけれども、今はこうして枢機摩天楼に本の準備を頼んでいるよ。まったく、惜しい弟子をなくしたものだ。〝
「……へっ? あの、その、ええと…………え?」
動揺が、つい表に出てしまう。シャルノアは、エクセリアのことを隠したいのではなかったのか。なぜ今になって当然のように語るのか。もしや、チサトからの手紙のことを知っているのだろうか。それとも、ペケとエクセリアは本当に何の関係もないのだろうか。シャルノアも、本当に何も知らないのだろうか。シャルノアの意図が、まるで見えなかった。
「あの、〝
必死に平静を装いながら、声を絞り出す。シャルノアは、ペケを不思議そうに見つめていた。
「ああ、そうか。記憶を持たぬキミならば、当然気になる疑問だったね。だが、安心するといい。異界のあらゆるヘンテコに誓って、キミはエクセリアくんではない。彼女はもともとここに住んでいたけれど、すでに魔法を失って、今は人間界で暮らしているよ」
鍵の破壊による人間界への強制転移の場合、固定式ゲートを通らないため中枢に記録は残らない。しかも、異界には人間界のあらゆる文化圏から魔法使いが集まっている。政府や枢機施設といえども、離脱した元魔法使いをすぐに全て把握するのは難しいのだろう。
だが、そんな言葉だけでは到底信じられるはずもない。懐疑の視線に気付いたのか、シャルノアは頭を掻く。
「ボクは嘘が何より嫌いだ。だってほら、嘘は真実を歪めてしまうじゃないか。そんな愚行、このボクが許容できるはずもない。だからどうか信じて欲しい。ボクは決して嘘をつかないよ」
その目はあまりにまっすぐで、ペケは思わずたじろいだ。
「なら、エクセリアさんのこと、なんで今まで言ってくれなかったんですか?」
「キミがエクセリアくんではないからだよ。いらぬことを言ってキミを混乱させたくなかったのさ」
一応、理屈は通っている。だが、膨らんだ疑念はそうそう晴れるものではない。かといって、これ以上聞いてもシャルノアは答えを変えないだろう。ここは、慎重になって一度引くべきだ。
ペケは会話を切り上げて、本の受け渡し作業に戻る。勝負は、翌週以降。シャルノアは、大魔導祭のため数週間ほど家を空ける。その間に決定的な証拠を見つけ、真偽を明らかにしてみせる。
部屋を物色するのは少々気が引けるが、手段を選んではいられない。
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