第44話「できることから一歩ずつ、できないことも少しずつ」
空の上で揺らめく水面、その向こうから差し込む日差し、空中を泳ぐ魚達。この世界で暮らしていると、自分が水槽の中にいるかのような錯覚を受ける。
「……よし」
この家は、どうやら夢遊病らしい。夜をまたぐたび、元いた場所からずれている。一晩で数キロメートル動くこともあるのだが、気にしていても仕方ない。
自生していた蛇口を捻り、顔を洗う。馴れた動きで薪割りを終え、身の丈ほどの杖を構える。早朝の薪割りと魔法鍛錬は、今でも変わらずペケの日課だ。
「もっと弱く。もっと強く。もっと自在に」
ツリボリ湖への冒険以降も、ペケとニコはほぼ毎日シャルノアの野外探索へ付いていき、経験を積んできた。そこで得たものを自分なりに消化しようと、ペケは反復練習に励む。
十連射したペケプレスを、全て別の標的に命中させる。速度の違うペケプレスを二連射し、空中で衝突させる。杖で薪を殴ると同時にペケプレスを炸裂させ、殴打の威力を高める。
バッテンバインドをフリスビーのように横向きに撃ち出し、回転によりカーブさせる。溜めたバッテンバインドで地面に空いた井戸穴を塞ぎ、帯の弾性を活かしてトランポリン代わりにする。
バッテンバインドの強度を下げる代わりに弾性と粘着力を限界まで上げ、トリモチのように粘つかせる。バッテンバインドの出力を限界まで落とし、絆創膏サイズの〝X〟の帯を三連射する。
〝X〟は、変数を意味することもある。それを意識し始めてから、魔法の各種パラメータ調整もかなり自在に行えるようになってきた。特に、サイズと強度が極端に劣化するとはいえ、バッテンバインドを連射できるようになったのは大きな成果だ。役に立つかは分からないが、選択肢は多いに越したことはない。
だが、問題はここからだ。テンエンハンスを、ペケは未だに制御できずにいた。
「――テンエンハンス」
十個の〝X〟の魔法陣を一つ消費し、前に踏み出す。爆発的に体が加速し、受身も取れずに転がった。今度は横にステップするが、それでも宙で半回転し、肩から地面に落下する。
「……まだ、やれる。もっと、やれる」
打撲や擦り傷もお構いなしに、ペケは何度もテンエンハンスを発動し、何度も転び続ける。
テンエンハンスによる強化は、局所的かつ瞬時的だ。しかも毎回微妙に出力が変動するため、非常にコントロールが難しい。脚を強化すれば急加速して転び、腕を強化し杖を振るえばあまりの速度にすっぽ抜けるか、体勢を崩して空振りする。
煙突島ではこの欠点を利用してあえて相手を強化したが、それにもリスクはある。ペケは魔法を複数同時に使えない。つまり他者にテンエンハンスを纏わせると、その間ペケは無防備になるのだ。敵の数や種類、周囲の環境次第では、このリスクは致命的なものにもなりえる。
――欠点を強みに変える発想力は、同時にキミの足枷にもなっている。
シャルノアの言葉を思い返す。ペケ自身でも、足りないものはわかっていた。
今の自分を正しく理解し、今できる最善を模索する。弱さを受け入れ活用する。それがペケのやり方だった。だからこそ、弱さを受け入れ克服するという、そんな当たり前が欠けていた。
だからペケは、テンエンハンスによる自己強化を地道に練習し続けている。もしかするとそのうち新たな応用を思い付くかもしれないが、それでも自己強化はきっと役に立つはずだ。
――できることから一歩ずつ、できないことも少しずつ。
新たな決意を噛みしめて、ペケは己の限界に挑んでいく。
三十分ほど経ったところで、寝ぼけたニコが庭に下りてきた。
今度は、二人で魔法の練習をする。ニコが最近取り組んでいるのは、魔法の二重発動に耐えるためのスタミナづくりだ。魔法の遠隔発動や二重発動による弊害は人それぞれで、どちらかといえば出力低下や精度低下が起こる場合が多いという。だが、ニコは違う。無茶な背伸びの結果なのか、心身への多大な負荷と引き換えに、出力や精度はほぼそのままなのだ。
だから心身のスタミナさえ追いつけば、二重発動は即戦力の武器となる。しかも、ニコの魔法は組み合わせの相性もいい。二重発動を自在に使いこなせれば、できることは無限に広がる。そうなれば、第四魔法の修得も見えてくるだろう。
「……ん。さすがに、少し疲れたかも」
「そろそろ、休憩にしよっか!」
体力と魔力を限界まで出し切ったところで、二人は仰向けに地面に倒れる。辺りでは風船クラゲが宙を漂い、二人をもの珍しそうに眺めていた。
風船クラゲは、宙をゆらゆら漂うだけの無害なクラゲだ。小型の気球にも似た体は、乾燥させるとポケットに入るほどに縮むため、非常食や携行用簡易テントとして魔導士の間で人気が高い。
できれば冒険用に数匹捕まえたかったが、あいにく体力は尽きている。隣では、お腹をすかせたニコが気力で起き上がり、必死にクラゲめがけてジャンプしていた。
そしてようやくペケも起き上がったとき、クラゲの群れを掻き分けて、一頭の伝書イルカがやってきた。そしてイルカは、クラゲを見上げるニコの顔に封筒を落として去っていく。
「わわっ、なにこれ? ……ねえペケ、これ、
ペケも慌てて封筒を覗きこみ、その差出人を見て思わず小さな声を漏らす。手紙は、枢機時計塔の窓口担当にしてモモカの姉、〝一〇〇〇〟の魔女であるチサトからのものだった。
ついに、ペケの身元が判明したのだろうか。堅苦しい挨拶文を読み飛ばし、二人は本題に目を通す。だが、そこには奇妙な報告が書かれていた。
『現在調査を進めているところではありますが、ペケさんの身元についてはいまだ特定しきれておりません。しかし、いくつか非常に重要な情報が得られたため、報告させて頂きます』
『まず、妹の友人でもあった〝
『そして三界全土の〝X〟の魔法使いのうち、現在消息不明となっているのは二名のみです。一名は既にご存知かと思いますが、〝
『もう一名は、〝
『ここまでが、枢機時計塔の総力と、私の千里眼魔法・チサトスコープによる調査の結果です。鍵紋があてにならない以上、身体的特徴等を判断基準とするしかない状況ではありますが、エクセリア・サイルーン氏については鍵紋以外の記録もないため、今後も調査を進めていく予定です。また新たな情報が入りましたら、追って連絡いたします』
報告文を読み終え、ペケは言葉を失っていた。予想だにしない情報に、脳が混乱する。
「えーと、つまりペケの正体って、エクセリアって魔導士なの? でもそれだと、あれ?」
ニコは必死に頭を捻り、唸っている。だが、何と答えればいいかわからなかった。
他に候補がいない以上、ペケはエクセリアという魔導士である可能性が非常に高いのだろう。だが、そのエクセリアがシャルノアに弟子入りしていたとは、一体どういうことなのか。
確かにペケがエクセリアなら、回帰ゲートが
「……ん、よし」
魔女帽を深く被り直し、徐々に思考を整えていく。まず、今ある情報だけではどうやっても明確な答えは出ない。だからひとまず、判断材料のひとつとしてそのまま受け入れる。
そして、今やるべきはシャルノアからエクセリアの情報を引き出すことだ。完全な見当違いの可能性もあるが、焦らず慎重に探りを入れていく必要がある。
「ニコ。この手紙のこと、シャルノアさんには一応秘密にしておいて」
「まかせてっ! 魔女の口はクルミより固いよ!」
得た情報を整理しながら、ニコと議論を交わしていく。旅の中で手がかりは増え続けているが、どうにも答えが見えてこない。パーツはほとんど揃っているのに、核となる部分だけがすっかり抜け落ちているようだ。出口のない考察は、腹の虫が鳴るまで続いた。
ニコの持つ懐中時計は、午前六時半を指していた。ペケとニコは、手紙に改めて目を通す。
「ねえねえ、見て見て! モモカも
つい見落としてしまっていたが、チサトの手紙の最後には、近況報告が綴られていた。
『ところで、お二人は近々
モモカは、テンリのことをとてもよく慕っていた。テンリが無事だったことへの安堵も、異界でともに暮らせない悲しみも、どうしようもなく大きいのだろう。その傷は、ペケやニコが何とかできるものではない。だけれども、一緒に祭りを楽しむことはできるはずだ。
お互いこんな状況だからこそ、心に娯楽は必要だ。魔導祭が始まるのは、二週間後。祭りは十日間ほど続き、枢機摩天楼と
気付けば朝食の時間が来たようで、一階の窓からシャルノアが二人を呼んでいた。大魔導祭についてニコと語り合いながら、ペケは石造りの家へと戻っていった。
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