第43話「異界に捧ぐ、壊れた誓い」
「……やっと、着いた」
マーライオンをやっとの思いで振り払い、ペケたちはついに目的地と辿り着く。ここは丘の中心に位置する巨大な湖、ツリボリ湖。今日はここに、食器や家具を釣りに来たのだ。
「すまないね、キミたちを知るためとはいえ、少々手荒だったかい?」
「へへっ、ちょっぴりビックリしましたけど、ちょっぴり面白かったです! ねっ、ペケ?」
ニコに同意を求められ、小さく頷く。ニコと一緒なら、多少の無茶も嫌ではない。さすがに少し気恥ずかしくて、呆れたふりでごまかすことも多いのだが、ニコにはいつもばれてしまう。
三人は湖を覗きこみ、浅瀬を泳いでいた釣竿を捕まえる。これで、釣りの準備はできた。
「気をつけた方がいい。このあたりの釣竿は、針先に毒を持つからね。この前試してみたときは、半日ほど穴という穴から赤紫の煙を垂れ流すハメになったよ。キミたちも見てみるかい?」
ペケとニコが止める間もなく、シャルノアはおもむろに左手首に釣針を突き刺す。左手は何度か激しく痙攣し、力なくだらりと垂れた。その様子を、シャルノアはじっと観察していた。
「ふむ、これは面白い。この黄色い釣竿は、どうやら局所的な麻痺毒を持つようだね。色によって毒の効果が違うとは、なかなか気が利いているじゃないか」
「わわっ! シャルノアさん、大丈夫ですかっ? どうしよう、すぐに何か手当しないと!」
「ニコくん、どうか安心して欲しい。あいにく、ボクの体はとうの昔に毒と呪詛とヘンテコに侵され尽くしてしまっていてね。今まで試したものに比べれば、このくらい誤差に過ぎないよ。それに、異界探究のためならばどんな犠牲も安いものさ」
全てが気まぐれな異界では、己の体こそが最も信頼できる実験材料なのだろう。理屈はわからなくもないが、頭のネジが外れている。一線を超える覚悟は、ペケには真似できそうにない。
シャルノアは、麻痺した左手を興味深げに触っていた。その様子を眺めていたペケは、小さな異変に気付いてしまう。今までは袖の長いローブに隠れてよく見えていなかったのだが、シャルノアの左手薬指はいびつに捩れ、その爪に至っては鈍い金属光沢を放っていたのだ。
「……その指、いったいどうしたんですか? まさか、毒針の影響で?」
「なに、これはまた別件でね。しばらく前、ボクでもまったく代謝が追い付かぬほどの超高密度のマナ塊にこの指を晒してみただけさ。その結果がこれだよ。なかなか興味深いだろう?」
隣では、ニコがぽかんと口を開けている。言葉を失うニコの代わりに、ペケは問いかける。
「なんで、そんなことを?」
「言っただろう? どこまでの変質なら純白の門を通れるのか、ボクは最近研究しているってね。だが、この程度の変質なら問題なく人間界に渡航できたよ。純白の門も意外と甘いのさ」
「でも、もしかしたら、人間界に戻れなくなるかもしれないのに」
「ヘンテコのない色あせた世界に未練はないよ。元より、ボクは異界に骨を埋めるつもりさ」
曇りのない藍色の瞳に、ペケは思わず身震いする。確かに、異界に永住する魔法使いもごく少数だがいると聞く。だが、『帰らない』と『帰れない』とでは、覚悟の質がまるで違う。左手薬指の変質は、異界に永久の誓いを立てているようにも見えた。
二人の困惑をよそに、シャルノアは何事もなかったかのように右手で釣りを始めていた。
釣りを始めて三十分が経過した。苦戦するペケとニコの隣では、シャルノアが次々と銀食器を釣り上げていく。シャルノアの家には、今まで食器が二人分しかなかったのだ。これだけ釣れば、三人で暮らすのにも不便はないだろう。
シャルノアは大理石の本棚を釣り上げると、疲れ切った様子であおむけに倒れる。
「やはり、力仕事は性に合わない。まさか大物を一匹釣った程度で体力が底をつくなんてね」
言葉とは裏腹に、シャルノアはひどく上機嫌に見えた。まるで、遊び疲れた子供のようだ。
「では、キミたちが釣りに興じている間、ボクはキミたちの魔法について話をしよう。せっかく、実力も観察させてもらったことだしね」
試行錯誤を繰り返すペケをじっと見つめ、シャルノアは早口で語り出す。
「まず、やはりキミは面白い。鍵をどこにも刺さないとは、あんな魔法は初めて見る。それに特性を加味しても、あまりに魔法の出力が低すぎる。今さらだけど、何もかもが想定外だよ」
まるでわけがわからない、とシャルノアは愉快そうに笑う。
「だからこそ、キミの
「ええと、ありがとうございます」
ペケは短く礼を言い、釣りをしながら考え込む。今のペケに足りないものは、星の数ほど思いつく。シャルノアは、一体どれのことを言っているのだろうか。
シャルノアは興奮冷めやらぬ様子のまま、今度はニコへと向き直る。
「そしてニコくんは……正直に言って驚きを隠せないよ。〝Ⅱ〟というモチーフの寄与も大きいのだろうけれど、まさかすでに魔法の遠隔発動も二重発動も使いこなせているとはね」
「へへっ、やった! だけどすぐにバテちゃうから、能ある魔女のとっておきって感じです!」
魔法の多重発動はリスクも大きい。個人差はあるが、心身への負荷、魔法の出力低下や精度低下などが起こりえる。現にニコは、二重発動を一度使っただけでも酷く疲弊していたはずだ。
「いや、キミには十分伸びしろがある。負荷など些細な問題さ。だってキミは大食いだろう?」
確かにニコは食欲旺盛だ。だが、話の繋がりがわからない。ペケとニコは首をかしげた。
「三度の飯も魔女の糧とは、まったくよく言ったものだよ。異界の食材には当然マナが含まれている。そしてそれを大量摂取できるということは、マナ代謝能力が極めて高いということに他ならない。その優れた代謝を今以上に磨いていけば、いずれ負荷も軽減されていくはずだよ」
「よくわからないけどわかりましたっ! まずは色々やってみます!」
魔法使いは、マナを代謝して魔力に変換する存在だ。つまりマナ代謝能力が優れているということは、魔力の絶対量や回復速度も優れているということなのだ。ニコが魔力欠乏からすぐに回復したのも、これが理由なのだろう。
「二人とも、よくぞここまで異界を愛し、魔法を育ててきたものだ。その意志に、ボクは最大の敬意を表するよ。今は種火に過ぎないけれど、キミたちはきっと立派な魔法使いになるだろう。他ならぬこのボクが保証するよ」
シャルノアは、それ以上を語ろうとはしなかった。魔法とは、己の心の在り方だ。ここから先は、ペケたち自身で見つけなければ意味がないのだ。
結局それからの二時間で、ペケはコップを三つ、ニコは長靴二足と釣竿七本を釣り上げた。
「さて、今日はここまでにしようか。お目当ての食器と、おまけに机も釣れたしね」
天に広がる海原が、一瞬にして夕焼け色に染まっていく。
広げた布の上に食器と本棚を無造作に並べ、ニコのペタンコペイントでまとめてラクガキに変えて押し込む。そして、三人は帰路に着いた。
慣れとは恐ろしいもので、帰りのイカダはほんの少しだけ楽しかった。
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