第41話「異界の日々は決意とともに」
それからの日々は早かった。
それは
結論から言うと、追憶の泉への行き方はあまりにあっけなく判明した。
「追憶の泉? ああ、もちろん知ってるよ。まあ、半年前にボクが見つけた場所だからね」
「……へっ?」
思いもよらぬ幸運に、ペケとニコは顔を見合わせる。シャルノアが不在の午前中、二人は二、三階の書庫を漁ったものの、泉に関する記述を見つけることはできなかった。だが、念のためシャルノア本人にも聞いてみたところ、返ってきたのはこれ以上ない答えだったのだ。
「そもそも新天地の約半数はボクが発見したものだから、偶然というより必然に近い気がするけどね。おおかた、チルダくんから泉のことを聞いたんだろう? 異界を巡り歩いてばかりのボクは、枢機施設のスタッフたちにはいつも世話になっていてね。せめてものお礼にと、機会があれば冒険の土産話をしているのさ」
異界は端に行くほどマナが濃くなり、世界の無秩序さも加速する。正確には、マナが最も薄い地域に
そしてシャルノアは、常に異界探索の最前線にいる。だがシャルノアに言わせれば、今現在
「あっ! ってことはもしかして! 実は追憶の泉って、ここからすっごく近かったり?」
「まあ、遠すぎるほどではないさ。だけれども、たやすく行けるとは思わない方がいい」
風船クラゲとクリオネモドキのマリネを頬張りながら、シャルノアは窓の向こうを指差す。
「十日ほど進んだ先に、天まで伸びる二重螺旋の滝がある。そこが泉へ至る険しい道の入口さ」
「……入口、ですか?」
「そう、それでもまだ入口だよ。そこから泉に辿り着くまで、さらに七日はかかるだろう。しかも、泉へ至る道のりは正直ボクにも未知のモノばかりだ。ボクとしては、キミのような希少なサンプルをみすみす失うような真似はしたくない。それでも行くつもりかい?」
ペケとニコは、同時に頷く。それを見て、シャルノアはやれやれとばかりに首を掻いた。
「そうだろうとは思ったよ。だからこそ、聞かれるまで教えたくなかったのさ。ボクも同行できるなら危険など誤差に過ぎないけれど、あいにくそうもいかないからね」
「……どういうこと、ですか?」
「これがまた厄介なんだが、あの泉は、挑む者を見定める癖があるようでね。道中でボクが手を貸すと、あの領域の機嫌を損ねる恐れがあるのさ」
どうやら追憶の泉ほどの秘境となると、それぞれの領域自体が独自の意志や秩序を持つらしい。ペケたちがこれから挑むのは、そういう場所なのだ。握りしめた手に、汗が滲んだ。
「だから泉に行きたいのなら、キミたち自身の力で挑むことだ。どうせ止めても聞かないんだろう? ならせめて、ボクはキミたちを鍛えよう。ボクにできる、最大限の手助けさ」
ニマリと笑うシャルノアに、ペケとニコは声をそろえて礼を言う。
「むしろ、礼を言いたいのはこちらだよ。この手でキミを育てられるとは、これ以上があるものか! キミという名の可能性を、未知に包まれた本質を、キミの全部とその先を、ともに解き明かそうじゃないか! ああ、心が疼いて仕方ない!」
恍惚の表情を向けられ、ペケの背筋に寒気が走る。後ずさりながら声をかけるが、聞こえてすらいないようだ。結局シャルノアが平静を取り戻したのは、翌日になってからのことだった。
ともかく、こうしてペケとニコの鍛錬の日々が始まった。
×××
天上の海は穏やかで、揺らめく日差しが
今日の目的は主に二つ。ペケとニコの魔法鍛錬と、湖での釣りだ。
「あの、こんなに危険なら、できれば、最初に一言……」
息も絶え絶えに、ペケは呟く。イカダは上下左右に揺れ続け、何度振り落とされそうになったかもわからない。ニコは楽しそうに悲鳴をあげているが、ペケには真似できそうにない。
「キミたちを鍛えると言っただろう? なら、まずは現状の実力を正しく把握しなくてはね。先に教えてしまったら、正しいデータが取れないじゃないか。それに面白くない。違うかい?」
酷くやつれた顔のまま、シャルノアは笑いを押し殺している。さすが冒険慣れしていると言うべきだろうか、荒れ狂うイカダの上でもシャルノアは座ったままくつろいでいた。
「すまないね、これでも抑えているんだよ。ボクはね、早くキミのことを知りたいのさ」
この数日で、少しはシャルノアのことがわかってきた。シャルノアは、ニコとは違った方向性で好奇心の塊だ。重度の異界好きと言い換えてもいい。毎日のように野外探索に出かけては、得られた知見を夜が更けるまで考察し続ける。それと並行して、学術書の執筆作業も欠かさない。
やりたいことが多すぎて、ろくに睡眠もとれていないのだろう。痩せこけた長身がいつか折れてしまいそうで見ていて不安になるのだが、当の本人は元気で仕方がないようだ。
「さて、早速だけど異界と魔法の講義を始めよう。あいにく揺れは酷いけど、準備はいいかい?」
「あの、陸に上がってからじゃ……。いえ、お願いします。このくらい、望むところです」
そうだ、こんなところで立ち止まってなどいられない。ペケは、力強く頷いた。
「よし、ではまずはキミたちの『魔法使い』という存在への理解度を再確認させてもらおうか」
ペケの返事に気をよくしたのか、シャルノアは意気揚々と語り始める。
「キミたちは、魔法使いの特異性、つまりは人間との最大の相違点を、いったい何だと考える?」
「もちろん、魔法が使えること! そうですよねっ!」
ニコが間髪入れずに答えたが、シャルノアは指を振って否定する。その表情から察するに、惜しくはあるが正解ではないらしい。ペケは少し考えてから、恐る恐る自分の考えを口にした。
「異界で、生きていけること?」
ペケの答えを聞いて、満足そうにシャルノアは頷く。
「そのとおり、満点だよ。マナに満ちた異界でも、心身が変質せずに生命活動を維持できることこそ、魔法使い最大の特異性。魔力なんてものは、代謝の副産物にすぎないのさ」
シャルノアは〝C〟と刻まれた藍色の鍵を万年筆に突き刺し、回した。すると万年筆はひとりでに動き出し、メモ帳に図を描いていく。
「例えば原初の生命にとって、酸素はただの毒だった。だがそれをエネルギーとすることで、彼らは劇的な進化を遂げた。魔法使いも同じさ。マナもろくに代謝できない下等生物などとは、存在としての格が違う。魔法使いこそ、この素晴らしき異界に適応できる至高の生命体なのさ」
「……え。あの、下等生物って」
思わず、声が漏れてしまった。シャルノアは、さも不思議そうに首を掻く。
「ああ、もちろん人間のことさ。だってそうだろう? キミたちだって、異界の魅力は十分知っているだろう? ならば、この至上の幸福を享受できない者たちは、憐れまれてしかるべきだと思わないかい? それにね、統一政府は魔法を人間界で利用することしか考えていない。この素晴らしき異界を、魔法使いの放牧場程度にしか思っていないのさ。こんな、異界に適応できないばかりか異界の価値を貶めるだけの存在を、下等生物と呼ばずに何と呼べばいいんだい?」
迷いなく語るシャルノアに、ペケは困惑する。隣では、ニコも目を点にしていた。
シャルノアは、異界に魅せられすぎているのだ。だからこそ、人生の全てを異界探究に費やしてきたのだろう。その思想は共感できるものではないが、一概に否定できるものでもなかった。
「すまないね。隠すつもりもなかったけれど、本音が漏れてしまったよ。怖がらせてしまったかい?」
シャルノアは肩をすくめ、すぐに講義に戻る。ペケとニコも、慌てて心を切り替えた。
「それじゃあ次の問いに移ろう。マナとは、世界をデタラメに変質させる力。そして魔法使いとは、心の作用でマナを代謝し魔力に変換できる存在。なら、魔力とはいったい何だ?」
「……マナが不規則な変質なら、魔力は規則性や指向性のある変質?」
「心で世界を変える力とか、そんな感じで!」
「素晴らしい、二人ともほぼ正解だよ。マナが『世界をデタラメに変質させる力』だとすれば、魔力はさしずめ『世界を心のままに変質させる力』とでも言ったところかな」
ペケとニコを褒めるように、鍵の刺さった万年筆が宙で大きな丸を描く。
「では、ここでもうワンポイントだ。キミたちも、ボクの髪や瞳の色が気になっただろう?」
シャルノアは藍色の髪を靡かせて、藍色の瞳でペケを見つめる。
「つい先ほど教えたとおり、マナも魔力もその本質は『変質』さ。だから膨大な魔力を身に宿せば、いくら魔法使いとはいえ、肉体はごくわずかに変質する。ココロの色に染まったカラダは、己が魔法を極め尽くし第六魔法に近づいた証というわけさ」
この域に到達できるのは第五魔法を極めた者だけで、三界でも数えるほどしかいないという。確かに、魔法を五つ持っているモモカでも、魔力による変色は起こっていなかった。きっとこのシャルノアという魔導士は、ラヴィと同じく規格外の怪物なのだろう。
「でも、肉体が変質って……。それでも、ちゃんと人間界に戻れるんですか?」
「いい質問だ。ボクもちょうどそれを研究しているところでね。結論から言うと、この程度の変質ならば人間界への渡航に影響はない。人間界に持ち込めないのは、異界製のモノだけさ」
純白の門は、意外と融通がきくらしい。だがそうなると、ペケが人間界へ戻れない理由はいったいどこにあるのだろうか。顎に手を当てて考え込み、危うくイカダから落ちそうになる。
「おや、今日の川は普段より機嫌がいいようだ。これ以上講義を続けるのは危険かもね」
川は突然宙へと駆け上がり、ジェットコースターのように一回転して再び地表に戻る。流れが急加速したかと思えば、直角に近い急カーブを繰り返す。さすがに、ペケも悲鳴を上げた。
「だからこそ、講義を続行しよう。だってほら、刺激的な経験ほど記憶に残るものだろう?」
ペケとニコの絶叫をよそに、シャルノアは問いを投げかけ続ける。ようやく川の終わりに辿り着き、イカダから降りることができたのは、二十分は揺られ続けた後のことだった。
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