第37話「哀れな魔女に鉄槌を」

「想定内だが面倒くせえ。恋の駆け引きじゃねえんだぞ?」


 ラヴィは左手から鍵を引き抜いて、今度は胸元に深々と突き刺した。漏れ出す魔力に当てられて、またしても魔法少女界アリスの大気が身震いする。


「させないよっ! ダブルドール!」


 ペケの隣で、ニコが等身大のニコ人形を召喚する。目配せの意味を、ペケはすぐに理解した。


「マネキンもどきの人形遊びで、今度は何をしようってんだ? この生意気なクソ魔女が!」

「テンエンハンス!」


 杖先でニコ人形に触れ、十個の〝X〟の魔法陣を纏わせる。制御しきれない力なら、いくら壊れても問題ない物に付与してしまえばいい。後は、二人の呼吸を合わせるだけだ。


 ニコ人形が駆け出した。ややぎこちない動きだが、身体能力はニコ本人と変わりない。ラヴィとの距離は残り十歩。ニコ人形が力強く地面を蹴った瞬間に、ペケは最初の強化を発動する。

 〝X〟の魔法陣が一つ砕け散り、ニコ人形が大きく跳ねた。宙で乱回転するニコ人形は、ラヴィめがけて飛んでいく。しかしラヴィは余裕を崩さず、避けるそぶりも見せない。


「――ココロマグネット」


 ラヴィが手をかざしただけで、ニコ人形が空中で静止した。そのまま見えない力に押し返されて、ニコ人形は弾き飛ばされる。人形が、柔らかな土の上を転がっていく。


「おいおい、そんなにがっつくと嫌われるぜ? ココロってのはよ、何より距離感が大切だろ?」


 ラヴィの手のひらには、〝♡〟の魔法陣が展開されていた。この魔法はスピカの体を引き寄せたとき、いや『スピカの胸に刻まれた精神操作エンゼルアローの魔法陣』を引き寄せたときと同じものだ。


「乙女心がなってねえ。時に惹きあい時に拒絶し、ハートの距離は揺れ動く。恋の常識だろ?」


 見れば、ニコ人形の腹部にも、ココロマグネットの魔法陣が貼り付けられていた。ココロが惹きあう魔法、ココロマグネット。ココロマグネット同士や他の〝♡〟の魔法との間に引力や斥力を発生させるのが、この魔法陣の特性なのだ。

 ラヴィは、屋敷の正面から離れる気配がない。三階にあるはずの鏡の門に辿りつくためにも、まずはラヴィを動かす必要があった。ニコと呼吸を合わせ、瞬間強化したニコ人形で何度も特攻を繰り返す。そのたびにラヴィは手をかざし、制御不能の突進を軽くあしらい続ける。


「ハッ、こちとらわざわざ種明かしまでしてるんだぜ? いい加減、心の全てを曝け出せよ。こんな無様な有様で、魔法少女界アリスまで逃げてこれるわけがねえだろうが!」


 やはり、ラヴィはペケを試している。わざとらしい身振り手振りで隙を見せつつ、その都度ペケの動向を鋭い眼差しで窺っているのだ。しかし、その真意を汲み取る余裕はない。


 勢い余ったニコ人形をわざと何度も転げ回らせ、ラヴィの周囲に土ぼこりを巻き上げる。そして十回目の最後の強化で、ニコ人形はラヴィの背後に回りこむ。土ぼこりで視界を奪った隙に、ニコ人形がラヴィを羽交い絞めにする。


「だが、雲砂糖より甘ったりい! こんなもん、エンゼルアローで――」


 ラヴィは鍵を左手に刺し替えようと、胸元の鍵に手を伸ばす。だが、そこでようやくラヴィはニコ人形の異常に気付き、手を止めた。そう、等身大の人形には首から上がなかったのだ。


「頭なら、ここだよっ!」


 ニコ人形は先ほどまで、庭中を縦横無尽に転げ回っていた。人形がちょうど近くに転がってきたときに、ニコは人形の首をニコギロチンで切り落としておいたのだ。土ぼこりは、それをラヴィに見せないためでもあった。そして今、ニコ人形の首から上は、ニコの足元にある。


「いっちゃえ! 魔女式ヘッドバット!」


 ニコが宙で鍵を回し、ニコギロチンだけが解除された。人形の頭が弾丸のように飛んでいく。ラヴィの胸元めがけて、いや、その後ろのニコ人形の首めがけて、頭部は一直線に加速する。


「――トキメキバルーン!」


 頭部が当たるか否かの瞬間に、ラヴィの前に〝♡〟型の風船が生み出される。弾力のある風船は、加速した頭部を柔らかく受け止めた。衝撃はすべて吸収され、ラヴィには届かない。人形の頭は真上に弾かれ、ラヴィを飛び越えるようにして胴体とくっついた。

 ココロが弾む魔法、トキメキバルーン。弾む心は、包容力をも併せ持つのだ。


 二人の奇策は失敗した。魔法の複数同時使用で、ニコはひどく疲弊している。ニコはやむなくダブルドールを解除して、ラヴィを開放した。息も絶え絶えの二人を、ラヴィが嘲笑う。


「今のはさすがに危なかったぜ? それじゃそろそろ、こっちからも反撃だ」


 トキメキバルーンが、脈打ちながら膨らんでいく。抱えるほどの大きさだった〝♡〟の風船は、番犬岩をも超えるほどに膨れ上がる。肥大した〝♡〟は、今にも張り裂けそうだった。


「高鳴れ、高まれ、弾け飛べ! 派手に弾けて爆ぜ散らせ!」


 勢い任せの掛け声とともに、トキメキバルーンが破裂した。衝撃波が嵐のように吹き荒れて、ペケとニコは庭の端まで飛ばされる。背中から煙突に叩きつけられ、二人は地面に倒れこんだ。


「おいおい、嘘だろ? まさかここまで弱っちいのか? これじゃ何の価値もありゃしねえ、正真正銘ただの失敗作ペケじゃねえか。だとしたら私は一体何のため――――うおっ!」


 ラヴィの顔を、ペケプレスでぴしゃりと叩く。当然ダメージはないが、それでいい。これはせめてもの抵抗だった。苛立たせれば、判断力を奪える。ミスを誘えば、可能性が生まれる。

 まだ、心は折れていない。体重を支えあいながら、ペケとニコは必死の思いで立ち上がる。


「てめえ、何の嫌がらせのつも――」


 今度は小さなバッテンバインドを、ラヴィの顔に貼り付ける。ラヴィは荒々しく〝X〟の帯を引き剥がした。怒りに燃える真紅の瞳が、まっすぐペケに向けられる。


「ペケプレス!」


 連射特化のペケプレスを撒き散らし、視界を奪う。しかしラヴィは指先から小さなトキメキバルーンを生み出し、軽く破裂させた。その風圧で、ペケプレスの嵐はかき消される。


「もういい、この失敗作ペケが。海より深いこの嘆き、少しはてめえが受け止めてくれよ?」


 ラヴィが、風より速く飛び出した。地面と靴底の両方にココロマグネットの魔法陣を貼り付けて、その反発で加速したのだ。ペケの狙い通り、ラヴィは屋敷の前を離れた。

 ニコに手で合図を送る。ニコが取り出したハンカチを、そよ風程度のペケプレスの連射で押し飛ばす。ハンカチはひらひら舞いながら、迫り来るラヴィの眼前で広がった。


「ハッ、今度は何の目隠しだ?」


 ラヴィは乾いた笑い声をあげ、ハンカチを掴み取る。そのタイミングを見計らい、ニコはペタンコペイントを解除する。ラヴィの手の甲から、ナイフの刃が勢いよく突き出した。ラヴィが鷲掴みにしたハンカチには、ニコお手製のナイフをラクガキ化して貼っておいたのだ。


 ナイフが右手を貫通し、ラヴィがもだえ苦しんだ。よろめくラヴィの足首にペケプレスを叩き込み、転ばせる。ラヴィの脇を通り過ぎ、ペケとニコはふらつきながらも屋敷へ走る。屋敷の扉は襲撃の際に壊され、今はぽっかりと大穴が開いていた。

 穴まで行けば、逃げ切れる。


「なんてな。させるとでも思ったか?」


 背後からの悲鳴が、突然止む。ラヴィの手元にトキメキバルーンが召喚され、ココロマグネットによる斥力で撃ち出された。だが、それはペケやニコを狙ったものではない。〝♡〟の風船は玄関の穴へと飛んでいき、突如大きく膨らんで穴を塞いだ。多少隙間はあるものの、無理に通ろうとすれば破裂してもおかしくない。ペケとニコは、庭の真ん中で踏みとどまる。

 ラヴィは地面と靴底のココロマグネットで空高く跳躍し、トキメキバルーンをクッションにして玄関前に着地する。そして再び、二人の前に立ちはだかった。


 ようやく掴んだチャンスも、たやすく覆された。体力も気力も、限界をとうに超えていた。

 大地が少しずつ傾き、波の音が近づいてくる。海に沈んだ煙突が、そこかしこで汽笛のような悲鳴をあげていた。もうすぐ、ここも海に飲まれてしまう。


「まだだよっ!」


 ニコの声で我に返る。見れば、ラヴィの右手はナイフが貫通したままで、今も血が滴っていた。そうだ、規格外の怪物とはいえ無敵というわけではない。やれることは、まだあるはずだ。


「あーあ、やっぱダメだ。残機ライフの多いゲームだと、どうもプレイが荒くなっちまう」

「……え?」


 緊迫感の欠片もないため息に、ペケはたじろぐ。ラヴィは気だるげに胸元をまさぐり、スピカから抜き取った〝♡〟のルビーを取り出した。


「――ラヴィテイカー、生命還元」


 ルビーがひとりでに砕け、真紅の魔力に還元される。ラヴィの手からナイフが抜け落ち、傷が瞬時に塞がった。傷も怪我もドレスの擦れさえも、ラヴィの全てが元通りに修復されていく。


「〝♡〟の数は、命の数。ルビーの数だけ殺さなきゃ、私は死なねえぜ?」


 〝♡〟とは『ライフ』や『治癒』の象徴でもある。ラヴィは他人の『魔法使いとしての生命』をまるごと奪い取ることで、それを自身の予備のライフとして扱うことができるのだ。

 慢心にも見えるラヴィの無防備な振る舞いは、回復力への絶対的な自信から来るものだった。


「でも、まだ、なにか、きっと」


 動揺を必死に押し隠す。〝♡〟のルビーが、この一つだけとも思えない。何度ダメージを与えれば倒しきれるのか見当もつかない。いや、考えるべきはそこではない。そもそもラヴィを倒す必要はない。鏡の門まで逃げ切れたなら、こちらの勝ちだ。ニコと、無言で視線を交わす。


「おいおい、何事も頑張り次第で何とかなると思ってんのか? このアホみてえなヘンテコ世界に脳までやられちまったか? いいぜ、その心、この世界ごと砕いてやるよ」


 ラヴィが胸元の鍵を引き抜き、右手に突き刺す。そして、大気と大地が激しく震えた。


「――マジカルハート・ブレイカー」


 ラヴィの手に、身の丈ほどのピンクの大槌が握られた。女児向け玩具を思わせる可愛らしい形状をしているが、放つ雰囲気は禍々しい。ラヴィは屋敷に向き直り、壁を大槌で軽く叩いた。


「轟け、慄け、灼け狂え」


 その無造作な一撃で、屋敷全体が砕け散った。まるで内から爆ぜたように、三階の屋根までもがあっけなく崩壊する。屋敷だったものは、たった数瞬で瓦礫の山と化していた。

 大槌を中心として、空間自体が歪んでいく。大槌が地面に触れるだけで、島の沈没が加速する。庭の周りの煙突が、ボロボロと崩れ始めていた。周囲の空間が、真紅に染まっていく。


 目の前の光景が信じられなかった。魔法使いとは本来、心の作用によってマナを代謝し魔力に変える存在だ。ココロを解き放つ魔法、マジカルハート・ブレイカー。ラヴィは自身のマナ代謝能力を大槌の周囲にまで拡張し、体外のマナを強制的に魔力に変換しているのだ。


 異界はマナに満ちている。あの大槌は物体内部のマナを強制的に魔力に変えることで、そのヘンテコ性を奪っている。そして魔力を暴れさせることで、物体を内から壊している。

 ラヴィの前では番犬岩は沈黙し、浮遊島は落下する。屋敷も橋も、マナが宿った構造物は一撃で崩れ去る。マナを焼き尽くすヘンテコ殺しの鉄槌、それがラヴィの最後の魔法だった。


「そうだ、鏡の門は……?」


 地震に耐えながら、瓦礫の山を注視する。鏡の門は、瓦礫の山の頂上付近に突き刺さっていた。おそらくペケの推測通り、元々は屋敷の三階にあったのだろう。だが、その鏡面にはすでに赤い亀裂が何本も走っていた。ニコが危険も顧みず、ふらふらとラヴィへ近づいていく。


「ダメ! やめてよ! このままじゃ、門も壊れちゃう! みんな島ごと溺れちゃう!」

「言っただろ? 全部まとめて砕いてやるってよ」


 ニコの叫びは届かない。ラヴィの高笑いとともに、鏡の門はひとりでに砕け散った。

 逃げ場はない。勝ち目もない。ラヴィ・ペインハートからは逃げられない。

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