第36話「無知なるペケに愛の手を」
島底がついに着水し、大地がひときわ大きく揺れた。それを最後にようやく地震は収まるが、島は海へと沈み続ける。島全体が沈没するのは、もはや時間の問題だった。
島中の雲たちが、慌てて島から逃げていく。うまく飛べない子雲がいくつも海に落ち、もがきながら沈んでいった。ペケはようやく我に返り、はしごを下りてニコの元へと駆け寄った。
「ニコ、大丈夫?」
「うん、へっちゃら。……だけど、さ」
弱々しく微笑んで、ニコは言葉を詰まらせた。状況は絶望的だった。島はもうじき海に飲み込まれてしまう。だが、二人には島から逃げ出す術がない。まだ駆け出しの二人では、回帰ゲートも使えない。雲をかき集めれば空を飛べるかもしれないが、子雲は遠くへ逃げてしまった。
「もう、鍵を折るしかないのかも」
沈んだ声でペケは呟く。だが、何かが引っかかる。ペケは首を傾げ、すぐに違和感の正体に気が付いた。
そうだ。そもそもラヴィは、どうやって島から脱出するつもりなのだろうか。魔法少女であるラヴィは、
ふと、クロスの日記が頭をよぎる。ここは中枢から遠く離れた小さな島。にもかかわらず、クロスは枢機風車城に毎日のように通っていた。そうなると、一つの可能性が浮かび上がる。
「……界内移動用の、固定式ゲート?」
枢機時計塔にも、
「そっか、そうだよペケ! 鏡の門が、屋敷のどこかにあるんだよ! クロスさんって中枢の中でも偉いっぽいし、ゲートがあってもおかしくないよ! たぶんきっと、絶対あるよ!」
「でも、だとしたら、どこ? ……そうだ。まだ行けてない、屋敷の三階。きっと、そこだ」
まだ、終わったわけではない。最後の希望にすがるように、二人は顔を見合わせる。ラヴィが島を沈めたのは、二人の逃げ場を奪うためだ。ここで屋敷に向かえば、それこそラヴィの思うつぼなのだろう。だとしても、諦めるのはまだ早い。
ペケとニコは屋敷に向かって歩き出す。ラヴィを出し抜くための策を練りながら、二人は来た道を辿って行った。
ラヴィは、屋敷の正面で仁王立ちをしていた。てっきりどこかに潜んでいるものかと警戒していたのだが、ラヴィの行動はどうにも読めない。煙突の陰で、ペケとニコは機会を窺う。
だが、やはり屋敷の周囲には身を隠せる煙突はない。意を決して、二人は庭へと躍り出た。
「待ちくたびれたぜ、飛んで火に入る猫どもが。時間がねえ、少し本気で遊ばせてもらうぜ」
ラヴィは真紅の鍵を掲げ、左手に捻じ込んだ。ただそれだけで大気中のマナが震え、ペケの肌がチリチリとくすぐられる。
「我ながら、難儀な体になったもんだ。これだから、不意打ちのひとつもできやしねえ」
ラヴィの瞳と髪からは、〝♡〟の鍵の煌きにも似た真紅の光が微かに漏れ出していた。その異様な光景を前にして、ペケは呆然と立ち尽くす。最上級の魔法使いだけに見られる奇妙な瞳色や髪色、その意味を理解してしまったからだ。
膨大すぎる魔力を宿した魔法使いは、無意識に漏れ出す魔力で自身の肉体をわずかに変質させてしまうのだ。特に瞳や髪といった部分が強く影響を受け、鍵と同じ色へと染まるのだろう。
クロス・メナードやアリスカルテットたちも、時計塔の魔女のヴィクトリア・ダースも、自然ではありえない瞳と髪の色をしていた。人外の色に染まった体は、人の域を超えた証だった。
生物としての格が違う。ペケの心が警鐘を鳴らし、全身から冷や汗が吹き出した。
「――エンゼルアロー」
ラヴィの左手を覆うように、指抜きのグローブが召喚される。その手の甲には、オモチャのような可愛らしいボウガンが取り付けられていた。ラヴィは仁王立ちしたまま、左腕だけを前に伸ばす。燃えるような眼光は、ニコをまっすぐ捉えていた。
「あいにくてめえに価値はねえ。さっさと恋に落ちてもらうぜ」
ラヴィの狙いに気付いたペケは、とっさにニコの顔にペケプレスを叩き込む。鼻先を軽く弾かれたニコは、反射的にのけぞった。同時に、ボウガンから真紅の閃光が放たれる。ニコの頭があった場所を、閃光の矢が通り過ぎた。狙いを外した閃光の矢は、煙突たちをすり抜けてどこか遠くへ消えていく。ラヴィは大げさに目を丸くして、ペケに向かって拍手する。
ペケは思考を加速させる。クロスの日記のメモによれば、ラヴィの魔法は『心を奪う魔法、心が惹きあう魔法、心が弾む魔法、心を射止める魔法、心を解き放つ魔法』の五つのはずだ。
そしてこれは見るからに、『心を射止める魔法』だった。スピカたちは、この矢に射抜かれて心を操られたのだ。推測は、ラヴィのにやけ顔を見て確信に変わる。
「――バッテンバインド!」
無防備なラヴィを、身の丈ほどの〝X〟の帯で拘束する。最上級の魔法少女に正面から立ち向かうほど、ペケは愚かではない。大切なのは、屋敷に駆け込むための隙をつくることだ。
だが、ラヴィに固く巻きつくはずのバッテンバインドは、ペケの意思に反してふわりと解けた。解放されたラヴィは口角を上げ、左手の甲のボウガンを構えなおす。
「で? こんなチンケな魔法、今どき犬も食わねえぜ?」
嫌な予感は的中した。エンゼルアローで操ることができるのは、他人の
ココロを射止める魔法、エンゼルアロー。全ての魔法使いの天敵ともいえる魔法だった。
「ハッ、ここまで見せりゃさすがに気付くか? だけどよ、てめえごときに何ができる?」
オモチャの小さなボウガンに、自動で矢が装填される。二人めがけて、閃光の矢が放たれた。
「――ペケプレス」
閃光の矢と〝X〟の波動が、空中で衝突した。閃光の矢はペケプレスの中に潜り込み、小さな〝♡〟の魔法陣へと変化する。ペケプレスは宙で突然Uターンし、ペケの頭にぶつかった。
だが、ペケプレスは魔女帽のつばを軽く揺らしただけだった。ペケプレスには、威力の下限が存在しない。あえて威力を落としてしまえば、魔法を操られても害はない。
それを見て、ラヴィは派手に舌打ちをする。そして、吼え叫んだ。
「ときめけ、きらめけ、死に晒せ!」
ラヴィの左手のボウガンから、閃光の矢が乱射される。ペケはそれを、連射特化のペケプレスでひとつ残らず迎撃する。
心だけでなく魔法をも操れるということは、閃光の矢は魔法をすり抜けられないということだ。連射特化のペケプレスは、一つ一つがそよ風程度の威力しかない。操っても意味のない魔法を撒き散らして、二人の心を射止めようとする矢を防いでいく。
エンゼルアローは凶悪だ。閃光の矢に射抜かれただけで心と体を操られ、たとえ魔法で防ごうとも今度はその魔法の支配権を奪われてしまう。どんなに強力な魔法使いも、エンゼルアローの前では無力と化す。だが、ペケなら立ち向かえる。
「うざってえ、しゃらくせえ、邪魔くせえ! これじゃ埒が明かねえぞ、クソが!」
ラヴィが苛立たしげに吐き捨てる。だが、ペケプレスの嵐は止まらない。圧倒的な物量で、エンゼルアローを徹底的に無力化していく。
「残念。私の魔法は、弱いんだ」
弱さも立派な特性だ。使いこなせば強さに変わる。元々非力なペケプレスだからこそ、その特性を受け入れて伸ばしてきたペケだからこそ、無敵のエンゼルアローを封殺できる。
弱さを極めたペケだから、最強とも渡り合える。これが、ペケの在り方だった。
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