第35話「震える島に終焉を」

「あーあ、そりゃさすがにバレちまうか。ま、こんだけ派手に暴れりゃ当然だわな」


 ペケの叫びもニコの驚愕もまるで意に介さぬように、ラヴィはなおも歩みを進める。


「……全部、あなたが仕組んだことなんですか?」

「てめえの目は飴玉か? むしろ、それ以外の何に見えるか教えてくれよ」

「……私たちを、騙したんですか?」

「魔法少女は、夢を見せるのが仕事だぜ?」


 心臓は、痛いほどに脈打っていた。吐き気と混乱を飲み込んで、ペケはラヴィを睨み付ける。


「ちょっと、ペケ!」


 ラヴィとの距離は、もう二十歩もない。ニコは青ざめた顔をして、ペケの手を引いている。


「おいおい、私を笑い死にさせるつもりかよ。バルでも声を堪えるのに必死だったんだぜ?」


 含みのある口調で、ラヴィはケタケタと笑う。どうやら会話は成り立ちそうにない。そもそも、ラヴィがこの襲撃の黒幕ならば対話の余地もないだろう。ただひとつ気がかりなのは、ラヴィの意図が読めないことだ。ペケとニコに危害を加えるだけなら、もっといいやり方はいくらでもある。ラヴィの目的も、この回りくどい手段の意味も、ペケにはまるでわからなかった。


「でも、なんで、私たちを襲うんですか? 私が忘れた過去に、いったい何があったんですか?」


 その言葉を発した途端、ラヴィの眉がピクリと動いた。


「猫にも劣る戯言を、よくもぬけぬけと言いやがる! なぜ狙うかだって? おいおい、嘆きたいのはこっちだぜ? てめえがそんな有様だから、こんな面倒なことになったんじゃねえか」


 ラヴィは口の端を歪め、苛立たしげに吐き捨てる。その目の奥の感情は、ペケには読み取れなかった。しかし、これだけは確実だ。ラヴィは、ペケの正体に繋がる何かを知っている。


「頼むから、この期待を裏切らないでくれよ? こちとら、てめえに全部賭けちまってんだ」


 ラヴィは大げさな身振りをしながら、無防備に近づいてくる。得体の知れぬ立ち振る舞いを前にして、二人は迂闊に動けずにいた。ふと、ラヴィの視線が倒れたスピカに向けられる。


「だがその前に、そいつは回収させてもらうぜ。養殖モノの捨て駒とはいえ、タダで捨てるのも惜しいんでな」


 ラヴィはこれ見よがしに〝♡〟の鍵を手に取ると、自身の胸元に突き刺し、回した。


「――ココロマグネット」


 ラヴィがかざした手のひらに、〝♡〟の魔法陣が浮かび上がる。地面に転がるスピカの体が、魔法陣に向かって引き寄せられた。飛んできたスピカを片手で受け止め、ラヴィは高笑いする。


「じゃあな、スピカ・スターダスト。てめえの中の魔法少女、全部まとめていただくぜ」


 ラヴィはスピカの左手から〝☆〟の鍵を引き抜き、鍵先にキスをする。そしてすぐさま〝☆〟の鍵をスピカの胸に突き立てる。その奇妙な行動に、ペケは目を奪われていた。


「――ラヴィテイカー」


 そして、ラヴィの魔法が発動する。スピカの胸の奥から光が溢れ、真紅の宝石が飛び出した。

 それは心臓ほどの大きさの〝♡〟型のルビーだった。それが超高密度の魔力塊であることを、ペケは心で直感する。スピカの胸から生まれたルビーは〝☆〟の鍵を内部に取り込み、琥珀のように閉じ込めた。ラヴィは鍵入りルビーを回収すると、スピカの体を無造作に投げ捨てる。

 そして、ペケは今度こそ自分の目を疑った。〝♡〟のルビーを抜かれたスピカの体は、まるで鍵を折られたかのように、空間の歪みにのまれて消えていったのだ。


「うそ。……一体、なにが」

「魔法素質を丸ごと全部頂いたのさ。だから鍵が折れずとも、あいつはもはやただの人間ヌケガラでしかねえ。鍵とリンクしているはずの一番大切な部分を、鍵と一緒に奪っちまったんだからよ」


 〝♡〟のルビーを愛おしげに見つめながら、ラヴィは邪悪な笑みを浮かべる。


「魔力も鍵も魔法素質も、あいつの中の魔法少女たる要素は、ひとつ残らずここにあるぜ?」


 魔法の鍵はココロの結晶。精神ココロどころか魔法ココロにさえも、〝♡〟の支配は及ぶのだ。ココロを奪う魔法、ラヴィテイカー。その魔法の凶悪さに、ペケは身震いする。


「ペケ、逃げようよ! 逃げないと! 話してる場合なんかじゃないよ!」


 ニコが叫ぶが、ペケは動けない。ラヴィは品定めをするかのように、ペケをじっと見つめていた。視線が体中を這い回る感覚に、ペケは身震いする。背を向ける隙は、ありそうにない。


「駆け出し程度のてめえらごときが、この私から逃げ切れるとでも?」


 ラヴィが凄み、煙突の森がざわめいた。魔法少女界アリスの雲は怖がりだ。煙突の森にただよう子雲たちは、風に乗ってどこか遠くへ逃げていく。だがそれでも、涙目のニコは強気に笑った。


「もちろんだよっ!」


 ニコはそう叫ぶなり、近くの樹形煙突へと駆け寄った。そして枝の先端を数センチだけニコギロチンで切り取って、ラヴィに向かって投げつける。


「おいおい、ふざけてんのか? 子猫のじゃれあいじゃねえんだぞ?」


 ラヴィは欠伸を噛み殺しながら、枝の破片を掴み取る。そのタイミングを見計らい、ニコは宙で鍵を回す。煙突の枝はラヴィの右手に触れた途端に、ラクガキとなって貼り付いた。

 ニコギロチンと遠隔ペタンコペイント、二つの魔法をニコは同時に使ったのだ。


「は? 魔女風情がいったい何を――」

「ニコギロチンだけ、戻れっ!」


 〝Ⅱ〟の鍵が、再び宙で回された。ラクガキ化された枝先と樹形煙突本体が、元に戻ろうと引き寄せあう。ラヴィの体は真横に吹き飛び、煙突の幹に勢いよく叩きつけられた。


「今だよ、逃げよう!」


 ラヴィの右手は、枝の断面にへばりついたまま離れない。樹形煙突は枝も硬く、そう簡単には折れないはずだ。ペタンコペイントが解けるまでの二分間、ラヴィはそこから動けない。

 しかし、ラヴィの余裕は崩れない。舐めるように二人を見つめ、笑いを押し殺している。


「おっと、思いのほかやるじゃねえか。だけどよ、全部無駄な努力だぜ? なにせ――」

「ペケプレス!」


 魔法による遠距離攻撃を警戒し、連射特化のペケプレスで吹雪のごとく視界を奪う。高笑いするラヴィに背を向けて、ペケとニコは一目散に逃げ出した。




 煙突並木を抜け、木と煙突が入り混じった獣道へと差し掛かる。ボロボロの体に鞭打って、二人はふらつきながらも走り続けた。


「すごいよ、ニコ。あんなことができるなんて」

「だって私は〝Ⅱ〟の魔女だもん。離れた二箇所を繋ぐのも、二つの魔法を使うのも、〝Ⅱ〟の得意分野なの。〝Ⅱ〟だからできるとっておき、だよ」


 遠隔魔法も複数魔法も、本来非常に高度な技術だ。しかし、これらはいずれも〝Ⅱ〟の特性と相性がいい。ニコは自身の魔法特性を活かして、駆け出し魔女の限界を超えたのだ。

 しかし、身の丈を超えた魔法行使は負荷も大きい。満身創痍のペケから見ても、今のニコは立っているのが奇跡に近い。酷く息切れを起こしており、今にも倒れてしまいそうだ。


「きっと、あともうちょっとは平気だよ。このまま橋まで逃げ切らないと!」


 ペケの心配を察したのか、ニコは精一杯の笑顔を作る。だが、その声は弱々しかった。


「だけど、なにかおかしいかも。全然、追ってくる気配がない」


 よろめきながらも、ペケは考える。ラヴィの高笑いが、脳裏にこびりついて離れなかった。


「……もしかして、魔法少女はまだどこかに潜んでる?」


 煙突島には、虹の橋がひとつしかない。操られた魔法少女が橋近辺で待ち伏せをしているのなら、ラヴィの余裕も頷ける。とにかく、一刻も早く状況を確認する必要があった。

 煙突島には、多様な煙突が自生している。はしご付きの煙突を見つけたペケは、ニコを下に残したまま、すぐにはしごをよじ登る。背の高い煙突の上からならば、うまくいけば橋のふもとが見えるはずだ。ペケは虹の橋の方角を眺め、そのまま言葉を失った。


「……え、うそ、なんで、なにが」


 ペケのただならぬ様子を感じ取ったのか、煙突の下でニコが何か叫んでいる。しかし、ペケの耳には届かない。ラヴィは、ペケの予想をいともたやすく超えてきた。橋の下で待ち伏せをする程度の策なら、どれほど良かっただろうか。

 これまでも、二人は様々な危機やヘンテコを乗り越えてきた。今回もきっと何とかなると、心のどこかで高をくくっていたのかもしれない。だが、それは間違いだった。

 アリスカルテットは、ラヴィ・ペインハートは、魔法少女の皮を被ったバケモノだ。


「橋がない! 虹の橋が、どこにもない! 根元から、粉々に砕けてる!」


 島の入口に細かな虹色の破片だけを残して、虹のアーチは姿を消していた。虹の橋は崩落し、遥か下の海へと沈んでしまったのだ。島から出る唯一の手段は、すでに封じられていた。

 掻き乱される思考の中で、ペケは二度に渡る地震を思い返していた。二度目の地震は、番犬岩を砕いたときの余波だった。おそらく最初の地震のときに、虹の橋は砕かれていたのだろう。


 だが、〝♡〟の悪夢はこの程度では終わらない。最悪すらも生ぬるいのだと、ペケは思い知らされる。追い討ちをかけるかのように、三度目の地震が煙突島を揺るがした。

 ペケは短く悲鳴を上げ、必死にはしごにしがみつく。揺れはどんどん大きくなり、ついには島そのものが落下し始めた。単なる地震などではない。島から浮力が失われているのだ。


 小さな島は揺れながら、徐々に高度を下げていく。島の下に広がるのは、底も果てもない海原だ。ペケとニコは、叫ぶことしかできなかった。

 煙突島は、底なしの海へと落ちていく。

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