第34話「魔法仕掛けの壊れたココロ」

 際限なく湧き上がる疑問を、ペケはむりやりのみ込んだ。考察も葛藤も、助かってから思う存分すればいい。ペケは思考を切り替えて、目の前の脅威に対峙する。

 打ち上げられた〝☆〟は分裂し、無数の光弾となって降り注ぐ。ペケは息をのみ、急いでその場を離れようとする。そのとき、テンエンハンスに異変が起こった。十個ある〝X〟の魔法陣の一つが砕け散り、同時にペケのつま先が輝いたのだ。


 地面を蹴った瞬間に、ペケの体が爆発的に加速した。華奢な体は数メートルほど真横に吹き飛び、光弾の流星群を回避する。ペケは宙で何度か回転し、そのまま煙突にぶつかった。


「いたた……。なに、これ」


 周囲に浮かぶ魔法陣は、残り九個。つま先の光は、すでに消えていた。

 地面に転がるペケに向かって、スピカが駆け出す。迎え撃とうとするものの、杖からペケプレスは出ない。どこかで聞いたことがある。魔法の複数同時発動は、非常に高度な技術なのだ。


 ペケはすばやく立ち上がると、向かい来るスピカを待ち構えた。さきほどの使用で、テンエンハンスの使い方は理解できた。漂う魔法陣を一つ消費するごとに、ごく一瞬、ほんの一動作だけ対象を強化できる魔法、それがテンエンハンスだ。

 一度は突然の強化に驚いてコントロールを失ったが、仕組みがわかれば心構えはできるはずだ。とにかく、残り九個の魔法陣を使いきるまで他の魔法は使えない。接近戦に持ち込もうと考えて、ペケはスピカに向かって走り出す。


 魔法陣がまた一つ砕け散り、ペケの右足が一瞬だけ強化された。たった一歩で十歩ほどの距離を跳ねるが、やはり大きくバランスを崩す。走っている最中に、片脚の先端だけが局所的かつ瞬間的に強化されたのだ。わかっていても、バランスなど保てるはずがなかった。

 ペケはスピカの脇を通りすぎ、勢い余ってそのまま転んだ。


「スピカバスター!」


 羊の頭突きにも匹敵する一撃が、ペケへと振り下ろされた。ペケは再び小さな〝X〟を一つ消費し、スピカの鉄拳を回避する。不安定な跳躍の結果、ペケはまたしても地面を転がった。


 強化時の感覚からして、テンエンハンスで力が増しても、骨や肉の強度自体はそこまで大きく変わらないようだ。もし手甲などを殴ろうものなら、ペケの拳が砕けるだろう。手を強化して杖で殴ることも考えたが、それで杖が折れない確証が持てない。

 だからペケは、あくまで回避に専念する。転ぶだけで済むのなら、〝☆〟の魔法の直撃を受けるよりもよっぽどましだ。すでに手足は擦り傷だらけだが、あいにく転ぶことには慣れている。ペケの名前に込められた意味は、『何度転んでも負けないこと』なのだから。


 彗星の魔法・コメットブースターによる執拗な追撃を、ときに転び、ときに煙突にぶつかりながらも避け続ける。ペケの周囲に漂う〝X〟の魔法陣は、すでに残り一つになっていた。


「でも、これ、さすがに、ちょっと……」


 自滅に次ぐ自滅で、ペケは息も絶え絶えのありさまだった。転ぶ覚悟をしたとはいえ、ダメージは着実に蓄積していく。あまりに使い勝手の悪い魔法に、思わず否定の言葉が漏れていた。

 だが、この感情は初めてではない。確か魔女界グリムスにいたときも、こんなことがあったはずだ。


 ――これ、失敗作の〝ペケ〟かも。

 ――違うよ。十点満点の〝テン〟だよ、きっと。


「……あ、そっか」


 当たり前のことを忘れていた。魔法の価値は、〝X〟の意味は、ペケ自身で作り上げていくものなのだ。もちろん、テンエンハンスも例外ではない。失敗作で終わらせていいわけがない。


 ペケは思考を巡らせて、テンエンハンスの新たな使い方を模索する。

 それを見たスピカは、ついにペケが逃げる気力も失せたと勘違いしたのだろう。スピカは光の尾を引きながら、真正面から突進してくる。これ以上ない好機だった。ペケは最後の魔法陣を消費して、前へと一歩踏み出した。


 ペケの体が、スピカめがけて吹き飛んだ。宙できりもみ回転しながらも、ペケは必死に杖を突き出す。そして、確かな手ごたえがあった。突進してきたスピカの左わき腹に、ペケの杖がめり込んだのだ。スピカの顔が苦痛に歪み、声にならない声が漏れる。

 だが、これだけでは終わらせない。スピカに杖先を当てたまま、ペケは叫ぶ。


「テンエンハンス!」


 杖先から小さな魔法陣が十個生まれ、スピカの周囲を漂った。制御しきれない力なら、最初から相手に与えてしまえばいい。ペケが辿り着いたのは、単純な答えだった。

 ペケは反撃をもらう前に、急いでスピカから距離をとる。

 スピカは痣のできたわき腹を押さえ、歯を剥き出しにして威嚇する。その鬼気迫る形相は、飢えたパンダを連想させる。スピカの背中から生えた五本の噴出口から、青白い光が迸った。光の残像だけを残して、スピカは目にもとまらぬ速度で飛び回る。


「まず、ひとつ!」


 ペケが念じたタイミングで、スピカに纏わせた魔法陣の一つが弾けた。高速飛行中にさらなる急加速を得たスピカは、曲がりきれずに煙突に浅く衝突する。スピカはそのままコントロールを失って、雲の茂みに墜落した。さすがのスピカにとっても、大きなダメージだったのだろう。だが、手負いの魔法少女は止まらない。雲まみれのスピカは、よろめきながらも立ち上がり、右腕にスピカバスターを召喚した。


 走り出そうとしたスピカの、左足だけを瞬間的に強化する。スピカは身長分ほど宙に舞い、半回転して地面に落ちた。スピカは呻くが、それでもまだ止まらない。今度は倒れた体勢のまま、機械仕掛けの右腕で地面を殴り飛ばし、その反動でペケへと飛びかかろうとする。


 だが、その右腕もテンエンハンスで強化する。スピカは棒立ちのペケを悠々と飛び越えて、その後ろにある煙突に頭からぶつかった。

 落ちてきたスピカを、杖で弱々しく殴る。杖を持つのもやっとだが、満身創痍なのはスピカも同じだ。ふらつく二人が、至近距離で対峙する。泥臭く、一方的な戦いが始まった。


 スピカの左わき腹の痛覚を強化する。痛みの再発でスピカを怯ませ、その隙に殴打する。

 突然声を張り上げ、同時にスピカの右耳聴覚を強化する。音で怯ませ、また杖を振りかぶる。

 スピカの反撃を、紙一重で回避する。そしてそのまま横に回りこむ。スピカは、ペケの動きを目で追おうとしていた。だからペケは、スピカの左目の眼球運動を強化した。眼球が一瞬だけ過剰に動き、スピカはペケを見失う。スピカの左わき腹に、またしても杖を叩きこむ。


 後ずさるスピカの足を強化して、後ろに軽く吹き飛ばす。スピカはコメットブースターを発動し、空中で姿勢を立て直そうとする。だが、これも強化する。五つの噴出口の一つだけを瞬時強化することで急旋回させ、近くの煙突に叩きつける。スピカの体が、地面を転がっていく。


 スピカに纏わせたテンエンハンスの魔法陣は、残り二個。だが、ペケが次なる強化を発動しようとする前に、二つの魔法陣は突如として霧散してしまった。


「まさか、距離?」


 ペケはうろたえる。どうやらこの魔法は、ペケからある程度離れると消えてしまうようだ。距離の目測とペケのモチーフから考えて、有効距離はおそらく十メートル。それが、テンエンハンスの限界だった。あと一歩というところで、テンエンハンスは解除されてしまった。


 だが、これは最大のチャンスでもあった。追い詰められたスピカは、テンエンハンスが解けたことに気付いていない。動けば強化の餌食になると思い込み、片膝立ちのまま動かない。


「メテオクラスター!」


 そうなると必然的に、攻撃手段は遠距離技となる。スピカは左手を細身の砲身へと変え、直接ペケへと向けた。そして砲口から、〝☆〟型のエネルギー塊が放たれる。そのはずだった。


「――ペケプレス」


 ペケ程度の実力では、魔法を複数同時に使えない。そしてスピカは、テンエンハンスが解けたことを知らない。このペケプレスは、スピカにとっては完全に想定外だっただろう。


 〝☆〟の光弾は、砲口から飛び出ると同時にペケプレスと接触した。

 そして、メテオクラスターは何かに触れると爆発する。高密度の〝☆〟はスピカの目の前で弾け、光と衝撃を撒き散らす。スピカの体は光に呑まれ、はるか後方に吹き飛んだ。

 どんな魔法少女でも、もう立っていられるはずがない。最後の最後で、スピカは致命的なミスを犯したのだ。スピカをここまで追い詰めた、ペケの粘り勝ちだった。


「やっ……た」


 ペケは杖を突きながら、吹き飛んでいったスピカを探す。スピカの体は、煙突並木の真ん中に転がっていた。胸は上下に動いているが、完全に意識を失っている。


「……あと、ごめんなさい」


 ペケはスピカの傍まで歩み寄り、左手に刺さった〝☆〟の鍵に目をやった。

 襲われた理由も、魔法少女たちの奇妙な言動も、わからないことだらけだった。イーユもスピカも、『ペケとニコを狙う』という役割を押しつけられただけの操り人形のように思えた。

 しかしそれでも、自分たちの身を守るためにも、この鍵は折らなくてはならない。すぐに目を覚ますことはないだろうが、放っておくのも危険すぎる。ペケは、生唾を飲み込んだ。


「あっ、いた! やった! やっぱりペケだ!」


 聞きなれた声に、顔をあげる。煙突の森の奥から、ニコが駆け寄ってくるのが見えた。服は泥と雲だらけで、自慢の金髪もぼさぼさではあるが、大きな怪我はしていないようだ。


「……ニコ」

「わわっ、ペケ大丈夫? すっごくボロボロだよ? 手当てしないと!」


 わたわたと慌てるニコを見て、思わず笑みがこぼれる。だが、ペケはすぐに気を引き締めなおし、呆れた口調で呟いた。


「ニコってさ、朝から何も食べてないのに、なんでそんなに元気なのさ」

「え? 朝も昼も一緒にいっぱい食べたでしょ?」


 怪訝な表情を浮かべるニコを見て、ペケは今度こそ肩の力を抜いた。


「ごめん、ただの本人確認。他人に変身できる〝=〟の魔法少女とかがいるかもしれないし」

「こんなときでも抜け目ないなあ、ペケって」

「こんなときだからこそ、かな」


 視線を交わし、笑いあう。そして二人はすぐに真剣な顔つきに戻り、短く情報を交換する。


「ニコのほうは、何があった? なんだか、いまいち状況がつかめないけど」

「二人に追いかけられたけど、何とかギリギリへっちゃらだよ!」


 ニコは気丈に振る舞っているが、目には涙の跡がある。きっと、ペケを安心させようとしているのだろう。ペケは何度か深く呼吸し、情報を整理する。


 ニコは魔法少女を二人気絶させた後、迷った挙句鍵を折ることにしたという。保身の意味もあるだろうが、『寝かせたままだとウサギに噛まれて危ないから』という理由がいかにもニコらしい。ともかくニコが倒したのは二人、ペケが倒したのも二人。しかし、屋敷を襲撃した魔法少女は五人いたはずだ。まだ別の場所に潜伏している可能性も考えられるが、残党の魔法少女が少なくとも一人はいるのは確実だった。


「魔法少女は、まだいるはず。すぐに、ここを離れないと」


 スピカは戦闘中、何度か空にメテオクラスターを打ち上げていた。今思えば、あれは信号弾の役割もあったのかもしれない。この場所に留まるのは、危険だった。

 ペケはしゃがみ、スピカに刺さった〝☆〟の鍵に手を伸ばす。そして、気付いてしまった。


「なに、これ」


 メテオクラスターの爆発を至近距離で受けたせいで、スピカのドレスはところどころが破れていた。そしてあらわになった胸元で、小さな魔法陣が輝いていたのだ。


「……うそ。これ、まさか」


 信じたくはなかった。しかし、疑念は最初から心の奥底でくすぶっていた。そしてこれが真相なら、これまでの違和感が一つに繋がることも事実だった。


「ニコ、逃げよう! どうしよう! 最初から、ぜんぶ罠だった! ぜんぶ、嵌められてた!」


 目的こそ不明だが、その魔法少女は最初からペケとニコが狙いだったのだろう。だが、魔法少女は有名すぎた。だから、人目につかない舞台を用意する必要があったのだ。

 煙突島は、魔法少女界アリスの中枢から遠く離れた無人島だ。出口となる虹の橋は一つしかなく、島の中心にはペケとニコをおびき寄せる餌がある。島には危険なヘンテコも多く、例え何かが起こっても事故で片付けられかねない。二人は、恰好の狩場へまんまと誘い込まれたのだ。

 ペケの思考が揺さぶられる。何度目をこすっても、現実は変わらない。目の前の魔法陣が、すべてを物語っていた。だが、ペケの思考はニコの叫びに遮られる。


「ペケ、向こう! 誰か来るよ!」


 ニコは目を丸くして、遠くを指さしていた。魔法少女は煙突並木をゆっくりと歩き、二人へと近づいてくる。その姿を、忘れるはずもない。真紅の髪に、赤とピンクと黒のドレス。リボンとフリルと金具を過剰に散りばめたその服装は、暴力的なまでの存在感を放っている。


「やったよペケ! 助かったんだよ私たち! きっと羊車乗りさんが通報してくれたんだよ!」


 煙突並木の向こう側から現れたのは、アリスカルテットの一角にして魔法少女界アリスきってのアイドル的魔法少女。そう、〝♡〟の魔法少女、ラヴィ・ペインハートだった。

 だが、ニコの言葉は間違いだ。都合のいい助けなど、来るはずもない。むしろ、その逆だ。


「ニコ、だめ! 逃げないと! だって――」


 どう言葉にすればいいかわからず、ただ叫ぶ。襲撃者は、少なくともあと一人いる。そしてラヴィがやってきたのは、虹の橋がある方角ではない。島の中心側、つまり屋敷がある方角だ。


「――だってみんな、この人に操られてた!」


 煙突島にクロスの屋敷があることも、そこにペケとニコが訪れることも知っている魔法少女は一人しかいない。そう、二人に島の存在を教えた張本人だ。そして彼女が関わっていたのなら、イーユやスピカの不可解な言動にも説明がつく。ただの推測でしかないが、彼女のモチーフならこんな魔法があってもおかしくはない。

 それを肯定するかのように、スピカの胸元では、〝♡〟の魔法陣が淡い光を放っていた。


 何もかも、魔法仕掛けの茶番だった。煙突島への冒険も、魔法少女の襲撃も、すべてラヴィが書いた筋書き通りだったのだ。

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