第33話「持てるすべてのその先へ」
×××
魔法少女の雄叫びが、煙突の森を揺るがした。怒れる魔法少女を前に、ペケは数歩後ずさる。
ペケの前に立ちはだかるのは、〝☆〟の魔法少女、スピカ・スターダスト。
きっと、湿った足跡を辿られたのだろう。煙突並木のすぐ近くで、ペケはスピカに追いつかれていた。手配書にあった『とても悪い魔法少女』『非常に獰猛』の注意書きが、ペケの脳裏をよぎっていく。
そして猛るスピカと目が合い、ペケの背筋が凍りつく。スピカの目つきは、明らかに異常だった。怒り狂うそぶりを見せながら、その瞳には一切の生気がなく、どこか虚ろだったのだ。
イーユと対峙したときの違和感が、ペケの中で蘇る。イーユは、自分がなぜここにいるかも分かっていないようだった。まるでどの魔法少女も、見えない何かに操られているかのようだ。
「目を、覚ましてください! いったい、何があったんですか?」
スピカは聞く耳を持たず、〝☆〟の鍵を右肩に突き刺した。そして、鍵が回される。
「スピカバスター!」
スピカの右腕を覆うように、機械仕掛けの無骨な手甲が召喚される。手甲は煙を吐きながら赤熱し、拳が恒星のように輝き始めた。拳を大きく振りかぶり、スピカはペケへと突進する。
「バッテンバインド!」
対話は無理だと即座に判断したペケは、溜めていたバッテンバインドを放つ。身の丈ほどの〝X〟の帯は、スピカの全身を雁字搦めに拘束した。だが、拘束は力ずくで引きちぎられる。
十秒溜めたバッテンバインドは、降り注ぐ魔女さえ受け止める。その強度をもってしても、スピカの豪腕を押さえ込むことはできなかった。わかってはいたが、力比べでは分が悪い。
「スピカバスター、連星形態!」
スピカはエンジンをふかすように、右肩の鍵をさらに回す。すると左腕までもが輝き、スピカの両腕が機械仕掛けの手甲に包まれた。これでは、拘束はさらにたやすく破られてしまうだろう。スピカは、ここで勝負を決めるつもりだ。
だが、これはペケにとっても好機だった。今度は溜めさえも必要ない。二度目のバッテンバインドは、スピカの顔に何重にも絡みついた。純白の帯が、スピカの目と鼻、そして口を塞ぐ。
スピカは唸り声を上げ、両腕をがむしゃらに振り回す。超重量の鉄拳が何度も煙突に叩きこまれ、金属音が鳴り響いた。ペケは少し離れた場所から、暴れるスピカの様子を窺う。
溜めないバッテンバインドは脆い。しかし無骨な手甲では、顔に貼り付いた帯をうまく剥がすことができない。両腕に魔法を纏ったことが、スピカにとって仇となった。
スピカはやむなく魔法を解除し、顔に貼り付いた帯を引き剥がす。その間に、ペケはスピカとの距離を詰める。そして、頭めがけて杖を勢いよく振り抜いた。
「スピ……」
「ペケプレス!」
三連射された微弱なペケプレスが、スピカの顔をぴしゃりと叩く。スピカが怯んだ隙に、そのまま杖をこめかみへと叩き込む。スピカが大きくよろめいた。すかさず両脚をバッテンバインドで束ね、スピカを転ばせる。そこに、杖を振り下ろす。
「サテライト……」
「ペケプレス!」
十秒溜めてようやく杖で殴る程度の威力になるなら、最初から杖で殴ればいい。猫騙しのようにペケプレスで怯ませて、杖で殴る。杖を避けた不安定な体勢を狙い、足首へのペケプレスやバッテンバインドで躓かせる。素人の大振りでも、無防備な相手にはなんとか当たる。殴打の隙をペケプレスで埋め合わせ、ペケプレスを溜める時間を杖で稼ぎ、反撃の機会を与えない。
確実に当たる魔法で、相手の動きをひたすら妨害し続ける。イーユの戦法をペケなりにアレンジした、対人でしか役に立たないその場しのぎの小手先戦法。どんなに不恰好だろうとも、これがペケの全力だった。ペケは薪割りの要領で、体重を乗せて杖を振り下ろす。
だが、杖はスピカに届かなかった。スピカは左腕を犠牲にして、むりやり杖を受け止めたのだ。同時に反撃の蹴りが鳩尾に突き刺さり、ペケは苦悶の声を漏らした。
「スピカバスター!」
赤熱する鉄拳が、よろめくペケに叩き込まれた。腹部に鈍い衝撃が走り、肺から空気が押し出される。ペケの体が宙を舞い、煙突にぶつかり地面に落ちた。とっさに杖を挟んで直撃だけは避けたものの、腹部は焼け付くように痛い。全身を煙突に打ちつけたようで、たった一撃で体中が悲鳴を上げている。力の差は、歴然だった。
それでも、ペケは杖をついて立ち上がる。自分にできることを探して、必死に思考を巡らせる。吹き飛ばされたおかげで、スピカとの距離は離れていた。拳の射程からは外れている。
だが、スピカは攻撃の手を休めない。肩から鍵を引き抜くと、今度は左手首に突き刺した。
「メテオクラスター!」
天へと突き上げられた左手が、細身の砲身へと変貌する。そして、機械仕掛けの左手から〝☆〟型のエネルギー塊が空へと打ち上げられた。〝☆〟は空で花火のように弾けると、数十個の小さな光弾となってペケへと降り注ぐ。それはまるで、流星群のようだった。
せめてもの抵抗で、ペケは空へとペケプレスを乱射する。流星のごとき光弾は、ペケプレスと軽くぶつかると光とともに爆発した。運はペケに向いていた。どうやらこの光弾は、何かに触れると爆発する仕組みらしい。連射重視のペケプレスで、ペケは流星群を迎撃する。小さな〝☆〟たちは空で弾け、地面に届くことはなかった。
だが、直後にペケは息をのむ。ペケが空を見上げていた隙に、スピカはすでに目の前まで迫っていたのだ。流星の魔法は、囮だった。恒星のごとき鉄拳が、ペケめがけて振るわれた。
「ペケプレス!」
スピカが踏み込む瞬間に、その足首を弾き飛ばす。スピカバスターは、片腕に超重量の手甲を召喚する魔法だ。当然、重心が安定するはずもない。足を払われたスピカは大きく体勢を崩し、輝く拳は空を切る。ペケは急いで距離を取りつつ、ペケプレスを乱射した。
一秒間に、平均十発。限界速度で連射される〝X〟の波動が、スピカの周囲にばら撒かれていく。そよ風程度の威力だが、この際威力は問題ではない。たえまなく押し寄せる無数の白い衝撃波は、猛吹雪のように視界を奪う。スピカの視界は、白で埋め尽くされているはずだ。
こんなに小さな力でも、やり方次第で食らいつける。杖を握る手に、力が入った。
「――コメットブースター!」
吹き荒れるペケプレスの向こう側で、スピカが吠えた。閃光とともにスピカの体が空へと飛び上がり、ペケプレスから逃れていく。その背からは、ロケットエンジンにも似た噴出口が五本も突き出していた。噴出口から青白い光を迸らせ、スピカはペケめがけて急降下する。
スピカの生身の拳が、魔女帽をかすめた。なおもスピカは煙突の合間を飛び回り、すれ違いざまに何度も拳を振るう。その猛攻を、ペケは捌ききれずにいた。
スピカは彗星のごとく光の尾を引き、止まることなく飛び続けている。その足は宙に浮いているため、転ばせることは難しい。バッテンバインドで目隠しをしようにも、スピカは常に片腕を顔の前に構えており、警戒を怠ることはない。ペケプレスによる視界封じや猫騙しで抵抗を続けてはいるものの、前後左右から襲い来る拳はペケを確実に痛めつけていく。
そしてついに、加速した拳がペケの胴の真芯を捉えた。だがこれは、ペケの仕掛けた罠だった。スピカの動きが突然止まる。スピカの拳は、ペケの体にしっかりと接着されていた。
「つか、まえた」
バッテンバインドは、粘着性を持たせて貼り付けることもできる。ペケは両面に粘着性を持たせたバインドを自分の胴体に巻きつけ、その上であえて拳を受けたのだ。ついでに『新米魔女の
スピカの姿を、一瞬のうちに観察する。〝☆〟の鍵は、スピカのへそに刺さっていた。間髪入れずに、ペケは鍵へと手を伸ばす。だが、スピカはとっさに魔法を解除し、鍵をへそから引き抜いた。そして惜しくも、ここでバッテンバインドが解除される。ペケは、体にバインドを巻いた状態で攻撃を待ち続けていたのだ。十秒という発動時間は、過ぎてしまった。
自由を取り戻したスピカは、魔法少女特有のステップでペケから距離をとる。正気は失っても、魔法少女の本能だけは色濃く残っているようだ。二人は睨み合い、お互いを牽制する。
スピカは見るからに困惑し、ペケを過剰に警戒していた。無理もない話だ。非力なはずのペケを仕留めきれず、それどころか反撃を受けている現状を理解できずにいるのだろう。
だが、攻めあぐねているのはペケも同じだった。ボロボロの体で、ペケは心を研ぎ澄ませる。
「……まだ、やれる。もっと、やれる」
何とか足掻いているものの、今のままではまだ足りない。できることが、きっとどこかにあるはずだ。こんなとき、ニコならどうするのだろうか。ペケの心は、なおも熱を帯びていく。
「もっと弱く。もっと強く。もっと自在に。――もっと、ココロのままに」
あるがままを受け入れて、できることを見極めて、その中で最善を尽くしてきた。それ自体は間違いではない。魔法を鍛える上で、むしろ理想的ともいえる在り方だ。だが、ペケは謙虚すぎた。見切りが早すぎた。自分の本質を理解した気になって、上限さえも決めつけていた。
そうだ。大切なのは『何ができるか』だけではない。『何がしたいか』という意志だ。
ペケに足りないのは、貪欲さと無謀さだった。未知なる可能性を肯定することだった。
もっとわがままでいい。ないものねだりをしてもいい。ニコなら、きっとそうするはずだ。
「メテオクラスター!」
痺れを切らしたスピカが猛る。〝☆〟型のエネルギー塊が、空に向けて放たれた。
ペケは、変わることを心のどこかで恐れていた。せっかく手に入れた今が壊れてしまう気がして、踏ん切りがついていなかった。だが今度こそ、ペケは心を解き放つことを恐れない。
ペケの決意に呼応して、〝X〟の鍵が脈打つように煌めいた。
心に浮かんだ新たな魔法に、ペケは一瞬動揺する。この魔法は、明らかに異質だった。口にすれば、もう後戻りはできないだろう。それでもペケは覚悟を決めて、その魔法の名を紡いだ。
「――テンエンハンス!」
白銀に輝く小さな魔法陣たちが、杖の先から次々と生み出されていく。十個の〝X〟の魔法陣は、ペケに纏わりつくようにその周囲を漂った。
新たな魔法の特性を、瞬時にココロで理解する。
〝X〟とは、十。そして十は、『大きな数』や『最大値』、『限界』を意味することもある。
十回強化の魔法、テンエンハンス。それが、ペケの三つ目の魔法だった。
しかし、どういうことだろうか。ペケのこれまでの魔法は、記号をモチーフとしていたはずだ。ペケは魔法少女のはずだった。
だがこの魔法は、まぎれもなく
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