第32話「あきれるほどに魔女だから」
Ⅱ
ペケと合流するために、ニコは煙突の群生地を駆けていた。その後ろを、二人の魔法少女が追いかける。ペケが叫んだ集合場所は、ニコにもかろうじて伝わっていた。屋敷の裏手で別れたペケとニコは、屋敷や庭を両側から迂回する形で島の正面へと向かおうとしていた。
ニコは運動神経には自信がある。人間界にいた頃も、スポーツではいつもクラスの人気者だったほどだ。だが今は、これだけ遮蔽物が多い場所でありながら、追っ手を振り切れずにいた。
その理由は単純だ。ニコの左手から、けたたましい警報音が鳴り響いているのだ。
ニコの左手に貼り付いている〝!〟の魔法陣は、警報の魔法・アラートアラーム。迫り来る危機を音で知らせる魔法のようだが、〝!〟の魔法少女はこの魔法をあえてニコにかけることで、音での追跡を可能にしていた。追っ手という危機が迫り来る限り、ニコに付いたアラームは鳴り止まない。アラームが鳴り続ける限り、追っ手はニコを見失わない。
「大丈夫、大丈夫だから」
自身に言い聞かせるように、ニコは繰り返す。最初三人いた追っ手は一人が途中でどこかへ消え、残り二人となっていた。持久戦に持ち込めば、逃げ切れない相手ではないようだ。アラームは鳴り続けているものの、危機が遠ざかりつつあるのか、心なしか音は小さくなっている。
だが、ここでニコの胸をよぎったのは安堵ではなかった。
――もし追っ手を振り切ったとして、魔法少女たちは次にどこへ向かう?
思わずニコの足が止まる。にもかかわらず、魔法陣の警報音は徐々に小さくなっていく。ニコの予感は的中した。魔法少女たちはニコを諦め、ペケの方へと向かうことにしたのだ。
もしかすると、一度屋敷に戻るだけなのかもしれない。ペケの居場所など、見当もついていないのかもしれない。だがもしも、島にいる魔法少女全てがペケに狙いを定めたのだとしたら。
気付けば、ニコは来た道を戻り始めていた。
ニコはいままで、誰かから負の感情を向けられたことはほとんどなかった。今思えば、環境に恵まれていたのだろう。異界に足を踏み入れてからは理不尽なヘンテコに襲われることも多かったが、あらゆるものに牙をむくヘンテコはある意味平等で、好感すら覚えた。しかし今、ニコは剥き出しの敵意に晒されている。その事実だけで、足の震えが止まらなかった。
だけれども、ここで逃げるわけにはいかない。〝!〟の魔法陣の警告を無視して、ニコは魔法少女たちを追いかけた。
「やっと、見つけたよ!」
震える声で、ニコは叫ぶ。二人の魔法少女は、冷たい目でニコを見据えていた。
ニコは決して強くない。ニコから言わせれば、ペケの方がずっと肝が据わっている。弱さや困難を正面から受け入れて最善を目指す姿勢は、ニコにはとても真似できない。こんなときでも背伸びをして恰好つけて、弱さをごまかすことしかできない。だけれども、そんなニコの強がりを、ペケは強さと言ってくれた。だからニコは、強がることを恥じらわない。
「私の中の魔女に誓って、ペケには鍵一本触れさせないから!」
ニコにとって、心や想いは何より大切だ。だが時として、ニコの想いは身の程知らずの夢物語となる。それでもニコは背伸びして、意地でも想いを曲げたりしない。強がりが勇気をくれるなら、それで弱さを乗り越えられるなら、ニコは何度でも強がり続ける。
「何がしたいの?」
「不可解」
〝!〟の魔法少女と〝†〟の魔法少女が、重ねるように無機質な声を投げかける。ニコの左手に貼り付けられた〝!〟の魔法陣は、これまでにないほど激しく警報を発していた。
ニコは目に涙を浮かべたまま、精一杯の笑みを浮かべた。
「だって私は、魔女だから」
幼い頃に絵本の中で見た魔女は、勇ましかった。どんな話かはすっかり忘れてしまったが、憧れの気持ちは色あせない。自分が魔女だと知ったとき、自分もいつかこうなれるのだと、ニコは胸をときめかせていた。
魔女に憧れた。魔女になれて誇らしかった。魔女だから孤独を味わった。魔女だからつまらない意地を張った。魔女だからペケと出会えた。そして、魔女だからペケを守れる。
〝Ⅱ〟の魔女、ニコ・パラドールは魔法少女と対峙する。なぜなら、彼女は呆れるほどに魔女だから。
「――ビックリスマッシュ!」
痺れを切らした〝!〟の魔法少女が、鍵を自身の足首に刺す。警告色のドレスを纏った少女は炸裂音とともに加速し、煙突を足場にして立体的に跳ねまわる。
弾丸のごとき飛び蹴りを、ニコは伏せて回避した。魔法少女はニコの背後の煙突を蹴り飛ばし、方向転換しようと試みる。だが、その煙突にはすでに先ほどニコの鍵が触れていた。
「潰れて戻れっ!」
ペタンコペイントを、遠隔で発動する。魔法少女が足場にしようとした煙突は、地面に描かれたラクガキとなる。そして発動の数瞬後、魔法はすぐに解除される。ラクガキの上を通過していた魔法少女の体を、煙突が勢いよく突き上げた。魔法少女はくの字に折れ曲がり、煙突数本分ほど真上に吹き飛ぶ。そして受け身も取れないまま、地面にぐしゃりと落下した。
数秒にも満たない出来事だった。〝!〟の魔法少女は意識を失い、ニコの左手に貼り付けられた〝!〟の魔法陣も消失した。
「予想外」
やや出遅れた〝†〟の魔法少女が、冷静に呟く。ゴシック調のドレスが、怪しげに揺れた。
「魔女と箒は使いよう、ってね! ――ニコギロチン!」
ニコは手頃な煙突を根元から切断し、魔法少女に向かって倒す。切断の際に微妙な角度を付けることで木や柱を狙った向きに倒す技術を、ニコはこれまでの冒険の中で磨いてきた。倒れる速度が重力任せのため避けられることも多いのだが、牽制程度の意味はある。
「――ピタットダガー」
〝†〟の魔法少女は、手首に刺した鍵を捻る。その手のひらから、一本の短剣が射出された。
短剣が刺さった煙突は、宙に縫いとめられたように静止する。ニコギロチンを解除しても、傾いた煙突は元に戻らずその場で固定されたままだ。
短剣符である〝†〟は、聖歌の楽譜における『小休止』の記号でもある。刺さったものの動きを少しの間だけ止めるのが、あの短剣の特性なのだろう。
魔法少女は、なおも続けて魔法を使う。今度は、手のひらから五本の短剣が生み出された。
「――クネットダガー」
魔法少女がニコを指差すと、宙に浮かんだ短剣は一斉にニコへと飛んでいく。撃ち出された短剣は魔法少女の指の動きに合わせて曲がり、逃げようとするニコを追跡する。〝†〟は、『参照』という意味も持つ。指の動きに従い飛び回るのが、この短剣の特性なのだ。
「だったら!」
五本の短剣は、ニコの目の前まで迫っていた。ニコはその場でくるりと回り、短剣を巻き込むように短いマントを翻す。使った魔法は、ペタンコペイント。〝Ⅱ〟の鍵が差し込まれたマントは、触れた短剣全てをラクガキにして飲み込んだ。
魔法少女が目を見開く。その隙にニコは魔法少女との距離を詰め、再びマントを翻す。
相手に向かって短剣が飛ぶことを期待して、ニコはペタンコペイントを解除する。しかし、五本の短剣は力なく真下に落ちただけだった。どうやら物体をラクガキに変えた際、元の速度はリセットされてしまうらしい。直感的な応用は、毎回うまくいくとは限らない。
「喰らえ! ……えっ? あれっ? うそっ!」
「――スパットダガー」
もちろん、敵もその隙を見逃すはずがない。手首の鍵が捻られ、〝†〟の魔法少女の手に一本の短剣が召喚される。魔法少女はそれを握りしめ、真一文字に振り抜いた。
魔女の本能が警鐘を鳴らし、ニコはとっさにダブルドールを盾にする。振り抜かれた短剣は、ニコ人形をたやすく両断した。〝†〟は、『戦死』や『絶滅』を意味することもある。あの短剣は、予想以上に危険な代物のようだ。
魔法少女は半歩踏み込み、無防備なニコへ再び短剣を振るう。ニコの胴体が、上下に裂けた。
「戻れっ!」
二つに裂けたニコの体が、一瞬にして元に戻る。避けきれないと悟ったニコは、ニコギロチンで自ら体を分断して短剣を回避したのだ。危険すぎる賭けは、成功した。
魔法少女はわずかに体勢を崩している。二人の距離はゼロに近い。ニコは上半身を戻した反動で、そのまま頭突きをお見舞いする。ニコの魔女帽が吹き飛び、鈍い打撃音が鳴り響いた。
ニコと魔法少女が、額を押さえてうずくまる。魔女の意地で先に我に返ったニコは、魔法少女めがけてがむしゃらに鍵を突き出した。だが、魔法少女は踊るようなバックステップで即座にニコから距離を取る。そして手首の鍵を回し、五本の短剣を召喚した。
「――クネットダガー」
魔法少女の周囲を漂う短剣たちは、合図ひとつでニコを襲うだろう。しかし、魔法少女はそれをしない。今度こそ魔法で防がれないように、ニコの隙を窺っているのだ。お互い迂闊に動き出せず、向かい合う二人の間に静寂が流れる。
ニコの心に焦りが生まれる。元々三人いた追っ手のうち、〝☆〟の魔法少女は早々にニコに見切りをつけていた。魔女の直感が正しければ、〝☆〟の魔法少女は今ごろペケの元へと向かっているはずだ。きっとそうに違いない。こんな所で、もたついてなどいられない。
心を奮い立たせるために、ニコは強気な笑みを浮かべる。ニコは駆け引きが得意ではない。だからまっすぐ駆け抜ける。押して駄目でも押し通す、それが
「〝Ⅱ〟だからできるとっておき、見せてあげる」
遠隔発動以上に消耗が激しい、ニコの魔法のとっておき。後先を考えずに使うものではないのだが、出し惜しんでいる余裕はない。ニコは鍵を握りしめ、呼吸を整えた。
静寂を切り裂くように、獣のごとき咆哮が、煙突の森のどこか遠くから響き渡った。
それを合図に、〝Ⅱ〟の魔女と〝†〟の魔法少女は同時に動いた。
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