第31話「魔法少女が潜む罠」

 理解しがたい状況に、鼓動がどこまでも早くなる。ペケはニコへと振り返り、叫んだ。


「ニコ、逃げよう!」

「ねえ、いったい何があったの? どうなってるの?」

「わからない! だけど、ここにいたら危ない! 指名手配の魔法少女が、そこまで来てる!」

「わからないけどわかったよ! でも、どこに隠れれば……」


 ペケが答える前に、下の方から金属音が鳴り響く。おそらく、ドアが壊されたのだ。


「玄関とは、逆側の窓! そこから、飛び降りよう!」


 わずかな時間で、ペケは思考を巡らせる。魔法少女たちの目的は、おそらく屋敷内の財産だろう。クロス・メナードは、魔法少女界アリスの実質的なトップともいえる。そんな魔法少女の住む家が今では放置されているとなれば、略奪にはもってこいだ。きっとペケたちは、道中での情報収集や世間話の中で、屋敷に関する情報を気付かず漏らしてしまったのだろう。それを聞きつけたならず者がこうして乗り込んできたのだとすれば、筋が通る。


 だからペケは、煙突の森に隠れてやり過ごすべきだと判断した。おそらく向こうは、まだ二人の存在に気付いていない。金品などを漁るだけ漁れば、島に長居はしないはずだ。


 裏手側の二階の窓を開け放つ。見える限りの範囲には、人影はない。魔法少女たちの気配が一階で蠢き、ついに階段を駆け上がる足音までもが聞こえてくる。ペケとニコは顔を見合わせ小さく頷くと、窓から飛び降りた。このくらいの受け身も取れないようでは、異界で旅などできやしない。魔女流の受け身で音もなく着地した二人は、すばやく立ち上がる。あとは煙突の群生地まで駆け抜ければ、ほぼ逃げ切ったようなものだ。

 だが、ペケはすぐに足を止める。煙突の陰から、和装の魔法少女が姿を現したのだ。


「……え、まさか、イーユ?」


 不測の事態の連続に、ペケの声が上ずった。入口にいたはずの〝♨〟の魔法少女、イーユ・カポーン。その彼女がなぜか、裏手側で二人を待ち構えている。これではまるで、魔法少女たちは最初からクロスの屋敷などではなく、ペケとニコを狙っていたかのようではないか。


 しかし、相手は考える時間すら与えてくれない。ペケとニコを引き離すように、地面から間欠泉が噴き出したのだ。大樹のように太い水柱は、屋敷の屋根よりも高く立ち昇り、周囲に蒸気と熱湯をまき散らす。こんなものをまともに受ければ、ひとたまりもないだろう。

 そうしている間にも、イーユは迫ってくる。合流の隙は、ありそうにない。


「ニコ! はぐれたら、ラクガキ煙突か音符の場所で!」


 限られた時間の中で、ペケは精一杯のメッセージを叫ぶ。はぐれたときの集合場所は、二箇所。一つは、ニコが煙突をラクガキに変え、番犬岩を迎え撃った地点。もう一つは、羊車乗りの〝♪〟の魔法少女との集合場所である、虹の橋のふもと。ニコには、きっと伝わったはずだ。

 そして叫び終わると同時に、ペケとニコは別方向へと駆け出した。


 死に物狂いで逃げるペケを狙うように、何度も間欠泉が地面から噴き上がる。だが、肌を掠めることはあっても直撃はしない。どうやら発生までにわずかなタイムラグがあるようで、動き回るペケを捉えきれずにいるようだ。煙突の群生地までは、あと数歩。蒸気と熱湯がかすった左足がひりひりと痛むが、気にしてはいられない。ペケは、スパートをかけた。


「―――イーユプール」


 だが、そのとき地面が消えた。代わりにペケの下にあるのは、湯煙ただよう濁り湯だ。ペケの周囲の地面が腰ほどの深さまで陥没し、そこに瞬時にお湯が張られたのだ。ペケの体は、なすすべもなく温泉の中に投げ込まれた。


「なに、これ」


 ペケの足元に展開されたのはただの温泉で、火傷をするような熱さでもない。腰までお湯につかっているせいで少し動きづらいが、それだけだ。だが、そこでペケはイーユの狙いに気付き、弾かれたように振り向いた。そう、このままでは間欠泉を避けきれない。


「――ロッテンゲイザー!」


 イーユは右手を振り上げると、地面へと勢いよく振り下ろす。その手の甲には、〝♨〟の鍵が差し込まれている。ペケはとっさにペケプレスを放ち、イーユの手首を軽く弾いた。


 直後に、ペケから数歩離れたところで間欠泉が立ち昇る。手をつく位置がずれたことで、間欠泉の発生位置にもずれが生じたのだ。その隙に、ペケは温泉から抜け出す。そしてそのまま煙突の群生地へ逃げ込もうとして、ペケはしまったと呟いた。これほど濡れてしまっては、通った道をも濡らしてしまう。煙突の陰に隠れたところで、ペケの居場所は一目瞭然だ。


「イーユプール!」


 イーユの手が振り上げられ、そのまま真下へと伸びる。再びペケプレスでその手を弾くが、意味はなかった。地面の陥没範囲は広く、多少狙いがぶれても容易にペケを捉えるのだ。立っていた地面が濁り湯に変わり、ペケはまたしても温泉に落とされることになった。


 そして、イーユの手は何度でも振り下ろされる。そのたびに、ペケとイーユの距離は縮まっていく。回避不能の足止めと、防御不能の間欠泉。そして、相手を濡らすことによる擬似的な追跡補助。単純ながら、凶悪な組み合わせだった。


「待ってください! なんで、私たちを襲うんですか?」


 とにかく攻撃を止めさせようと、ペケはイーユに問いかける。そしてもちろん、その間にペケプレスを溜めることは忘れない。


「そんなの当然――」


 ぶっきらぼうに吐き捨てながら、イーユは右手を振り下ろす。


「――あれ? なんでだっけ?」


 疑問に満ちた声とともに、その手が宙で止まった。ペケも時間稼ぎの意図を忘れて、思わずその場で立ち呆ける。


「……あっ! ペケプレス!」


 すぐに我に返ったペケが、杖先から衝撃波を撃ち出す。〝X〟の波動はイーユの額に命中し、彼女を大きく仰け反らせた。ペケは急いで温泉から抜け出し、杖を構えなおそうとする。しかし、そのときにはイーユの姿が消えていた。

 ペケは困惑し、周囲を見回す。よく見れば、イーユがいた場所の地面が消え、代わりにお湯が張られていた。そして、濁り湯の水面はペケの足元まで一直線に伸びている。


「これ、まさか」


 ペケが逃げるよりも早く、濁り湯からイーユの左手が飛び出し、ペケの足首を強く掴んだ。

 イーユは自身の足場を温泉に変え、濁り湯の中を潜行してペケへと接近していたのだ。温泉から上半身を出したイーユは、ペケの真下の地面へと直接右手を叩きこむ。


「ロッテンゲイザー!」


 零距離で放つ間欠泉は、きっとイーユの必殺技だったのだろう。だが、間欠泉は発生しなかった。イーユの右手が地面に触れる直前に、ペケは小さなバッテンバインドを放ったのだ。イーユが触れたのは地面ではなく、その上に貼り付く純白の帯。故に、魔法は不発に終わった。

 避けられないのなら、そもそも使わせなければいい。それが、非力なペケにできる精一杯だ。


「この程度で、のぼせ上がるな! かくなる上は――ローテンブロー!」


 イーユの叫びに呼応して、手の甲の〝♨〟の鍵が輝いた。右拳が大きく振りかぶられ、重い殴打ブローが放たれる。しかし、ペケは後ずさらない。むしろそれを待っていたかのように、バッテンバインドで迎え撃つ。斜め十字の帯は、目隠しをするようにイーユの頭部に巻きついた。


 威力を捨てれば、溜めはいらない。放たれる角度は、もはや杖の向きとも関係ない。〝X〟のロックオンのおかげで、じっくり狙いを定める必要もない。予備動作なしの超速射撃は、たとえ真正面からでも不意打ちを成立させてしまう。あえて速度を落とさない限り、ペケの魔法にまともに反応できるのは、魔力を感知し反射的に叩き潰す千年樹くらいのものだろう。


 不意を突かれたイーユは、反射的に拳を引いた。そして、視界を遮る帯を慌てて顔から剥がそうとする。それはちょうど、両手の甲を無防備に晒す格好となる。ペケはすばやく手を伸ばし、イーユの手の甲から鍵を引き抜いた。


「…………は?」

「ごめんなさい!」


 反撃の隙を与えず、ペケは〝♨〟の鍵を両手で持つ。そしてあらん限りの力を込めて、鍵を真っ二つにへし折った。魔法の鍵は、魔法使いの素質そのもの。鍵が砕かれた魔法使いはただの人間へと戻り、異界にさえいられなくなる。

 イーユは短く悲鳴を上げたが、手遅れだった。周囲の空間が大きく捻れ、彼女の体は歪みにのまれて消えていく。これが異界から強制的に排斥され、人間界に帰るということなのだろう。


「やった……の?」


 つい体から力が抜けるが、ペケは気力で持ち直す。魔法少女たちの目的がペケとニコだとすれば、屋敷の中の魔法少女たちも二人を追ってきているだろう。濡れた服はある程度まで絞ったものの、まだときおり水滴が垂れる。目立つ痕跡ではないが、このまま立ち止まってもいられない。ペケはフラフラとした足取りで、煙突の群生地を進みはじめた。


 魔女帽を深く被り、呼吸を整える。考えても、分からないことだらけだった。そもそも、襲われる理由が思い当たらないのだ。状況からして、金銭狙いの通り魔とも考えにくい。


「……だとしたら、私が覚えてないだけ?」


 もしも、狙われる理由が失われた記憶の中にあるのだとしたら。もし本当に、ペケの記憶喪失とクロスの失踪に何らかの関係があるのだとしたら。ペケの頭に、いくつもの疑念がよぎる。

 自身の置かれた状況に、歯噛みせずにはいられなかった。記憶をまるごと失ったかと思えば、人間界に戻ることさえできなくなっていた。そして今度は、訳もわからぬ事件に巻き込まれて身の危険に晒されている。ヘンテコだらけの異界とはいえ、こんな不条理は望んでいない。

 だが、嘆いていても事態は何も好転しない。頬を力強く叩き、むりやり思考を現実へと戻す。


「とにかく、今は、逃げ切ることを考えないと」


 ペケは周囲に気配がないのを確認し、囁くように口笛を吹いた。これは〝♪〟の羊車乗りにだけ聞こえる合図。これで、あと数十分もすれば橋のふもとに羊車がやってくるはずだ。


 この島には、虹の橋がひとつしかない。とにかく追手を振り切りつつ、橋に二人で辿り着く必要がある。ニコと合流するために、ペケは足を速めた。

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