第XXX話「ペケの魔法と鍵の謎」

 本の片付けは半分ほどしか終わっていないが、二人は昼食をとることにした。小さな鞄から肉球バーガーを取り出して、勢いよく齧りつく。四つ足キノコの肉球は、噛むたびに口の中で弾む。弾力のある肉球とバンズを頬張りながら、ペケは日記をペラペラとめくっていく。


 魔法考察の後半には、クロスと交遊のある魔法少女についての記述もあった。クロスの一つ目の魔法は、異なる魔法や魔力を掛け合わせて融合する、クロスシンフォニーというチカラだ。この魔法を使いこなすために、クロスは知人の魔法についても考察を進めていたのだろう。


 日記の魔法考察には、やはりペケの知らない魔法少女についての記述が多い。しかし読み進めていくうちに、空猫バルのオーナーやチルダ、さらにはアリスカルテットについて書かれたページも見つかった。そしてラヴィのページに差しかかったとき、ペケの手が止まった。


「あれ? 真っ白?」


 ここまでも、記載内容の細かさは相手によってバラバラだった。しかしこのページは、ほぼ白紙のままだったのだ。ノートの隅には『心を奪う魔法、心が惹きあう魔法、心が弾む魔法、心を射止める魔法、心を解き放つ魔法』とメモ書きされ、その下に小さく『どんな魔法なのかは乙女の秘密とのこと! もっと仲良くなったら教えてくれるかな?』と付け足されている。


「ラヴィさんって、雑誌とかでも謎多きカリスマって感じのキャラだよね。魔法少女通信の特集記事でも、ちゃんとした魔法の中身までは載ってなかったもん」


 ラヴィのファンになりつつあるニコでも、詳しくは知らないようだ。ラヴィのことも少しだけ気になるが、今日の目的はそれではない。ペケは肉球バーガーを食べ終えると、日記を閉じて本の片付けを再開した。


 地震で落ちた本を本棚にしまいながら、ペケはさらなる手がかりを探していく。片付けの中で気付いたことだが、この書斎には裏表紙に三日月のエンブレムが描かれた本が非常に多いようだ。いまペケが何気なく手に取った『魔法属性論』の裏表紙にも、三日月が描かれている。

 見覚えのある紋章にペケは少し頭を捻り、すぐに既視感の原因に思い当たった。そう、以前ニコから貰い、今も鞄に入っている『新米魔女の魔女界グリムス入門』にも、同様の紋章があったのだ。


「ニコ。本の裏表紙の三日月って、なにか意味あるの?」

「これ、三日月じゃなくて〝C〟だよ? 〝C〟の魔導士、シャルノア・クルールっていえば、魔女の間でもすっごく有名なの。もう、お世話になってない魔女はいないってくらい!」

「へっ? 魔導士?」


 予想外の返答に、ペケはあんぐりと口を開けた。魔女界グリムス入門にも描かれたマークだという先入観から、まさかこの紋章が文字の〝C〟だとは思いもしなかったのだ。


「シャルノアさんって、異界研究の第一人者なんだよ。冒険家なのか研究者なのかイマイチわかんないけど、とにかく魔導士なのに魔女界グリムス魔法少女界アリスにもすっごく詳しいんだって!」


 貴重な異界学術書である『魔法属性論』『異界変質学』『近接マナ空間における統一言語論』『異界間帰巣本能解析』などの専門書シリーズから、入門書の三大ベストセラー『猫でもわかる魔法少女界アリス概論』『魔導士界ロゴスの歩きかた泳ぎかた』『新米魔女の魔女界グリムス入門』までを幅広く手掛ける、異界の探究に全てを捧げた魔導士。それがシャルノア・クルールなのだという。


「……すごい。そんな魔法使いも、いるんだね」


 感嘆の声を上げ、ペケはちょうど手にしていた『魔法属性論』を開く。最初のページは、本の概要と読者に向けたメッセージから始まっていた。


『忘れられがちな事実であるが、魔女、魔導士、魔法少女というのは便宜上の分類ではなく、れっきとした魔法属性区分である。そのため、魔法の発動機構等も属性によって異なる』

『もっともわかりやすいのは、鍵の用途だろうか。魔女の場合、魔法の発動対象に直接鍵を差し込むことで魔法を行使する。一方で魔法少女の場合では、鍵を自身の肉体に差し込み、そこから魔法を使う。そして魔導士は、杖や本など特定の対象に鍵を差し込むことで魔法のアイテムへと変え、それこから魔法を発動する。単にココロに従うだけではなく、こうした属性の本質を理解することが、魔法を極める第一歩となる』

『ぜひともキミも、この本を通して魔法への理解を深めてほしい。魔法は、異界は、知れば知る程に素晴らしいものなのだから』


 どうやらこの本によると、鍵で直接魔法を使うのが魔女、一度肉体を経由するのが魔法少女、特定の道具を経由するのが魔導士ということらしい。


「……でも。そういえば私、どこにも鍵を刺してない」


 ペケは大きく息をのむ。今まであまりに当然のように杖から魔法を撃ってきたが、肝心の鍵は胸元で揺れて輝いているだけだ。魔法の本質がココロの形であるからこそ、自身の魔法についても心ですんなり受け入れてしまっており、一切疑問を持つことはなかったのだ。


 試しに床に鍵を刺そうとするが、鍵先は床にぶつかるばかりで、中に潜ることはない。本や杖や自分の胸元でも試してみたが、ペケの鍵はどこにも刺さらなかった。


「ねえ、ニコ。鍵先を物に潜り込ませるコツってある?」

「え? 普通に、えいって刺したら入っちゃうよ? ……ペケ、どうしたの?」


 思い返せば、ペケは今までニコにしかまともに魔法を見せたことがなかった。ニコはこれまで魔女界グリムスから出たことがなく、他の異界に関する知識も伝聞や本で仕入れたものだけだ。もちろん魔法少女や魔導士が魔法を使う場面も見たことがなく、それ故にペケの魔法の不自然さにも気付くことはなかったのだろう。


「うん、実は、この本に――」


 ニコに事情を説明しようとしたときだった。ペケの言葉は、突然の轟音にかき消された。ペケは度肝を抜かれたが、すぐ思考を取り戻し、庭先の番犬岩が一斉に吠えたのだと気付く。

 だが、その吠え声さえもさらなる重低音に塗りつぶされた。岩が砕ける音が響き、屋敷が再び大きく揺れる。揺れはほどなくして収まり、そして今度は静寂が訪れた。


「な、なになに? また地震?」


 戸惑うニコの手を引いて、ペケは窓際まで走る。番犬岩が吠えたということは、庭に誰かが侵入したのだろう。そしてあの執念深い番犬岩が沈黙した理由は、一つしか考えられない。


「……なに、これ」


 窓の外を覗いたペケは、思わず声を漏らす。予想は当たっていた。だがそれでも、目の前の光景が信じられなかったのだ。庭にいた十数匹もの番犬岩は、見るも無残に砕け散っていた。

 庭は抉られたように陥没し、土が激しく舞っている。そして土埃の向こうには、五つの人影があった。五人は屋敷へと歩みを進め、ついに先頭の二人が土埃の中から姿を現した。


「なんで、ここに」


 ペケは、その二人に見覚えがあった。一人は、群青のドレスに銀のアクセサリーを散りばめた短髪の魔法少女。もう一人は、前合わせの和風のドレスとハチマキが特徴的な魔法少女。その姿は、手配書で見たものと寸分違わず一致している。彼女たちがどうしてここにいるのかも、一体何が目的なのかも、ペケにはまるでわからなかった。だが、これだけは確実だった。


 〝☆〟の魔法少女、スピカ・スターダスト。そして〝♨〟の魔法少女、イーユ・カポーン。指名手配の魔法少女たちが、三つの人影を従えて屋敷の前まで迫っていた。

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