第29話「オンボロ屋敷とクロスの魔法」

 屋敷の中は簡素なつくりで、いたるところに本や書類が散乱していた。クロスという魔法少女は、よほど片付けが苦手だったのだろう。そのくせゴミや汚れはどこにも見当たらず、彼女なりのこだわりが感じられる。ペケとニコは、一階のリビングで手がかりを探していた。


「それにしても、ペケの魔法ってすっごく綺麗に当たるよね。あんな小さな杖の破片にも、簡単に命中させちゃうし」

「心の中に思い描いた〝X〟を、目の前の標的と重ね合わせてるんだ。あとは、その真ん中を撃ち抜くだけ。そうすれば、狙いがしっかり定まるから」

「それって、スナイパーのスコープみたいな感じ? ああいうのって十字の照準だもんね」

「うん。スコープとかロックオンとか、そんなイメージが近いかも。ちゃんと意識し始めたのは、最近になってからだけど」


 〝X〟は、常にペケの心の中にある。そのイメージは時として照準となり、魔法の狙いをより正確なものにする。モモカのように百発百中とはいかないまでも、ノーモーションかつ無反動、しかも目にも留まらぬ弾速で魔法を撃てることもあり、その命中精度はなかなかのものだ

 宙を舞う鍵の重心や、走るニワトリモドキの顔や足首さえも的確に捉える精密射撃。これも、ペケのモチーフが〝X〟であるが故の特性だった。


「あっ! ねえねえペケ、こっち来て!」


 突然ニコに手を引かれ、ペケは振り返る。ニコが指差していたのは、写真立てに乗った手鏡だった。だが、その鏡が映しているのは今の風景ではない。ひび割れた鏡面には、一人の女性の笑顔が映し出されていた。


「……もしかして、これ、クロスさん?」


 魔法少女界アリスの鏡は臆病だ。強い衝撃が加わると、恐怖のあまり役目を忘れて動きを止める。だから鏡を叩いてひびを入れることで、そのときの静止像を鏡面に保存できるのだ。

 魔法少女界アリスでは、鏡写真と呼ばれる技法だった。


 窓際には、十枚ほどの鏡写真が並んでいる。鏡面に写る彼女は少し大人びていて、ペケよりもやや背が高く見えた。寝癖だらけの深緑の髪を長く伸ばしており、その胸元では〝X〟と刻まれた緑の鍵が輝いている。そしてエメラルドグリーンの瞳が、鏡越しにペケを見つめていた。


「ペケ、どうしたの? もしかして、何か思い出せた?」


 無言で鏡写真とにらめっこするペケに、心配そうにニコが寄り添う。


「いや、大したことじゃないんだけどさ。クロスさんの髪と瞳、不思議な色してるなと思って」


 正確には、クロスだけではない。ラヴィやポスターで見た他のアリスカルテット、さらには『時計塔の魔女』のヴィクトリア・ダースも、髪や瞳が鮮やかな色に染まっていたはずだ。

 最初はアイドル性やカリスマ性を持たせるための一種のファッションかと思ったが、そもそも異界で髪染めやカラーコンタクトなど見たことがない。だが、生まれつきとも思えなかった。


「ペケ? ねえ、ホントに大丈夫?」


 ニコに肩をつつかれて、ペケはようやく我に返った。やはり、考えすぎるのはペケの悪い癖だ。ペケは短く息を吐き、脇道に逸れた思考を本題に戻していく。


「……とにかく、やっぱり私はクロスさんじゃない。鍵の色や模様も、背も歳も、全然違う」

「でも、目元とかそっくりだよ? あと、癖っ毛とかも」


 空猫バルでの聞き込みの時点で、クロスとペケが別人であるのはわかっていた。ここに来たのはあくまで、偶然の一致とは思えない二つの事件の関連性を調べるためだ。しかし、鏡写真を見たペケは混乱していた。確かに、二人は別人だった。だが、赤の他人と言い切るにはいささか面影がありすぎたのだ。


「クロスさんとペケって、もしかして姉妹だったり?」

「うーん。なんか納得できないけど、その可能性も捨てきれないかも。もっと、調べてみよう」


 もしかすると、〝一〇〇〟のモモカと〝一〇〇〇〟のチサトの例もあるように、姉妹ではモチーフが似る傾向があるのかもしれない。もしもクロスとペケが姉妹ならば、枢機風車城に駆け込めば容易に身元がわかるだろう。口調とは裏腹に、ペケの胸は高鳴っていた。


 しかし一階をくまなく探しても、出てくるのは大量の本や事務書類、生活用品や鏡細工の置物ばかり。四本足で逃げ回る鏡台を何とか捕まえても、引き出しにはガラスの卵しか入っていない。クロスとペケが二人で写った鏡写真でもあれば話が早いのだが、そう都合よくはいかないようだ。


 そして二人は、二階へと足を踏み入れた。どうやらここは書斎のようで、魔女の背よりも高い本棚が等間隔に並べられている。どれほど本を置きたいのだろうか、本棚同士の隙間は狭く、魔女ひとりがなんとか通れるほどしかない。


「……これだけ本が多いと、どこから調べればいいかもわからないや」

「とりあえず、片っ端から調べてみようよ! 急いては魔女のカボチャ損、時間はまだまだいっぱいあるよ?」


 ニコは天樹の懐中時計を取り出し、くすぐったそうに笑う。針は、十二時前を指していた。

 本棚の隙間を通りながら、ペケとニコは本棚をひとつひとつ確認していく。置いてある本はどれも異界や魔法に関するものだが、『ラヴィのワンポイントマジカルタイム』などの大衆向きの本から、『異界変質学』のような学術書まで幅広いジャンルが揃っている。


 そして、ペケが本棚の上にある本を取ろうと背伸びしたときだった。突然、床が大きく揺れた。いや、床だけではない。本棚までもが大きく揺れ、分厚い本が前後の棚から雪崩のように降ってくる。二人は短く悲鳴を上げ、その場にしゃがみこんだ。


「いたた……。突然、なに?」


 揺れはすぐに収まったが、二人はなかなか立ち上がれずにいた。頭に落ちてきた本だけはペケプレスとダブルドールでなんとか防いだものの、危うく本で生き埋めになるところだったのだ。本棚が倒れてこなかったのが、不幸中の幸いだった。


「ねえねえ、今のって地震かな? 浮遊島にもあるんだね、びっくりだよ!」

「ニコ、もしかして楽しんでる?」

「もちろんだよ。二人とも無事だったんだし、どうせなら楽しんだ方が楽しいでしょ?」


 ペケの呆れ顔を気にもせず、本まみれのニコは目を輝かせる。だが、地震の直後にニコが腰を抜かしていたのを、ペケは見逃していなかった。


「ニコっていろいろ怖いもの知らずだけど、案外怖がりだよね」

「へへっ、やっぱりバレちゃった? でも、楽しいのも本当だよ」


 ニコはすっと立ち上がると、鼻歌交じりで落ちた本を棚へと戻していく。


「怖かったことも驚いたことも、こうして二人で笑い話にできるでしょ? ペケとなら、怖いと楽しいは対義語じゃないもん。ちょっぴり強がりだけど、それ以上に本心だよ」


 決して、スリルを楽しんでいるわけではない。きっとニコは人一倍怖がりで寂しがり屋で、だけれどもそれが霞むくらいにエネルギーと好奇心に満ちているのだろう。そしてそんなニコだからこそ、ペケもここまで影響されてしまったのだ。


「……ずるいよ、ニコは」


 ニコに聞こえないように呟いて、ペケも立ち上がる。そして床に落ちた本を片付けようとしたとき、ペケは本の山に紛れた分厚いノートに気が付いた。


「これ、もしかして、日記?」


 ペケは、紐で閉じられたボロボロのノートを拾い上げる。前半には枢機風車城での日々の出来事や明日への意気込みなどが取り留めもなく綴られ、ときおりアリスカルテットとの魔法少女界アリス統治の様子が記録されている。


 ラヴィはこの屋敷をクロスの隠れ別荘と言っていたが、どうやらこの日記によると、ここがクロスの本宅だったようだ。アリスカルテットを纏める役割に就くずっと前から、クロスはここに住んでいたらしい。そして地位を得た後も、ここから各所へ毎日通っていたのだという。


 だが流し読みをする限り、ペケと思わしき人物についての記述はない。やはりペケとクロスには、何の関わりもなかったのだろうか。ペケは、納得がいかずに眉をひそめた。


「ペケ、難しい顔してどうしたの? あ、なにそれ日記? 私にも見せてよ!」


 無邪気に笑うニコを見て、ペケは思わず肩の力を抜く。ニコがこうして現実に引き戻してくれるから、ペケは安心して思い悩むことができるのだ。

 二人で、日記のページをめくる。後半は魔法鍛錬の記録のようで、クロスの持つ魔法の特性や、応用に関する考察などが書き連ねられていた。細かい箇所は専門用語や直感的な表現が多く分かりづらいが、何度か読み直すことで、魔法の概要だけは何とか掴むことができた。その内容は、おそらくこうだ。


 第一魔法、クロスシンフォニー。異なる魔法や魔力を掛け合わせて融合する、交差の魔法。

 第二魔法、バッテンバリアー。〝X〟型の障壁を自在に発生させる、通行止めの魔法。

 第三魔法、カケルエンハンス。自身の身体能力を何倍にも跳ね上げる、乗算の魔法。

 第四魔法、タブーチェッカー。判断ミス時に脳内で不正解のブザーが鳴る、失敗予知の魔法。

 第五魔法、デリートクリック。指先で叩いた物体をまるごと消し去る、完全削除の魔法。

 これら五つが、クロスの持つ〝X〟の魔法だった。


「ニコ、どう思う?」


 クロスの魔法構成は、ペケとは似ても似つかない。だが、二つ目の魔法がバッテンであるなど、中途半端な共通点も見られる。


「すごい魔法ばっかりで、さすがは魔法少女界アリスのトップって感じ! だけどなんていうか、ペケっぽさはあんまりないよね」

「私も、そう思う。私の記憶喪失と繋がる要素も見つからないし。……よく、わからなくなってきたや」

「わかんないし、そろそろお昼ごはんにしようよ!」


 ペケは呆れ声を出そうとしたが、代わりに腹の虫が鳴る。ニコはそれを返事と受け取って、満面の笑みを浮かべた。

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