第28話「番犬岩を飛び越えて」

 雲だらけの平野を抜け、島の中心へと進む。煙突島の真ん中にはひときわ大きな煙突があり、島のどこからでもその姿が見える。それを目印に、ペケとニコは緩やかな坂を登っていく。


「見て見て、あのおっきな煙突! もうそろそろ着きそうじゃない?」

「ねえ、ニコ。すごく今さらだけど、他人の家に勝手に入るのってどうなのかな。あのラヴィさんの案だし、今回みたいな事情なら、魔法少女界アリスの掟じゃ一応問題ないんだろうけど」 


 ふと、そんな言葉が漏れた。ニコは首をかしげると、じっとペケの瞳を覗きこむ。


「よくないけど、このまま帰るのもよくないよ。それに、ペケの家かもしれないでしょ?」

「でも、違うかも。空猫バルのオーナーさんも、そう言ってたし」

「だったら、そのときは一緒に謝ろうよ。とにかく、このままじゃ私も納得できないもん」

「……ん、ありがと」


 とりとめもない会話をしながら、二人は歩みを進めていく。

 いつのまにか、木は一本も見当たらなくなっていた。代わりに辺りに生い茂るのは、色も形も多種多様な煙突たちだ。先が細かく枝分かれした、枯れ木のような煙突。みぞれ雲が木の葉や花びらのように上部を覆っている、桜の木のような煙突。飛行機雲の蔓、うろこ雲の苔、そして雲の切れ端でできた茂み。二人が今いる場所は、雲と煙突でできた森だった。


 そして二人は、少し開けたところに辿り着く。煙突の森を左右に割るように、石畳の道が島の中心に向かってまっすぐ伸びていた。


「やった、道だよ! 煙突の並木道!」

「でも、あれ、なんだろ」


 道の向こうを眺めて、ペケは首をかしげる。目線ほどの高さはある巨岩が、道の真ん中に転がっていたのだ。巨岩は丸く、横方向に大きなひびが一本入っている。それはまるで、裂けた口のようだった。

 そのとき、巨岩が力強く吠えた。その猛獣のような声を聞き、二人は全てを理解した。


「――番犬岩だ!」


 どちらともなくそう叫んだ。獲物を見つけた番犬岩は、その巨体をボールのように弾ませて、二人めがけて飛びかかる。二人はとっさに真横に飛びのき、そのまま森の中へと逃げ出した。


 魔法少女界アリスにおける変質ヘンテコは、魔女界グリムスのそれとは多少異なる。空の違いはもちろんのこと、差はそれだけに留まらない。魔女界グリムスが植物的ならば、魔法少女界アリスは動物的なのだ。

 そして、番犬岩もそのひとつ。犬のように獰猛な岩は、縄張りへの侵入者を絶対に許さない。


 森の中へと入っても、番犬岩は追ってくる。番犬岩は何度か弾んで助走をつけると、勢いよく転がり始めた。転がる岩はときおり煙突にぶつかることもあるものの、それでも二人との距離を縮めていく。追いつかれるのは、時間の問題だった。


「ニコ! あの岩、直接ラクガキにして、地面とかに閉じ込められない?」

「私の魔法、嫌がる相手はラクガキ化できないの! 誰かをモデルに絵を描くときって、ちゃんと許可を取らなきゃダメでしょ? よくわかんないけど、たぶんきっとそんな感じ!」


 番犬岩が生物なのかは疑問が残るが、とにかくペタンコペイントは意思ある相手に対しては制限が多いようだ。だがニコは何かを思い付いたようで、走りながら鍵を取り出す。そして、目の前に立ちふさがる一本の煙突に突き刺した。


「だけど、生き物じゃなきゃ押し込み放題変え放題だよ! ――ペタンコペイント!」


 〝Ⅱ〟の鍵が回され、それと同時に煙突が消える。いや、正確には消えたのではない。地面にムリヤリ押し込まれ、ラクガキになったのだ。

 ラクガキとなった煙突の上を、二人は飛び越える。そのすぐ後ろを、番犬岩が追いかける。


「今だよ! 戻れっ!」


 ニコが宙で鍵を回し、ペタンコペイントが解除された。番犬岩のちょうど真下のラクガキは、瞬時に煙突へと戻る。重く、激しい衝突音がした。番犬岩は急に突き出た煙突に跳ね上げられ、宙を舞う。その巨体は何本もの煙突を悠々と飛び越え、森の向こうに落ちていった。


「よしっ、魔女の狙いに狂いはないよ!」

「まだ追ってくるかも、急ごう!」


 ペケとニコは煙突の並木道へと戻り、先を急ぐ。番犬岩は、鉄や猫の爪より硬い。この程度では、かすり傷にもならないだろう。また見つかってしまう前に、ここを離れる必要がある。


 しばらく走ると、並木道の向こうに建物の影が見えてきた。ペケとニコは思わず顔を見合わせ、無言でハイタッチをする。間違いない、ついにクロスの別荘を見つけたのだ。

 別荘は三階建てのおんぼろ屋敷で、適当な小屋を三つそのまま縦に重ねたような、ややちぐはぐな造形をしている。そのシルエットは縦に長く、いつ倒れてもおかしくない。


「でも、あれ、やっかいかも」


 ペケはニコに耳打ちする。屋敷の前に広がる庭には、十匹を超える番犬岩が転がっていた。どうやら眠っているようだが、少しでも縄張りに踏み入ればすぐに目を覚ますだろう。

 煙突の陰に身をひそめながら、ペケは状況を確認する。屋敷の周囲一帯には、土管を細長く伸ばしたような標準的な煙突が群生している。しかし屋敷の玄関に辿り着くには、煙突の陰から出て庭の中央を突っ切らなくてはならない。その距離は、魔女の歩幅で三十歩ほどだ。


「……ところで、ニコはさっきから何してるの?」

「なんかこう、手頃な長さの棒がないか探してるんだけど……。あっ、ペケの杖でもいっか」


 いったい何を閃いたのか、ニコは得意げに身を乗り出した。こうなると、ニコは止まらない。


「一応聞くけど、何するつもり?」

「ペケの杖、下のところだけちょっとニコギロチンで切ってもいい?」

「別に下が少し欠けても、杖先から魔法を打つのに影響はないと思うけど。……ニコ、まさか」

「もちろん、そのまさかだよ。こうすれば、一気に屋敷まで行けるでしょ?」


 ニコは笑顔で頷くと、杖の下部数センチをニコギロチンで切り離す。ペケも仕方なく頷いて、バッテンバインドを溜め始めた。強硬突破は好きではないが、そうも言ってはいられない。


「それじゃいくよ! ていっ!」


 ニコは煙突の陰から飛び出ると、杖の破片を屋敷に向かって投擲した。破片は放物線を描き、三階のバルコニーへと飛んでいく。そしてペケは、破片めがけて最大チャージのバッテンバインドを放つ。交差する純白の帯は、破片を巻き込みバルコニーの手すりに絡みついた。

 これで、番犬岩を振り切る準備は完了した。二人は、身の丈ほどの長さの杖にまたがった。

 庭に転がる番犬岩は、ペケとニコの存在にようやく気付いたようだった。丸く大きな岩たちは唸り声を上げ、二人めがけていっせいに転がり始める。


「もっともっとおびき寄せて――今だよ、飛ぶよっ!」


 ニコが宙で鍵を回し、ニコギロチンを解除した。バルコニーに括り付けられた杖の破片と、二人がまたがる杖本体。二つの欠片が、元に戻ろうと引き寄せあう。二人の体が、一瞬にして加速した。向かい来る番犬岩をも飛び越えて、杖はバルコニーへと一直線に駆け抜ける。


 だが、ここでバッテンバインドが解けてしまった。岩をおびき寄せるのに時間を使いすぎて、すでに十秒が経過したのだ。手すりに縛られていた杖の破片は、こちらに向かって飛んでくる。

 杖と破片が元通りにくっつき、杖は推力を失った。二人は地面に勢いよく転がり、土埃を巻き上げる。下が柔らかい土だったおかげで、怪我はない。そして、玄関はすでに目と鼻の先だった。ペケとニコは咳き込みながら、ドアの前まで必死に走る。遠く背後から吠え声が聞こえたが、振り返る余裕はなかった。


「やっぱり、ドアに鍵かかってるよ!」

「だったら、ニコ、お願い!」


 古びたドアの下には、わずかな隙間があった。ペケはドアマットの上に立ち、ニコはマットに鍵を刺す。そしてペタンコペイントで、ペケはマットに描かれたラクガキとなる。

 ニコがマットをドアの向こうに滑り込ませ、即座に魔法を解除した。マットから飛び出たペケは、中からドアを開錠する。番犬岩たちは、もうそこまで迫っていた。

 ニコの手を掴み、屋敷の中へと引きずり込む。急いでドアを施錠すると、二人はその場に座り込んだ。番犬岩は、あくまで番犬だ。家を壊してまで二人を追ってくることはないだろう。


「やったね、ペケ!」

「……こんな無茶、できればもうこりごりだよ」

「でも、まんざらでもないんでしょ? ペケったらいつもそう言ってるけど、なんだかんだで一番楽しんでるもん」

「ん、まあね」


 どうやらペケも、だいぶニコに毒されてきたらしい。二人は土を払うと、屋敷の中へと進んでいった。

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