第27話「煙突島で雲まみれ」

 二つの朝日に照らされて、宙に浮かんだ島々が底なしの海に丸い影を落としていく。魔法少女界アリスの風を受けながら、ペケとニコを乗せた羊車は虹の橋を駆け抜ける。


「あっ! やっと見えたよ煙突島!」


 ニコが身を乗り出して、はしゃぎ声を上げる。ペケも無言で頷くと、杖を強く握り締めた。

 煙突島は、半日で一周できるほどの小さな島だ。現在はただの無人島で、足を踏み入れる魔法使いもほとんどいない。そしてこの島の真ん中に、クロスの隠れ別荘があるという。


「それにしても、キミたち珍しいね。こんな無人島に、何か用?」


 羊車乗りの魔法少女は、背を向けたまま不思議そうな声を出す。ペケは少し迷ったが、適当にはぐらかすことにした。下手に別荘のことを話して、空き巣などと勘違いされても面倒だ。


「ま、いいけど。近頃の流行りだったりするの? 何度かラヴィさんも来ていたし」


 大して興味もなかったようで、魔法少女は気だるげにあくびをする。歳はペケたちと同じくらいだろうか。その身を包むドレスには、五線譜を模したラインがいくつも入っていた。

 空は青く、雲は白い。橋の遥か下に見える海原は、波ひとつなく穏やかだ。


「……とんとん拍子に行きすぎて、少し怖いくらいかも」


 そんな呟きが漏れるほど、冒険にはもってこいの朝だった。

 煙突島へは、三十分もかからず到着した。二人は羊車から降りて、魔法少女に礼を言う。


「じゃあ、帰りのときは橋のふもとで小さく口笛を吹いてね。そしたら急いで迎えに来るよ。私って音色とかには敏感だから、狙った音色はどんな遠くからでも聞こえるよ」


 魔法少女は〝♪〟の記号が刻まれた鍵を掲げ、ケロ・ハーフトーンと名乗る。ケロは二人に手を振ると、虹の橋を渡り元の島へと戻っていった。


 煙突島は、その名に恥じず煙突だらけの無人島だ。島のいたるところで多彩な煙突が自生しており、その種類は百を超えるとも言われている。しかも、この島でしか見られない希少な煙突もあるというから驚きだ。


 島の入口には、木に混じってパステルカラーの煙突たちが並んでいた。地面から突き出た煙突を間近で観察しながら、二人は島を進んでいく。煙突島は、木よりも煙突の方が多い。そして大小さまざまの煙突は、ときおり空へと雲を吐き出す。どうやら魔法少女界アリスの雲の一部は、ここで生まれているらしい。煙突から出た子雲は空を漂い成長し、大きく立派な雲になるのだ。


「わわっ! あっちもこっちも糸だらけだよっ」


 煙突島の入口あたりは、糸吐きウサギの縄張りのようだ。二人の行く手を阻むように、あちこちに蜘蛛の巣状の罠が仕掛けられていた。糸吐きウサギの巣は魔女一人を絡め取れるほどの大きさで、粘着力も非常に強い。無理に進むのは、骨が折れるだろう。


「だったら――ペケプレス!」


 ペケは杖を構えると、〝X〟型の白い波動を撃ち出した。直接殴るのと変わらないような威力の魔法でも、触れたくないものを処理するには非常に役立つ。二、三秒だけ溜めたペケプレスを何度も放ち、ペケは糸を払っていく。


「最初からそんなペースで、疲れちゃったりしない?」

「うん、大丈夫」


 ペケプレスは弱すぎて、魔力の消費も異常に少ない。普通に使う範囲なら、消費より自然回復の方が早いことさえあるほどだ。この燃費のよさも、ペケの魔法の強みだった。

 そのとき、ニコの足元の茂みから糸吐きウサギが顔を出した。


「ニコ、危ない!」


 ペケはとっさに小さなバッテンバインドを放ち、ウサギの口を封じる。糸吐きウサギは毒を持つのだ。噛まれれば、魔女もパンダもひとたまりもないだろう。


「ありがとっ。……あっ! ペケ、後ろ!」


 ニコの叫びで、ペケは背後を振り返る。大きく跳び上がった別の糸吐きウサギが、ペケの顔へと迫っていた。だが、その毒牙はペケには届かない。ペケの眼前にオレンジ色の魔法陣が展開され、そこから飛び出たニコ人形がウサギを叩き落としたのだ。


「助かったよ、ニコ」

「――遠隔ダブルドール。そこはさっき、一度鍵を構えたところだよっ!」


 ニコの魔法は対象に一度鍵を刺した後、好きなタイミングで遠隔発動することもできる。そして遠隔発動できるのは、いまやニコギロチンだけではない。

 ダブルドールは、空間に鍵を刺して発動する魔法。最後に鍵を構えた座標に魔法陣を展開し、そこからニコ人形を召喚するのが遠隔ダブルドールだった。遠隔魔法を使いこなすだけのスタミナを、ニコは身に付け始めていた。


 糸吐きウサギの縄張りを抜けても、なおも煙突島のヘンテコは続く。二人を待っていたのは、一面が雲に覆われた平野だった。

 煙突から出た雲のうち、あまりに小さいものはうまく空へと昇れない。そんな小さな雲たちが平野に集まり、地面を覆いつくしていたのだ。積み重なった雲の層は、腰ほどまでの深さがある。二人はおそるおそる、雲のプールに足を踏み入れた。


「なにこれ、すごいよ! ふわふわの海みたい!」

「……ん。ちょっと、くすぐったいかも」


 雲の中は水のように抵抗があるが、肌触りは綿そのものだ。重く纏わりついた雲たちが綿毛のように脚をくすぐり、ペケは小さな声を漏らした。


「よーし! それじゃ、向こう岸まで競争しようよ!」

「あ、まって、ニコ!」


 ニコははしゃぎ声を上げながら、クロールのような動きで雲のプールを泳いでいく。くすぐったさを堪えつつ、ペケも急いで駆け出した。

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