第25話「底なき海に陽は落ちて」

「ごちそうさまでしたっ。もう、大満足!」

「ニコは、さすがに食べすぎだと思うけど」


 バルを出たとき、空は黄昏に染まっていた。道端の街灯にはガラスの台座が取り付けられ、光る卵が乗せられている。これは、雲編みワシの卵だ。雲編みワシは、雲をついばみ空の上に巣を作る。その卵は太陽光を間近で受け続けるために、いつしか自ら光るようになるのだ。


「んーと、近場の宿は、っと」


 オーナーから貰ったメモを片手に、ニコは街灯の下までスキップする。


「ニコ、ちょっと待っ……ひゃあっ!」


 突如後ろから首筋をなぞられ、ペケは大きく飛びあがる。振り向けば、そこにはフードを深く被った女性が立っていた。おそらく、二人を追って空猫バルから出てきたのだろう。


「ああ、すまんすまん。驚かせちまったか?」


 乱暴な口調で、フードの女性はケラケラと笑う。短いコートの裾からは、ピンクのフリルが見え隠れしていた。顔とドレスを隠してはいるが、どうやら魔法少女のようだ。


「……なん、ですか?」

「なあ。あんた、クロスの奴のこと調べてるんだってな」

「へっ? 確かに、そうですけど」


 つい、間抜けな声が漏れる。呼びとめられた理由がわかり、ペケは胸を撫で下ろした。


「なにか、知ってるんですか?」

「知ってるなんてもんじゃねえよ。忘れたくても忘れられねえのさ。あの、最期までまっすぐな大バカ魔法少女のことなんてよ」


 魔法少女は、困ったように首を掻く。血のように赤々とした髪が、フードから覗いた。


「煙突島。ここから島を九つ跨いだ先にある、もの静かな小さな島さ。そこに、あいつの隠れ別荘がある。あいつのことを知りてえなら、あそこが一番手っ取り早い」

「ええと、そんなこと、どうして知って……?」

「ああ、それを説明するにはな……。ちっ、仕方ねえがこれしかねえか」


 魔法少女は辺りを見回すと、コートを脱ぎ捨て、その素顔を露わにした。


「……え、なんで」


 ペケは、この魔法少女のことを知っていた。いや、つい先ほど知ったばかりだった。

 背格好から察するに、二十歳手前といったところだろうか。真紅の髪は左右で束ねられ、首元では鋲付きのチョーカーが鋭く光っている。露出の多いドレスにはフリルとリボンと金具が過剰なほどにあしらわれ、暴力的なまでの存在感を放っていた。そしてその胸元では、髪色と同じ真紅の鍵が揺れている。そこに刻まれたモチーフに、ペケの視線は釘づけになっていた。


「ねえ、ペケったら何やって――」


 ちょうど店の前に戻ってきたニコも、すぐに気付いたようだった。興奮に満ちた息づかいが、ペケの耳にもはっきりと聞こえた。


「――ペケ! この人、ハートだよ! アリスカルテットの〝♡〟だよ!」

「おいおい、頼むから大声はやめてくれねえか?」


 〝♡〟が刻まれた真紅の鍵を掲げて、魔法少女は口角を吊り上げる。


「〝♡〟の魔法少女、ラヴィ・ペインハート。ご存知の通り、アリスカルテットの一員さ」


 その赤黒い眼光を前にして、ペケは思わず身震いした。


「私のこと、他の奴らには秘密だぜ? 一応、ここにもお忍びで来てるんでな」


 ウインクするラヴィを見ながら、ペケは何とか思考を巡らせる。思えば、空猫バルは政府の役人も集うような店だ。そんな場所なら、どんな大物の魔法少女が常連でもおかしくはない。


「おっと、悠長に世間話してるわけにもいかねえか」


 ラヴィはすばやくコートを羽織ると、フードを深く被りなおした。これだけの有名人になれば、ペケの知らない苦労もあるのだろう。


「クロスのバカの別荘は、煙突島のど真ん中にあるはずだ。何が手がかりになるかもイマイチわからねえが、行ってみる価値はあると思うぜ?」


 ラヴィはそう囁くと、ペケの背中を力強く叩く。不意を突かれ、ペケは大きくよろめいた。


「わひゃっ! ……あ、あの」

「記憶、戻るといいな。じゃ、近いうちにまた会おうぜ」


 それだけ言い残すと、ラヴィは人目を避けるように路地の向こうへと消えていった。

 夕暮れ時の風に揺られて、バルの扉がにゃあと鳴いた。



 魔法少女界アリスにも、日没の時は訪れる。ペケとニコは、宿の窓から沈みゆく太陽を眺めていた。


「ねえねえ、凄かったね実物のラヴィさん! カリスマのオーラっていうの?  やっぱりポスターとは段違いだよっ」

「うん。凄すぎて、ちょっと怖かったかも」

「ペケったら、変な声あげてたもんね。でも、姉御肌って感じで格好良くなかった?」

「うーん。姉御肌とは、なんか少し違うような」

「とにかく私たち、今日はホントについてるよ! さすがは空猫バル、って感じ!」

「……何というか、うまく行き過ぎな気もするけど」


 ペケは一抹の不安を感じたが、すぐに胸の奥にしまった。考えすぎるのは、ペケの悪い癖だ。

 三つの太陽が次々と海の彼方へ沈み、雲まで届く水柱が上がる。魔法少女界アリスの海は、底がなければ果てもない。打ち上げられた太陽は、底なしの海で眠るのだ。


「ねえ、ニコ。色んな事がありすぎて、すこし疲れたよ」

「でも、楽しかったでしょ?」

「うん、すごく」

「よかった。私も、楽しかったよ」


 ニコは白い歯を見せると、天樹の懐中時計を見つめた。そして先ほど露店で衝動買いしたヤマタノパンダの毛皮にくるまり、ベッドに寝転がる。


「ねえ、ペケ。まだ少し早いけど、今日はもう寝よっ? 明日からの旅に備えてさ」

「……明日からの旅、か」


 ペケはベッドに倒れ込むと、これからの冒険に想いを馳せる。そして少しだけ考え込んで、すぐに目を閉じた。続きは、明日のお楽しみだ。


「おやすみ、ニコ」

「おやすみ、ペケ。また明日」


 毛皮の毛布は思った以上にふかふかで、疲れた体を優しく包む。まだ日が沈んだばかりだというのに、二人はすぐに眠りに落ちた。


 魔法少女・クロスの隠れ別荘があるといわれる、煙突島。旅の最初の目的地は、決まった。

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