第24話「できることから一歩ずつ、できることなら楽しみつつ」
美味しいものほどゆっくり味わうのが、ペケの小さなこだわりだった。だけれども、今はスプーンが止まらない。気付けば、ペケはニコより早くシャーベットを平らげてしまっていた。
「でも、どうにも不思議よね」
「……はい。すごく、不思議な味わいでした」
「そっちじゃなくて、あなたの話。私も医学に詳しいわけじゃないけれど、記憶喪失とはいえそれだけ時間が経ったなら、少しは記憶が戻るものじゃないかしら」
確かに、今までペケが思い出した記憶は、二つの人影が並ぶあのシーンだけだ。それ以外は、ぼんやりとしたイメージすら甦ったことがない。ペケも、たびたび不自然だとは感じていた。
「今はとりあえず、世界のいろんなヘンテコにもっと触れてみるつもりです。なにか思い出すきっかけになるかもしれませんし、……あと、そっちの方が楽しいですし」
シャーベットに夢中のニコを、ペケは横目で見る。その視線に、特に深い意味はなかった。
そのときだった。だれか客が来たのだろうか、にゃあ、とドアが甲高く軋んだ。オーナーは一度会話を切り上げると、入口の方へと向かっていく。
「いらっしゃ……あら、この時間にめずらしいじゃない。何か、急ぎの用事でもあるのかしら」
「やっとのことで見つけましたー。そちらのお二方に、少々お伝えしたいことがありまして」
聞き覚えのある間延びした声に、ペケは素早く振り返る。店の入口には、〝~〟の魔法少女、チルダ・ウェイブの姿があった。
「……チルダさん? どうして、ここに?」
「ちょうどお二方が出発された後に、あの張り紙を改めて拝見させていただきまして。そのような事情でしたらお力添えできると思い、のんびり追いかけてきた次第でして」
「でも、どうしてここが?」
ペケの問いかけに答えるように、チルダが波打つ髪をかき上げる。彼女の右のこめかみには、〝~〟の鍵が差し込まれていた。
「――イロイロウェーブ。脳波も音波も、あらゆる波はわたくしの得意分野でして。街の喧騒の向こうから、お二方の声紋をなんとか拾いあげて来たのですよー」
チルダは鍵を引き抜くと、ペケとニコの前に歩み寄る。
「ではでは、前置きはここまでにして。――『追憶の泉』の噂、ご存知でして?」
ペケの記憶の限りでは、聞いたこともない言葉だった。ニコとオーナーにも視線を送るが、二人とも首を横に振る。
「ごくごく最近、
「やったよ! ペケ、これだよ! こんなところがあるなんて!」
ニコは目を輝かせて、ペケの肩に手をかける。だが、ペケは素直に喜べずにいた。
問題となるのは、場所だ。その泉は、今まで誰も立ち入らなかったような秘境にあるのだ。
「そこ、私たちでも辿り着けるような場所なんでしょうか」
「さてはて、何と答えたものでしょう。まだ、噂すら少ないような場所でして」
チルダは申し訳なさそうに首をかしげる。そんなチルダに代わって、オーナーが口を開いた。
「あまり無茶はいけないわ。異界はね、端に行くほどマナが濃くなるの。そしてその分だけ、世界そのものがどんどん無秩序になっていくのよ」
ペケとニコを見つめて、オーナーは困り顔で忠告をする。
「異界は、よそ者には優しくないわ。例えば、
ペケは、ソラの森での冒険を思い返す。あのとき月や星が帰り道を照らしてくれなければ、二人は遭難していただろう。危険度が低いと言われるソラの森でさえこれなのだ。よりマナが濃い場所で、しかも世界が味方してくれないとなれば、命がいくつあっても足りやしない。
「そう、ですか」
やはり、何事も都合よくはいかないらしい。追憶の泉の噂が本当ならば、そこに行けばきっと全てが解決するのだろう。だが、現状では泉に関するあらゆる情報が不確かで、それ以前にペケとニコでは泉に辿り着くことすらできそうにない。
それでもペケは、左右もわからぬ闇の中に、少しずつ光明が差し込むのを感じていた。
「ありがとうございます。チルダさんも、オーナーも」
二杯目のエッグジュースを飲みながら、ペケは思考を整理していく。
――ひとつ、クロス・メナード。ペケの目覚めと同時期に姿を消した、〝X〟の魔法少女。
――ふたつ、回帰ゲート。一人前の魔法使いが生み出せる、元いた世界に戻るゲート。
――みっつ、追憶の泉。
「できることから、一歩ずつ。できることなら、楽しみつつ」
自分自身に言い聞かせるように、ペケは小さく呟いた。そして、大きく息を吸う。
「ねえ、ニコ。やることが、決まったよ」
その内容は、単純なものだ。だけれども、言葉にすることに意味がある。
「まず、クロスさんのこと、もっと調べよう。
そしてその旅の中で、魔法も地道に鍛えていく。ニコに言わせれば、二兎を追うのが魔女の性、というものだろうか。
「回帰ゲートと追憶の泉は、もしもの時の保険かな。どうしても私の正体がわからないまま、魔法だけ一人前になっちゃったときの保険。そのときは、鍛えた魔法で泉に挑もう」
旅の目標は、明確に決まった。何か間違っていたなら、そのとき修正すればいい。今はとにかく、迷いながらも突き進むだけだ。
「よーし、そうこなくっちゃ! そのためにも、まずは腹ごしらえしないとねっ」
「……ニコ。もしかして、まだ食べる気?」
三度の飯も魔女の糧。まさに、ニコのためにあるような言葉だった。
「でしたら、わたくしも数杯お付き合いいたしますー。もう少し、お話したいところですし」
チルダはカウンター席に腰掛けると、プリンビールを注文する。
「もう、チルダったら。まだ仕事中でしょう?」
「わたくしは案内役ですからねー。こうした会話のやり取りも、きっと仕事のうちでして」
チルダはさっそくジョッキを傾けて、満足げな表情をする。この小柄な魔法少女が何歳なのか、ペケにはわからなくなっていた。
「だったら私も、二人にいろいろ教えちゃおうかしら。このままチルダにいいところばかり取られたら、空猫バルの名折れだもの」
オーナーはお茶目にウインクすると、料理の準備に取り掛かる。
夕方前の空猫バルは、夜にも負けない盛り上がりを見せていった。
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