第23話「空猫バルの昼下がり」
レンガが敷かれた街道を、二人は弾む足取りで進んでいく。立ち並ぶ店は二、三階建てほどで、どれもがポップな色調だ。オレンジや青やピンクの壁、水色の扉や黄色の窓枠、緑の柵に真っ赤なとんがり屋根。思い思いに塗り潰された街並みは、一つの大きなおもちゃ箱のようだ。
街は活気に包まれ、道端の露店では猫の羽毛にウサギの繭糸、ヤマタノパンダの毛皮などが売られている。初めて見る光景の連続に、ニコはもちろんペケでさえ興奮を隠しきれずにいた。
昼下がりの街は三つの太陽に照らされて、なおも活気を増していく。
目的の店は、繁華街から少し外れた路地裏にあった。隠れ家酒場・空猫バル。屋根に大きな猫耳が生えた、一軒家の小さなカフェバルだ。チルダから貰ったパンフレットによると、どうやらここは
「ここで、あってるかな」
「うん、ビンゴ! きっとそうだよ!」
屋根の猫耳がぴくんと動いた気がするが、きっと目の錯覚だろう。ペケは首をかしげたまま、古びたドアに手をかけた。
にゃあ、と軋むドアを開けると、カウンターに立つ魔法少女と目が合った。この店のオーナーだろうか、三十代半ばほどの彼女は長髪を後ろで束ね、落ち着きあるモノトーンのドレスを纏っている。
「あら、いらっしゃい」
どこか気の抜けたような、柔らかい声だった。
「ごめんなさいね。うちの店、昼はあんまりお客さんが来ないから」
オーナーの言うとおり、薄暗い店内は閑散としていた。フロアには円形のテーブルがいくつか並んでいるものの、隅のほうに数組の魔法少女がいるだけだ。
二人は促されるままに、カウンター席に着く。小洒落たオルゴールの音色に耳を傾けながら、ペケはメニューを手に取った。何を食べるか悩む時間が、ペケはちょっぴり好きだった。
「すいませーん! オススメのやつお願いします!」
そんなペケの隣では、メニューも見ずにニコが手を上げる。ペケはあっけにとられたが、すぐに小さく吹き出した。
きっと、これも旅の醍醐味なのだろう。たまには、こういうのも悪くない。
「じゃあ、私もオススメで」
「はーい。一応確認だけれども、二人とも魔法使いでいいのよね?」
念を押すようにそれだけ確認すると、オーナーは店の奥へと消えていった。
異界はマナに満ちている。そのため異界の食べ物にも当然マナは含まれており、大抵ヘンテコなものほどマナの含有率が高い。マナを魔力に変換する魔法使いにとって、異界の食材は効率的なマナの供給源でもあるのだ。
しかし、普通の人間の食事となると話は別だ。マナとは、あらゆるものをデタラメに変質させる力。マナを魔力へと代謝できる魔法使いとは違って、人間にとってのマナはただの毒なのだ。大気中のマナに晒され続けるだけでもマナ酔いを起こすというのに、異界の食べ物などを口にすればすぐに心身に異常をきたしてしまうだろう。
最悪の場合、人の形すら保てなくなる。
「あ、だからメニューが二つあるんだ」
ペケは一人で納得する。
黒いメニューは魔法使い、白いメニューは人間向け。白いメニューをパラパラとめくると、ニシンパイやサンドイッチ、タパスやウナギのゼリー寄せなどのメニューが目にとまる。どれも人間界の代表的な料理で、食材も人間界から取り寄せているようだ。
これだけノンマナ食材が豊富なら、枢機風車城に勤める政府の役人も足しげくここに通うだろう。どこより新鮮な情報が集まる場所というのも、あながち嘘ではなさそうだ。
「はい、おまちどうさま」
ペケが思考にふけっているうちに、気付けば料理が出来上がっていた。運ばれてきたのは、糸吐きウサギのスープ。野菜のような何かを煮込んだスープに厚切りのウサギ肉を加え、最後にウサギの吐いた糸を麺としてトッピングした、
余談だが、糸吐きウサギは蜘蛛の巣状の罠を張る。その横糸は粘着質で、縦糸は美味しい。そして縦糸を餌に獲物をおびき寄せ、罠に絡まったところを捕食するのだ。
糸吐きウサギのスープには、この縦糸が使われていた。
「……これ、結構好きかも」
スープを飲みながら、オーナーの話に耳を傾ける。オーナーは博識で話も上手く、
糸の麺はモチモチとしていてコシが強く、味も香りも申し分ない。ニコも気に入ったのか、ウサギ肉と糸を口いっぱいに頬張っていた。
「なんかもう、すっごく美味しいです! これだけで
「そう言ってもらえると嬉しいわ。……だけど、二人ともなかなか大変な時期に来たものね」
ひときわ大きなウサギ肉を口に運びながら、ペケは首をかしげる。その脳裏には、〝☆〟と〝♨〟の手配書が浮かんでいた。
「気をつけてね。今の
やはり、
「なにか、あったんですか?」
「まあ、いろいろとね。ところで二人は、
その問いかけに、ニコが得意げに胸を張る。
「アリスカルテットでしたっけ、その人たちなら知ってます!
自信満々のニコによると、
「あら、詳しいのね。でも、それだけじゃないの。もう一人、その中心に立つ子がいたのよ」
オーナーはどこか遠い目で、ゆっくりと息を吐いた。その視線の先に会ったのは、一枚のポスターだ。おそらくアリスカルテットのイラストなのだろう、〝♠〟〝♡〟〝♣〟〝♢〟のモチーフとともに四人の魔法少女の姿が写実的に描かれている。
「四人とも、いい魔法少女なのだけれど。目指す所が違うというか、とにかくバラバラだったのよ。だから、まとめ役となる彼女が必要だった」
熟達した魔法使いほど自由人が多いのかしら、とオーナーは困り顔を浮かべていた。
「彼女は、正義感の強い子だった。この店に毎日のように来ては、いつも熱く夢を語っていたわ。だけど、あの大災害が起きた。ここからそう遠くない島に、太陽の欠片が落ちて来たのよ。そして彼女は、周囲の制止を振り切り真っ先に駆け付けて、逃げ遅れた魔法少女を一人残らず助け出して……そのまま、帰ってくることはなかったわ」
オーナーの声は悲しげで、しかしどこか誇らしげでもあった。
「そんな中心人物が欠けちゃったから、
「そんなことが、あったんですね」
「ええ、それだけ彼女の存在は
「…………クロス?」
ペケは耳を疑った。行方知れずの魔法少女は、ペケと同じ〝X〟のモチーフを持っていたというのだろうか。
「それ、いつ頃の話ですか?」
「もう、一か月半前になるかしら。でもきっと大丈夫。彼女ほどの魔法少女だもの、仮に最悪の場合でも、自分で鍵を折って人間界へ離脱しているはずよ。それでも十分悲しいことだけど」
魔法使いは鍵が折れると全ての素質を失い、異界から強制的に排除される。裏を返せば、ただの人間になるのと引き換えに、どんな状況からでも人間界へ逃げ帰ることができるのだ。
だが、ペケにはどうしても確認したいことがあった。
「でも、クロスさんは本当に人間界に戻ったんでしょうか。例えばですけど、異界に残ったままどこかで一命を取り留めていて、だけど記憶を失っていたり、なんて」
「それって、どういうことかしら」
一か月半前。それは、ペケがソラの森で目を覚ました時期と一致する。しかも、ペケは魔法少女である可能性が非常に高い。ペケの正体がその魔法少女だったなら、全て筋が通るのだ。
「私も、〝X〟の魔法使いなんです。記憶を、失くしているんです」
大きく深呼吸をしてから、ペケはこれまでの経緯を手短に語っていく。その間ずっと、オーナーは深く考え込んでいるように見えた。
「なるほどね。確かに、モチーフも時期も一致するけれど」
「そうです。だから、もしかしたらと思ったんです」
「でも、あなたと彼女は違うわ。彼女はここの常連だもの、見間違うはずもないじゃない。それに彼女はもっと背が高いし、もっと大人びていたのよ」
反論の余地もない否定は、オーナーのせめてもの優しさなのだろう。ペケは手元に視線を落とすと、エッグジュースを口にする。まろやかな甘みが、渇いた喉を潤した。
「すいません。違うのは、わかってました。だけど、どうしても気になって」
その言葉は、半分だけ本当だった。そもそも、少し考えればわかることだ。ペケの正体がそこまで有名な魔法少女なら、きっと
「でも、ペケはまだ納得してないんでしょ? そんな顔してる」
「……ニコ」
あっさりと図星をつかれて、ペケはなぜか笑ってしまった。これだから、ニコには敵わない。
「気付いてない? ペケって、結構わかりやすいよ」
「気付いてるよ。いつも、ニコに気付かされてる」
オルゴールの音色に隠れるほどの囁き声で、二人は言葉を交わしていく。
「やっぱり、共通点が多すぎると思うんだ。私がその人じゃないにしても、まったく無関係なはずがない。きっと、どこかで繋がってる」
「私もそう思うよ。全部が偶然だったなら、それこそ奇跡も箒で逃げだしちゃうよ」
きっと、幸先はいいのだろう。クロスの件は、これまでで一番大きな手がかりだった。全体像こそ見えないが、調べてみる価値はある。
「ごめんなさいね、あまり力になれなくて」
「いえ、ありがとうございます」
ペケは決意を示すかのように、エッグジュースを一気に飲み干した。
「思った通りに行かないことは、覚悟していましたから。むしろ、順調すぎるくらいです」
視界の端に、ニコのにやつく顔が映る。ペケも言うようになったじゃん、とでも言いたげな、含みのある笑みだった。
「ふふっ、頼もしいわね。私にも、応援させてもらえないかしら」
オーナーは目を細めると、二人の前に小さな器を並べた。その中には、綿菓子を凍らせたようなデザートが盛りつけられている。
「限定十七食の裏メニュー、雲のシャーベット。今回だけは、私のおごりよ」
「……どうしよ。これ、おいしい」
甘い雲は舌の上で溶けると、滑らかな舌触りの風となって口内を満たしていく。一度に食べる雲の量によって、それはそよ風にも嵐にもなり、食べる者を決して飽きさせない。
「ねえペケ、これ何とかして
美味しさのあまり困惑するペケと、頬を押さえたまま放心しかけるニコ。
そんな二人を、オーナーは微笑ましげに見つめていた。
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